Episode010 とある漫画家の転機3
「え、ちょっと待ってください?」
ディノールの言葉に、カルマは困惑した。
「まさか綺羅星ニャルタール先生に……正式な続きを描いてほしいとか、そういうお話でしょうか?」
「無論。そうお願いしているつもりです」
ディノールは真剣な表情で告げた。
「あの作品をこのままにするのは非常に勿体無い。というか人類にとって『あなたの隣の不定形』の事実上の打ち切りは、文化的損失であると……私は考えている!ですから我が社でのアニメ化と連動して、よろしければ綺羅星ニャルタール先生には……我が社が懇意にしている出版社で、無理やり終わらせようと思ったお話の前のお話から続く正式な物語展開も含めて……第1話から、改めて連載してほしいのです! 翻訳などは、全面的にこちらでやらせていただきますから!」
ディノールの言葉に、その声色に込められた真剣さに……カルマは息を呑む。
そして、やっぱりこの人は本気で『あなたの隣の不定形』を愛しているのではと
……心から思った。
なぜなら彼も『あなたの隣の不定形』の、事実上の打ち切りに心がモヤモヤしていたからだ。なのでディノールの気持ちは嫌というほど解る。
しかし勝手に作品をリメイク……というかトゥルールート版と呼ぶべきモノへと描き直したりアニメ化するのは、現在ニャルタール先生が所属している、かつては『あなたの隣の不定形』を連載し、そして現在は別名義で短編を時々出している雑誌の出版社に、黙ってやっていい事ではない。
もしすれば、した事実が判明した時……すなわち地球の星際化が無事に完了した時に色々と問題になる。
もしディノールの話に乗るのであれば、ニャルタールは正式な手続きを経てその出版社を退職した上で、作品の著作権などを、作者たるニャルタールに移さなくてはならないだろう。
ディノールの計画が破綻するかもしれない可能性を、踏まえた上で。
どっちにしろ、カルマはもう、ディノールに何も言えなかった。
もし言えるとするならば……ディノールがなんらかのよからぬ企てをしていると判明した時だけだろう。
ここはもう、綺羅星ニャルタール先生が意見を言う場だ。
「…………えっ……と……」
彼女は恥ずかしそうに頬を赤く染め、オドオドしながら口を開いた。
「しゅ、出版社は……もう、未練とか無いので……辞めようとは、思ってました。でも……まだ、考えさせてください。私は、まだ……怖いんです。また、私の作品が……別のモノに、なるんじゃないかって……ッ」
「…………分かりました」
ディノールは、悔しそうではありながらも……仕方ない、と言わんばかりに肩を落とした。ニャルタールの過去を嫌というほど知っているのだ。アニメ制作会社や演者の過失によって己の作品を穢されたと言うべき、理不尽過ぎる過去を。
「気が変わったら、またご連絡ください。いつでも我が社は貴女を待っています」
そして最後に、彼はそう告げると、ニャルタールに一礼し、そして自室のドアを開けて差し上げようとした……その時だった。
「「「失礼します、プロデューサー!!」」」
そのドアから、なんと3人の美少年……いや、喉仏が出ていないので美少女か。
とにかく男装した、カルマとそう歳が変わらなそうな……髪の色がそれぞれ違う3人の美少女が、カルマとニャルタールが椅子から立とうとしたまさにその瞬間に入室した。
突然の事に、カルマとニャルタールは硬直した。
しかし一方でディノールは、突然の闖入者たる彼女達へと「おおっ! 君達か」と威勢の良い声をかけた。
いったい何が起こったのか。
硬直したままカルマ達が困惑していると、ディノールは説明してくれた。
「紹介しよう。もしも『あなたの隣の不定形』を我が社でアニメ化した場合、主要登場人物の声とOPの歌を担当してもらおうと予定している、我が社がスポンサーをしている団体にしてこの地域の……えーと、ジ=アースでは何と言ったかな?」
だがド忘れをしたようで、彼は己の通信端末を操作し答えを探した。
途中で「なんだこのメールは」とか「あーもーアイツ! こんな時にそんなくだらんメールをするなと何度言えば」とブツブツ言いつつ……ついに彼は見つけた。
「そうだっ! ローカルアイドル! 略してロコドル! そのロコドルの『グロンフィア』の3人だ!!」
「ろ、ロコドルだって?」
まさかのローカルアイドル登場に混乱したカルマは、改めて、翻訳した企画書の内容を見直した。
主題歌関連の欄に……『予算的にプロのアイドルを雇用するのは厳しいのでご当地アイドルを雇用する。』と書かれていた。
(まさかそこまで細かく企画して!? というかどういうスケジュールだったのか不明だけど……雇用する予定のご当地アイドルを実際に呼び出すなんて。まだ原作者の許可とか出ていないのに気が早くないか!?)
思わず呆れるカルマだった。
「ねぇねぇカルマきゅん」
するとその時、なぜかニャルタールはうっとりとした顔で……なぜか君ではなくきゅん付けでカルマに小声で話しかけた。
「アニメ化したら……あの子達がナユタきゅん達の声を担当、するんだよね……?わ、私……アニメ化しても、いいかなー……なんて――」
「いやあなた、最初のアニメ『あなたの隣の不定形』のOPを歌ったのも、主人公達の声を担当したイケメン声優さん達で結成されたグループだったでしょうがッ」
同じ轍を踏む予感がしたカルマはすかさず、ニャルタールが全てを言いきる前に釘を刺した。その際にスキャンダル関連の悪夢が彼女の中に甦るだろうが、ここはさすがに仕方ない。暴走して安易な決定をさせてさらに不幸にするよりはマシだ。
「おや? 黒い髪に茶色い瞳……君、もしかしてジ=アース人……それも、日本の星川町の人かい?」
そして予想通り、ニャルタールのテンションが少々下がった時だった。
ディノールによって呼び出されたローカルアイドル『グロンフィア』の1人……惑星アーシュリーの民特有の青い髪をボブカットにした男装美少女がカルマに声をかけてきた。
「え、ああ……そう、だけど?」
突然美少女……それも男装した美少女アイドルに声をかけられ、異性の知り合いがあまり居ないカルマはその経験値の低さ故に困惑した。
だがすぐに、相手が星川町の事を知っている事に気付き、もしかしてテロ事件のせいで悪い意味で有名になってしまったか……と複雑な気持ちになった。
しかし相手は、そんなカルマの事情など知った事ではない、と言いたげな勢いですぐに間合いを詰めた。カルマは初対面の相手にもグイグイ迫る目の前のアイドルの行動力に瞠目した。まさか相手は人見知りとかしないのか。
しかし瞠目するのも束の間。
「……同じだ。ハヤト兄ぃの色と」
そのアイドルは、衝撃の発言をした。
「ッ!? ハヤト、だって?」
親友の名前が相手から出てきた事に、カルマはさらに驚き顔を強張らせた。
――どうして異星のアイドルの口から己の親友の名前が出るのか。
一瞬、その理由が分からなかったからだ。
しかしよくよく思い返せば、確かにハヤトの仕事は地球上だけに留まらず、場合によっては異星に出向いている。亜貴が関わった異星人誘拐未遂事件の犯人の件がそのいい例だ。なのでハヤトの名が宇宙中に知られていても別に不思議ではない。
なのでカルマはすぐに納得したが……まさかローカルアイドルとは、そんな仕事の過程で知り合ったのだろうか。
それか彼女も、星川町を訪れたのか。かつて声優でアイドルのルナーラ=エールがグルメ番組などで訪れたように。
どっちにしろ、ハヤトにローカルアイドルの知り合いが居るとは思わなかった。というか驚きを通り越して嫉妬すら覚えた。
「おや? ハヤト兄ぃを知ってる? 君はハヤト兄ぃの知り合いかい?」
そして向こうも同じように、カルマから知り合いの名が出た事を不思議に思ったのだろう。彼女は小首を傾げてカルマに訊ねた。
「…………同級生で、親友だ」
カルマは未だに嫉妬しながら、質問に答えた。
「え、じゃあ君はボクより年上なのか。じゃあボクにとっては兄さんだね!」
「えっ?」
しかし自分まで兄認定をされた事で、カルマはすぐにその嫉妬心を霧散させた。単純な男である。もしかすると作られたキャラかもしれないのに。
「ボクの名前はティア! 君は?」
破顔したティアが、カルマに改めて訊ねる。
「……不動、カルマだ」
「じゃあカルマ兄ぃだ! これからよろしくね、カルマ兄ぃ!」
さらにティアは、破顔したまま……なんとカルマの両手を己の両手で握った!!
まさかのローカルアイドルとの握手である。
それはカルマにとっては初めての経験だった。おかげでどう反応すればいいのか彼は分からず……されるがままだった。
「ジ=アースの『異星人共存エリア』がこれから打ち出すらしい企画に……カルマ兄ぃも関わるって言うなら、長い付き合いになるかもだし!」
しかし次に告げられたその言葉を聞いた時、さすがにカルマは反応した。
「え、それって何の事?」
まさか『E.L.S.』が何かするのか。
だがその事実に、カルマはあまり驚かなかった。というか時期的にそろそろするかもしれないのではないか、とさえ思う。
『星川町テロ事件』の影響で漂っている、宇宙中の不穏な空気をどうにかするための一手を。
「フフッ! それは秘密だよ♪」
だがその内容は、少なくともティアの口からは教えてくれなかった。
そして彼女は、口元に右手の人差し指を当てつつバックステップで下がると、他のメンバーと合流し「じゃあボク達は、プロデューサーと話があるからまたね!」と破顔したままカルマ達にさよならした。
するとそこでようやく、自分達が帰るところだった事をカルマは思い出した。
そして同時に、その事を思い出したのであろう。ディノールも、カルマとニャルタール先生を見送るべく、彼らよりも先にドアの前へと移動し、恭しく開けて差し上げた。
それを確認したカルマは、己が釘を差したせいでちょっとブルーになったニャルタール先生と共に……とりあえずディノール達の邪魔にならないよう、アニメ制作会社『マークル=レドック』を後にする事にしたのだった。
※
9月6日(火)
あの後、ディノールが用意してくれていた、同じくホバーカーなタクシーで宇宙空港まで向かい、地球に帰還したカルマは、昼休みを利用して確認をしていた。
――昨日、ディノールの名刺に書かれていたメアドへと送ったウィルス――相手の通信端末を盗聴器化するタイプのウィルスが己のパソコンに送ってきた記録を。
後々名刺を確認してみると、そのメアドは社内のディノールのパソコンのメアドではなく、彼が所有する小型通信端末のモノだった。
なので重要な情報は、確実に、ある程度入手できているだろうと期待しつつも、カルマは同時にディノールが善人だった場合も考え、胸を痛めたが……相談相手である伊万里家のためにもその記録を確認した。
※
放課後
「伊万里さん」
彼は優に結果を報告すべく彼女に近付いた。
すると優も、カルマが自分に声をかけてくる意味をすぐに察し「ど、どうだったの?」と心配そうに顔を曇らせながら返してきた。
「結果だけ言うと……ディノールさんは、人格的には問題無いよ」
「そ、そう! じゃあお姉ちゃんがまたアニメに関わったりしてもいいのね!?」
カルマの言葉に、優はまるで太陽のような笑みを見せた。
そしてその笑顔を見ただけで、カルマはわざわざ惑星アーシュリーにまで行って事実を突き止めてよかったと、悪役を引き受けてよかったと心から思った、だが、すぐに彼は「ただ……」と苦笑しつつ補足する。
どうしても言わねばならない事が、あるのだから。
いや、それほど深刻な事実ではないものの……言わなきゃこれからの彼女の姉の活動に支障をきたしかねない1つの事実。
――ディノールが部下達と共に居酒屋に行き、通信端末を置いてトイレに行った後に拾った部下達の会話から……判明した事実を。
「え、なに!?」
途端に、優の顔が再び曇る。
「いや、そのぉ……」
カルマは、慎重に言葉を選びつつ……告げた。
「ディノールさんは、確かに人格的に問題無い。お姉さんの作品の魅力をちゃんと理解していて、そして心からアニメ化したいと思ってる……だけど、彼は人を見る目は有っても、自分の仕事に関してはまるでダメなんだ」
「………………えっ?」
予想外の事実に、優の目が点になった。
「だから彼が今まで関わったアニメは、主に部下が動かしていると言ってもいい。彼が信頼し、そして彼を『ダメだ。俺がなんとかしないと』と支えてる部下がね」
そう言いながら、カルマは様々な異星の民が、ある意味完璧とも取れる調和の下に働いていた『マークル=レドック』での光景を思い出し……考えを改めた。
――アレはもしかしたら、ダメな上司を支えようとしていたからこそ出た結束力だったのではないかと。
いや、それは可能性というだけで、断定はできないが……それでもカルマはそう考えずにはいられない。
それに、まだアニメ化が決定していないというのに、そのアニメで主要登場人物やOPを担当させる予定のローカルアイドルをあの場に呼んだ件について。
アレが、綺羅星ニャルタール先生が必ずアニメ化にOKしてくれるとディノールが思い込んでいたという……周囲の事情を顧みずに勝手に先走った結果起こった事だとするならば、そこまで仕事ができない可能性はかなりあるかもしれない。
「どっちにしろ……おそらく彼の仕事をフォローしているせいで部下のみなさんは現在進行系で忙しそうだったし、もう少し時間が経って、社内に余裕が生まれたらアニメ化の契約なりなんなり結んだ方がいいかもね」
「…………そっか。よかった」
そこまで重大ではないが、場合によっては再び悲劇が起きかねない情報を聞き、とりあえず優は安堵した。
伊万里家全員の共通の懸念は、美生が再び傷付いてしまう事であったのだから、少なくともディノールの人格さえ保障できれば、今はそれで大丈夫なのだ。
「あ、そうそう。お姉ちゃんね、出版社と契約解除の手続きをしてるって」
すると今度は、優が、姉のそれからの事を報告した。
「なんか向こうが『著作権は契約解除してもこっちのモンだ』なんてフザけた事を言ってるけど……弁護士介してなんとかするって」
「……そっか」
トラウマを思い出させて機嫌を損ねてしまったかと心配し、罪悪感を抱いていたカルマだったが、どうやらニャルタール先生はそれを乗り越え、また新たな一歩を踏み出してくれたようで、彼は嬉しくなった。
「契約書に『著作権を当社に譲渡する』とか、そういうのが書かれてなければ多分大丈夫だよ」
「うっわ。なんか難しそうな話」
まだまだ社会の事を理解しきれていない女子中学生である優は……カルマの意見を聞いておかしそうに笑った。
それを見たカルマは、テロ事件以降、久しぶりに相談相手の心からの笑顔を見た気がして心が温かくなった。
今まで星川町を離れようと考える人達の不安な顔や、間者の不敵な笑み、さらには揉め事相談とは関係無い出来事による笑みばかり見てきたので……彼女の、相談者である優の笑みがとても新鮮に思えたのだ。
すると、その直後だった。
カルマはふと……思い出した。
『ジ=アースの「異星人共存エリア」がこれから打ち出すらしい企画に……カルマ兄ぃも関わるって言うなら、長い付き合いになるかもだし!』
ローカルアイドル『グロンフィア』のティアが言っていた、その言葉を。
(ローカルアイドル……しかもぞれぞれ髪の色が違う、つまりその惑星固有の民と異星の民の混成グループが注目して、俺がローカルアイドルとなんか縁が出来そうな感じで……しかも『異星人共存エリア』が近々打ち出す企画……ま、まさか?)
するとすぐに、彼はある可能性に思い当たるが……。
(いや、よそう。期待して違った場合恥ずかしいし)
あまりにぶっ飛んだ可能性だったために……苦笑しつつ考え直した。
~居酒屋にて~
『それにしても、ディノールさんの無茶にも疲れますよねぇ』
『そうそう。こっちがどんだけ頑張って尻拭いしてると思ってんのって感じ』
『でも文句は言えないよねぇ』
『だよなぁ。あの人の言う通りにしたら良いアニメになるんだし』
『この前、下請けに携わったアニメ……なんかディノールさんの指示通りの描写にしたら結構視聴者ウケ良かったしな』
『その辺と、人を見定める才能だけは天才レヴェルなんだよなあの人』
『あとは仕事ができれば完璧なんだけど』
『神が居るってんなら、文句を言ってやりたいぜ』
~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~
カルマ「…………世知辛いなぁ、アニメ業界( ̄▽ ̄;)」