桜月夜に鬼の恋
これは、≪桜月夜の杯≫という以前書いたものの構成を修正してみたものです。
恋愛ファンタジー系です、たぶん。
Cherry moonlit night…
『鬼だー!逃げろ』
なぁんだ。
人間ってみんなそうなんだ。
***
真夜中。
少女は駆けていた。
暗い暗い夜道には、灯りなどなかった。
川の流れる音が響くだけで、あとは無に等しくしんと静まりかえっていた。
やがて、灯りがひとつ見えた。
少女に向かって歩いてくる。
どうやらひとりの男が、足早にその場を去ろうとしているようだった。
男は今夜、久々に友人と会い、酒を飲み交していた。
積もる話に盛り上がる酒の勢いに、男はすっかり酔い、こうして帰りが遅くなってしまったというわけだ。
(ああ、不気味だ。早く帰りたい……)
手にもつ灯りに力を込める。
すると、前方から何やら動くものがあった。
何だろうと光をかかげると、男のもつ灯りが少女を浮かび上がらせた。
「わっ!……と、なんだ、子供か」
ふぅ、と男は安堵の息をつき、少女をまじまじと見つめた。
くりくりした丸い眼に、透けるような白い肌、小さな鼻に、薄紅色のすこし厚い唇が愛らしい。
まだ14,15歳くらいだろう。
桃色の淡い衣に身を包んでいた。
「ささ、早く家に帰りなさい」
男はやさしく諭すように言ったが、少女はきょとんとしている。
「お母さんが心配するだろ」
少女は首を振る。
男は自分も早く帰りたいのに、この少女のことをほうっておけなかった。
否、ほうっておいてでも帰りたかったが、声をかけてしまった以上、見過ごせなかった。
「どこの子だい?送っていってあげよう」
そう言って彼は少女の手をとろうとした。
が、彼女はその手を後ろへ隠し、一歩後退りすると、
「鬼の子」
と小さな声で言った。
男はぎょっとしたが、すぐにけらけら笑いだした。
「こらこら、からかうんじゃない。さぁ、行こう。ここは危険――」
男は息をのんだ。
ちょうど持ち上げた灯りが、少女の頭を照らしたのだ。
赤みを帯た髪、そしてその頭には――きちんと二本の角が生えていたのだ。
「うわああああぁぁぁぁああ」
悲鳴をあげると、男は灯りも捨てて一目散に逃げた。
取り残された少女はひとり、首を傾げる。
それから足元に落とされた灯りを見つけ、にこりと笑った。
「きれいね」
***
氷高はひとり、うんざりとしていた。
まったく、最近はみんな《鬼の噂》でもちきりだった。
というのもここ最近、真夜中をすぎると鬼が出没するというのだ。
氷高の剣術は並外れており、鬼退治の依頼があとをたたなかった。
切れ長の眼、長い睫毛が流れ、黒い瞳を包み、鼻筋の通った凛々しい顔立ち、すこし薄い唇――すべてきれいに整っていた。
流れる茶色みがかった髪は、女を虜にする魅力さえ放つ。
とはいっても、当の本人にはまったくその気などなかったのだが。
「おい!氷高!」
ふいに聞こえてきた声の方を見やると、ひとりの男が走ってきた。
顔に皺を刻み、一夜にしてとても老け込んだように見えた。
「氷高、助けてくれ。鬼をはやく退治してくれ」
「なにがあったんだよ、オジサン」
男は昨夜のことを話しはじめた――
まっくらな空間に浮かびあがる、優麗な顔立ち。
赤い髪のその先にある……二本の不気味な角。
ニヤリと笑った口もとには、牙がのぞき――
「小娘に化けていたが、おりゃあ見逃さなかった!その目は充血してたんだ!」
「失礼ね、してないわ」
高い声がした。
軽やかな春風のような、そんなころころした声。
少女がそばに立っていた。
淡い紅色の衣を頭からすっぽりとはおい、顔はよく見えなかった。
手には木の実や野菜を持っている。
「なんだ、お前ェ」
男が尋ねると、少女はそそくさと歩いていってしまった。
「最近のガキは、礼儀もないもんだ」
そうぶつくさつぶやきながら、男も仕事があるとか言って、帰っていった。
「……まさか、なぁ」
残った氷高は顔をしかめて思案する。
まさか、な。
***
「危ない、危ない」
少女はひとり、人影のないところまでくると、はおっていた衣をとった。
二本の角がちょこんとのぞいていた。
木の茂っている中に隠れ、人の気配がないのを確認する。
ふぅ、と息を吐くと、少女は持っていた野菜や木の実にかぶりついた。
これらは村の家々から盗んできたものだった。
大根をぼりぼりかじりながら、自分の失態を反省した。
(やっぱり、あたしのことは噂になってんだなぁ。でも、目は充血してないわ。錯覚よ!)
頬を膨らまし、先ほど見た男たちを思い浮かべた。
ひとりは、昨夜ばったりと出会ってしまった人間だ。
顔を見られたから、注意しないと。
もうひとりも、少女は知っていた。
村の人間たちが、自分のことで彼に相談にいっているのを知っていた。
彼の剣の腕は確かだ。
≪鬼退治≫だって冗談にならない。
だから、怯えた。
けれど、彼は少女を退治しようとはしなかった。
「危害を加えているわけではないし」
と、彼は人々に言った。
鬼だから、怖がられる。
鬼だから、恐れられる。
鬼だから、逃げられる。
鬼だから忌み嫌われ、のけ者にされてきた。
(でも、彼は気に入ったわ)
ぼりぼりっと大根をすべて食べ、飲み込み、少女は笑った。
しかし、次の瞬間には目を見開き、固まった。
まさか、見られるなんて。
「大根を丸ごと食べるなんて、只者じゃないよな」
鋭く響く声。
深く、広がる声。
氷高の声だった。
「……アンタ、さっきの娘だろ?」
動けなかった。
少女は黙って、彼を見つめた。
この茂みから見つけ出されるなんて、思わなかったのだ。
ふぅっと短く息を吐くと、氷高は肩をすくめた。
「おれ、氷高。ヒ・タ・カ」
しゃがみ、少女と視線を合わせた。
「親は?」
少女は小さく、首を横にふった。
氷高はなにか思案していたが、やがてやさしい声で尋ねた。
「あんたの名前は?」
少女はしばらく観察するように氷高を見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
ほとんど、ささやくような声だった。
「世羅」
しかし、氷高はにっこりと笑うと、少女の頭に手をおき、ぐしゃっとかきなでた。
「セラか、よろしく」
そのあまりの邪気のなさに――少女はゆっくりと、しかし確実に笑顔になった。
それは、はじめて世羅が人間に見せた笑顔だった。
***
「あんた、バカだろ」
氷高の友人、正茂が、からかうように笑った。
「うるさい。おれはおれがしたいことする」
きっぱりと言い切り、氷高は世羅の手を引いた。
「おいで、世羅」
こくんと頷き、世羅は彼の家にあがった。
桃色の衣を着た少女は、ゆっくりと家をながめた。
質素な、だけどあたたかい家に思えた。
「へぇ、この子、鬼なんだ」
正茂はにやりと笑った。
鉤鼻の、目の細い男だった。
「おれ、顔洗ってくるから。手出すなよ、おまえ」
氷高は釘を刺し、表へ出て行った。
それを見届け、正茂ににやっと笑った。
「しっかし、おもしろいなぁ。あいつが女に興味を持つなんて。鬼だからかな?」
(鬼……だから?)
世羅は正茂の言葉に耳を傾ける。
彼は世羅の目の前までくると、しげしげと彼女を観察しはじめた。
「へぇ、角と赤い髪以外は、普通の女の子だな。八重歯がちょっと鋭いだけか」
(この人も、あたしを怖がらないの?)
世羅は驚いていた。
こんなにも、失礼なくらいにべたべた触られたことはない。
正茂は角を触り、頬を触り、腕を確かめるように触ってきた。
「おもしろいな、お前」
(おもしろい?……鬼だから?)
世羅は正茂を見つめた。
にやっとした笑みを浮かべていた。
(鬼だからおもしろい――鬼だから、興味をもたれるなんて)
はじめて、鬼でも受け入れられたのだと思った。
「ねぇ、鬼。お前、身体のつくりはどうなってんの?人間と変わらな――」
ベチン
世羅は正茂の頬をたたいていた。
あっけにとられる彼。
あっかんべーをして、少女はたったいま戻ってきた氷高の後ろへ隠れた。
「お?どした、世羅」
氷高は世羅を見やり、やがてその視線を正茂に移した。
「氷高、そいつ、たたいた」
口がうまく回らないまま、正茂は訴えたが、氷高はフンと鼻をならした。
「どうせ、おまえが余計なことでもしたんだろ」
「なっ!おれは決して……」
「それより、出かけれくるから、留守番よろしく」
口をパクパクさせている男をひとり残し、氷高はひょいっと世羅を担ぐと、家を出て行った。
***
村人はあっけにとられていた。
あの氷高と鬼の子供が、一緒に歩いているではないか。
「お、おお、おい氷高!な、なにやってるんだ!」
男があわてた様子で言う。
「見てのとおりだ」
氷高はきっぱりと言い切った。
その口調からは、迷いや恐れは微塵もない。
「あれは鬼にとりつかれちまったんだ!」
どこかの老婆が叫んだ。
それをはじまりに、たくさんの人間たちが口々に言う。
「裏切り者!」
「鬼なんて連れてくるんじゃないよ」
「出てけ!」
氷高は、つなぐ世羅の手を強くにぎった。
世羅は彼を見上げる。
「世羅、大丈夫」
その顔は、笑っていた。
「出ていけー」
「呪いをもってるよ、きっと!」
「出て行けっ!」
石が投げられた。
それは氷高の右目をかすった。
(氷高の顔が!)
次々に投げられる石。
ぶつけられる石。
「出て行け」の言葉とともにあびせられる罵声。
憎しみからではなく、それは恐怖から。
鬼に対する、恐怖ゆえに。
「世羅」
激しくなる石の攻撃を避けるように、氷高は歩いていたが、もはやよけられるような状態ではなかった。
すると彼は、ぐいっと世羅の腕をつかみ、自身の後ろに守るように隠した。
「ひ、氷高……」
世羅の声に振り向き、彼はにこっとほほえんだ。
「大丈夫、みんなわかってくれるから」
いったい、どこから彼のこの自信が出てくるのだろう。
世羅は目を見開いたまま、動くことができなかった。
『鬼だ』
『逃げろ!』
『喰われるぞ!』
――人間なんてだいきらいだ――
かすかな記憶がよみがえってくる。
(でも、この人はちがう。氷高はちがう)
無意識に、涙が出てきた。
かばう氷高が、いとしく思えた。
「世羅?!」
世羅は勢いよく、氷高の前に出た。
両手を広げ、氷高を守る。
(氷高はちがう!氷高は……)
鬼の少女の行動に、村の人間たちは動きをやめた。
目に涙をためながら、赤い髪の少女は人間を守っていた。
健気で、儚いように思えた。
「世羅……」
ぎゅっと、氷高は後ろから世羅を抱きしめた。
「氷高――」
「もう、我慢しなくていいんだ」
抱きしめる手に、力がこもる。
(なんで、この人は全部知っているの……?)
――そのとき、氷高の記憶が流れ込んできた。
氷高は、幼いころに両親を亡くしていた。
いつもひとりだった。
ひもじくて、辛くて、他人の家をたらい回しにされてきた。
一人前に働けるようになると、家を抜けだし、この村にやってきたのだ。
(そっか)
世羅は向きを変えて、氷高に抱きついた。
――あなたも、ひとりだったんだね。
抱きしめ返してくれた手は……
かすかに震えていた。
***
今宵は満月。
闇にひっそりとそびえる桜の大木。
月光の下に、ぼんやり浮かび上がるように桜が満開に咲いていた。
うつくしい、しんと鎮まりかえる空気。
杯に酒を満たし、氷高はぐいっと飲み干した。
ひとり、縁側にいた。
桜の花びらがほのかに光りながら、ハラハラと落ちてきた。
杯に落ち、浮かぶ。
きれいな、月夜。
桜の、月夜だ。
ふぅーっと彼は息をつくと、空を仰いだ。
星がちりばめられている。
(そろそろ、か)
落ち着いた、しかしわくわくした気分で彼は目をつむった。
きっと、そうだ。
目を開けた瞬間には、赤い髪の、深い瞳の、彼女がいるのだろう。
ゆっくりと、確実に目を開ける。
「氷高」
高い、春風のような声。
月光に浮かび上がる、赤い髪、二本の角。
軽やかにほほえんだ、少女の顔があった。
「世羅……」
桜月夜に酔いしれて。
ひとりの人間が、鬼の娘と暮らしているとか。
その村は、鬼のいる村。
その家は、鬼のいる家。
鬼が恋した人間がいるところ。
あたたかい、人間のいるところ。
ふたりは末永く、幸せに暮らしたとか。
≪了≫
あとがき
これは長編で書くべきだったかも。
でも、今は他の連載があるので、短編にさせていただきました。
こういう禁断の恋、的なものは大好きです。^^
以前、構想は練ったのにうまく書けなくて・・・
今回、こういう形で≪鬼と人間の恋≫が書けて良かったです。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。