隈部親永と赤星統家の邂逅
天正十六年(1588年)春、筑後国立花領柳川城下にて。
隈部親永 隈府城元城主 隈部家当主 捕囚の身
赤星統家 赤星家当主 流浪の身
肥後国一揆勢の一角を担った隈部親永は、筑後柳川城の座敷牢にて捕囚となっているが、通りかかった赤星統家に対して嘲笑罵声を浴びせる。身の展望が開けない統家だがそれに食って掛かる事無く、両者、肥後人同士で会話を継続する。
・斜陽の肥後国人衆
統家
「なんだと、おい、貴様なにぬかしやがる。」
親永
「この距離で聞こえなかったのか。よう負け犬の腰抜けめ、と貴様に話しかけてやっているんだよ。おい、聞こえてるくせに、その足を止めろよ。見知らぬ仲じゃあるまいし、儂を無視して行くのは良くないな。その腐れ並び鷹羽を見るのは久しぶりだぜ。で、赤星殿よ、この柳川で求職活動かね。そうだろうとも、しかし無理無理、やめとけよ。立花殿に目をかけてもらおうったって、島津の走狗だった赤星家が相手にされるはずがない。それに貴様らは大友方の時はいつも戦に弱かったからなあ。まさに没落の徒。良い所がなにもないのに、取次に頭下げ、賂を用意建て、ついに面会を果たしたとして一体全体何を誇るつもりだね。儂がありがたい助言をしてやるぞ。赤星家にはもはや先祖の栄光の他、めぼしい物は何も残っていないんだから、そういう事は肥後でやりゃあいいではないかね。加藤殿は貴様らが惰弱である事を恐らく、まだ、知らんだろうし、今の内という事だ。地縁がある赤星の力をもしかすると当てにしている、なんてことがあるかもしれない。それもあんたの地縁者どもが生き残っていればの話だ。がしかし、結果、戦に出て大失敗すりゃ大爆笑、また新しい殿さまが肥後にやってくることになる。」
統家
「処刑の日が近いから狂ったのか。」
親永
「さあ、どうだろうねえ。同郷の者として、貴様はどう思うかね。」
統家
「どちらにせよ、あまり俺に話しかけないでもらいたいね。それこそ立花殿に誤解をされてしまう。それよかあんた、こんな場所でやかましくわめいていていいのかい。悪い立場がさらに悪くなっちまうだろう。よく知らんが、監視の目が光っているんじゃあないかね。」
親永
「貴様の言う通り、儂はこれから死ぬのだ。それが明日になるか、来月になるかは知らんがそれはもう決まっている。」
統家
「関白殿下に背いたのだから首を打たれて当然ではないか。この背徳の反逆者め。」
親永
「だから今更何をしようとも、なんてことはないのだ。貴様に声をかけたのは、お互い何とも惨めではないか、という仲間意識のため故。ああ、情けなくて儂は涙が止まらない。」
統家
「うるさい貴様、啼くのをやめろ。それに俺を貴様と一緒にするのもやめろ。今や立場も全然異なるのだぞ。」
親永
「ええ、違うって、いったいどこが?」
統家
「貴様は死刑のみが待つ罪人、俺は故郷への復帰を待つ身分だ。」
親永
「貴様は佐嘉勢に従い、後にこれに背いて薩摩勢に出仕し、関白に屈服した。儂は佐嘉勢に従いこれに背かず、薩摩勢に敗れた後これに出仕し、関白の下人である佐々殿に挑んで敗れた。大した違いはあるまい。そしてくどいようだが、儂はこれから死ぬ。故郷へ帰れるなんて楽観的に過ぎやしないか。貴様だって目的にたどり着けずに、惨めに死ぬかもしれない。いや、儂の診立てでは、死んだも同然。そんな我々の鎮魂のために儂は啼いてやっているのだ。貴様も感謝せんとね。」
統家
「貴様、俺が死んだも同然だと、そう言うのか。」
親永
「何を根拠にと?解説しようかい。」
統家
「じゃあ言ってみやがれ、この野郎。」
親永
「よし、そんなら言うぞ。貴様は大方、親類の蒲池殿の伝手から立花殿へ取り入ろうとの腹なのではないかな。おうおう、貴様の顔に書いてある通り、確かにこんな事は今の儂にとってはなんの関係もない。だが、言ってやる。それはきっと失敗するぞ。戦後、どの家中も新参者を囲う余地などないだろうし、第一に忠誠の面で信頼の置けない我ら肥後勢について、囲ってもらえるとでも思っているのか。そんな価値あるわけがないさ。儂の知る限り、貴様らが調略に惑わされずに唯一まともに働いたのは沖田畷で島津側に立った時位だ。どうだ、儂の言う通りだろうが。だからさ、ここ筑後でも上手くいかんだろうし、直接肥後へ行っても同じさ。ああそんならば、薩摩へ行くと良いかもしれない。きっと端の端くらいには置いてくれるだろうさ。」
統家
「もう黙れ、何もかも貴様には関係ないのだから。もう俺は行くぞ。」
親永
「まあ待ってくれ。かつての敵同士とは言え、なんの因果かせっかく会えたのだ。話をするくらいなら誰にも不都合もあるまい。貴様の求職にも恐らく悪い事はないさ。」
統家
「隈部殿よ、一体全体なんのつもりかね。」
親永
「儂はもう数か月もここ柳川にて無聊の日々にあってな。去年の一揆の事後調査のためか、山鹿郡が戦火に見舞われないように留め置かれているのか、まあ知らんが、ともかく貴様に会えて大変嬉しいのだ。首打たれるまで座敷牢にいるのも楽ではなく、その最たるものはまるで情報が入ってこない事だ。その優れた才知により一万町を超える領地を誇ったこの儂だが、世上の諸々について知ることができないというのは大変堪えるものだ。」
統家
「その才知とやらで全てを失えたのだから、本当にご立派なことだ。だが、貴様が首打たれるのが確実であることは、僅かばかりだが噂で聞こえるとも。」
親永
「ほう、儂の噂が流れているのか。どこでかい。ここ筑後や薩摩国内でなのかい。儂の名が広まるとは誠に愉快だ。やはり儂は肥後人の中では有名すぎるからなあ。」
統家
「首打たれれば、それで知名度は最高潮になるだろうよ。あとは忘れ去られるのみだろうがね。」
親永
「まあ儂の名声についてはそれでよろしい。だが儂としては、あの戦の結果、何がどうなったか、やはりそこが気になる。だからさ、赤星殿よ、我らが美しき故国がどのように采配されるようになったのか、お前さんの知っている限りで良いから教えておくれよ。どうせ儂はここ柳川で死ぬ身だし、のう後生だからさ。」
統家
「ふん。まあいいとも、冥途の土産としてしっかりと聞いて、その落ちぶれ果てた魂に刻み込んでおくように。」
親永
「ありがたいねえ。」
統家
「第一に、肥後はざっと二つに割れたよ。隈本の加藤家と宇土の小西家、それぞれが半国ずつ治めるようになった。無論、任命したのは関白殿下だ。」
親永
「へえ、じゃあ我が山鹿郡・菊池郡・山本郡は加藤殿が治めるようになったわけか。」
統家
「しれっと抜かしやがるが、菊池郡は本来貴様らの物ではあるまいが。」
親永
「百も承知さ。そうとも、今や加藤殿のものさ。ああ、そんなに怖い顔しなくてもいいさ。貴様の言いたいことはわかっているから続けてくれ。」
統家
「半国毎とはいえ、佐々殿の時と似て広く治められる形が残った。引き続くこれは肥後にとって幸運な事じゃあるまいか、と話す者も多いが、それが上手く行くのも、一味同心した連中の内、主だった大身がみな死んだり行方知れずになったおかげだろう。もうほぼ死んだ身とはいえ、生き残っているのはお前さんぐらいだからな。半国毎にしたのは、関白が肥後の民衆に対してもしかすると譲歩をお示しなのかもな。」
親永
「最後まで戦ったらしい和仁や辺春も死んだか。」
統家
「田中城籠城組は皆殺しになったと聞いている。恵瓊とかいう毛利家の坊さん、いや関白の近臣になったのだったかな。そちらの筋が助命に動いていたらしいが、無駄だったらしい。」
親永
「あの弁が立つ坊主は曲者だったからなあ。和仁らの助命なんて口先だけ、というのが真実じゃあるまいかな。儂の息子もあいつめに討たれたのだった。しかし関白も含め素性のわからぬ者が、跳梁跋扈する世になってしまったな。加藤殿や小西殿も関白の筋から出た連中だろう。肥後にとってだけでなく、世にとっても全くの新参者だ。きっと我ら伝統の中に生きる者たちの蔵や誇りの中身になどに関心はないのだろうな。」
統家
「そう言えば、同じころ豊前と伊予でも反乱があったが、そちらも全て鎮圧された。結果として、あんたらが焚き付けたことになるのだろうな。」
親永
「おいおい、なにも動いちゃおらんがね。」
統家
「同じく伝統の中に生きる者たちが、あんたらの働きを見て奮い立ったのだろう。後に続けと言わんばかりに。降伏したとは言え、関白があんたの首を打つ理由ももっともだ。厳罰に処して、見せしめにせんといかんだろうから。」
親永
「豊前と伊予も、関白の筋からでた新参者が開府するのか。」
統家
「そのようだな。豊前、伊予、ここ筑後に肥後。全て大友家に所縁が有る国々だが、温存された旧癖が一掃され、新たな国に生まれ変わる、なんて話す者もいる。」
親永
「やれやれ、伝統派は本当に一巻の終わりだな。」
統家
「存続が許された肥後人の大身は小代殿、城殿、相良殿、阿蘇の大宮司様のみだ。そう言えば小代殿だけは加増されたらしい。佐々殿に味方する事、明白に宣言していたのは小代家だけだったらしいな。歴代忠義に厚い小代家はそれが実り、ついに幸運を掴めたのだから大したものだよ。京にいて戦に参加していなかった城殿は筑後に領地を与えられ、つまりは肥後からは追い出される。相良殿は球磨郡のみで我慢しなきゃならんし、阿蘇の大宮司様も途中から佐々陣営に鞍替えしたことで、わずかばかりだが領地を取り戻せたそうだ。だが、肥後に残れた者も、関白の代官のそのまた代官として励む事になる。これが俺の知る全てだよ。」
親永
「加藤殿、小西殿も後がやりやすかろうなあ。今は亡き菊池義武公や小原遠江殿が聞いたら、さぞ羨ましがる事だろう。」
統家
「ははは、間違いない。真面目なお方には都合が良い時代がやってきたのだろう。」
親永
「ということは、我々は不真面目なお方に都合が良い時代そのもの、なのか。」
統家
「その通り、正真正銘、社会の寄生虫だったというわけだ。」
親永
「社会ってなにかね?」
統家
「守護が治める肥後一国がそれさ。せめて、関白の代官が治める肥後半国では適応しないとな。寄生虫のままでは無用の存在でしかないだろうから。」
親永
「適応できないから、今回我らは根絶やしにされたのだ。そもそも貴様は我らの側だろう?」
統家
「冗談じゃないよ。」
親永
「儂だって本気で言っているのだがな。まあ変容するつもりなら頑張る事だ。」
・収束した一揆について
統家
「もう聴取でさんざん聞かれているのだろうが、同じ肥後人の誼で教えてほしい事がある。」
親永
「教えてほしい事!一体全体なんだね、今はその名も懐かしいかつての肥後人よ。」
統家
「真剣に尋ねるのだがね、あれは甲斐殿や石坂殿と綿密な打ち合わせを行った上での戦だったのかい。赤星家は参加できなかったから前後の事情を知らない。もしも大掛かりな謀としての戦なら、同じ肥後の衆として誇りに思うところ。佐々殿は摂津で幽閉され、噂では切腹は避けられないという事だ。関白殿下にはどうあれ、あんた方は佐々殿を道連れにする事には成功したと言えるんじゃないか。」
親永
「ほう、慰めてくれるのかね。貴様は甘っちょろいなあ。肥後の誇りだなんてお門違いもいいところだぜ。甲斐も石坂も早々に討ち死にしちまったから儂しか語れるものもいないが、まあ佐々殿を虜にして関白と交渉をする、という話は前からあった。が、戦端を開いたのは何を隠そう、この儂が激発して立ち上がったからだ。」
統家
「では綿密な打ち合わせは無かったというのか。あれだけの騒動になったのだぞ。」
親永
「打ち合わせがあれば、小代、城、相良の連中も巻き込めたのだがなあ。相変わらず小代は権威にはお堅く、城は運悪く肥後に居なかったらしい。相良は遠すぎるし。もしや貴様、山鹿郡に佐々をおびき寄せ、引き付けた隙をついて甲斐と石坂が隈本城を包囲した、とでも思っているのかね。」
統家
「無論。俺だけじゃなく、みんなそう思っているよ。」
親永
「考えろ間抜けめ、利害も不一致、四分五散極まるこの肥後で、そんな大それた大調整が可能なものか。たまたま偶然が重なっただけだ。それに阿蘇家の連中は、途中から佐々側に寝返ったと聞いている。肥後国人衆、みながやりたいようにやったのだ。みながみな、手足であり頭脳だった。戦術はともかく戦略には欠けるやけっぱちの自殺行為だったのさ。おい統家、調整不足だと詰る能無しがいたら言ってやれ、関白相手に戦った肥後国人衆に調整なんてものは存在しなかったとな。激動する憤怒のみがそこにあったのだと。」
統家
「それならなおの事、説明がつかないことも有る。貴様が山鹿郡で反乱を起こし、隈本城を離れた隙を甲斐殿と石坂殿が攻める。佐々殿引き返し菊池の名を騙っていた石坂殿を討った後も、戦乱に参加する者が絶えない。南関の大津山殿は筑後からきた佐々殿の援軍を妨害した。人吉の相良殿も、色々な行き違いがあったらしいが薩摩からの援軍を妨害。一連の連携を大掛かりな陰謀でないとは、誰も信じない。」
親永
「信じてもらう必要なんてなにもないが、儂の診立ては伝えてやる。誰も彼もが不満に満ち満ちていたんじゃないか。だから儂の義挙についても、これは好機、と参加したのだ。だが連中、逐次参加しやがって。臆病でいて欲深く、傲慢なのに無計画、全く役に立たない塵芥のような連中で、残念ながら肥後の武者の悪しき伝統の権化といったところだな。先導を切った儂とは格が異なる侮蔑すべき者どもだ。」
統家
「あんたそう斜に構えて言ったとて、肥後男の魂に火が付いたからこその成果じゃないかね。」
親永
「成果だって?なんか成果が上がったのかね。」
統家
「あんたが全て偽らず語る通りに何もかも偶然の産物だったとしても、実際に肥後武士は立ち上がったのだ。今回の戦は、肥後国内を焼野原にした。といっても既に豊後勢が焼き、佐嘉勢が焼き、薩摩勢が焼き、上方の兵が焼いた後の肥後だ。もうなにも残っちゃいない。だが、長く他国の兵火に呻吟してきた我ら肥後勢が、ついにしてやったってことさ。十分な成果と言えるはずだ。」
親永
「それで貴様は、その立役者たるこの儂を誇りに思うというのか。誤解もいいところ。本当に迷惑な野郎だぜ。」
統家
「貴様とは因縁があるから、機会があれば殺す、という事ばかり考えて佐嘉や薩摩を放浪してきたが、この快挙には拍手を送りたいと素直に思ったものだ。」
親永
「儂だけでなく貴様もとことん落ちぶれたもんだ。先ほど貴様が没落した証を述べてやったが、さらに追加してやる。かつての我々は菊池三家老と呼ばれて肥後北部を思いのままに牛耳っていたのに、今になって傷でも舐め合おうっていうのか。もう全ては終わったんだ。気持ちの悪いことはよしてもらいたいな。」
統家
「だが、他国に比べて遅れをとっていた肥後の面子は守られたのだ。あんたはこの事績を胸に、冥途へ行くが良い。」
親永
「ああなるほど、儂に心酔したから助けてくれる、というわけでもないのだな。」
統家
「貴様のような老いぼれたやけっぱちに心酔するはずがない。ただ事績は称えられる価値があるし、将来にわたって語られるだろうよ。しかし、あんた柳川から逃げ出したいのか。まだ観念したわけではなかったのか。」
親永
「この期に及んで見苦しいとでも言うのか?」
統家
「いや言わないよ。だが、あんたの事は立花殿が抜かりなく監視しているのだろう。逃走なんて不可能ではないかな。さらに言えば、さっきあんたが言った通り、俺は立花殿の伝手で菊池郡へ戻れないかと考えているのでね。あんたの反骨心を立花殿への土産にしてもよい、とも思えるのだが。」
親永
「ふうん。本当に隈本ではなく、ここ柳川から肥後復帰を目指すつもりのようだな。まあ隈本の加藤殿という人物がどんなものか儂は知らんし、関白お気に入りの立花殿の口添えでも良いのかもしれんが。いや、そんなことはない。加藤殿とて半国を任せられているのだ。よそ者から口を挟まれる事を良しとはしないだろうよ。悪い事はいわんから、直接、隈本城の加藤殿の下へ行った方がよいぞ。」
統家
「うるさいねえ。あんたには何の関係も無い事さ。それとも、俺を立花殿に会わせたくないのかね。脱走計画がある、と言われたくないからか?」
親永
「立花殿への土産にする、と言ったばかりではないか。」
統家
「冗談だよ。同郷の誼、あんたの事績に敬意を払って、晩節を汚すような事はしないでおく。」
親永
「そうか、古の言葉にある功績は身を立てるというのは本当だな。そうそう、まだ聞きたいことが儂にもあったよ。戦の中で聞いたことなんだが、もう死んじまった石坂だよ。あいつ本当に菊池能運公の血族なのかね。おたくが秘蔵している菊池家の家系図にはそんな旨が載っているのか。」
統家
「まさか、大嘘に決まってるよ。」
親永
「そうだろうなあ。そうなんじゃあないかと思ってたんだが、信じている連中が結構いたのを思い出してね。それにあの騒動の中、それを打ち消したとて無意味だから本人と甲斐の宣言と噂の流れのままにまかせたのだ。儂の知る限り、石坂はそんな妙手を考えるやつじゃなかったんだがな。生真面目一徹のつまらん男で…」
統家
「どうせあの甲斐殿が唆したんだろうと俺は思うがね。そう言えば、石坂殿の御息女が、かの一揆を率いた菊池武国の娘、かつての守護家の血縁を伝える姫、という事で加藤殿のご側室となるそうだ。いまやかつての家臣の娘の方が立場が良いとは、あんたも面白くあるまい。」
親永
「あの野郎、本当に旨い事やりやがったな。これで娘は安泰。あいつの血もここで絶えることなし、ということか。我らとは大違いではないか。」
統家
「なに、参考になるというもの。俺には小さな孫娘がいるが、石坂殿以上に菊池の血は濃いはずに違いない。考えてみれば、加藤殿が肥後の統治のため、菊池家の家系に連なる女を奥に入れるのであれば、赤星家にとってはいくらも好機はあるかもしれない。あれが年頃になるまえに、息子と計画を立てねば。いやいや、あんたと言葉の応酬をしていて名案が閃くとは。」
親永
「ふん、加藤殿の年齢は知らんが、どうせまだ若輩者だろう。手っ取り早く女が欲しかっただけさ。それも素性確かであればなお良し、という所ではないかな。ところで、あんたの孫娘を、宇土の小西殿の方へ嫁がせるのもよいかもな。」
統家
「いや、菊池郡は加藤殿の担当になるのだから、小西殿では意味がないだろう。それに、この御仁はその正室とともにかなりこじらせた切支丹宗門の徒ともっぱらの話、こちらからは近づきたくないね。切支丹と言えば大友家没落だ。縁起が悪い事この上なし。それにこの宗派は側室を持つ事を禁じると聞いたことがある。我が名門の血をお買い上げいただく事は難しいだろうよ。」
親永
「そう言えばだ、子供らの話のついでに聞くが、御子らの事であんたさぞ儂を恨んでいる事だろう。詫びるつもりなど毛頭ないが、気の毒な事になったとは思っている。」
統家
「俺の息子と娘が龍造寺に殺されたことについては、別にあんたのせいではない、と思う事にしている。あんたを殺してやりたいと思うことも多々有ったが、もうあんた死ぬんだしな。それに大友家が弱り、その保護が期待できない以上はみな生きる道を独自に模索しなければならなかった。当時あんたに攻められた結果とはいえ、息子と娘を人質として佐嘉に差し出したのはこの俺だし、殺したのは龍造寺隆信だ。あの時程、己の無力を感じた事は無かったが、もう仇討もできた。子らも成仏しているだろう。」
親永
「あんたを敵に回したり、蒲池殿を殺したり、あの頃の龍造寺隆信の即断即決は傍から見ると狂気じみていたのも事実。あの振る舞いでは誰もついていけん。恐怖に囲まれていた龍造寺と行動を共にするのは辛かった。本当にやってられなかったぜ。島津家も時勢とは言え、降伏した家をかなり酷使したから、やはりやりきれなかった。隈府に一時入った相良勢もそんな面していたぜ。そう言えば、あんたはあの時、隈府に戻っていたのかね。」
統家
「隈府に入った相良勢に属して一時はな。関白到来でみな南に引き上げてしまったから、今こうしているのだ。」
親永
「島津の家来の身分はどうかね?」
統家
「義久公は信義遵守に価値があると知っている方だから、今となっても良くしてくれる。若干、言葉の壁はあるがね。が、俺はともかく、息子どもは肥後へ必ず戻すつもりだ。」
親永
「おう、随分とお気に入りのようだな。あんたにとっての大いなる事績は沖田畷での戦功だよ。それがあるからこそ島津殿は親切にしてくれるのさ。そして島津家にも、九州北部には味方がやはり少ないのだろうな。あれだけ無茶な戦をしていた位だし。思えば、儂には素っ気無かった。」
・白状
統家
「大友に代わってやってきた龍造寺家、島津家にあんたは満足できなかったが謀反は起こさなかったのに。結局、あんたは何が不満で佐々殿に対し武器をとったのかね。」
親永
「そうさなあ、あの時は頭に血が上っていたからあまりよく覚えていないのだが、やはり我らの誇りに触れられた事かしら。菊池家を乗っ取った大友家が去った、龍造寺家も去った、島津家も去った。来たのは上方の関白だが、代官として遠い他国の者が来た。越中ってどのへんにあるの、と聞かれて澱みなく答えられるか。儂の頭の地図には無いぜ。そしてこの男は陰気な男だった。家臣たちまで陰気だった。さらに聞けば、関白に敗れて、一郡のみの領主だったという。そんな格下野郎に統治されねばならないほど、我らは落ちぶれたのか。あんたの赤星家はそうだろうよ。だが、隈部家は名門菊池家が消え去っても山鹿郡を維持してきた誇り高い家柄だ。高名な先祖も出している。佐々成政だと?武勇聞こえたとしても、そんなやつの事、儂は知らん。そうとも、こやつが上から命じてくる事、それが我慢ならなかったのだ。しかも、我らの土地に来て顔を突き合わせるでもなし、かつての菊池義武のように隈本城から命令を下しやがる。肥後の心臓は菊池・山鹿だぞ。馬鹿にされてたまるか。思い出すだけで、が、我慢ならん。」
統家
「その気持ち、わからんでもない。」
親永
「それに比べて、大友家、龍造寺家、島津家は源頼朝公以来九州の要の家柄だ。特に大友家は文句なしの名門で、義鑑公、宗麟殿と我らの勝手気侭を見逃してくれたものだ。」
統家
「鹿子木寂心殿、甲斐宗運殿といった調整の名人たちがよく大友家に尽していたこともある。そう言えば関白は調整役を置かなかったな。関白の指示に従っていればよいのであるから、そもそも調整など不要なのだろうな。」
親永
「佐々殿、つまり関白の政は稚拙としか言いようがない。ああ、ついにはっきり言葉にできるぞ。儂は尊重されなかったし、尊重される気配もないから激怒したのだ。儂への敬意の不足は愚かな誤りだったのだ。怒りは生きる根源だ。今、怒りを取り戻した儂はあの時のように力に満ち溢れてるぞ。なあ、どうだろう。あんた儂をここから救い出せないか。肥後の国衆は多くがついに屍をさらす結果となったが、上方の軍も損害は大きいのだ。聞けばまだ相模小田原は関白に服していないという。西と東で事が起きれば、関白とて無事ではすむまい。島津勢はまだ健在だ。あんたが儂をここから出してくれれば、まだいくらでもやりようがあるではないか。」
統家
「何を言っている。もう全て終わったのだ。肥後だけでない、九州は新しい世を迎えようとしている。関白殿下の手によって。」
親永
「ここにきていきなりの他人行儀とは恐れ入る。素晴らしい変節の能力だ。良いか赤星殿よ、聞け、聞くのだ。かつて菊池家の当主は危機にあるごと、海を渡り島原へ逃げたものだ。上方から遠い肥前の僻地をなす無数の岸が匿ってくれる。肥前で捲土重来を胸に、今一度立ち上がるのだ。」
統家
「やめろ、口を閉じろ。」
親永
「なんのためか。我らの旧領を取り戻すためだ。旨く行けば、菊池郡は全て赤星家に委ねよう。昨年の戦いで甲斐親英が務めた役割を、我らで行うのだ。今度は綿密な計画を立て、衝動を排し、団結して戦うのだ。筑後には城殿もいるのだろう。菊池家の三家老と言われた我らが結束すれば、往時の勢いを取り戻せる。」
統家
「よせ、黙れといっている。俺は一切の聞く耳をもたないぜ。」
親永
「関白は九州を平定したと言ったが必ずまた騒動が起こる。関白とて成り上がり者。次の成り上がり者が出ないとは限らないではないか。いや、必ず出てくる。関白などとふんぞり返っているが、権威だけでは人は従わない。特に我ら武士はそうだ。無から現れた関白が武士を気取っているという事は、その他の無に所縁深い連中も我こそはとそうなる。だから考えてみろ。でなければ永久に栄達が消え去ってしまうのだぞ。」
統家
「もういいだろう。」
親永
「…どうしても話を聞かないというのか。ふん、臆病者め、ではこの怒り、貴様に向けてくれよう。やはり貴様は事業を為し得る器ではない。戦に参加した肥後のどの連中よりも劣る。だからこそ、貴様は諸国を彷徨しているのだからな。ほら、とっとと立花殿に会いに行くがよい。そしてせいぜい弁明と追従に励むことだ。」
統家
「ではこれでお別れだな。」
親永
「貴様に同情をするぞ。ここで死ぬ儂と、生きながら帰る場所を喪失した貴様と、苦しみが長く続くのは貴様の方だ。生き地獄を味わうが良い。これが我ら肥後の衆に与えられた天の報いだ。儂は幸福だぞ。場所は違えど、息子どもや家臣らと共に死ねるのだ。佐々という避けようもなくやってきた運命を道連れに!貴様はせいぜい長生きをすることだ!」
統家
「これは運命だ。この期に及んでは受け入れねばならない。そうでなければ先に進めない。貴様の言う通り死んだ身の俺が現世でさ迷うのも、子孫に安定した土地と財産を伝えてやれない無念ゆえだ。帰れるものなら隈府へ帰りたい。圧倒的な緑と山に後支えられたあの山城は俺の故郷だ。城の正面には水田が美しく広がり俺の心を豊かにしてくれた。城の近くには涼しく静謐な泉が湧き、通る者を慰めてくれる。そこを抜けると目前では市が開かれ、そこにはなんでもあるかのよう。豊かな喧騒、賑わい。あの黒笠の南蛮人も見た。高瀬、川尻に行くまでもなく、贅を尽した装いを見ることができる。近くを流れる菊池川の対岸は赤星の地だ。それは我ら赤星一族揺籃の地。菊池氏の一員として数々の輝かしい栄光を共にしてきた我らの世界が永久にそこにある。それは菊池そのものだ。部外者は誰も触れる事の出来ない、極楽に勝る浄土。俺たちの日々が不変の物だと純粋に思えていたあの頃を。あの頃が懐かしい。ああ、なんという事だろう。そうとも、もはや全て他者により失われて…」
・書状
曰く、
「加藤主計頭
柳川にて、隈部親永に接触する者、赤星統家あり
立花左近将監鎮虎」
・後日と余談
1588年(天正十六年)
6月 筑後柳川にて、隈部親永処刑。同時期、豊前小倉にて息子親泰も処刑。
7月 摂津尼崎にて、一揆勃発の責を負い、佐々成政切腹。
赤星統家、島津家の計らいにより薩摩鹿籠の領主喜入氏の客となる。
1597年(慶長二年)
赤星統家嫡男・赤星親武娘、加藤清正の側室となり、親武も加藤家に出仕する。
1611年(慶長十六年)
6月 熊本藩主加藤清正死去。
1615年(元和元年)
6月 赤星親武、大坂夏の陣に豊臣方として参戦し、戦死。
1619年(元和五年)
6月 流浪先の阿波にて赤星統家客死。
1632年(寛永九年)
5月 熊本藩加藤氏改易され、代わって細川氏が入る。
1638年(寛永十五年)
3月 赤星統家嫡孫・赤星道重、島原の乱にて一揆指導者の一人となり、江戸幕府軍と戦い戦死。
乗る馬を間違えた家の末路は常に悲惨であるが、奇縁もある。側室たちを肥後の女から求めた加藤清正の筋から、敗者復活の可能性が見込めたのだ。側室菊池武国の娘の血から夭折するも加藤忠正が、側室赤星統家の孫娘の血から江戸幕府老中阿部正能が出ている。これは清正が肥後において神格化された一助でもあるとともに、敗者が完全に忘れ去られる事をも防ぐという別の効果もあったに違いない。肥後国人衆のおびただしい死は、全て加藤清正に集約され、新たなる肥後が形成される。
(了)