AI(人工知能)は人の仕事を奪うのか
堀江隆文、通称ホラレ、じゃなかった、ホリエモンさんが「AIがどんどん発達して人間と置き換わっていく」という話をよくメディアでされているのを見ます。
余談ですが男はお金が有り余って様々なサービスを受けやり尽くした感があると、同性にも性的に興味が向く場合が有るそうです。
攻めてんなぁ、という感想が先に来ますが好奇心旺盛なんだろうなぁ、とも思います。
私の場合は、男とやりたくない、という嫌悪感もない訳ではないですが、それよりも女性としたい、という気持ちの方が強い訳です。
過去にタイで綺麗なニューハーフに惹かれた事が事実有るのでなんか否定出来ないです。
結局は夜のお店で飲んだり食ったりした程度ですけどね。当時は二十代前半で狩人的なところ有りましたし下手に風俗的なことをやっても病気が怖いですし、そういうことはしませんでした。
ただホリエモンくらいにモテそうな人だとそんじょそこらの女性では飽きてしまってるのかも、と思わないでもないです。
さて本題に。
『AI 人工知能は社会から仕事を奪うか否か』
私の答えは『奪う。しかし生み出す』です。
具体例が難しいところですし私はAIという物に対して一般人レベル、wikiで読んだ程度の知識しか有りませんので社会の現場で働く人間の感覚だと思って下さい。
『奪う』という結論については当然それが存在意義、開発における目的なのだから当然として、何故生み出すのか。
どんな道具でも使用することによってコストや生産性、品質の向上が考えられるが故に導入される訳で、当然既存の役割が機能的上位・拡張による互換(そろばん→電卓→計算ソフト等)や代替(会計士→会計ソフト、手旗信号→信号機等)が目的です。
そろばん塾、減ってます。勿論技能・計算能力の向上という意味では非常に魅力的だと思います。
ただ一方で、経済社会における機能としての『そろばん』は役目を終えつつあるのだとも感じざるを得ません。
電卓、計算ソフトに切り替わるのは必然でしょう。
『生み出す』というのも単純明快です。
それこそ私だって生まれていない大昔は交差点で手旗信号でもって交通整理がなされていました。
テレビや昔の映画のモノクロフィルムで見たことがある人も多いのではないでしょうか。
あの人たちは仕事を奪われた、とも見れますが、同時に信号機を作る会社・信号機の維持管理をする組織などが仕事を獲得したわけです。
他にもスーパーのレジなんかは身近ではないでしょうか。
レジスターが普及する前は人口増時代でも有りますから今よりも人が多く必要でした。
その時代からするとチェッカー(レジ対応係)は当然減っています。
しかし信号機と同じでレジスターのメーカー、販売・管理会社に仕事を作っています。
また、どこぞの国では会計士が存在せず会計ソフト・ウェブ決済でもって効率的に運用されているそうです。
運用コストの問題だけで言えば話は簡単です。
技術を導入するコストよりも人件費の方が安い状況である限りは人の手によって仕事は進められます。
その需給が壊れかけたとき『これ、自動で出来たら金になるんじゃね?』という話になるだけです。
大手通販サイトに限らず様々な物品は人の手によってピッキング・発送作業が行われているわけですが、これも単純に全自動にするより人件費の方が安いからなだけ。
精度・コストの改善向上が導入コストを考えても優位ならばそりゃあその仕事はなくなっていきます。
それを是とするかどうかは別としてこのように『当然消える、需要が激減する職業』は存在する訳ですが一方で新たな仕事を生み出すのが『新技術』でもあるのです。
コンビニなんてビジネスモデルがまさに良い例ですね。
24時間営業に批判も有る昨今では有りますが、夜間の求人や商品供給の製造・物流までも生み出したのですから因果なものです。
今でこそ否定されていますが、それに助けられている層も居ます。
ただ過去のことは過去のこととして、社会問題となっている現状、どうやってバランスを取っていくのかという前向きな姿勢が重要だと私は考えます。
さらに2040年、または2060年までは高齢化社会が継続するといわれていますがそれは老若の比率の問題であって人口分布自体は薄くなっていきます。
より一層の効率化が求められているのが現実ですね。
ただ、AIの定義がいくつかあるようなので危険を承知で軽く触れますが、どんなにAIが発達しようとも
『サービスや物品に関する人間の欲求そのものは、人間にしか生み出せない。つまりAIで便利になる分だけ人間の欲望・要求は増え続け、仕事も生み出される』
と思うのです。
どんな道具(部材に非ず)でも専用として発展する一方で、映画やら小説やらに出てくるような人間と同じように考え動く思考回路というのは研究はされているのでしょう。
人工知能は人間社会の一部を担うだけが存在意義となりえるのでは、と感じる一方で『極論働かなくても良い社会・国というのを作ることも可能なのではなかろうか』などとやっぱりSFなことも思ってしまいます。
人工知能で小説を書く、というのもニュースで見ましたが、アレはアレで『小説を書く』という機能を作っただけで、私の中における『SFチックな人工知能』とも違うのですが、世間一般での人工知能ってどこまでの範囲を言ってるのかな、と世間との認識のギャップが怖くもあります。
私、働かなくて良い社会が出来る、そこに住めるとしたら、働かなくて良いと思うんですよね。
どうせ暇になったら芸術に走ったり淫行に走ったり、はたまた働くのが美徳だと言って効率悪い素人畑作とか非効率な精神性を売りにした商売やり始めるのが人間だと思うのです。
仕事と呼ぶか、呼べるかどうかは別として、楽になったら楽になった分だけ人間面倒くせぇことをやりだすんじゃねーの、というのがAIに関して特に私が思うことです。




