プロローグ
ハイラント大陸、ウェスコット連邦王国。
その西部に位置する地方都市であるアルスターに程近い街道沿いには、名もなき森林が広がっている。
その奥地、誰も入ったことがないという古代の祠の扉が開き、中から一人の女騎士が歩み出てきた。
彼女の名はエルネリア。
女神の如き美しさを誇り、全身には神々しいまでの輝きを放つ武具を纏った彼女は今、その凛とした表情の裏で非常に困惑していた。
(やっぱりこれ、ゲームじゃない……。現実に、なっている……?)
――事の始まりは、一時間ほど前に遡る
●
エルネリアはアルスターの街を出発し、街の近くに広がる森林の奥地に向かっていた。
「神霊級アイテム」を入手するためのクエストが、そこで達成できると推測していたからである。
この時のために1ヵ月近くの期間をかけて一連のクエストを進めてきたエルネリアは、凛とした歩調で、襲ってくる森の魔獣をなぎ倒しながら進んでいた。
《アナザー・ワールド・オンライン》、通称AWO。
VRオンラインRPGゲームとしてリリースされたこの作品は、「レイアース」という世界を舞台に冒険を繰り広げるという内容で、「もう一つの世界」というゲームとして挑戦的とも言える名に恥じることなく、グラフィックの美しさやフィールドの広大さ、自由度の高さから絶大な支持を受けていた。
AWOのプレイヤーであるエルネリアは、その中でも非常に有名な人物であった。
戦闘能力の高さ、所持する装備品やアイテムの豊富さ、立ち居振舞いの美しさ等々。
その名声は、彼女と会った事のない一般のプレイヤーであっても大半が知っている程に広がっていた。
日本国内で10万人を超える程のプレイヤーが毎日ログインするこのゲームに於いて、代表的なプレイヤーとされる者の一人が彼女だったのである。
AWOに於いて、多くのプレイヤーの目標とされていたのが「神霊級アイテム」と呼ばれる物の入手である。
「神霊級」とは、レイアースの各地に存在する神々・精霊達から認められた者だけが持つことのできるという装備品・アイテムの事を指し、その全てが世界に一つずつしか存在しないという恐るべきレアアイテムのことである。
一つ所持しているだけでも最高クラスのプレイヤーの一角として名を馳せる事のできる「神霊級」、エルネリアはその最多保持者であり、5年という期間をかけ、なんと99個もの神霊級アイテムを入手してきた。
この日は、記念すべき100個目の神霊級アイテムを入手できるかもしれないとあって、相当に期待を膨らませているのだ。
実装された当初は条件が比較的緩く、入手し易かった(とエルネリアだけが思っている)神霊級アイテムも、プレイヤー全体の実力が伸びると共に入手難度が上がって来ている。
特に80個を越えたあたりから入手クエストの発生条件や内容が複雑化し、収集のペースが落ちていたこともあり、100個という節目に到達できた喜びも大きい。
(私の推測が正しければ、これまで集めたキーアイテムでこの扉が開く筈……!)
祠に到着したエルネリアは、早速これまでに集めたキーアイテムと思しき物達を取り出し、扉の手前にある祭壇に捧げていく。
全て捧げ終えると、扉は光を放ちながら開いた。
祠の内部、地下へと続く階段の先は石造りのダンジョンといった趣のエリアで、外の森の魔獣とは比べるべくもない程に強力なガーディアン達が行く手を阻もうと襲いかかって来る。
流石のエルネリアも慎重になり、進むスピードを緩めはしたが、事前にここで出現するモンスターの傾向は予測し、対策済みである。
着実に奥へと進み、特に問題が起きることもなく最奥部の広間に到着した。
『風の精霊の加護を求めし者よ、その力を示せ』
と、語りかけて来たのは渦巻く風を纏った長剣を持つ、2m程の大きさの人型ゴーレム。
今回の神霊級アイテムを入手するための一連のクエスト、その最終試練だろう。
対するエルネリアはそれまで手にしていた武器の装備を解除し、新たにアイテムストレージから取り出した武器を身に着ける。
まるでマグマのように激しい熱気を放ち、赤く光る大剣。
AWOに於いて風属性に有利である炎属性の神霊級アイテム、【炎帝の砕断】である。
エルネリアがそれを構えた瞬間、ゴーレムは長剣で風を巻き上げながら猛然と斬りかかり、それをエルネリアは大剣の腹で受け止めた。
そのまま、ゴーレムの猛攻を防いでゆく。しかし、
(今回は、準備が大変だった分ボスが弱めっぽいかな?)
などと分析をする程度には、余裕のある相手だった。
本来、AWOの最高レベルであるLv200のプレイヤーが、5人でパーティを組んで戦っても苦戦は必至のボスなのだが、エルネリアの戦闘能力は一般的なプレイヤーから逸脱している。
相性的に有利な神霊級アイテムまで持っていては、常識の範疇に収まる強さのボスでは相手にならない。
エルネリアはそれこそ、強すぎるが故に誰もが敗北イベントだと思って攻略を諦めてしまったボスを単独で撃破し、神霊級アイテムを手に入れたことすらあるのだ。
そこから、何度も斬りつけて来るゴーレムの攻撃を逸らしつつ、反撃を加えていく。
剣の攻撃を逸らして隙を作っては、そこを突いてダメージを蓄積させる。
ある程度のダメージを与えたところでゴーレムが距離を取り、剣から風の刃を放って攻撃し始めたが、エルネリアが炎帝の砕断を振りかざすと噴き出す炎がそれを呑み込んでしまう。
そうして一方的な戦闘は続き、ゴーレムの耐久力に限界が近付いているように見えてきた頃。
『見事なり、戦士よ。その勇気を称え、ここに最後の試練を与える』
空気を爆発させ、防御したエルネリアが押し戻された隙に大きく距離を取り直したゴーレムがそう言い放つと、長剣に集まる風の勢いが一気に激しくなる。
対するエルネリアはその様子を見て、炎帝の砕断をストレージに収納し、新たに白銀の大盾を取り出す。
その名も【天倫】、火・水・風・土の四属性の威力を大幅に軽減する神霊級アイテムの一つである。
エルネリアが深く腰を落として天倫を構え、攻撃を受ける準備を完了させた瞬間、想像を絶する暴風が剣から解き放たれ、広間を駆け抜ける。
ここまで戦闘を一方的に優勢に進めてきたエルネリアであっても、その威力に押され、じりじりと後退させられる程の威力。
もし体勢を少しでも崩せば、あっと言う間にこの嵐に呑み込まれてしまうだろう。
数秒後、壁も、床も、天井も、全てが削り取られて原型を無くした広間の中央には、しかし、天倫を構えたままのエルネリアの姿があった。
『その力、見せて貰った。ここに、風精の剣【テンペスト】を授けよう』
その言葉と共に、ゴーレムの姿が光となって消えて行く。
後に残ったのは、宙に浮いた状態の長剣、テンペストだけであった。
(これで、100個目……!)
喜びを隠し切れない様子のまま、エルネリアがその剣を手にした、瞬間――
宙に引っ張られるような感覚。
視界が歪み、まるで体が浮いていくような虚脱感を覚える。
立っていることすらままならず、そのまま床に倒れ込んだところで、エルネリアの意識は途切れた。
プロローグは続きます。