間違い電車。
はっと我に返った時にはもう遅くて。
ああ、またやってしまったと思った。
こんな時に真逆の電車に乗ってしまうなんて……。
しかもそれが快特とかいうやつで、いくつもの駅を華麗に通過していくものだから、私は絶望感でいっぱいになっていた。
私――金山弥生は仕事を終え、今夜新幹線で地方に出張する彼――潮見 佑との待ち合わせ場所に行く途中だった。
『ごめん、電車間違えて乗っちゃった……』
『また?』
『うん、真逆に。しかも快特とかいう電車……本当にごめん』
私はすぐに無料メッセージアプリで佑に連絡をした。
『一緒にご飯食べようって話だったのに、』
彼から送られてくる文章。
どんな顔をして打っているのかを考えるのが、なんだか恐ろしく感じられる。
『俺の出発ギリギリにしか着かないんじゃない?それ、』
私が反応する前に、続けてメッセージが来ました。
『今調べてみたけれど、ご飯する時間はないかも……。本当にごめんなさい』
乗り換え案内アプリでどう調べてみても、そんな時間が作れそうな時間に着くことは不可能でした。
『急いで行く。着く頃連絡する。ご飯食べる時間はないけれど、会いに行くから』
私が送って間もなく目に入った言葉。
『来なくて良いよ』
ああ、もうダメだ。
その瞬間、私の思考回路を繋ぐ何かが、プツリと切れたようでした。
電車は駅に停車したけれど、降りる気にはなりません。
扉が目の前で閉まると、私は近くの空いている座席に座りました。
行き先もよくわからないけれど、そのまま乗って行ってしまえ。
なぜだかそう、思ってしまったのです。
私は昔から電車に苦手意識がありました。
どんなに乗りなれた路線でも、逆方向に乗ってみたり。
降りる駅に停まらない電車に乗ってみたり。
降りる駅とは違う駅で改札を出ていたり。
違う路線の改札に入っていたり。
電車が苦手というより、頭が悪いだけなのかもしれません……。
――私、頭大丈夫かな。
なんて思いながら、流れていく景色にぼんやりと目を向けました。
『出発までに時間があるなら、お見送りに行きたいな』
そう連絡したのは私の方でした。
『お、じゃあ一緒にご飯食べれるな』
そんな文章とともに送られてきたのはニコニコマーク。
滅多にそんなマークを使うことのない人だったので、お見送りに来てくれることを嬉しく思ってくれたのだと思い、私は顔がゆるみました。
昨夜したばかりのやり取りなのに、今のこの気持ちはいったいどうしたら良いのだろう。
――ああ、彼の気持ちを裏切ってしまったのは私のほうなんだ。
私ははっとして、次の瞬間立ち上がりました。
ここは何処だろう。
間違いに気づいてからどの位の時間がたっているのかさえ、私にはわかりません。
それでも私は次に停車した駅の改札を出て、タクシー乗り場に走りました。
『次から気を付ける。お見送り、間に合わなかったら見捨てて良い。
だから、最後にチャンスをください』
飛び乗ったタクシーで、私は佑にそう送った。
返事はない――既読無視。
私はそれからタクシーの車内で、反応のないその画面と、出発時間へ刻々と迫っていく時計を交互に見つめていました。
『着いた!』
私は改札の前で彼を探します。
辺りを見回しますが、佑の姿はありませんでした。
改札の上部にある電光掲示板にはまだ、彼の乗る新幹線の標示があります。
間に合ったと思ったのに。
ああ、終わってしまった。
私は大きなため息をひとつつきました。
来た道を帰ろうと、くるりと改札に背を向けた瞬間、スマートフォンが震えます。
『よく間に合ったな、』
画面には佑からのメッセージ。
『え?』
振り返ると、人がたくさん居る改札の向こうに、彼の姿がチラリと見えたのです。
『帰りは電車、間違えないで帰れよ。行ってきます』
ああ、見捨てられなかった。
大きく手を振る彼の姿と、
『いってらっしゃい』
と打ったスマートフォンの画面は、大粒の涙で見えなくなりそうでした。
――帰りは絶対に間違えない。
私はそう決意して、再び乗り換え案内アプリを起動するのです。
佑は学生時代からの友達で、私達が付き合うきっかけとなったのは、佑の間違い電話でした。
電話帳の登録の並びのせいなのか、なぜだか間違えて私に電話をかけてくるのです。
付き合い始めるようになり、私は度々電車を間違えデートに遅刻。
そんなある日彼は、
“俺は間違い電話。弥生は間違い電車に気を付けないとな、”
と。
私にそんな風に言いました。
――懐かしいな。
私はホームに入ってきた電車に乗り込みます。
そして扉が閉まる瞬間に、それが乗るべき路線の電車ではない事に気づくのです。
なんでこう、乗る前に気づけないのだろう。
ため息をつきながら、新たに来た佑からのメッセージを開きました。
『来てくれてありがとう。
弥生らしいお見送りでした。』
ああ、またやってしまったわ。
間違い電車。