直進
「さあこれからどうする」
「ど、どうするって何がですか?」
「決まってるだろう。どのようにして壁の向こうへ行くかを考えないといけない」
「あ。すいません、それなら大丈夫です」
「何故だ」
「だって」俺の顔を見上げながら、赤い顔で言う零久慈零。「イカルガが居ますから」
さて。
俺の知らない第三者がこの会話部分だけ切り取って盗み聞きした場合、おいおいこらこらなんのことだと激昂すること間違いないだろう。当の本人である俺ですらテンパった程だ。その反応には仕方がないと言う他ないのだが、残念ながらと言うべきかどうなのか、零久慈零が俺に伝えたいことは俺が隣にいるとかうんだらかんたらという内容の他にあったのだった。
「さっき、瞬間移動が出来る装置を造りましたよね。あれがあれば、簡単に壁の向こうへ行けるんです。それこそ、アルエに一体も会わずにです」
零久慈零が言うには、瞬間移動を使えばアルエに一体も会わずに壁の向こうへ行けるらしい。いや待て。何か誤解していないか。
――この瞬間移動装置は、移動する対象が居る場所と、移動先の場所を両方とも把握していないと発動されないらしいのだぞ。
実をいうと、俺は零久慈零が一緒に来て下さいと頼んできた時よりずっと瞬間移動のスイッチを押していたのだ。少しでもアルエに会わないよう、どうにかして壁の向こうのどこかの路地裏にでも瞬間移動してしまおうという魂胆のもとだ。ショートカットが出来るならば、なりふり構わず行った方がいいのは目に見えている。アルエに一体でも多く会う度に零久慈零と俺は危険にさらされるのだから。まあ、とはいったものの、「えっへんどうですか! すいませんが何か感想が欲しいです私!」と小さき胸を張りながら話し掛けてくる零久慈零には傷一つない。素肌のほとんどを全力で出しているにも関わらずだ。寧ろ俺の方が傷ついている。未だに擦った頭が痛むのだが、本当に、これ、どうしてくれよう。何故こいつは傷一つ付いていないのだ。何故こいつはこんな格好をしているのだ。というかノー下着ノーソックスノーシューズとは一体全体何故なのだ。
「ほらほら。また黙っちゃってますよ、イカルガ」
そんなことが頭の中を渦巻いていると、頬を膨らました零久慈零が指摘をしてきた。おっと。どうやら俺はまたもやぼーっとしていたらしい。やはり疲れているのだろうか。早く家に帰り、ロボット君達と戯れたい欲求に一瞬だけ捕われつつ、俺は零久慈零の顔を見る。
「すまない。少し、下着と靴下と靴のことについて考えていた」
「乙女の前でいきなりそんなこと考えるなんて少しじゃすまないと思うんですけど! すいませんがイカルガってやっぱり冗談抜きで変態じゃないですか!」
「失敬な。俺が好きなのは下着などではない。ボデーだ」
「せめてボディーって言ってくださいよボディーと! ていうかですよていうか!」人差し指を俺に突き付けて大声を張り上げる零久慈零。「私の話を聞いてください! そしてリアクションを! 指摘をしてください! 本当にすいませんがお願いしますよイカルガッシュ!」
「その呼び方は果たして悪口になっているのだろうか」
突然のあだ名変更に、何故だか胸が温かくなる。新しいあだ名が俺に馴染みの深いものだったからか、零久慈零が新しいあだ名を考えてくれたからなのか。理由はわからないし、突き止めようという気もないので放っておこう。
零久慈零が言うところによると、俺が造り出した瞬間移動装置があれば簡単に街の中に侵入出来るらしい。しかもアルエに一体も出会わずに。だが生憎、昔壁の向こうに住んでいた俺にはそのような通りは想像つかない。五年で何処まで変わったか想像の範疇を越えるのだが、けれどもそれ程変わっていないのではないか、と俺はたかを括っている。いくらあちらが科学に特化しているといってもたかが五年だ。中学生が高校生にはなるが、小学一年生が中学生になることはない。同様に、俺が昔行ったことのある映画館が潰れている筈もないし、昔行ったスーパーが大改築をしている筈もないし――兄と姉の性格が変わっている筈もない。
今でもあまり会いたくない二人の存在が住んでいる『出来る人間』の街。
正直、アルエよりも会いたくない。会わずに潜入出来るという方法が嘘でもあるのなら、聞かないに越したことはない。という訳で、俺は零久慈零に瞬間移動装置に関する諸々のメリットとデメリットについて話した。途中途中に「ふんふんそうなんですか。それで?」と相槌を打ちまくる零久慈零が若干欝陶しく感じたのだが、ここは我慢だ。アルエと兄と姉に会わずとも『出来る人間』が住む街に行く為、冷静に話し切る。
「ふんふんそうなんですか」しかし、零久慈零はこのような反応をしてきた。「それで?」
「いや、あの、もうないのだが」
平常心を保ちながらそう言うと、「はぁ」とため息をつき、零久慈零はすまなそうな顔をして俺に言う。
「すいませんが、その程度のことなら私は知っています」
「そ、そうなのか!」流石に俺は驚いた。この瞬間移動装置は今さっき造り上げた世紀の発明品だ。しかるべき所に出せば高値がつくであろうと思っている代物であるのに、零久慈零はその代物のメリットデメリットを把握しているというのだ。
「どういうことだ。瞬間移動装置は俺が造り上げたオンリーワンの発明品だぞ。恐らくこの壁の向こうにも存在しない、いわば科学の超越。なのにそれのメリットデメリットを全て知っているというのはどういうことなのだ」
「……ハハッ」
俺が一気にまくしたてると、零久慈零は冷ややかな視線を俺に浴びせ、何故だか嘲笑した。
「何だ。何がおかしい」
「あのですねイカルガ。非常に言いにくいのですが、すいませんあえて言わせてもらいます」零久慈零は、こう言った。「私は、瞬間移動を使ってこの街に潜入したんです」
「は?」
思わず惚けた声を出す。そんな俺を見ながら零久慈零は以前冷たい表情を見せる。何、だと。瞬間移動を使って零久慈零はこの街に潜入しただと。そんな筈はない。何故なら瞬間移動装置は俺が今さっき造り上げた至高の一品であり、故に誰も同じものを持っていない筈――。
「あ」
そう思考して、ようやく気がついた。零久慈零も俺がそれに気がついたことを悟ったのか、「一応お猿さんレベルに留めておきます。よかったですね。人間証明書さえあれば人間として扱われるかもです、すいません」ともはや謝罪の気持ちとかそういう概念を一切合切含んでいない罵声を俺に吐きかけるが、無視して考えをまとめる。
この街は大きな円形を模している。それを囲むように大きなコンクリートの壁が円形で存在し、更にその内部を半分にわける為に大きな壁が直線形で存在している。それらの大きさは大の大人十人分くらいで、常人ならば侵入することは困難に思える。しかし、この街に侵入するのが零久慈零というのだから話は別だ。実際、零久慈零が俺を抱え上げながら跳躍した時、街の向こうが見えていたように思える。見渡す限り草原だったことが記憶に新しいが、しばし待て。今大切なのはそんなことではない。零久慈零がいかにしてこの街に侵入し潜入したのかということだ。
先程まで、俺は零久慈零が力尽くで侵入したのだと考えていた。跳躍し、壁を越えて街に入る。本来ならば到底不可能なのだが、零久慈零なら出来るに違いないと俺は思っていた。
けれども、そうならば。
零久慈零はとても早い段階でアルエに見つかり、とても早い段階から逃避行を繰り返していたということになってしまうのではないだろうか。
「違うな、それは」呟きながら零久慈零の顔を真正面に見据える。「そうだ。ゼロちゃんは誰かに街の中心地か何処かに瞬間移動してもらい、そこでアルエに見つかったのだ」
言うと零久慈零は、「そういうことなんです」と俺に向けていた冷ややかな視線を暖かい視線に変更した。つまりは笑顔である。そうだ、この顔だ。この顔を見ると何故だかわからないが俺の体は固まる。どうなっている。目の前で笑っているのはゴリラの末裔か何かなのだぞ。何故、こんな風に俺が固まらなければならないのだ。
「という訳で、です」
そんなことを思っていると、零久慈零は俺に向けてこんな言葉を発してきた。微笑みを浮かべながら、明るい声で。
「イカルガの発明なんてせいぜいそんなもんなんですよ。すいませんが身の程を弁えてください」
「ここにきてまさかの罵倒かお前は!」
「そうですね、ほら、見猿聞か猿思わ猿とかいう三種類のお猿さんが居ましたよね。イカルガはその三匹のお猿さんに似たような種類のお猿さんレベルです。何をしても誰にも見えない猿、何を言っても誰も聞いてくれない猿、過去に何をしていても誰からも思われない猿」
「透明人間か何かであろうか!」
「すいませんが、透明猿だと思いますよ」
「どうでもいいのだその程度の違いは!」
「そうなんですか。人間と猿に違いはそんなにないんですね。じゃあイカルガ猿、テキトーにぶらついてジュース買って来て下さい」
「猿とか人間とかそれ以前にパシリ扱いではないか!」
「猿人類にもイジメはあったみたいですからね。知ってますか、イカルガ。昔、地面を掘ったら手足を縛られた人間の全身の骨が出てきたみたいなんです。ですが、その骸骨はなんと人間ならざる昔の人。猿人類だったんです。しかしその骸骨の手足は縛られていた、縛られた状態で地下に埋められていた、これすなわち太古にもイジメはあったということなのです!」
「だーかーらー何なのだっ!」
長い長い話を聞いた上でのリアクションを精一杯してやると、「おー、よしよし。よくできましたお猿さん」と謝罪の言葉も全く無しに、背伸びをして俺の頭を撫でようとする零久慈零。瞬時にそれを避け、「チッ。すいませんが生意気です」と舌打ちする零久慈零を横目にそろそろ本題に戻ることにしよう。
「では、ゼロちゃん。方法を聞かせてくれ」真剣な声色で、俺は聞く。「壁の向こうには俺が知る限り誰にも見つからない抜け道などありはしない。かと言ってゼロちゃんはこの街に来たばかりで、この場所と先刻まで走っていた場所以外知らないのは間違いない。つまり、瞬間移動をしようにも出来ない。この条件下で、どのようにアルエの監視をかい潜るのだ」
『出来ない』
自分で言った言葉が自分自身の胸の内を貫く。ここだ。ここなのだ。兄と姉が俺を馬鹿にしたのは、この、何もかもを簡単に諦めてしまう点にあるのだ。勉強が出来ない、運動が出来ない、出来ない奴が出来ない奴なりにやる努力も出来ない。しようともしない。
だから、兄と姉に笑われる。
五年経って、変わっていないのは兄と姉ではなく、俺の方なのだ。出来ないと思うと、直ぐさまナイーブになる俺。それが理由で、俺は『不出来な人間』と断定されるのだ――。
「だからさっきから言ってるじゃないですか。アルエに会わずに壁の向こうに侵入することが出来るって」
そんな俺の前で。
零久慈零という存在は、笑いながらそう断言した。「信じて下さい。私が瞬間移動装置を使えば、簡単に壁の向こうに行けますから」
「何故だ」
「抜け道を知っているからです」俺の質問に坦々と答える零久慈零。「私を潜入させた人達は、私にその抜け道を教えてくれました。写真付きで、ですよ。だからその場所を想像しながら瞬間移動装置のスイッチを押せば、行ける筈です。抜け道に」
「何処にある。そんなもの、俺は知らない」
「当たり前ですよ。だって地下ですから」
「地下だと?」
「はい。地下です、すいません。地下に抜け道があるんです。間違いないんです」
「…………」
質問に矢継ぎ早に答える零久慈零を視線の先に置きながら、俺は思う。結局のところ、零久慈零は俺の知らない抜け道を予め知っていたのだ。地下にあるらしい。流石に地下は俺の想定の範囲外。ならば、納得も出来るというものだ。いやいや、しかし。だったらそれを早く教えろ、地下に何かあると知っていたのなら俺はあそこまで頑なにお前の意見を否定しなかったぞ。
などとは決して、思わない。
というより、思えない。
「はは」誰にも聞こえないよう、静かに呟く俺。「こいつ、また出来ないことを出来るようにしてしまった」
「何ですかイカルガ? すいません、聞こえななかったのでもう一度言って下さい」
「…………」言える訳ないだろう、こんな恥ずかしいこと。
「あれ? 言ってくださいよイカルガ。おーい、おーい」
「……あほう」
「何でですかこの猿岩石!」
折角心配してあげたのに何ですかホントとか、すいませんがあまりにもヒドイんじゃないですかイカルガ猿とか積極的に罵倒する零久慈零。だが俺の耳はそんなどうでもいい言葉は素通りさせ、俺の頭の中にはぐるぐると零久慈零が回っていた。
「すまない。頼む」
出来得る限り真剣な表情と声色で、二言だけ簡潔に言った。これ以上の言葉は必要ないだろう、と考えた上での発言だったのだが、大当りだったらしい。零久慈零はあんなにもギャーギャーワーワーと叫んでいたのに、俺の発言を聞くと体を一瞬ピタリと止め、「うぅ。だからズルイって言ってるじゃないですか」とかなんとか言いながら、俺に手を差し延べてきた。
「イカルガの造った瞬間移動装置を見せてください」
「了承した」
右ポケットを探り、プラスドライバーの感触を認識しながら瞬間移動装置を取り出す。白い直方体に、白いスイッチが二つ。掌に収まる程度の大きさ。そんな簡単な造りのリモコンが、俺と零久慈零を安全な場所へと連れて行ってくれるのだ。
スイッチ部分を下にしながら、零久慈零の開いた掌にリモコンを乗せる。そのままリモコンを離して零久慈零の手から俺の手を離そうと思ったのだが、無理だった。俺の右手が、いつの間にか零久慈零の柔らかい両手に挟まれているからだ。
「な、何を」思わずうろたえる俺。
「深い意味はないので安心してください」尚も両手を離さない零久慈零。「それから、すいませんでした。さっきはイカルガの開発したこのリモコンの悪口を言ってしまって」
「いきなりどうした」
「実を言うとですね。私をこの街に瞬間移動させた装置はもっと大きくて、だから私は瞬間移動装置を持ち歩いていないのです。更にです。イカルガのリモコンとは違い、あの瞬間移動装置は一度に何人も瞬間移動出来ません。一人瞬間移動させたらエネルギー収集に二日かかるとか言ってましたし」
一気に零久慈零はそう言ってのけた。そうか、ならば俺の発明は凄いということになる。ううむ、まあまあ嬉しい。それは嘘ではない。
でも、今はそんなこと、どうだっていいのだ。
「気にしていない。だからもう謝るな。早く押してくれ」
「嫌です、とか言ったらどうしますか」
「正直、困る」
「アハハ。じゃ、イカルガのお望み通り瞬間移動をしましょうか」
零久慈零が、俺の片手ごとリモコンを握る手に力を入れる。しっかりと、上の方のスイッチを押しながら。
そうして俺の視界は一瞬光りに包まれ、闇に包まれる――かに思われた。零久慈零が抜け道は地下にあると言っていたから、絶対に暗い筈だと考えていたのだ。瞬間移動後に目を開くとそこには微かな光りと闇があり、そこを突き進むと壁の向こうの『出来る人間』が住む街へと行ける。
だから地上よりは暗い。
そう、思っていた。
「「ギャイー」」
「ん」「はへ?」
瞬間移動直後に聞いたその無機質の二つの音の持ち主は。とても巨大でとても屈強で。俺と零久慈零を射す赤いレーザーを放っていた。その二つのレーザーのせいで、俺は想像以上に明るく感じたのである。
「おい、ゼロちゃん」四つの存在が一時停止している最中に、ゆっくりと後ろを向いてア然としている存在に問い質す。「アルエに見つからない抜け道というのは、何処だ」
「……すいませんそんなのありませんうわああん!」
「だよなというかまたこの展開か嫌だあああああ!」
両手を離し絶叫する零久慈零と俺の存在を完全に確認した二体のアルエは。
大きな腕を、振り上げ始めた。