【四月】IFルート:バッドエンド1【一日】
一面に広がる海は、異様なほど静かだった。
だが、その静寂は次の瞬間、砲撃の閃光によって引き裂かれる。
ブレイズ・ザ・ビーストが、海上を蹴って加速する。
正面、波を割って現れたのは、黒い機体――サーペント・ガレル。
烈火は、操縦桿を握る手に力を込めながら、ふと記憶を掘り起こしていた。
『――殺せ』
通信越しに聞いた艦長、レゴンの声。
あの時の顔は、今でもはっきりと思い出せる。
苦々しく、だが迷いを切り捨てた表情。
正義でも、戦況でもない。
ただ「都合」だけで下された命令だった。
ブレイズとサーペントが、正面から激突する。
衝撃が海面を揺らし、白い飛沫が空へ舞った。
───来る。
次の瞬間、烈火の意識に、異物のような感触が流れ込む。
『……接続、確認』
声ではない。
だが、確かに“聞こえた”。
ネクスター同士の共鳴。
戦場で、最も忌避される現象。
「リエン……聞こえるか」
一拍、間が空く。
返ってきたのは、感情の抜け落ちた声だった。
『目標:ブレイズ。排除』
それだけ。
そこに、意思はない。
「投降しろ! 戦う必要はない!」
烈火は叫ぶ。
理屈でも、命令でもない。
ただ、目の前の存在を殺したくなかった。
『命令に逆らえない』
淡々とした返答。
拒絶でも、肯定でもない。
――ああ、そうか。
烈火は歯を食いしばる。
この少女は、“選べない”ように作られている。
だったら───
「だったら……俺が止める!」
叫びと同時に、ブレイズが吼えた。
烈火の意識が研ぎ澄まされ、世界が一段、深く沈む。
覚醒。
感覚が加速し、サーペントの動きが遅く見える。
一撃、二撃。
圧倒的な力で、サーペントを海面へ叩き伏せる。
───終わらせられる。
だが。
烈火は、引き金を引かなかった。
「……撤退しろ」
その言葉は、誰に向けたものだったのか。
リエンか、それとも自分自身か。
サーペントは、追撃のない空を切り、深海へと姿を消した。
………
……
…
数日後。
烈火は、冷たい法廷に立たされていた。
罪状。
意図的に敵を逃した罪。
戦果を放棄し、命令に背いた罪。
読み上げられる罪状は、淡々としている。
「被告、烈火・シュナイダー。本件において有罪とする」
判決が下った瞬間、
烈火は、不思議なほど静かな気持ちで目を閉じた。
───ああ。
((この世界は、もう俺を必要としてねぇんだな))
それだけは、はっきりと分かっていた。
~~~
鉄格子越しに、夜空が見えた。
切り取られたような四角い窓の向こうに、白い月が浮かんでいる。
烈火は、冷たい床に腰を下ろし、ただそれを見上げていた。
───あの時。
サーペントの中で、リエンが一度だけ見せた反応。
感情のない声が、わずかに揺れた瞬間。
恐怖。
それが何に向けられたものだったのか、今でも分からない。
だが、はっきりしていることが一つある。
───俺には、殺せない。
静寂の中、遠くで靴音が響いた。
複数人。
烈火は目を閉じたまま、耳を澄ます。
「……危険すぎるな」
「だが、生かしておく理由もない」
壁越しの会話。
抑えた声だが、烈火の耳にははっきり届く。
「処刑でいいだろ。象徴はもう用済みだ」
淡々とした口調。
まるで、備品の廃棄を決めるように。
烈火は、月から視線を外した。
((やっぱり、そうなるか))
その瞬間。
轟音が、牢獄全体を揺らした。
「なっ――!」
壁が爆ぜる。
コンクリートと金属が砕け散り、粉塵の向こうに、赤い巨影が立っていた。
ブレイズ・ザ・ビースト。
炎じみた装甲の、烈火の愛機だ。
あり得ない。
格納庫に封じられているはずの機体が、ここにある。
『烈火! 今だよ!』
通信越しに聞こえた声。
兎歌だった。
「兎歌……!? どうやって――」
『説明は後! ブレイズが……勝手に動き出したの!』
事実だった。
操縦者の意志を待たず、ブレイズは烈火の前で膝をつく。
まるで、主を迎えに来た獣のように。
看守たちが駆け込んでくる。
だが、その動きはどこか鈍い。
『……行け、烈火』
通信に、もう一つの声が割り込んでくる。
マティアスだ。
狙撃手は、低く言った。
『これ以上、ここにいたら殺される』
『若者が、こんなところで死んじゃいけないよ』
さらなる声。
ギゼラの声だ。
烈火は一瞬、言葉を失う。
「お前ら……」
『見逃すだけさ。偶然、看守が腹痛で不在らしいけど、それはアタシの知らないことだね』
通信パネルに映るギゼラが、肩をすくめる。
『そういうことだ。さぁ、生きたまえ』
次の瞬間、警報が鳴り響く。
烈火は迷わず、ブレイズに乗り込んだ。
コックピットの感触が、懐かしくて、心地よい。
推進炎が噴き上がり、ブレイズ・ザ・ビーストは天井を突き破って夜空へ躍り出た。
冷たい空気が機体を包み込み、烈火の視界が一気に開ける。
───行け。
その瞬間、警報音が一段高く跳ね上がった。
『追撃部隊、発進!』
通信に、管制の声が響く。
烈火は歯を食いしばり、加速する。
背後から、二つの反応が急速に接近してくる。
マティアスの愛機、ストラウス。
ギゼラの愛機、ウェイバー。
「……来たか」
次の瞬間、閃光が夜空を走った。
だが、その砲撃は――わずかに、ブレイズの軌道を外れている。
直撃しない。
((いや、当ててない?))
『烈火、止まれ!』
マティアスの通信が入る。
『これ以上進めば、撃墜許可が正式に下りる!』
その言葉とは裏腹に、次の砲撃もまた、ブレイズの横をかすめるだけだった。
爆風が機体を揺らすが、致命打にはならない。
「……やっぱり、な」
烈火は小さく息を吐く。
ウェイバーが回り込む。
だが、照準はわずかに甘い。
『ちっ……速すぎるねぇ!』
通信越しの声は、苛立ちを装っているだけだった。
『当たらないねえ、ほんと』
通信圏外へと抜ける寸前、マティアスの声が割り込んでくる。
『……ノヴァの施設に、毒ガス兵器を使う計画がある』
一瞬、烈火の動きが止まる。
『お前が抜けた後、決まった話だ。あれをやれば、リエンも――』
その先は、言わなくても分かった。
『だから行け、烈火』
砲撃が、もう一度、夜空を裂く。
それもまた、わざと外れた軌道。
『……次は、本当に当てる』
そう言いながら、
マティアスも、ギゼラも、追撃速度をわずかに落とした。
烈火は振り返らない。
「……ありがとう」
誰にも届かない声で呟き、
ブレイズは、そのまま闇の彼方へと消えていった。
………
……
…
後日。
名もなきコロニーの一室。
烈火は、向かい合う男を静かに見据えていた。
ノヴァのエージェント。
感情を削ぎ落としたような目の男だ。
「あなたの価値は、誰よりも我々が理解している」
男は淡々と言う。
「プラズマリアクターへの適合率。
単独で戦局を覆す超人の戦闘力。
そして……世界を裏切れる覚悟」
「……」
烈火は、視線を逸らさない。
「俺は、もう世界のためには戦わない」
男は、わずかに口角を上げた。
「結構です。……我々が欲しいのは、英雄ではない。
“使える力”だけだ」
その言葉を聞いた瞬間。
烈火は、はっきりと理解した。
───ここから先は、戻れない。
それでも。
あの月を見上げる夜より、
心は、少しだけ軽かった。
~~~
ノヴァのスペースコロニー、B-5。
漆黒の宇宙に浮かぶその人工天体は、異様なほど整っていた。
外周には軍港。
無骨な艦艇が規則正しく並び、発着の光が絶え間なく明滅している。
内側には、白と銀を基調とした居住ブロックが連なり、重力制御された街路を人影が行き交っていた。
すべてが合理的で、無駄がない。
感情の居場所など、最初から想定されていない構造。
その深部に、強化人間の収容施設があった。
分厚い装甲壁。
何層にも張り巡らされたセキュリティ。
守っているのか、閉じ込めているのか───区別はつかない。
烈火は、遠くからその施設を見つめていた。
「ここが、終点だな」
~~~
数日後。
コロニー内の共有モニターに、緊急ニュースが割り込んだ。
『速報です。ノヴァ管理下の強化人間収容施設が、何者かの襲撃を受けました』
無機質なアナウンサーの声。
画面には、損壊した施設の映像が映し出される。
『施設内では多数の死傷者が確認されており……複数の実験体が、何者かによって連れ去られたと見られています』
烈火は、黙ってその映像を見ていた。
場所は、ブレイズのコックピット内。
リアクターは、すでに始動している。
((何者か、か……))
誰のことを言っているのか、分かりきっていた。
ゴゥウウン……ゴゥウウン……。
ブレイズ・ザ・ビーストは、静かに軍港を離脱する。
警報は鳴らない。
追撃もない。
最初から、想定された被害だったかのように。
烈火は、操縦桿から片手を離し、足元に置いたものへ視線を落とす。
宇宙用居住ポッド。
簡易的だが、生命維持は問題ない。
その中に、二人いる。
兎歌は、膝を抱えるように座り、リエンを胸に引き寄せていた。
リエンは、相変わらず無表情のまま、どこも見ていない。
「……リエン」
呼びかけても、反応はない。
兎歌は、震える手でリエンの髪を撫で続けている。
まるで、そこにいることを確かめるように。
「大丈夫……大丈夫だから……」
声は、途中で掠れた。
次の瞬間、ぽた、と涙が落ちる。
リエンは、それにも反応しない。
烈火は、視線を前に戻した。
ブレイズが、ゆっくりと加速する。
背後で、B-5が小さくなっていく。
あの場所に、もう戻ることはない。
守ったつもりの命。
壊した世界。
そのどちらも、
この小さなポッドの中に、確かにあった。
烈火は、何も言わなかった。
言える言葉など、もう残っていなかった。
……
……
…
宇宙開発企業『ギャラクテック社』。
人類圏、外縁における開拓事業を一手に担う巨大企業であり、軍事とも政治とも一定の距離を保つことで知られていた。
資源調査。
居住環境の整備。
そして、新たなコロニーの建設。
そこは戦場ではない。
少なくとも、表向きは。
開拓コロニー〈ヘリオス・アーク〉は、淡い人工太陽の光に包まれていた。
白い外殻、緑化された居住区、重力に慣れた子供たちの笑い声。
カメラは、その一角へと寄っていく。
烈火は、作業服姿で通路を歩いていた。
肩には工具ケース。
顔には、かつて見せなかった穏やかな表情。
「お疲れさまです、烈火さん」
「おう」
声をかけられ、軽く手を上げて応じる。
ここでは、彼は英雄でも兵器でもない。
ただの、開拓技師の一人だった。
未知の宙域へ向かい、地盤を調査し、居住区画を設置する。
新たな人類のフロンティアを切り開く仕事。
確かに、充実していた。
コロニーに戻れば、帰る場所がある。
「おかえりなさい」
出迎えるのは、兎歌だ。
気立てがよく、よく笑い、そして───胸が大きい。
「今日はどうだった?」
「順調だな。来週には新しいコロニーができそうだぜ」
「すごいね。烈火」
そんな何気ない会話。
それだけで、胸の奥が温かくなる。
結婚式も挙げた。
派手ではなかったが、皆に祝福された。
そして、家族がいる。
リビングの隅。
リエンが、床に座って積み木を並べている。
無感情。
言葉も少ない。
それでも、烈火が近づくと、視線だけは向けてくる。
「……できたのか?」
問いかけると、リエンはこくりと頷いた。
それだけで、十分だった。
兎歌は、そっと自分の腹に手を当てる。
わずかに、丸みを帯び始めたそこ。
「ねえ……この子が生まれたら、さ」
その声は、柔らかい。
「きっと、賑やかになるね」
「そうだな」
すべてが、順調だった。
少なくとも、そう見えていた。
───だが。
ふとした瞬間、脳裏に影が差す。
血の匂い。
警報音。
砕け散る壁。
研究所。
逃げ惑う白衣。
泣き叫ぶ声。
命乞い。
『やめてくれ……!』
その声を、烈火は覚えている。
引き金を引いた感触。
倒れる身体。
床に広がる赤。
あれは戦闘ではない。
ただの――殺戮だ。
「……っ」
烈火は、無意識に拳を握りしめていた。
「どうしたの?」
兎歌の声で、現実に引き戻される。
「……なんでもない」
そう答えながら、烈火は思う。
この穏やかな日々は、あの夜の上に、積み重なっている。
見ないふりをしているだけだ。
それでも。
今はまだ、この光の中に、身を置いていたかった。
………
……
…
病院の廊下は、ひどく静かだった。
消毒薬の匂いと、機械の低い駆動音だけが、空気を満たしている。
烈火は、壁際の椅子に座り、ただ前を見ていた。
白い床、白い天井。
「烈火さん。烈火。シュナイダーさーん」
ナースに呼ばれ、部屋に入った。
部屋に入ると、ベッドの横に、愛する妻、は兎歌・ハーニッシュ。
そして、ベッドには、守った命、リエン・ニャンパ。
兎歌は、リエンの小さな手を握っている。
リエンは、ベッドの上で天井を見つめたまま、瞬き一つしない。
「……結論から言います」
医師の声は、穏やかだった。
それが、かえって胸に刺さる。
「この子の残り寿命は、極めて短い」
一拍。
「良くても……数年です」
兎歌の指が、わずかに震えた。
烈火は、言葉を探したが、見つからない。
「病気、ではありません」
医師は、資料を閉じながら続ける。
「元々、長く生きるようには作られていない。
……寿命が、ないんです」
その言葉で、すべてが腑に落ちた。
実験体。
短期運用。
使い捨て。
リエンは、最初から終わりを決められていた。
「……そう、ですか」
兎歌の声は、驚くほど落ち着いていた。
医師が席を外し、部屋には三人だけが残る。
重い沈黙。
烈火は、拳を膝の上で固く握りしめていた。
───助けたつもりだった。
だが、救い切れてはいない。
「ねえ、烈火」
兎歌が、先に口を開いた。
「この子、あなたのおかげで生きてこれたんだよ」
「……ッ」
烈火は、顔を上げる。
「研究所にいたままだったら、もっと早く壊れてた。
苦しみながら、戦わされて……」
兎歌は、リエンの髪をそっと撫でる。
「今は、戦わなくていい。
怖い思いもしなくていい。
……それだけで、十分じゃない?」
涙は、流していなかった。
そのことが、余計に胸を締め付ける。
「ぜんぶ、烈火のおかげだよ」
その言葉を、烈火は否定できなかった。
肯定することも、できなかった。
リエンは、二人の会話を聞いているのかいないのか、
ただ、静かにそこにいる。
「……ごめんな」
烈火は、小さく呟いた。
リエンは、わずかに視線を向けただけだった。
病院の待合室。
壁に設置されたモニターが、ニュースを流している。
『エリシオン防衛線は、依然として厳しい状況が続いています』
映し出されるのは、損傷した艦隊。
後退する部隊。
『中核戦力の欠如が、戦況に大きな影響を与えているとの見方も――』
烈火は、目を逸らした。
自分が、いなくなった世界。
苦戦しているらしい。
それだけのことだ。
兎歌は、何も言わない。
ただ、烈火の隣に立っている。
烈火は思う。
世界を救わなかった代わりに、
守ったものが、確かにここにある。
それが、正しかったのかどうか。
答えは、もう出ない。
残された時間は、
確実に、減っていくのだから。
静かな部屋だった。
生命維持装置の低い音だけが、一定のリズムで流れている。
「……れっか」
かすれた声。
リエンが、ゆっくりと手を伸ばした。
「俺はここだ。ここにいる」
烈火は、その小さな手を包み込む。
驚くほど冷たい。
それでも、確かに生きている温度だった。
リエンは、しばらく烈火を見つめ───
微笑んだ。
ほんの一瞬。
ぎこちなく、それでも確かな笑顔。
胸の奥が、きつく締めつけられる。
───何を犠牲にしても。
烈火は、思う。
───世界を壊してでも。
この小さな笑顔を、守りたかった。
兎歌が、そっと烈火の肩に寄り添う。
何も言わない。
ただ、同じ温度でそこにいる。
視線の端で、壁のモニターがニュースを映していた。
『エリシオンの新型機〈ダフネ〉は、激戦の末───』
次の瞬間、映像が切り替わる。
夜空を裂く閃光。
無残に爆散する紅白の機体。
烈火は、それをただ見ていた。
本来の歴史では。
彼はシグマ帝国のエース、ゲイル・タイガーと刃を交え、やがて和解し、仲間になっていた。
その戦いで、ダフネに乗ったゲイルは、英雄として名を刻むはずだった。
───だが、それは別の世界の出来事だ。
宇宙を選んだ彼らには、もう関係のない話だった。
烈火は、リエンの手を、離さない。
兎歌のぬくもりを、確かめる。
世界は救えなかった。
英雄にも、戻れない。
それでも。
お嫁さんと、少女の笑顔は───
確かに、護ったのだ。




