愚かな行為
結局俺は楓に声をかけることが出来ず、アパートに帰っていった。楓に酷いことを言ってしまったこと、スーパーにいた人達にも迷惑をかけてしまったこと、罪悪感が波のように押し寄せてくる。それをかき消そうとするかのように、リュックの中に入っていた食べ物を、口の中に移動させた。リュックがパンパンになるくらい買い込んだはずなのに、すぐ空になってしまう。それでもモヤモヤはなくならない。俺はまたリュックを持って、今度はコンビニへ向かう。腹が重たいが、そんなことは気にしていられなかった。何か食べていないと落ち着かなかった。そんな状態だったからか、空気が生ぬるくなっていたことにも気づかなかった。
――次の日の日曜日。まるで台風でも来たのかというくらい風は吹き荒れ、雨音が鳴り響いていた。しかし昨日食べ過ぎた分は、消費しないといけない。部屋で出来る有酸素運動なんてたかが知れているし、音を立てれば隣の部屋の人の迷惑になる。俺はレインコートを着て、外に出る準備を始めた。心の中もぐちゃぐちゃしていて、走ればそれも考えなくて済むのではないかと思った。
「うおっ」
だが実際外に出てみれば、雨と風が全身を襲った。こんな中出かけたいのかともし問われることがあるなら、確実に「No」と答えるだろう。
『またデブ扱いされたいのか?』
しかし心の声は、そう問いかけてくる。
『根性なし。デブって心から贅肉が出来るらしいぞ』
その声で思い出してくる。太ったら逆戻りだと。今までだって辛いことを我慢してきたはずだと。この程度の天気、耐えなければならないと。俺は自分にそう言い聞かせた。
一歩踏み出すだけでも精一杯な風の強さ。雨はまるで滝のように降り、全身に強力な負荷がかかっているようだった。地面も水浸しを通り越して川のようになっている。もしこれがただの外出なら、この状況を呪うだろう。でもカロリー消費のことを考えればこのくらいの方が好都合だ。俺はレインコートのフード部分を深く被り、走り出した。
――走り始めて、どのくらい経っただろうか。距離は全然稼げていない。水の流れで足はとられてしまい、雨はさらに強くなって、顔を上げることも困難だった。この嵐のせいなのか、視界もぼやけてくる。体はもう限界だった。そしてひときわ大きな風が吹くと、何かがこちらに飛んできた。避ける間もなくそれは俺の頭に当たり、目の前が真っ暗になった――。
――目が覚めると、そこは知らない場所だった。俺は固めのベッドにいて、近くには仕切り用のカーテンや床頭台がある。ここは病室なのだろうか……。
「どうしよう……」
正気に戻り、最初に抱いた感情は大きな不安感だった。あの大嵐の中倒れて、そこから先の記憶がない。なのに病院にいるということは、誰かが通報したか何かあって、ここに運ばれたということだ。冷静に考えれば、あんな悪天候の中ダイエットのために走りに行くなんて愚かな行為だ。台風の中田んぼの様子を見に行く人がいれば物凄い勢いで叩かれるこの世の中、俺のしたことなんて非難されて当然だ。もしそれが大学の人達にまで伝わったら、馬鹿だなんだ言われて、またいじめられるのではないか。
不安と後悔が肥大していく中、ふと、大きな足音が聞こえてきた。しかもこちら側に近づいてきている。そして足音の持ち主はこの病室にやって来て、仕切りのカーテンを開けた。
「こう……すけ……?」
そこにいたのは、驚いた表情の母親だった。
「あ……」
俺は何か言い訳をしなければならないと思ったのに、口が動かなかった。それ以前に、言い訳そのものが思い浮かばなかった。
「本当に心配したんだから‼」
しかしそんな俺をよそに、母親は泣きそうな顔で叫んだ。
「え……」
てっきり叱られるかと思っていたのに。母親は大粒の涙を流していた。こんな母親を見て抱くべき感情ではないだろうが、少し安堵している自分がいた。そしてこの時になってようやく頭に包帯が巻かれていることに気付き、頭がズキズキと痛んだ。




