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 しかし、そんな喜びに満ちた日々も長くは続かなかった。大学も後期に入り、今は2限目を受けている……のだが、その内容が、全く頭に入ってこなかった。今日の朝食で摂取したカロリーが、いつもより100キロカロリー多くしてしまったのだ。どうやって消費しようかと、そのことばかり考えてしまう。


 ようやく講義も終わり、俺はすぐさま講義室を出ようとした。


「公助、今日も用事があるのですか?」


 しかしその前に、楓から呼び止められる。


「悪い……」


 俺は一言だけそう言い、楓から逃げるようにそこから離れた。

夏休みが明けてから楓とは一緒に昼食をとっていない。楓の食べているものと自分のものとのカロリーを比較してしまい、それが辛かったのが1つ。学食から漂う食べ物の匂いに食欲が刺激され、我慢できなくなりそうなのが1つ。そしてもう1つは……、カロリーを消費するためだ。


 色々な所まで走りに行ったが、何だかんだ大学の周りの道路が走りやすいことに気付いた。もう走ることへの苦手意識なんてない。逆に動いていないと気持ち悪いくらいだ。だが運動への拒否感は減っても、体の贅肉は残っている。それにただ痩せるだけでは駄目だ。筋肉も付けないとひ弱そうに見えて、またいじめられる。今は特に、コンプレックスである腹の膨らみを完全に消し、腹筋に変えたいくらいだった。昨日もSNSを眺めていたのだが、その中には綺麗なシックスパックの人がいた。無理なんじゃないかと思いつつも、俺もそんな風になりたいと思ってしまう。


 そんなことを考えながら走っていると、昼休みはあっという間に終わってしまった。だが今日は3限に講義は入っていない。俺はこのまま走り続けることにした。走っている方が空腹感も紛れるし、丁度良かったのだ。




 ――その日の晩。アパートでスマホを眺めていると、チャイムが鳴った。玄関に出てみれば、大きな段ボールを抱えた配達員がいた。俺はそれを受け取り、差出人を確認するより先に中を開けてみた。色々なものが入っているようだが、一番上には白い封筒に入った手紙が置いてあった。


『全然こっちに帰ってこないし、連絡も返してくれないから心配しています。公助の好きなものをいっぱい詰め込んだから、それ食べて元気出してね。くれぐれも体には気を付けて』


 よく見慣れた字、母親からの手紙だった。その文面を見ただけで、まるで声も聞こえてくるようだった。それを見て少しホッとしたが、すぐさま嫌な予感がした。


『好きなもの』『食べて』


 手紙の下のものたちをちゃんと見てみたら、中身は食べ物ばかりだった。しかも手紙のすぐ下には、ファミリーサイズのミルクチョコレートがある。これが俺の大好物なのは、母親もよく知っていた。だから入れたのは容易に想像がつく。でも甘いチョコレートなんて、もはや毒だ。糖質と脂質の塊だ。俺は段ボールを閉める。しかし段ボールと袋に入った状態でも、あのチョコレートの甘い香りが漂ってくる。


『食べたい』


『一口だけなら大丈夫だろ』


 そんな心の声が聞こえる。まあ、今日はいっぱい走ったし、一口だけならこの後筋トレなりなんなりすれば消費できるはず。俺はそう考え、再び段ボールを開け、ミルクチョコレートの袋も開封した。個包装になっているので、それも外す。そして1個だけ、口に放り込んだ。


「ん⁉」


 その瞬間、体中に電撃が走った。美味いなんてものじゃない。「恍惚感」とでも言うのだろうか、脳汁がドバドバとあふれ出すのが分かった。もっともっと、この快感を味わいたかった。俺はどんどんチョコレートを開封し口に運んでいく。そしてものの数分で大袋のチョコレートの袋は空になる。でも全然足りなかった。もっと食べたかった。さらに段ボールの中を漁れば、今度はサラダせんべいの袋が顔を出した。甘いものの次はしょっぱいものだ。これもチョコレートと違ってサクサクとした食感が心地よかった。そしてしょっぱいものを食べれば、また甘いものが欲しくなる。段ボールの中身を全て出してみれば、大きめのクッキー缶を発見する。それにも手を出す。クッキーを食べつつ、次は何にしようかと散乱した仕送りの中身を見る。長期保存用か、サバの缶詰も5つ入っていた。ペットボトルに入ったオレンジジュースもあった。他にも食べ物がたくさんあった。全部全部、胃の中に流し込みたかった――。




――「おえ……」


1時間後、俺は激しい腹痛と吐き気に襲われていた。途中から「美味い」より「気持ち悪い」の方が勝っていたのに手や口は止まらず、現在に至る。腹もはち切れそうなくらい苦しかった……。


「……げ」


 だが、目の前の惨状を見て、現実に戻る。ぐちゃぐちゃの包装紙や袋の残骸、空になった缶やペットボトルが散らばっているのだ。そしてもちろん、食べ物本体はない。すなわち、全て俺の胃の中にあるというわけだ。カロリーは……。考えただけでめまいがしてくる。これ以上ないくらいの絶望感、後悔の念が押し寄せてくる。しかし体は全く動かない。まぶたも重くなってきた……。



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