第9話「死神と花見酒」
「死神の仕事は、魂を回収することだ。美しいものを見る余裕はなかった」
「……そうか」
「でも、お前と一緒にいると、色々なものが見える」
クロハが俺を見上げた。
紫色の瞳が、まっすぐに俺を捉えている。
酔っているのに、その目だけはどこか真剣だ。
「桜も。花火も。温かいご飯も。全部、お前が教えてくれた」
「……」
「ありがとう」
俺は言葉に詰まった。
普段のクロハは、こんなことを言わない。
素直じゃないというか、感情を表に出すのが下手というか。
でも今は、酒の力もあってか、珍しく心の内を語っている。
「クロハ」
「何だ」
「俺の方こそ、ありがとう」
「……なぜお前が礼を言う」
「お前がいなかったら、俺は過労死してた。今、こうやって桜を見られるのも、お前のおかげだ」
クロハは少し目を丸くして、それから――
照れたように視線を逸らした。
「……別に。私は自分の仕事をしているだけだ」
「そうかもしれないけど、俺は感謝してる」
「……そうか」
クロハは小さく頷いた。
頬がさらに赤くなっている。酒のせいだけじゃないかもしれない。
---
風が吹いて、桜の花びらが舞った。
ひらひらと、俺たちの上に降り注ぐ。
「……誠一」
「何だ?」
「桜は、なぜ散るのだ」
クロハが、空を見上げながら言った。
その横顔に、花びらの影が落ちている。
「散らずに咲き続ければいいのに」
「散るから美しいんだよ」
「……意味が分からない」
「永遠に続くものはないから、今この瞬間が大切なんだ。桜が散るのを見ると、そう思う」
クロハは黙って俺を見つめた。
紫色の瞳が、何かを考えているように揺れている。
「永遠に続くものはない……」
「ああ」
「では、お前もいつかは死ぬのか」
俺は少し笑った。
「そりゃそうだろ。人間だからな」
「……」
「でも、それはまだ先の話だ。お前が俺の健康を管理してくれてるからな」
「そうだ」
クロハが頷いた。
その目が、少し真剣になる。
「私がお前を健康にして、長生きさせる。そして、豊かな魂に育てる」
「養殖の話か」
「養殖ではない」
クロハは少し膨れた顔をした。
「栽培だ」
「大して変わらないだろ」
「違う。養殖は魚だ。お前は植物だ」
「どっちにしても食べ物じゃないか」
俺たちは顔を見合わせて、少し笑った。
春の風が吹く。
桜の花びらが舞う。
クロハの銀髪が、ふわりと揺れる。
「……誠一」
「何だ」
「今日は、良い日だ」
クロハが、小さく微笑んだ。
無表情な彼女が見せる、ほんの僅かな笑み。
俺は、その笑顔を見るために生きているのかもしれない。
「ああ、いい日だな」
俺はクロハの頭を撫でた。
銀髪は、桜の花びらのように柔らかかった。
クロハは俺の膝の上で、そのまま眠ってしまった。
静かな寝息が聞こえる。
普段は死神としての威厳を保っているのに、今は無防備で幼く見える。
俺は空を見上げた。
満開の桜が、風に揺れている。
花びらが舞い落ちて、クロハの銀髪に絡まる。
「散るから美しい、か……」
俺は呟いた。
永遠に続くものはない。
だからこそ、この瞬間を大切にしたい。
死神と一緒に見る、二度目の春。
去年よりも、ずっと幸せな春だ。
クロハの寝顔を見下ろしながら、俺はそう思った。
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クロハが目を覚ましたのは、夕暮れ時だった。
「……ん」
「お、起きたか」
「……ここは」
「公園だよ。花見してたんだけど、お前、酔って寝ちゃったんだ」
クロハは慌てて起き上がった。
頬がまだ少し赤い。
「……私が、寝て?」
「ああ、俺の膝の上で」
「……」
クロハの顔がさらに赤くなった。
恥ずかしいのか、視線を逸らしている。
「な、何も言っていないだろうな」
「いろいろ言ってたぞ。『せいいちー』とか」
「……」
クロハは両手で顔を覆った。
耳まで真っ赤だ。
「忘れろ」
「無理だな」
「……」
クロハは俺を睨んだが、すぐに視線を逸らした。
「……次は、酔わない」
「無理だと思うぞ」
「次は、絶対に酔わない。死神の威厳を取り戻す」
「楽しみにしてるよ」
俺は笑いながら立ち上がった。
「さ、帰ろう」
「……待て」
クロハが俺の裾を掴んだ。
「何だ?」
「……また、来年も来るか」
「花見に?」
「ああ」
クロハは目を伏せながら、小さく言った。
「来年も。再来年も。その先も」
「……」
「桜が散っても、また来年咲く。そうだろう?」
「ああ、そうだな」
「だから、毎年見に来よう。二人で」
俺は少し考えて、頷いた。
「約束だ」
「……約束」
クロハが顔を上げた。
紫色の瞳が、夕焼けに照らされてきらきらと輝いている。
「破ったら、魂を刈り取る」
「おい」
「冗談だ」
クロハは無表情で言った。
……冗談に聞こえないんだが。
俺たちは公園を後にした。
夕焼けに染まった桜並木を、二人で歩く。
舞い落ちる花びらが、オレンジ色の光の中で踊っている。
「……誠一」
「何だ」
「今日は楽しかった」
クロハが、少しだけ微笑んだ。
「来年も、楽しみだ」
「ああ、俺もだよ」
俺はクロハの手を取った。
白くて細い、繊細な手。
でも、温かい。
クロハは少し驚いた顔をしたが、振り払わなかった。
代わりに、きゅっと握り返してきた。
死神との同棲生活、二年目。
毎日がこうやって、少しずつ幸せになっていく気がする。
来年も、きっとこの桜を見よう。
そう思いながら、俺たちは夕焼けの中を歩いた。




