第44話「死神とバレンタイン」
2月14日。
バレンタインデー。
朝から、クロハはそわそわしていた。
「どうした?」
「何でもない」
「嘘だろ」
「何でもないと言っている」
クロハは台所に消えていった。
何かコソコソやっている。
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仕事から帰宅すると、甘い香りが漂っていた。
「ただいま」
「おかえり」
クロハがエプロン姿で立っていた。
白いフリルのエプロン。
普段とのギャップがすごい。
「そのエプロン……」
「似合っているか」
「似合ってる」
「そうか」
クロハは少し嬉しそうだった。
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「誠一」
「なんだ」
「今日はバレンタインだな」
「ああ」
「チョコレートを渡す日だと聞いた」
「そうだな」
「……」
クロハは何かを持っている。
小さな箱だ。リボンが結ばれている。
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「これだ」
クロハは箱を差し出した。
手が少し震えている。
「開けてみろ」
俺が箱を開けると、チョコレートが入っていた。
ハート型のトリュフチョコ。
表面にはココアパウダーがまぶされている。
少し形が不揃いだが、丁寧に作られているのが分かる。
「……作ったのか」
「ああ。昨日から」
「昨日?」
「朝から夜まで、ずっと作っていた」
「……そんなに」
「お前のためだ」
俺は胸がじんとした。
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俺はチョコレートを一つ食べてみた。
口の中で、チョコがとろける。
カカオの苦みと、甘さのバランスが絶妙だ。
「……美味しい」
「本当か」
「ああ。本当に美味しい」
「……」
クロハは少しホッとした顔をした。
普段は無表情なのに、今は不安そうだったのが分かる。
「中にガナッシュを入れた」
「ガナッシュ?」
「クリーム状のチョコレートだ。調べた」
「すごいな、そんな本格的なもの」
「お前のためだからな」
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「何回か失敗した」
「失敗?」
「一回目は、テンパリングに失敗した」
「テンパリング?」
「チョコレートの温度調整だ。これを間違えると、艶が出ない」
「詳しいな」
「勉強した」
「……」
「二回目は、ガナッシュが固まらなかった。生クリームの分量を間違えた」
「……」
「三回目は、形成で崩れた」
「……」
「四回目で、やっと成功した」
「四回も……」
俺は言葉を失った。
クロハが、俺のために四回も作り直してくれたのか。
「頑張ったんだな」
「お前のためだ。当然のことだ」
「……ありがとう」
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「義理ではないぞ」
「え?」
「義理チョコというものがあると聞いた」
「ああ」
「これは義理ではない。本命だ」
「……」
クロハは真顔で言った。
照れている様子はない。
でも、耳が少し赤い。
「お前だけに渡すチョコレートだ」
「……」
「他の誰にも渡さない」
「……分かったよ。本命だな」
「そうだ」
「嬉しいよ」
「……」
クロハは少し照れたように視線を逸らした。
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「誠一」
「なんだ」
「チョコレート、もう一つ食べてもいいぞ」
「いいのか」
「全部お前のために作った」
「……じゃあ、もう一つ」
俺がもう一つ食べると、少し味が違った。
「これ、違う味だな」
「ああ。抹茶味だ」
「抹茶?」
「色々な味を作ってみた」
「すごいな」
「お前が好きな味を探したかった」
「……」
俺は感動して、言葉が出なかった。
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「誠一」
「なんだ」
「ちゃんと味わって食べろ」
「食べてるよ」
「味の違いが分かるか」
「分かる。抹茶は少し苦めで、さっきのは甘めだった」
「そうだ。正解だ」
クロハは嬉しそうに頷いた。
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夜。
俺たちはソファに並んで座っていた。
「誠一」
「なんだ」
「バレンタインの意味を調べた」
「ああ」
「好きな人に気持ちを伝える日だと」
「……そうだな」
「私は、お前が好きだ」
クロハは真っ直ぐ俺を見つめた。
紫色の瞳が、キラキラと輝いている。
「チョコレートに気持ちを込めた」
「……」
「伝わったか」
「伝わったよ」
「よかった」
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クロハが俺に寄りかかってきた。
「誠一」
「なんだ」
「今日は特別な日だから、特別なことをしたい」
「特別なこと?」
「キスしてもいいか」
「……いいよ」
俺はクロハの顔を両手で包んだ。
そして、唇を重ねた。
チョコレートの甘い香りがする。
柔らかくて、温かい唇。
「……っ」
「……」
唇が離れて、クロハは俺を見つめた。
「……もっと」
「……」
今度はクロハから俺にキスしてきた。
舌が触れ合う。深いキス。
クロハの手が俺の胸に当てられる。
心臓の上。
「……ドキドキしている」
「そりゃするよ」
「私のせいか」
「お前のせいだ」
「……そうか」
クロハは嬉しそうに微笑んだ。
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「来月はホワイトデーだな」
「ホワイトデー?」
「お返しを渡す日だ」
「お返し……」
「期待しててくれ」
「……分かった」
「絶対に、いいお返しを用意する」
「……楽しみにしている」
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「誠一」
「なんだ」
「お前の魂、すごく輝いている」
「チョコのおかげか」
「私の手作りだからだ」
「そうだな」
「気持ちが伝わったからだ」
「……伝わったよ」
「よかった」
クロハは満足そうに微笑んだ。
「来年も作る」
「頼むな」
「再来年も」
「ずっと楽しみにしてる」




