第31話「死神と永遠」
ある休日の午後。
突然、玄関のチャイムが鳴った。
「誰だろう」
「……」
クロハの顔色が変わった。
「どうした」
「……この気配は……」
俺がドアを開けると、そこには見知らぬ女性が立っていた。
黒いローブに、赤い髪、赤い瞳。
クロハと同じ雰囲気を持っている。
「やあ、クロハ。久しぶり」
「……アカネ」
クロハは驚いた顔をしていた。
「知り合いか?」
「同僚だ。第七課の回収担当」
「死神の同僚が来たのか」
「ああ……」
---
俺たちはリビングに移動した。
アカネと名乗る死神は、興味深そうに部屋を見回していた。
「へえ、人間界の家ってこんな感じなんだ」
「何の用だ、アカネ」
「つれないなあ。久しぶりに会った同僚にさ」
「……」
「シロガネ課長から、様子を見てこいって言われたんだよ」
「……課長が?」
「うん。『クロハが心配だ』ってさ」
「……」
クロハは少し照れたような顔をした。
---
アカネは俺をじっと見つめた。
「で、あなたが例の人間?」
「鈴木誠一です」
「へえ……普通の人間だね」
「普通で悪かったな」
「いやいや、褒めてるんだよ」
アカネはクロハを見て、ニヤリと笑った。
「クロハ、変わったね」
「……変わったか」
「うん、すごく変わった。表情が柔らかくなった」
「……そうか」
「前は氷みたいだったのに、今は……なんていうか、温かい」
「……」
クロハは少し照れたように視線を逸らした。
「この人間のおかげ?」
「……かもしれない」
「へえ……」
---
アカネは紅茶を飲みながら、俺たちの様子を観察していた。
「仲いいんだね、二人とも」
「……」
「クロハがこんなに誰かと仲良くしてるの、初めて見た」
「……そうか」
「三千年生きてきて、初めてでしょ?」
「……たぶん」
俺は驚いた。
「三千年で初めて?」
「クロハは昔から一匹狼だったからね。誰とも深く関わらなかった」
「……」
「それが今は、人間と一緒に暮らしてるなんて。みんな驚いてるよ」
「みんな?」
「第七課のメンバー。クロハが人間と同棲してるって、噂になってるんだよ」
クロハの耳が少し赤くなった。
「噂になっているのか」
「うん。『あのクロハが』ってね」
「……」
「でも、心配してる人が多いんだ。人間に感情移入しすぎて、大丈夫なのかって」
「……」
---
俺は口を挟んだ。
「俺は、クロハと一緒にいられて幸せです」
「……」
「死神だろうが、人間だろうが、関係ない。クロハはクロハだから」
「……」
「将来のことは分からないけど、今この瞬間は確かに幸せなんです」
アカネは俺を見つめた。
赤い瞳が、何かを測るように光っている。
「……そっか」
「……」
「いい人間だね、あなた」
「ありがとうございます」
「クロハが変わった理由、分かった気がする」
アカネはクロハに向かって微笑んだ。
「よかったね、クロハ。いい人間に出会えて」
「……ああ」
「課長には、『問題なし』って報告しておくよ」
「……ありがとう」
---
アカネが帰った後、クロハは少し疲れた顔をしていた。
「大丈夫か」
「……ああ」
「同僚に会うの、久しぶりだったのか」
「……半年ぶりだ」
「そうか」
俺はクロハの頭を撫でた。
「みんなに心配されてるんだな」
「……ああ」
「でも、アカネは認めてくれたみたいだ」
「……そうだな」
「俺たちの関係、問題ないって」
「……」
クロハは俺にもたれかかってきた。
「誠一」
「何だ」
「……ありがとう」
「何が」
「私を守ってくれて」
「守った?」
「アカネの前で、私のことを肯定してくれた」
「……」
「嬉しかった」
俺はクロハを抱きしめた。
「いつでも守るよ。お前のこと」
「……ああ」
「死神の世界でも、人間の世界でも」
「……」
「お前の味方だから」
---
ある朝。
いつものように、目が覚めた。
カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。
部屋は静かだ。
隣で、クロハが眠っている。
「……ん」
クロハが目を開けた。
紫色の瞳が、寝ぼけながらも俺を捉える。
「おはよう」
「……おはよう」
クロハは俺の隣にいる。
銀髪が枕に広がっている。
寝起きの無防備な顔。
いつもの朝だ。
いつもの光景だ。
---
俺たちは起き上がって、リビングに向かった。
クロハが朝食を作る。
俺はテーブルにお皿を並べる。
「今日はトーストだ」
「いいね」
「目玉焼きも作る」
「ありがとう」
いつもの会話。
いつもの日常。
トーストが焼けて、目玉焼きができて。
俺たちはテーブルに向かい合って座った。
「いただきます」
「いただきます」
いつもの言葉。
いつもの挨拶。
---
食事をしながら、クロハを見つめた。
銀髪が朝日に輝いている。
紫色の瞳が、トーストを見つめている。
無表情だが、どこか穏やかな顔。
三千歳の死神。
俺の同居人。
俺の……大切な人。
「どうした?」
「いや、なんでもない」
「見ていたろう」
「見てた」
「何を見ていたのだ」
「クロハを」
「……」
クロハは少し恥ずかしそうに視線を逸らした。
「朝から変なことを言うな」
「変じゃないよ」
「変だ」
「そうか」
---
食後。
俺は会社に行く準備をした。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「無理するなよ」
「お前がな」
「定時で帰ってこい」
「分かってる」
いつもの会話。
いつもの別れの挨拶。
でも、何気ない言葉が、とても大切に感じる。
---
仕事中も、ふとした瞬間にクロハのことを考えた。
今頃、何をしているだろう。
昼食は何を食べているだろう。
パン太郎と遊んでいるだろうか。
考えると、なんだか幸せな気分になる。
---
仕事が終わって、家に帰る。
「ただいま」
「おかえり」
クロハが、俺を迎えてくれる。
銀髪がふわりと揺れる。
紫色の瞳が、俺を見つめている。
「今日はカレーだ」
「おお、楽しみ」
「仲直りカレーの応用版だ」
「応用版?」
「少しアレンジした」
「どんなアレンジ?」
「食べてからのお楽しみだ」
クロハは少し得意げだった。
---
夕食。
カレーを食べる。
「……美味い」
「本当か」
「ああ、すごく美味い」
「リンゴを入れた」
「隠し味か」
「ネットで調べた」
「勉強熱心だな」
「お前のためだ」
クロハは照れたように視線を逸らした。
---
食後。
俺たちはソファに並んで座った。
クロハが俺に寄りかかってくる。
銀髪が俺の肩に触れる。甘い香りがする。
「……誠一」
「なんだ」
「もっと近くがいい」
クロハが俺の腕を引っ張って、自分の肩に回させた。
俺はクロハを抱き寄せる形になる。
「こ、こうか?」
「ああ。いい」
クロハは俺の胸に頭を乗せた。
細い体が、俺の腕の中に収まる。
「……温かい」
「お前こそ」
「人間は体温が高いな」
「死神は低いのか」
「ああ。だから、お前の体温が気持ちいい」
クロハの手が、俺の胸の上を這う。
心臓の上に手のひらを当てる。
「……ドキドキしているな」
「そりゃ、クロハがこんなに近いから」
「近いとドキドキするのか」
「するよ」
「では、もっと近くにいよう」
クロハが体を起こして、俺の上に覆いかぶさるように座り直した。
向かい合う形。顔と顔が近い。
「お、おい」
「何だ」
「近すぎないか」
「ドキドキするのだろう?」
「するけど……」
「ならいいではないか」
クロハの紫色の瞳が、すぐ目の前にある。
長い睫毛。薄い唇。甘い香り。
「……誠一」
「なんだ」
「キスしたい」
「……」
俺は答える代わりに、クロハの顔を両手で包んだ。
そして、唇を重ねた。
柔らかい。温かい。
クロハの唇は、いつも少し冷たいのに、今日は温かい。
「……っ」
クロハの手が、俺の首に回る。
細い腕が、俺を引き寄せる。
唇が離れても、すぐにまた重なる。
何度も、何度も。
---
キスが終わって、俺たちは息を整えていた。
クロハは俺の膝の上に座ったまま、俺の顔を見つめている。
頬が赤い。耳も赤い。
「……誠一」
「なんだ」
「お前との将来を考えると、胸がドキドキする」
「俺もだよ」
「結婚とか、子供とか、老後とか」
「……」
「全部、お前と一緒に過ごしたい」
俺はクロハの手を取った。
「俺も同じ気持ちだ」
「本当か」
「ああ。クロハとずっと一緒にいたい」
「死ぬまで?」
「死んだ後も、できれば」
「……それは、難しいかもしれない」
「でも、お前が魂を回収するんだろ?」
「ああ」
「じゃあ、死んだ後も会えるじゃないか」
「……」
クロハは少し目を丸くした。
「……そうか。確かにそうだな」
「だから、死んだ後のことは心配してない」
「……変な人間だな」
「お前に言われたくない」
俺たちは顔を見合わせて、笑った。
---
テレビをつけて、たわいもない話をする。
今日あったこと。明日の予定。週末の計画。
「そういえば、明日は天気がいいらしいぞ」
「どこかに行くか?」
「散歩でもしようか」
「いいな」
「近くの公園」
「桜は咲いているかな」
「もうすぐ咲くかもしれない」
「楽しみだな」
たわいもない会話。
でも、幸せな時間。
---
夜。
寝る前に、ベランダで星を眺めた。
二人で並んで立っている。
手を繋いでいる。
星が瞬いている。
「誠一」
「なんだ」
「今日も魂が輝いているぞ」
「そうか」
「毎日、輝いている」
「お前のおかげだよ」
「私のおかげか」
「ああ。クロハがいるから、俺の毎日は輝いている」
「……」
クロハは少し照れたように微笑んだ。
---
俺たちはベッドに入った。
布団の中で、手を繋ぐ。
暗闘の中で、お互いの温もりを感じる。
「おやすみ」
「おやすみ」
いつもの言葉。
いつもの一日の終わり。
でも、この「いつも」が、俺たちにとっての「永遠」なんだと思う。
---
明日も、明後日も、その次の日も。
きっと、こうやって一緒に過ごす。
朝起きて、「おはよう」と言って。
ご飯を食べて、「いただきます」と言って。
仕事に行って、「行ってらっしゃい」と言って。
帰ってきて、「おかえり」と言って。
夜になって、「おやすみ」と言って。
毎日、同じことの繰り返し。
でも、それが幸せだ。
いつもの日常。
いつもの二人。
それが、永遠だ。
---
「誠一」
暗闘の中で、クロハの声がした。
「なんだ」
「今日も魂が輝いていたぞ」
「そうか」
「明日も輝けよ」
「お前のおかげだからな」
「……そうか」
「明日も、明後日も、その先も。クロハがいてくれたら、俺は輝き続けるよ」
「……」
クロハが俺の手をきゅっと握った。
「私も、お前のおかげで輝いている」
「死神も輝くのか」
「お前といると、輝く」
「……そうか」
「だから、ずっと一緒にいろ」
「言われなくても」
---
俺はクロハを抱きしめた。
小さな体が、俺の腕の中にすっぽり収まる。
温かい。
「おやすみ、クロハ」
「おやすみ、誠一」
静かな夜。
穏やかな眠り。
今日も魂が輝いている。
お前のおかげだよ。
そう思いながら、俺は眠りについた。




