第26話「死神と記念日」
同棲二周年の記念日が近づいていた。
その日、クロハは死神課への定期報告に出かけた。
「行ってくる」
「頑張れ」
「業務報告だ。頑張るものではない」
「まあ、そうか」
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死神第七課。
クロハはシロガネ課長の前に座っていた。
「定期報告か」
「はい」
「状況はどうだ」
シロガネは白い目で書類を眺めていた。
相変わらず、表情が読めない。
「順調です」
「対象人間の魂は」
「輝いています」
「そうか」
シロガネは書類にサインをした。
「顕現権を取得してから、もう二年か」
「はい」
「お前が顕現権を申請してきたとき、私は懐疑的だった」
「……」
「人間と共に外出したいなど、死神らしくないと思った」
「……すみません」
「謝る必要はない」
シロガネはクロハを見つめた。
「結果を見る限り、良い判断だったようだ」
「え……?」
「お前の報告書、以前より感情が豊かになっている」
「……そうですか」
「死神としては少々問題だが……まあ、悪くはない」
シロガネは珍しく、口元を緩めた。
「あの人間は元気か」
「……はい。元気です」
「そうか。よろしく伝えておけ」
「……はい」
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帰宅後、クロハは俺に報告した。
「シロガネ課長が、よろしくと言っていた」
「え、あの厳しい課長が?」
「ああ」
「珍しいな」
「私も驚いた」
クロハは少し照れたように視線を逸らした。
「……お前との生活を、認めてくれたのかもしれない」
「そうか」
「……嬉しい」
「俺も嬉しいよ」
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同棲二周年の記念日。
俺はこの日のために、密かに準備を進めていた。
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仕事帰り、俺は花屋に寄った。
「赤いバラを一輪ください」
「かしこまりました。プレゼント用ですか?」
「はい」
「素敵ですね。大切な方へですか」
「……まあ、そんなところです」
俺は照れながら、バラを受け取った。
クロハは俺を待っているはずだ。
今日は、クロハに内緒でディナーの準備もしている。
近所のイタリアンレストランに予約を入れた。
……緊張する。
二年も一緒にいるのに、記念日となると特別な気分だ。
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帰宅。
「ただいま」
「おかえり」
クロハが、いつも通り俺を出迎えた。
……いや、いつもと少し違う。
「クロハ、その服……」
クロハは、見覚えのないワンピースを着ていた。
紺色の、少しフォーマルなデザイン。
普段より大人っぽい印象だ。
「新しく買った」
「どこかに出かけるのか?」
「お前と出かける」
「え?」
「今日は記念日だろう」
俺は驚いた。
「覚えてたのか」
「当然だ。二年前の今日、お前は死にかけた」
「そこからかよ」
「そして、私がお前を生き返らせた。記念すべき日だ」
「……まあ、確かに」
クロハは少し得意げだった。
「準備はできている」
「準備?」
「私もお前に贈り物がある」
「マジで?」
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俺たちはリビングに座った。
まず、俺から。
「これ、記念日のプレゼント」
俺はバラを差し出した。
赤いバラ一輪。シンプルだが、想いを込めた。
「……」
クロハはバラを受け取って、じっと見つめた。
「綺麗だ」
「気に入ってくれたか?」
「ああ。とても」
クロハはバラの香りを嗅いだ。
その仕草が、なんとも言えず優雅だった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
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次に、クロハから。
「私からも、贈り物がある」
クロハは紙袋を取り出した。
中から、何かを引っ張り出す。
「……マフラー?」
手編みのマフラーだった。
紺色の糸で編まれた、シンプルなデザイン。
「作った」
「え、クロハが?」
「ああ。編み物を覚えた」
「いつの間に……」
「秘密で練習した」
俺はマフラーを受け取った。
手触りが良い。丁寧に編まれている。
「すごいな、これ」
「下手だろうか」
「いや、全然。上手だよ」
「……本当か」
「ああ、本当に」
クロハは少しほっとした顔をした。
「何度も編み直した。最初は穴だらけだった」
「そうなのか」
「糸も何回か絡まった。イライラして、鎌で切りそうになった」
「それはやめてくれ」
「だが、完成させた」
「偉いな」
「お前のために、頑張った」
俺は胸がじんとした。
「ありがとう、クロハ」
「いい」
「大切にするよ」
「……そうか」
クロハは照れたように視線を逸らした。
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夜。
俺たちはレストランに向かった。
イタリアン料理店。
キャンドルが灯り、静かな音楽が流れている。
白いテーブルクロス、銀のカトラリー、花が飾られた窓辺。
「……良い雰囲気だな」
「だろ? 実は一ヶ月前から予約しておいたんだ」
「一ヶ月前?」
「人気店だからな。記念日に間に合うように、早めに予約した」
「……そこまで考えていたのか」
「まあ、今日は特別な日だから」
クロハは少し驚いた顔をした。
でも、すぐに嬉しそうな表情になった。
「……ありがとう」
「いいよ。クロハのためだから」
俺たちは席に着いた。
向かい合って座り、メニューを見る。
「何を頼む?」
「分からない。お前が決めてくれ」
「実は、シェフおまかせのフルコースを予約してあるんだ」
「フルコース?」
「前菜からデザートまで、全七品。クロハに色々食べてもらいたくてさ」
「……」
クロハは黙って俺を見つめた。
紫色の瞳が、キャンドルの光を映して揺れている。
「……お前は、いつからこんなに気が利くようになったのだ」
「成長したんだよ、二年間で」
「……そうか」
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まず、シャンパンが運ばれてきた。
「乾杯しようか」
「ああ」
俺たちはグラスを持ち上げた。
グラス同士は触れさせない。静かに、お互いを見つめながらグラスを掲げる。
これが正式なマナーだと、事前に調べておいた。
「二周年に」
「二周年に」
シャンパンの泡が、グラスの中で踊っている。
クロハが一口飲んで、目を細めた。
「……美味しい」
「よかった」
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料理が運ばれてきた。
まず、アミューズ。
小さなグラスに入った、トマトの冷製スープ。
真っ赤なスープの上に、バジルのオイルが緑色の渦を描いている。
一口で飲み干すと、トマトの甘みと酸味が口の中に広がる。
「……爽やかだ」
「食前に口を整えるためのものらしい」
「なるほど」
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次に、前菜。
生ハムとメロンのサラダ。
薄くスライスされた生ハムが、オレンジ色のメロンの上に柔らかく乗っている。
ルッコラの緑、バルサミコソースの黒、パルメザンチーズの白。
色彩が美しい。
クロハがフォークで一切れ取り、口に運んだ。
「……甘いのと塩辛いのが、合う」
「生ハムメロンって定番だけど、やっぱり美味いよな」
「なぜこの組み合わせを思いついたのだろう」
「さあ。でも、最初に試した人は天才だな」
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スープ。
きのこのポタージュ。
クリーミーな白いスープに、トリュフオイルが一滴垂らされている。
芳醇な香りが立ち上る。
クロハがスプーンを口に運んだ瞬間、目を見開いた。
「……これは」
「どうした?」
「……信じられないくらい美味しい」
「マジか」
「きのこの旨味が、凝縮されている。トリュフの香りが、鼻に抜ける」
俺も一口飲んでみた。
確かに、濃厚で深い味わいだ。
「本当だ。すごいな」
「このスープだけで、来た甲斐がある」
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パスタ。
手打ちのタリアテッレ。ボロネーゼソース。
幅広の麺に、肉の旨味がたっぷり染み込んだソースが絡んでいる。
パルメザンチーズがふりかけられ、パセリの緑がアクセントになっている。
クロハがフォークでパスタを巻き取った。
その動作が、どこか優雅だ。
「……美味しい」
「だろ?」
「麺がもちもちしている。ソースが濃厚だ」
「手打ち麺は違うよな」
「ああ。これは……家では再現できない」
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魚料理。
真鯛のポワレ。
皮目がカリカリに焼かれた鯛が、白ワインソースの上に乗っている。
付け合わせは、季節の野菜のグリル。
ズッキーニ、パプリカ、マッシュルーム。
「……魚も出るのか」
「フルコースだからな」
「贅沢だな」
「今日は特別だから」
クロハがナイフで鯛を切る。
中まで火が通っているのに、身はしっとりと柔らかい。
「……絶妙な火加減だ」
「プロの技だな」
「ああ。死神の厨房にはこんな料理人はいない」
「死神にも厨房があるのか」
「ある。だが、あまり美味しくない」
「そうなのか」
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メインディッシュ。
和牛フィレステーキ。ミディアムレア。
切り口から、美しいピンク色が覗いている。
赤ワインソース、マッシュポテト、インゲンのソテーが添えられている。
ナイフを入れると、驚くほど柔らかい。
肉汁が、じゅわっと溢れ出す。
クロハが一切れを口に入れた瞬間、動きが止まった。
「……」
「どうした」
「……口の中で溶けた」
「マジか」
「嘘ではない。本当に溶けた」
俺も一切れ食べてみた。
……確かに、舌の上でとろけるように消えていく。
「すげえな、これ」
「今まで食べた牛肉の中で一番美味しい」
「同感だ」
「……誠一」
「なんだ」
「この店を予約してくれて、ありがとう」
「……どういたしまして」




