第21話「死神と料理」
「誠一」
夕方。
仕事から帰ってきた俺を、クロハが出迎えた。
「今日は私が夕食を作る」
「え、マジで?」
「ああ。新しい料理に挑戦する」
クロハは自慢げに言った。
……自慢げ、に見える。無表情だが、なんとなく。
「何を作るんだ?」
「ハンバーグ」
「おお、本格的だな」
「料理本で勉強した。完璧な手順で作る」
クロハは胸を張った。
死神が料理本で勉強している姿を想像すると、なんだか微笑ましい。
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俺はリビングでテレビを見ながら、クロハの料理を待っていた。
キッチンから、カチャカチャと音がする。
ひき肉を捏ねる音、玉ねぎを刻む音、フライパンが熱される音。
順調そう――
と思った矢先。
ジュワアアアアアッ!
激しい音がした。
続いて、煙がモクモクと上がってくる。
「クロハ!?」
「問題ない。想定内だ」
クロハの声が聞こえるが、煙がすごい。
俺は慌ててキッチンに向かった。
「おい、大丈夫か!?」
キッチンは煙で充満していた。
フライパンから火柱が上がっている。
「クロハ! 火事になるぞ!」
「慌てるな。死神は火には強い」
「俺は人間だから弱いんだよ!」
俺は慌てて火を消した。
フライパンの中には、真っ黒に焦げた何かがあった。
「……これがハンバーグか」
「だった」
「過去形だな」
クロハは無表情だが、どこか落ち込んでいるように見える。
「火加減を間違えた」
「強火にしすぎだな」
「料理本には『強火で焼く』と書いてあった」
「最初は強火で、途中から弱火にするんだよ」
「……そうなのか」
「続きがあったはずだ」
「……読み飛ばした」
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仕切り直し。
「もう一回作る」
「手伝おうか?」
「いらない。自分でやる」
クロハはむきになって言った。
無表情だが、頬が少し膨らんでいる。
失敗が悔しかったのだろう。
「絶対に成功させる」
「頑張れ」
「励ますな。プレッシャーになる」
「……分かった」
クロハは再び材料を取り出した。
ひき肉、玉ねぎ、卵、パン粉。
……と、その時。
クロハがエプロンを着けているのに気づいた。
白いエプロン。フリルのついた、可愛らしいデザイン。
いつもの黒い服と対照的で、なんだかギャップがある。
「クロハ、そのエプロン……」
「買った。料理には必要だと聞いた」
「似合ってるぞ」
「……そうか」
クロハは少し照れたように視線を逸らした。
エプロン姿のクロハ。
銀髪がさらりと揺れる。細い腰をエプロンの紐が結んでいる。
フリルの下から覗く、華奢な体のライン。
「……誠一」
「な、なんだ」
「どこを見ている」
「い、いや、エプロンを……」
「エプロンの、どこを」
「全体的に」
「……変態」
「褒めただけだろ」
クロハは無表情で俺を見た。
でも、耳が赤い。
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「今度は慎重にやる」
「頼むぞ」
俺はキッチンの近くで見守ることにした。
クロハは玉ねぎをみじん切りにしている。
ザクザクと音がする。
真剣な表情で、一生懸命に包丁を動かしている。
途中で涙が出てきた。
「……辛い」
「玉ねぎだからな。涙が出るんだ」
「なぜこんな効果があるのだ。野菜のくせに」
「硫化アリルっていう成分のせいだ」
「……殺意を感じる」
「野菜に殺意はないぞ」
クロハは涙を拭いながら、玉ねぎを切り続けた。
その姿が、なんだか健気で可愛らしい。
「……クロハ」
「何だ」
「頑張ってるな」
「当然だ。お前のために作っているのだから」
クロハはさらりと言った。
何でもないように、当然のように。
俺は、心臓がドキッとした。
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次に、玉ねぎをフライパンで炒める。
「今度は弱火だ」
「そうそう」
「……できた」
玉ねぎがきつね色になった。
順調だ。
次に、ひき肉と混ぜる。
「卵も入れる」
「うん」
「パン粉も入れる」
「うん」
「塩と砂糖を……」
クロハは調味料に手を伸ばした。
「待て」
「何だ」
「それ、塩と砂糖、間違えてない?」
「……」
クロハは手元を見た。
右手に砂糖、左手に塩。
そして、すでに入れた方は――
「……入れた」
「どっちを」
「砂糖だ」
「塩と間違えたのか」
「……ああ」
クロハは落ち込んだ顔をした。
無表情だが、肩が下がっている。
「まあ、少しなら大丈夫だろ」
「本当か」
「多分」
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ハンバーグの形に成形して、焼く。
「今度は火加減に気をつけろよ」
「分かっている」
クロハは慎重にフライパンを見つめている。
真剣な表情だ。
ジュウ……ジュウ……
美味しそうな音がする。
「いい感じだな」
「……焼けているか」
「焼けてる焼けてる」
「焦げないか」
「大丈夫」
クロハは不安そうにフライパンを覗き込んでいる。
普段は自信満々なのに、料理になると弱気になるらしい。
数分後。
「ひっくり返す」
「頑張れ」
クロハはフライ返しでハンバーグを持ち上げた。
そして、ひっくり返す。
……成功。
「できた」
「おお、綺麗に返せたな」
「ふふ」
クロハが少し得意げに笑った。
珍しい。料理で笑顔を見るのは初めてだ。
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完成。
皿の上に、ハンバーグが乗っている。
形は少しいびつで、左右非対称だが、それがむしろ手作り感を醸し出している。
表面には綺麗な焼き色がついていて、肉の香ばしい匂いが漂っている。
付け合わせにブロッコリーとミニトマト。彩りも考えている。
「食べてくれ」
クロハがハンバーグを俺の前に置いた。
ドキドキしているように見える。
紫色の瞳が、俺の反応を待っている。
俺はナイフとフォークを手に取った。
ハンバーグにナイフを入れると——
じゅわっと肉汁が溢れ出た。
透明な脂と旨味が混ざり合った、黄金色の液体。
「おお、いい感じだな」
「……」
クロハは黙って、俺を見つめている。
期待と不安が入り混じった目だ。
両手を胸の前で組んで、祈るようなポーズ。
俺は一口、口に入れた。
まず、肉の旨味が広がる。
合い挽き肉のジューシーさ、玉ねぎの甘み、スパイスの香り。
噛むたびに肉汁が溢れ出して、口の中に幸福感が広がる。
外はカリッと、中はふんわり。理想的な食感だ。
「……」
「どうだ」
「……」
ただ、少し甘い。
砂糖を間違えて入れたせいだろう。
でも、不思議と嫌な甘さじゃない。むしろ、どこか優しい味がする。
クロハの頑張りが伝わってくるような、そんな味だ。
「美味い」
「……本当か」
「ああ、本当に美味いよ」
クロハの目が、きらりと輝いた。
「少し甘いけど、それもアリだ」
「砂糖のせいか……」
「でも、肉汁もちゃんと出てるし、焼き加減も完璧だ」
「……」
「ちゃんとハンバーグになってる」
クロハは嬉しそうに微笑んだ。
無表情な彼女が見せる、とびきりの笑顔。
「良かった」
「次はもっと上手く作れるよ」
「ああ。次は塩を間違えない」
「頼むな」
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食後。
「誠一」
「なんだ」
「料理は難しい」
「最初はみんなそうだ」
「でも、失敗しても、お前が食べてくれる」
「まあ、毒じゃなければ食べるよ」
「毒? 私は毒は使わないが」
「比喩だよ」
クロハは少し考えて、頷いた。
「また作る」
「楽しみにしてる」
「次は失敗しない」
「期待してるよ」
「……誠一」
「なんだ」
「お前の魂、今、輝いている」
「……また、それか」
「ハンバーグを食べた時より、今の方が輝いている」
「そうか」
「なぜだ」
「さあ」
俺はとぼけた。
本当の理由は、クロハの笑顔を見たからだ。
でも、それは言わなくても分かっているだろう。




