第11話「死神と花火」
夏。
今年も夏祭りの季節がやってきた。
「……去年は散々だったな」
俺は浴衣を着ながら、そう呟いた。
去年の夏祭り。
クロハにとって初めての祭りだった。
浴衣の着付けに手間取り、りんご飴を顔中に付け、迷子になりかけ。
帰る頃にはクロハがむくれていて、俺は翌日から三日間口をきいてもらえなかった。
「今年こそリベンジだ」
「リベンジ?」
クロハが、自分で浴衣を着ながら首を傾げた。
「去年は準備不足だったからな。今年はちゃんと楽しめるようにする」
「ふむ」
クロハは頷いて、帯を結び始めた。
……自分で着られるようになったんだな。
去年は俺が着付けを手伝って、大変だったのに。
「……どうだ」
クロハが振り返った。
紺色の浴衣に、白い朝顔の模様。
銀髪をアップにまとめて、うなじが見えている。
白い肌に浴衣がよく映えて――
「……綺麗だ」
思わず、本音が漏れた。
「そうか」
クロハは無表情だが、耳が少し赤い。
照れているのかもしれない。
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夕暮れ時、俺たちは祭り会場に着いた。
出店が並び、提灯が揺れ、人々の喧騒が聞こえる。
浴衣姿の男女、はしゃぐ子供たち、露店の呼び込み。
「去年より人が多い」
「人気の祭りだからな」
「はぐれないようにしないと」
クロハが俺の袖を掴んだ。
小さな手が、俺の浴衣の袖をしっかり握っている。
「……」
心臓がどきっとした。
クロハがこういう行動をとるのは珍しい。
「行こう」
「ああ」
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まずは、りんご飴。
「去年は顔中に付けたからな」
「あれは飴が溶けたせいだ。私のせいではない」
「飴を舐めすぎて溶けたんだろ」
「……」
クロハは黙ってりんご飴を受け取った。
今度は慎重に、少しずつ舐めている。
赤い飴が、クロハの唇に当たる。
薄いピンク色の唇が、飴を包み込む。
舌がちらりと見えて――
「……」
俺は視線を逸らした。
何を見てるんだ、俺は。
「誠一も食べないのか」
「お、おう、食べる」
俺もりんご飴を買って、並んで歩いた。
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次に、焼きそば。
「これは美味い」
「だろ? 祭りの定番だからな」
クロハはもぐもぐと焼きそばを食べている。
ソースが口の端に付いている。
「クロハ、口」
「ん?」
「ソースついてる」
俺は指でクロハの口元を拭った。
柔らかい唇に、指先が触れた。
「……」
クロハが目を丸くして、俺を見つめた。
紫色の瞳が、驚いたように揺れている。
俺も自分の行動に驚いていた。
なんで自然にそんなことをしてしまったんだ。
「す、すまん。つい……」
「……別に」
クロハは視線を逸らして、焼きそばに視線を戻した。
でも、耳が赤くなっているのが見えた。
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そして、射的。
「あれは何だ」
「射的だよ。銃で的を倒すんだ」
「やりたい」
クロハは迷わず射的の台に向かった。
銃を構えて、的を狙う。
その姿が、なんだかとても様になっている。
浴衣姿で銃を構える銀髪の美少女。
異様な絵面だが、どこか格好いい。
パン。
クロハが引き金を引いた。
弾は見事に的を貫き――
棚の商品が、バタバタと倒れていった。
「……」
俺は唖然とした。
一発で五つくらいの景品が落ちている。
「クロハ、お前……」
「的が多い。もう一発」
パン。パン。パン。
クロハは次々と的を撃ち抜いていく。
驚異的な命中率だ。
店のおじさんが青ざめている。
「お、お客さん、もう勘弁してください……」
「まだ弾がある」
「いいから! 景品全部持っていっていいから!」
結局、クロハは大量のぬいぐるみを手に入れた。
両手いっぱいの景品を抱えて、満足そうにしている。
「射的は良い。戦闘訓練に近いものがある」
「お前、死神だもんな……」
「鎌を振るうのと原理は同じだ」
「いや、だいぶ違うと思うけど……」
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花火の時間が近づいてきた。
「良い場所を取ろう」
「ああ」
俺たちは河川敷に移動して、シートを広げた。
周りにはたくさの人がいるが、俺たちのスペースは確保できた。
「去年は、花火が始まる前に帰ったんだったな」
「……むくれていたからな」
「今年は最後まで見られそうだ」
「ああ」
クロハが空を見上げている。
まだ花火は始まっていないが、期待に胸を膨らませているようだ。
そして――
ドーン。
最初の花火が上がった。
「……っ!」
クロハが息を呑んだ。
夜空に大輪の花が咲く。
赤、青、黄色、緑。
色とりどりの光が、闇を彩る。
「綺麗……」
クロハが呟いた。
紫色の瞳に、花火の光が映り込んでいる。
銀髪が、カラフルな光を受けてきらきらと輝いている。
俺は花火よりも、クロハの横顔を見つめていた。
普段は無表情なのに、今は目を輝かせている。
三千歳の死神が、まるで子供のように花火に見入っている。
その姿が、なんとも言えず愛おしい。
「誠一」
「なんだ?」
「花火とは、何のためにあるのだ」
「……楽しむためだよ」
「それだけか」
「それだけだ。綺麗なものを見て、楽しんで、それで終わり」
クロハは少し考えて、頷いた。
「そうか。人間は、無意味なことに価値を見出すのだな」
「無意味じゃないさ。綺麗なものを見ると、心が豊かになる」
「……そうか」
ドーン。ドーン。ドーン。
次々と花火が上がる。
夜空いっぱいに広がる光の芸術。
歓声が上がり、拍手が響く。
「誠一」
「なんだ」
クロハが俺の方を向いた。
花火の光が、クロハの顔を照らしている。
紫色の瞳が、いつになく柔らかく見える。
「ありがとう」
「え?」
「連れてきてくれて、ありがとう」
クロハは少し微笑んだ。
無表情な彼女が見せる、ほんの僅かな笑み。
俺は、その笑顔のために生きているのかもしれない。
「……どういたしまして」
「来年も来よう」
「ああ、来年も来よう」
俺たちは並んで花火を見上げた。
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花火大会のクライマックス。
大量の花火が一斉に打ち上がる。
ドドドドドーン!
夜空が、光で埋め尽くされる。
まるで昼間のように明るい。
「……凄い」
クロハが呆然と呟いた。
その時、風が吹いた。
クロハの浴衣の裾が揺れ、銀髪がふわりと舞う。
俺は、なんとなくクロハの手を取った。
「……」
クロハが俺を見た。
紫色の瞳が、驚いたように揺れている。
「……誠一?」
「いや、なんとなく」
「……」
クロハは何も言わず、俺の手を握り返した。
小さくて温かい手。
華奢で繊細な指が、俺の手を握っている。
俺たちは手を繋いだまま、最後の花火を見上げた。
大輪の花が咲き、ゆっくりと散っていく。
まるで桜のように、儚く消えていく。
「……誠一」
「なんだ」
「これも、散るから美しいのか」
「……そうだな」
「だから、今この瞬間が大切なのか」
「……ああ」
クロハは俺の手をきゅっと握った。
「……そうか」
最後の花火が消えて、夜空が暗闇に戻った。
祭りの喧騒が、少しずつ静まっていく。
でも、俺たちは手を繋いだまま、もう少しだけその場にいた。
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帰り道。
「誠一」
「なんだ」
「今日は、楽しかった」
クロハが、満足そうに言った。
大量のぬいぐるみを抱えて、少し幸せそうだ。
「去年のリベンジは果たせたか?」
「ああ。十分だ」
「そうか、よかった」
俺たちは並んで歩いた。
提灯の明かりが、俺たちを照らしている。
夏の夜風が、心地よく頬を撫でる。
祭りの余韻が、まだ体の中に残っている。
「誠一」
「なんだ」
「お前の魂、今、すごく輝いている」
「……また、それか」
「私と一緒にいると、どんどん良くなる。良い傾向だ」
俺は苦笑いした。
輝いている理由は、多分花火のせいじゃない。
クロハと過ごす時間が、楽しいからだ。
でも、それは言わないでおこう。
「……来年も、花火を見よう」
「ああ、来年も見よう」
「再来年も」
「ああ」
「その次も」
「……分かったよ。毎年見ような」
クロハは小さく微笑んだ。
死神との同棲生活、二年目の夏。
去年よりも、ずっと楽しい夏だった。




