幕の裏側/お嬢様の悪巧み
倖斗と隆惺が【くだん】と対峙していた、同時刻。
理恵子は丑前田を伴い藤宮の座敷牢へと来ていた。目的は勿論、面会である。
「ごきげんよう。名無しの権平さん。お前がわたくしたちのユキを誑かした痴れ者かしら」
丑前田の持つ提灯がぼうっと格子を照らせば、壁にもたれかかる一人の青年の姿が浮かび上がった。甘やかな目元のホクロが印象的なくせに、水のように記憶に残らない顔立ちをしている。【怪人】として倖斗が捕らえた男だ。
「こりゃ驚いた。お姫様の方が来るか。来るなら名探偵のほうかと思ってたぜ」
男はちらとも驚いた顔をせずそんなことを言った。なるほど、食えないことだ。
「ふふ。自分を二度も殺したものの顔くらい、見ておきたいじゃない」
「それが酔狂ってんだよなあ。んで? それだけじゃねえだろ」
「あら。それだけじゃいけない?」
ぎらりとした目を向けられ、理恵子は肩を揺らして笑った。
「ここが小洒落た店だってんなら『それだけ』もあるだろうが、地下牢にくるなんてのはあんたらみたいな貴種は滅多にやらねえだろ」
話に聞いていたよりも口が悪い。だが悪意が声にのっていない分、妙な清々しさがある。
「そうでもないわよ。わたくしも隆惺も興味があるものがそこにあるなら墓場を掘るのも肥溜めに飛び込むのも厭わないから」
「は。そういうのはやってから言いな、お嬢さん」
「残念。どちらも実体験よ。ちなみに前者では副葬品扱いされていた女児を、後者では死にかけの犬を見つけたわ」
当然、やった後は隣の丑前田や虎堂にたっぷりと怒られた。だが、この悪癖とも言える迎え癖は時折、よい掘り出し物との縁を繋いでくれる。
「……そうやって倖斗のことも見つけたってわけ」
どこか眩しいものを思い出すような顔をする男に、理恵子はころころ笑うような声を返した。
「ええ。羨ましい?」
「別に? ……ところでそっちのお姉さん、随分と背ぇ高いですね。【くだん】のやつも背が高いですが、あの二人だけで大丈夫ですか?」
「おや。そうなんですか。ならわたしの弟かもしれないですね。随分前に攫われてしまって行方知れずなんですよ」
いつもの柔和な様子を崩さない丑前田の打てば響くような反応に、男が「おっと」とわざとらしく身を揺らした。
「そりゃ大変だ。今すぐ会いに行かねえと、逃げられて確かめることもできないぜ?」
ふうん、と理恵子が目を細めた。
「話題の逸らし方が下手ね、そんなにユキのこと可愛がってくれていたのかしら。でも大丈夫よ。あの子が強いの、おまえも知っているでしょう?」
「わからねえぜ。【くだん】の予言は本物だからな。手間取っているかも」
「予言については真、手間取っているは偽ですね」
すぱん、と立て板に水を流すような男の言葉を断ち切ったのは、にこにこと目元を緩ませたままの丑前田だった。断言された言葉に口元を引きつらせた男とは反対に、当たり前のように理恵子は微笑む。
「ありがとう、頼子」
「……はーん。丑前田っていえば白澤の血が有名だが、アンタは違うな?」
半眼になった男に、ふんっと丑前田が恰幅のいい体を揺らす。
「昔からさかしまの言葉になんだか敏感なだけですよ。どこかで牛鬼の血でも入ったんでしょう。丑前田はいろいろ混ざってるんです」
「だから弟さんも【クタベ】なのでしょう?」
ころころと笑いながら顔を覗き込んできた理恵子のかわいらしい顔に、丑前田は目元を和ませた。
「ええ。お嬢様がお許しくださるんなら、今度牢に会いに行ってまいりますね。本物かはわかりませんが」
「いいわよ。もしも【クタベ】だったら教えてね。やっぱり【くだん】ではなかったじゃないって隆惺に自慢してやるの」
きゃっきゃとはしゃぎ合う主従に、ごっそり体力を削られたとでも言わんばかりに男が肩を落とす。
「えー……再犯とか疑わないんですか、おたく」
「わたくし、人を見る目があってよ。それにもしもまた魔が差しても、隆惺はもう相手の傾向を覚えたわ。あれに再犯は通じないの」
笑う理恵子の紫の瞳は透き通り、まるですでに悠久の時を生きてきたかのような聡明さに満ちている。
無邪気で悪戯心に満ちた笑みのまま、少女がおねだりする子供の用に両手を合わせて小首を傾げた。
「早く戻らないと眠る時間が無くなってしまうから、手短に言うわね。ねえお前、藤宮のものにならない?」
「は?」
目を見開いた男に、ひらりと理恵子が手を振る。
「あら、勘違いしないでちょうだいね。別に許すわけじゃないわ。痛かったし、苦しかったし、死ぬかと思ったし。そんなことをされて許すほどな聖人ではなくってよ。殿下じゃあるまいし」
「……じゃあなんのつもりだよ」
「此度のことでわたくしをいとも容易く、それも何度も殺してみせたお前の技能をこのような地下牢で腐らせるのも勿体無いじゃない。それから何より、お前がわたくしを殺せる人間だからよ」
夢見る少女のような笑みと口調のまま、理恵子が言う。
「わたくし、じきに本当の不死身になるわ。そしてこの国で最も狙われる立場になる。それはつまり、わたくしが死なないことを良いことに、痛みと苦しみを寄越してくる外道がごまんと出てくるということよ。その時に迷わず介錯して、その上で何も思わぬものが欲しいの」
そこまで言って、理恵子の顔からすとんと表情が消えた。ただ紫の目に、強い決意だけが滲む。
「隆惺にはさせられないわ。貧弱だし。もちろんユキにもさせないわよ。覚悟を決めたような顔をしているけれど、きっとしっかり傷つくでしょう、あの子」
大切な宝物を数えるように、白魚のような指が一本、二本と立てられていく。
「お兄様のお手を煩わせるわけにはいかないし、他の使用人たちでもきっと傷つく。殿下に用意してもらうのは勿論却下よ。気に病んでしまわれるから」
最愛のいる方角をちらりと仰ぎ見て、恋する乙女の表情で理恵子はほうっと溜息をつく。
そしてにっこりと、深い深い笑みをその口元に浮かべた。
「ならば、最初からわたくし専用の介錯人を作って、嫁入り道具になってもらおうと思うのよ」
牢の格子越しだというのに、男は理恵子に気圧されたように一歩下がった。
「お前は依頼とあらばなんでもできるのでしょうし、わたくしはお前が嫌いだから良心のかけらも傷まない。もちろんわたくしが生きる限り契約中という扱いになるから、依頼料は給金としてきちんと払ってあげるわよ。本当は慰謝料をもらいたいくらいだけれど、優しいでしょう?」
「どこが。わけわかんねえ思考回路だよ。あれだけ殺されておいて、まだ怖がらねえとかどんな神経してんだよ」
男が吐き捨てる。しかし、その顔にはどこか好奇心が見え隠れする笑みが浮かび始めていた。
それを見逃さず、理恵子はふふんと胸を張る。
「失敬な。死の恐ろしさも理不尽さも、痛みに怯える気持ちも、わたくしの不死身に隙があることもきちんと理解したわよ。だからこそ頼んでいるんじゃない。わたくしの意図せぬところで下郎にそんな気色悪いことさせたくないわ」
「コワ」
知らない人間の握った握り飯を食べたくない、くらいの感覚で自分の死を語っているその姿は如何にも異様だ。
だが、男の声は言葉とは裏腹に、どこか楽しげな色を帯びている。
「で、お返事は?」
「いやって言ったら見逃してくれるわけ?」
「いいわよ。その代わり、ここにいる頼子の絶品料理を空腹のお前に見せつけるみたいに毎日食べてあげる」
深く、わざとらしく、男は息を吐き出した。
「それは見逃しているとはいわねえんだよ……ま、いいぜ。アンタが望んだ時にアンタを殺すだけの簡単なお仕事だろ。それで飯が食えるんなら安いもんだ」
「良い子ね。あ、そうそう。その姿は変えてちょうだいね。女の子がいいわ。侍女にするから」
当たり前のように言われたそれに、【怪人】はぐしゃりと髪を掻き上げた。
すると、スルリと指を通した端から色が変わり、長さが変わり、質自体が変わっていく。スルリスルリ、手が滑るたびに男の顔が女に変わり、背が縮み、骨格から肉付きからなにもかもが別人へと変貌する。
「俺……侍女なら私か。私もあんな去り方しておいて合わせる顔がないんで、ありがたいですが……よく分かったな。私の姿が一つじゃないって」
すっかり少女の声に変化したそれに狼狽えることもなく、むしろ面白そうに理恵子はその変化を眺めながら微笑んだ。
「知り合いにいるのよ。性別から姿形から全部が安定しない体質のヒト。だいぶ葦人の比率が濃い方なのだけれど……もしかして、お前は純血の葦人かしら」
葦人。
それはかつて神に作られ獣人とつがい、その力を人々にあまねく行き渡らせ、人の礎となったが故にその実態は透明になってしまった、無貌の一族。どんなものにもなれる、自由な風のような人々。
もはや単一では存在しないと言われる、もうひとつの人の源流の名。
問われた【怪人】は、心底面倒という顔で深々とため息をついた。それが答えだった。
「はー……ほんっとうに、おっかねえ。アンタも十分名探偵じゃねえか」
理恵子はにっこりと笑った。
「口調も整えて。できるでしょう? 【霞】」
何と言われずとも、それが【怪人】の新しい――そして生涯最後になるだろう名前だと、この場にいる誰もが悟った。
すっとお仕着せの侍女服を丑前田が手渡せば、理恵子よりほんの少しだけ背の高い、涼やかな目元のその【少女】は着付けに迷うこともなく袖を通していく。
頭の高い位置できゅっと茄子紺色の髪を束ねれば、そこには見事な侍女がひとり。
「注文の多い方ですねえ。給金、はずんで下さいよ、理恵子お嬢様」
「もちろん。わたくし、気前はいいほうよ」
鈴を転がすような少女たちの笑みが転がって、夜は朝へと傾いていった。
これにて完結。
皆様お付き合いいただきありがとうございました。読んでくださった方々には感謝してもしきれません。
また藤宮主従に事件が起きるかもしれませんが、とりあえず今はこれにて




