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日常へ

 馬車を引く馬が揃って白い息を吐くような朝のこと。


 二頭立ての黒い馬車が背の高い門を抜け、美しい石造りの道へと足を踏み入れた。


 がたんっと石でも踏んだのか車体が一度大きく揺れ、乗っていた隆惺の上体がぐわんと傾いた。さっとその肩を支えたのは書生服に身を包んだ倖斗だ。


「お気をつけて」


「ああ、ありがとう倖斗」


 向かいの席に腰かけた倖斗に支えられながら姿勢を正した隆惺に、理恵子がくすくす笑う。


「隆惺ったら本当、揺れに弱いわよね。鍛えなさいな」


「僕でよろしければ鍛錬の計画を立てますよ」


「いい、いい。余計な気を回すな。今のはたまたまだ」


 朝のひばりの声と馬の蹄の合唱も聞こえないくらいに賑やかなまま、馬車は西洋風の庭園を抜け、いつも通り白亜の学舎にその身を寄せた。


 コン・コン・コン、と合図が外からして、扉が開く。安全確認と開閉を担当している新人侍女のかすみが恭しく礼を取っているのが見えて、倖斗はするりとタラップを踏んだ。


「では、お手をどうぞ」


 恭しく差し出せば、慣れた様子で二人も続けて馬車から降りる。危なげなく降車し終わったのを見て、倖斗はそっと息をついた。

 今日から登校中は馬車の中で双子の世話をすることになったが、やはり外から扉を開けるだけが仕事だったこれまでとは緊張感が違う。


 扉を閉め御者に合図を送れば、一礼して馬車は去っていった。


「あら、霞、手が冷えているんじゃなくって」


 その声にくるりと振り向けば、理恵子が霞の指先をじっと見ている。どうやら爪の血色が悪いのに気が付いたようだ。


「申し訳ございません。冷え性なもので」


 顔色一つ変えずそう返してくる霞に、理恵子が呆れたと肩をすくめた。


「素直に手袋を忘れたと言いなさいな」


「理恵相手にいい度胸をしているじゃないか」


 からからと隆惺が笑い、つられて倖斗も笑った。

 婚姻が早まった円と入れ替わりでつい昨日入ったばかりのこの霞という侍女は、涼やかな目元ときりりと結い上げた茄子紺の髪から受ける印象とは裏腹になかなか癖が強い。


 後輩というのは倖斗にとって初めての存在だが、何とも言えず愉快なこの少女となら仲良くやっていけそうな気がした。


 校舎の時計をちらと見上げ、倖斗は手帳を開いた。


「明日は生誕の祝賀会が予定されております。どうか放課後に予定などを入れないようご注意ください」


「もう、わかっているわ」


「毎年だからな。さすがに周囲も理解している」


「ユキこそ、忘れて逢引きなんて入れてはだめよ」


 ひらひらと手を振り双子が校舎へと消えていく。


「そんなことはいたしません」


 届かぬ言葉を送りながら、一足早い春風のような主人たちの背を見送る。

 そして倖斗はやはり折目正しく、ひとつひとつの動作をなぞるように丁寧に頭を下げた。


「いってらっしゃいませ、我があるじ」


 今日も二人にとって良い日でありますように。あの嵐のようだった事件の日々がすぎ、いっそう倖斗の一礼にこめた祈りは実感がこもったものとなっていた。



 警鐘が鳴ることも無ければ、誰かが飛び込んでくることもなく迎えた放課後、屋敷に滞りなく帰還した倖斗は侍従服に着替え、理恵子と並んで廊下を歩いていた。


 同年代の女子と比べて少しばかり背の高い霞と並ぶと、過去の栄養不足のせいか成長期が遅れている倖斗は少々小さく見える。


「センパイはお二人に愛されていますね」


 唐突に、霞はそんなことを言った。


「霞は割と臆面もなくそういうことをいうんだね」


「事実は口に出すことにしているので」


 淡々としながらはっきりした口調は、周囲にはあまりいなかったタイプだ。

 だが、倖斗は昨日この少女と引き合わされてから何とも言えない既視感を味わっていた。


「……ねえ、どこかで会ったことなかった?」


「ナンパですか? いけませんよふしだらな」


「違う。きみにそういう気が起こることはないと、なぜだが確信できる」


 年頃の娘が真顔で言う台詞でもない。倖斗はそもそもその手の感情が未だよくわかっていないが、少なくとも霞に対してはこの先もその手のトキメキを覚えるような気は一切しない。


「そうですか。ならばあなたは私に何を求めているのですか」


「いや、求めているというか……あ」


 ポンポンと繰り返されたやりとりに、既視感の正体を知る。間の抜けた声をだした倖斗に、霞がやはり涼やかな表情のまま首を傾げた。


「どうかされましたか」


「いや、わかった。きみ、似ているんだ」


「誰にです?」


「親友だったやつ」


 あの朝風のように軽やかでつかみどころのない、倖斗と妙に気があった男に、この少女はどこか似ているのだ。顔の造形はもちろん声も仕草もにおいも何もかもが違うのだが、いわゆる空気感という奴だろうか。


「まあ闇の深そうなお答え」


 淡々とした声も口調も、やはり違う。けれどどうにも連想せずにはいられない。


 彼はどこの誰にでも似ているようなところがあったから、倖斗が勝手に自分の世界の新しい住人に当てはめてしまっているだけかもしれないが。


「別に闇なんて深くないよ。ただ僕は僕の仕事を果たして、あいつはあいつの仕事をしていただけ。……ま、音信不通になったってことは、もう会うつもりはないんだろ」


 あの日縄をかけた親友・宗次郎は忽然と牢から消えたらしい。山狩りも出ていないところを見ると、どうやら双子が何かしたのだろう。

 最後まで、掴みどころのない男だった。


 ころころと霞が笑う。


「さてどうでしょうね。合わせる顔がないだけやも」


「……不思議ときみに言われると本人に言われた気分になるな」


「なんともまあ、奇妙なこともあったものですね。ア、明日の理恵子お嬢様と隆惺坊ちゃんのお誕生日に渡すものは作り終えていますか?」


「作り終わってるよ。心配しないでも……ん?」


 どうして、倖斗が双子に贈るものが手作りであると知っているのだろう。それを知っているのは、宗次郎だけだったはずだ。


 目を瞬かせて、もう一度前を行く後輩を見つめる。


 やっぱりどこも似ていない。性別も体格も顔立ちも別物だ。けれど、飄々として掴みどころがない、朝風のような……ある意味で、あの親友の本質であろう部分はよく似ている。

 ひょっとしたら、ひょっとするのかもしれない。


 倖斗は脳裏をかすめた疑惑に、一人笑った。

 もしそんなことができるのなら、親友は語弊無く【怪人】ということになる。いつか、タネを教えてもらえたら嬉しいものだ。


 一匙の寂しさを覚えた倖斗のことを知ってか知らずか、霞がぽんっと手を打ち鳴らした。


「ああ、そうでした。お嬢様方がお呼びですよ。いつもの談話室、だそうです。どこのことでしょうか」

あと2話です

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