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悲嘆の夜と共に

 倖斗が主人たちの不調に気づいたのは、まったくの偶然だった。


 深夜、妙に目が冴えて水を汲みに出た昨夜、まず理恵子を見かけた。


 縁側で薄青い月光にしなだれかかるように腰掛ける彼女の紫の瞳は物憂げに庭に咲いた玉椿のあたりをぼんやりと眺めていた。


 まだ春の遠い夜風は、いくら上質とはいえ薄手の夜着一枚でいるには冷たい。


(何か、一枚でも羽織るものを)


 そう思う頭は確かにあるのだが、倖斗は問いかけることも足を動かすこともできない木偶の坊となって、ただ理恵子を見ることしかできなかった。


 風が吹く。亜麻色の綺麗な髪が肩をながれ、優雅に揺れる。


 真っ白で細い首が顕になる。そこには傷一つない。

 切断痕も、刀疵も、熱傷も、何一つ。


 いつも通り、死の淵から踊るように蘇った理恵子の体は玉のように美しい。


 普段なら安堵できるはずのその光景が倖斗に安堵を運ぶことはなかった


(まだ、熱い)


 瞼の裏で、紅蓮の業火にのまれ悶え苦しんで理恵子が焼かれている。赤々と揺らぐそれが自分の内臓に飛び火してしまったようにさえ思える。


(まだ、重い)


 首だけになった彼女の重さを覚えている。清浄な銀炎を泣いて待ったあの日の無力を、倖斗は生涯忘れない。


 惑ううちに理恵子の桃色の唇がゆるりと動き、些細な風で聞こえなくなりそうな程の微かな声で呟いた。


「どうしたものかしら」


 聞き間違えかと思うほど微かな声だった。けれど、その指が美しい髪を掬い上げたのを見て、不意に気づいた。理恵子の髪は、もう少し長かったはずだ。


 理恵子が散髪したならば、それは必ず従者である倖斗たちの耳にも入る話だ。だがそんな話はここ最近、一度たりとて聞いたことがなかった。

 だからこそ、意味することは容易に察し得た。


(伸びるのが、遅くなっている)


 理恵子の髪は蘇生に際し、最後に再生される場所だ。


 常ならば遅いといっても瞬きの間に元の長さまで戻る。それが目に見えて再生に時間がかかっているのだ。常人とは比べ物にならないほど早く伸びているとはいえど、それは確かな異常だった。


(いつから……いや、違う。僕が見落としたんだ。内緒にされていたわけじゃない)


 問い詰めようかと思って、やめる。


 髪を眺める理恵子の目は深い思案に沈んでいた。

 きっと彼女自身、まだこの異常をどうとらえるべきか迷っている。寄り添うことは従者の使命だが、それは主人の意思決定を邪魔していいということでない。


(誰にも見られたくないから、このような深夜に物思いにふけっておられるんだろうし)


 どこか言い訳じみたことを独り言ちて踵を返したとき、別の部屋から小さく何かが割れた音がした。


(坊ちゃんのお部屋?)


 分厚い扉がわずかに開いている。

 その隙間から、低い声がした。神経をとがらせ中の様子を伺えば、部屋の中にあるのは隆惺の気配だけであることにまずほっと息をつく。


(寝ぼけて、なにか落とされたのかもしれない)


 朝起きた時に踏んで怪我をしては大変だとドアノブに手をかけようとして、ぴたりと止まる。


 とりとめもないが、寝言というにはひどくはっきりした声でぶつぶつと何かを呟いている声が聞こえたのだ。


(……もしかして、まだ起きていらっしゃるのか)


 隙間から覗き込めば、窓際に椅子を置いて座っている隆惺の横顔が見えた。


 ランプの一つもない部屋に射した月光を受けるようにして座る様は、奇しくも先ほど見た理恵子にそっくりだ。しかし、目を凝らして見えたその眼差しに背筋が粟立った。


 どれほど眠れていないのか、どうしてこれを昼に気付かなかったのだと絶句するほどに、隆惺の目にはぎらぎらとした亡者めいた眼光と陰鬱な影が染みついていた。


「ぼっちゃ」


「……名探偵、か。笑わせる」


 誰に聞かせるわけでもなく呟かれたその言葉には、酷く重い響きがあった。倖斗の思わず漏らした声に気づかぬまま、青白い月光の中で隆惺が光に刺し貫かれるように身をかがめる。ぎりりと音がしそうなほどに、両の手が白皙を強く覆う。


「守れてもいないくせに、馬鹿じゃないのか」


 夜に綴じたその声は、嘆きで、怒りで、呪いで、傷口で、心だった。


 そして何より、片割れへの愛だった。


(考えてみれば、当たり前じゃないか)


 倖斗は零れそうになった息を飲み干すように口元に手を当て、音を立てぬようにその場でしゃがみ込んだ。


 隆惺は、片割れたる理恵子の首をその手で落としたのだ。


 二人で一つというにはバラバラだが、まるで違うというにはよく似たところのある半身に向かって刃を振るうのは、甦るとわかっていても平常の心で行えるものではない。


 もとより、平穏を愛するがゆえに謎を解くのが隆惺の在り方だ。身内の血で手を汚すことはその心にはひどく負担となっていたに違いない。


(……今、声をかけてはいけない気がする)


 今すぐ扉を越えて隆惺にあたたかな飲み物を渡すことも、縁側に戻って理恵子に上着を差し出すことも簡単なことだ。


 だが、それは自己満足に過ぎないのではないだろうか。孤独の中でまず答えを導こうとするときに、誰かに語ることで気を晴らせというのは、余計な負担をかける行為ではないだろうか。


 かつて花畑で見た双子の後姿が脳裏をかすめる。


(お二人は、どうして今一人で悩んでおられるのだろう)


 あの時は傍にいる資格がない己にばかり意識が向いていたが、あの涙は二人が揃ったことにも意味があったはずだ。そして今の彼らは同じ屋敷内で、話そうと思えば話せるというのにそれぞれの内に言葉を留めている。


 それはたとえば、互いの感情に影響されないように、ではないのだろうか。


(そうなれば、きっと怒りは混ざる。苦しみも、同化する。それがきっとお二人には許せない)


 それはきっと、共感や同情を越えて、ただ同じ桶の中にお互いの心の黒いところを投げ込んで、その上で倍濃く深くなった呪詛を飲み干す。そんな依存行為に等しい。

 だからこそ、今二人はまず自分自身の輪郭を作り出そうとしているのではないだろうか。


 癒着して、身動きが取れなくなるならないように。


(僕の出る幕は、きっともう少し後だ)


 『もう少し』を待たず新たな第四の怪談が牙を剥くとは思いもせず、その時の倖斗は踵を返した。


 今思えば、この時見た回復力の減衰が、焼け付くような後悔が、サンルームでの一幕へと繋がっていたのだろう。だが、反省はあれど後悔はない。


 倖斗に未来なんてものは見えない。


 だからこそ、倖斗は今ここで彼らに向き合うことを決めた。手遅れになる前に道の枝を払い、整えるために。

 この先長く生きて幸福を得るための主人の道行そのものを、守るために。


 自分は、彼らの従者なのだから。

次回更新は15時頃です

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