解かれた糸、くだんの誘い
「対峙した折、あいつは……怪人は鋼糸を使用しながらも、周囲のものは傷つけようとしませんでした。木も、花も、通過する烏さえも糸にかからぬよう気を張っていました。あの手の暗器はそのようなことを考えない方が楽であるのに、です。ならば、あの男は殺傷行為はあくまで飯の種。それゆえに食うために必要でない被害は出さない。そういう流儀を持っていると考えました」
「それで? どうしてそれが奴の置き土産を否定できる?」
やる気のない猫に似た顔が、にんまりと笑みを浮かべた。どうにかお気に召す答えを返せているようだ。
「ストーブと茶会でお嬢様だけが被害に遭ったのは、偶然を拾い上げたが故の結果でしかありません。ストーブが吹いた火は【花係】を襲う危険がありました。山吹色の手巾のにおいは藤宮以外にも鳥の血をひく方があの場にはいらっしゃいましたから、影響が出る可能性は大きいですよね。これはどちらも、無駄な犠牲をリスクと考える怪人のやり方ではありません」
そこまで言って、倖斗は大きな深呼吸をした。
そして告げる。
「これが、僕の考えている真実です」
心臓がドキドキと跳ねる。これまでにないほど振り絞った頭が脈打つように痛い。
隆惺がちらと横にいる理恵子を見た。我関せずとばかりにカップを傾けていた理恵子がぱちりと瞬く。
「あら、別にわたくしに許可を得る必要はなくてよ」
「お前が被害者だから聞いてやろうと思ったんだろうが」
「おかしな気を回さないで頂戴。いつも勝手に平穏を守って満足して昼寝をする男が、何を今さら気遣い屋ぶっているの」
だいたいね、と理恵子は勝気に微笑んだ。
「もうわたくしはお前が必要だと言った分は襲われてあげたわ。あとはそちらの仕事じゃなくって? 名探偵さん」
その言葉に、隆惺はふっと笑いを吐き出した。
「そうだったな。これ以上は、さすがの俺も怠惰が過ぎる」
ゆっくりと三度瞬いた紫眼に、揺らぐ炎が宿った。
「倖斗が考えた通り、今回の件も、そしてその前の件も、怪人の仕業ではないだろうよ」
隆惺は不服そうに顔をしかめてそう言った。
真実とはいえ、二度も理恵子を殺した上に、倖斗を誑かしたも同然の男を認めるようなことをいうのは癪だとでもいいたげだ。
だが、隆惺はそのような理由で真実を裏切ることはできない。
「何故なら、あまりにも第一、第二と『質』が違いすぎる。倖斗が直感したことを除いても、同一人物の犯行というにはあまりにも傾向が違いすぎる。行動の癖自体が異なると言ってもいい」
紫眼がゆらゆらと暖炉の火を受けて色味を揺らし、隆惺の独壇場に花を添える。
「第一の事件においては偽装こそされていたものの変装技術による接近、傷を残さず昏倒させる、鋼糸による直接的な切断を行うなどの技能が目立った。それほどまでの技量をもつものは、どれだけどれほど我を押し殺そうと、それを築き上げた研鑽の跡が誇りとして残る」
ティーカップの中の琥珀色の液体を揺らした波紋を見つめながら、隆惺は言葉をつなげた。
「第二の事件においては物証こそ見つからなかったが、あの日近隣で一切屋根の落雪が確認されなかったこと、他の路地に入ることは物理的にできなくなっていたことからあの路地を選んで鋼糸を使用した垂氷の切断を行ったことはほぼ確かだった。これもまた、超人的な技巧を用いて的確にただ一人を殺すための手段だ。倖斗のいう通りな」
他にもいくらか奴の犯行と思われる事件資料を確かめたものの、おおよそ無駄な犠牲を嫌うという人物像は共通していた。と隆惺が付け足す。
「これらのことから、倖斗の言っていた怪人の傾向は間違っていないと推定できる」
だが、と隆惺は言葉を切って天井を見上げた。
私怨を除けば、残りの二つの犯行のほうが隆惺にとっては、口に出すのも気に食わないとでもいいたげだ。
「第三の事件は原理としては恣意的に起こすことが出来る。だが、タイミングの調整は困難を極めるだろう。人が多く行き交う校舎内で生徒に花を焚べさせる方法で不完全燃焼が起こる可能性も、炎が吹き出す瞬間に理恵子をそこに行くよう仕向けることも、通常はまず無理だ。出来るとすれば、異常な演算能力を持つものか、あるいは周囲の犠牲を厭わない狂人だろう」
ため息まじりにアームレストに体重をかけて頭を掻きながら、隆惺が続ける。
「第四の事件もまた怪談を利用したものだった。なにより不可解なのは、これは理恵子の呼吸器のことを知らなければ成立しない加害行為であるにもかかわらず、実際に取られた方法は無差別的で、第三の事件と同じく己の手は汚さず他者の手を汚させているという点だ。その上この怪談はサンルームが舞台である点を考慮すると第三の事件にも増して偶然性が高い上に、無理心中を遂げるための自殺者が出る可能性もあった」
口にするだけで不快だ、と言わんばかりに隆惺は荒々しく頬杖をついた。
「言うなれば、第一、第二の事件は一つの隙も許さない必然だったが、第三、第四はあえて大衆性に任せた偶然を入れている。そして俺たちはこの連続事件において、この偶然をあたかも操るように使えるものをすでに知っている」
「……【くだん】ですね」
すべての現場に置かれていた鎌柄の紋。それが示すものの仮称ではあるが、この状況にはひどく似合っていた。
「でも今の情報だけでは、【くだん】の居場所は導き出せませんね」
姿の見えない、予言獣を名乗るものの陰に足を取られたような顔をする倖斗に、隆惺は首を傾げた。
「相手は怪談に執着しているのは明らかだろう。ならばそれによって導き出せるものがある」
導き出すどころかもはや誘われているといってもいいほどに、【くだん】の場所は明白だ。
そう、隆惺は高らかに宣言した。
「まるで『来い』と言わんばかりだろう? 【すべての怪談を集めたら、蓮池にて怪が起こる】などというのはな」
口の端をあげて笑う隆惺の顔は、仕え始めてから初めて見たと断言出来るほど、楽しげだった。
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