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狛犬の見解、成長の一歩

 どういうことなのだろう。


 彼らが倖斗並みに嗅覚が鋭いという話は聞いたことがない。強い刺激臭であれば何かしら体に悪影響もありそうだが、あの香りは特にそうした作用があるようには思えなかった。


 首を上半身が傾くほどの角度にしながら悩んでいると、隆惺が空になったティーカップを揺らした。はっとしてポットを傾ければ、紅茶の香気が新たにふわりと談話室に広がる。


 最初から説明するか、と多量の蜂蜜を注ぎながら隆惺が呟いた。


「俺たちが不死鳥の血族だというのは知っているだろう」


「それはもちろん」


「俺や兄上は多少回復力が高い程度だが、理恵子は先祖返りだというのもわかっているな」


「はい。当然ですね?」


 何を今さら。と思いながらも大人しく話の続きを待つ。隆惺が前提をおさらいするのは、さらに一歩話を進めたいときの前振りだ。


「俺たちのこうした血縁による力というのは、別に不可思議な力というわけではない。あくまで肉体的な機能の一部だ。祖獣の肉体に近い造りを受け継ぐことによって発現しているだけのもの。『骨格からして身長が高くなりやすい家系』だとか、『声帯の形故に声がいい人が多い』だとか、そういうものと言えばわかりやすい」


 親の特徴が子に継がれていく。それは、自然の摂理として王道の条件だ。

 そして形質に現れる血縁性は、ある種の神性と神秘に包まれたものとして扱われることも珍しくない。

 故に継がれるはずのものを継がなかった子は、排斥されることがあるのだ。倖斗のように。


 だが隆惺は紅茶を啜りながら、こともなげにそんな神性の面皮に手をかけた。


「つまり、祖の力はどこまで行っても肉体に依存する力であり、先祖返りというのは肉体が限りなく祖の造りに近づくことをいう。藤宮であれば不死鳥に近い肉体を持っているがゆえに不死身に近い存在となる。といった具合だな。あとはその濃淡に過ぎん」


 その言葉に倖斗は目を見開いた。


 そんな従者の様子に気づく様子もなく、隆惺が「ようはだな」と言葉を切りつつカップをソーサーに置く。


「不死鳥の力を受け継ぐ俺たちの肉体は鳥の要素を残している」


 神性と神秘。その最たる一角である不死鳥を鳥と言い切られ、遠い神話の中にあった存在が突然体温をもって傍にやってきたような妙な感覚になる。


「……お嬢様は、兄君や若様よりも肉体的に鳥に近い。ということですか?」


 どうにか飲み干して確認すれば、あっけらんかんとした頷きが返ってきた。


「そういうことだ。不死身というのが目立っているし、体表には発現しなかったタイプだからわかりにくくはあるがな」


「一番わかりやすいところが呼吸器なのよね。ほとんど鳥類と同じ構造をしているのよ、わたくしの肺」


「そうなんですか!?」


 倖斗は目を見開いた。


 思わず、目の前の理恵子をまじまじと見つめた。姿かたちに鳥らしいところはまるでない。唯々麗しい少女にしか見えないこの肉体の内側に庭先で跳びまわっている鳥類と同じような肺腑が収まっているというのか。

 生命の不思議というやつだ。


「そうなん、ですね」


 自分のことも棚に上げて、倖斗は間の抜けた言葉を投げかける。


「特に先んじて教える必要はないと思っていたんだが、まさかここを突かれるとはな」


 自分自身に失望したとでもいうような隆惺の声にハッとする。そうだ。今は理恵子の体を害したものについての話をしていたのだった。


「突かれた、というのは香りの事ですよね。お嬢様の肺腑が鳥と同じだからと言って、どうしてそれが致命的になるのですか?」


「鳥というのは飛ぶだろう。それゆえ空気を効率よく取り込む必要がある。だから、人や他の獣が通常吸収できないほどの空気中の成分が一気に吸収されるつくりになっているらしい」


「素晴らしいことじゃ……いえ。もしかして」


 嗅覚の鋭い倖斗だけが感じた甘い香り、通常では吸収されない空気中の成分を吸収してしまう理恵子の肺。事実として、吐き出された血。


 吸収できるものは多ければ多いほどいいというものではない。体内に吸い込んでしまったもののなかに、本来吸い込むことを想定していない成分が含まれていたならば、それは体にとって処理できないものとなるのではないか。


 思い至った倖斗の顔から、さあっと血の気が引いた。


「他の生物なら問題にならない成分が、毒になってしまうってことですか?」


「よくできました」


 にこやかに理恵子が拍手する。そんな場合ではない。


「言ってください! 重大じゃないですか」


 倖斗の嗅覚では感知できても毒と判定されないものが毒になる肺腑など、情報がなければわかりようもない。じっとりと双子主人の顔を見つめれば、理恵子と隆惺は悪びれる様子もなく肩をすくめた。


「普通は賊ごときにはバレないんだもの。わたくし、皇太子妃になる女よ? 身体情報なんて虎堂と丑前田でさえ申請しないと知れないし」


「と言っても、あの香りが駄目だとは今回のことで初めて気づいたんだがな。そもそも藤宮は香りが強いものを好まないこともあって香当て遊びなどは辞退していたし、この家では人工の香は使わんようにしているし」


「……そういえば、そうですね?」


 身だしなみのひとつとも呼ばれる香だが、この屋敷では双子の周辺どころかほぼ全ての部屋で嗅いだことがない。

 嗅覚が鋭い身としても実に過ごしやすいので気にしていなかったが、確かにこれは特異なことなのかもしれない。


(香り……)


 その言葉に、ふと無味無臭の男の存在が脳裏をかすめた。


「……若様、今回のことは誰の仕業だと思いますか」


「誰とは?」


 うっすらと笑みを刷いた隆惺の表情は、すべてを悟っていると物語っている。


「わかっておいででしょう。これまでの実行犯であった怪人は、もはや藤宮の牢の中なのです。いかに神出鬼没とはいえ、あの状態で此度の害を為せたとは思えません」


 倖斗の言い分に、隆惺が試すように口角を意地悪く上げた。


「お前に捕まる前に残した置き土産かもしれんぞ。なにせストーブの時とやり口が同じだ。自分はそこにいなくとも理恵を害す術を奴は持っていたのではないか?」


「……その件について、ですが。まず僕は、あいつが三番目の事件を行ったと思っていないのです。そして、今回のことも」


 自分でも、その認識に驚いた。だが考えれば考えるほど、そうとしか思えない。


「理由は?」


「奴は【くだん】の紋の存在自体を知らないようでした。怪談を使うことも、奴は依頼主による企てであると。僕はそれらを嘘だとは思えません」


 第三の怪談において、【くだん】の紋はストーブそのものに刻みつけられていた。錆の偽装工作や仕組み上、仕掛けた者であれば知らないほうが道理が通らない。

 怪談を使う手法も、あれだけ腕が立つものが行うにしては迂遠が過ぎる。


「騙られたのではないか?」


「動揺を僕の鼻が嗅ぎ取りました。それではご不満ですか?」


「いいや。お前のことは信じているさ。だが俺は【怪人】は騙しの玄人であるとも思っている。対人関係に不慣れなおまえの心に付け込んだ外道だともな」


 頬杖をついた隆惺が倖斗の目を覗き込んだ。


「なあ倖斗。お前の心が友としてのあれに誑かされていないと、断言できるか?」


 当然の問いだ。知らなかったことであり、積極的になにかを教えることをしていないとはいえ、刺客を友としていたことは事実なのだから。


 だからこそ、倖斗は取り繕うことはしない。


「そんなことはない、とは言い切れません。けれど、直接刃を交わした身として、貴方たちの従者としての僕は確信をもって言います。あれほどの腕を持つ鋼糸の使い手が微塵もその技を行使せず犯行を組み立てるのは、有り得ません」


 断言しておいて、手が震えた。


 沈黙が重たい。


 やがて、ほうっと深く息をついて、隆惺が足を組みなおした。


「もう少し理屈を言え。まだ破綻している。それでは兄上も虎堂も納得させられん」


 目を見開く。それは実質、隆惺自身は納得してくれたという意味だった。


「――はいっ!」


 一歩、愛玩動物から抜け出せたのではないか。そんな喜びと共に、倖斗は大きく頷いた。

本日更新多めです。多分完結まで駆け抜けます。

次回更新は9時頃です


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