山吹色の手巾は心中の便り
場所は変わって、いつもの藤宮邸談話室。
理恵子の事態を聞きつけた師範一同が使用人室に押し寄せた上に早く医者にかかってくれと泣かれたため、本日も三人は早退と相成った。
居合わせた以上円も呼びたかったが、学内で理恵子の喀血がうわさにならないよう調節する役割を申し付けられたため同席していない。
なお、流石に口止めしきれなかったらしく理恵子の許婚が御殿医を送り込んできた上に、その医師が手紙を持たされていたというひと騒動があった。
あわや理恵子に謹慎令が出るかと思われたが、幸い『今度じっくり理由を聞かせておくれ』という穏やかながら圧のある内容であったので、この一件の間は見逃してくれるらしい。
「何がなんでも守れよ、と炙り出しを仕込まれてそうだな」
理恵子が大切そうに文箱にしまいこむ手紙を呪物でも見るように、隆惺が言う。
「流石に殿下からのお手紙を火にかけるわけにはいきませんから……」
苦笑しながら、倖斗はおかわりの紅茶をティーカップに注いでそっとふたりの前に置いた。先ほどまで大騒動の間に一切水分をとっていなかったせいか、自棄になったように最初に淹れたものは一気飲みされてしまったので。
そんなことは忘れたかのように、理恵子がふふんと一層楽しげな顔をして頬杖をついた。
許婚からの手紙のおかげでいささか気分が上向いたらしい。
そして、此度の怪談とも言い難い物語を語り出した。
「【サンルームの乙女心中】は、ほとんど今回のわたくしがなぞっているようなものなのだから、きっちり語ることはしないわよ。それにさっき言った通り、階段というよりあくまで噂なのよ、これ。実体験のような形になっていないの」
「それなら聞いた形で言え」
隆惺の短い指示に肩をすくめ、理恵子が記憶をたぐるようにトン、とこめかみを叩いた。
「そうねえ……まず、わたくしが最初に聞いたのは、『女子部のサンルームで手巾を贈って心中すれば来世で結ばれる』というだけの噂よ。最近女子部で流行っているエスの流れだろうと関係なさそうだと思ってあまり真面目に聞いていなかったのだけれど……後から条件が増えていったみたいなのよね。これ」
「条件?」
隆惺が片眉を上げた。
「そこまで難しいものじゃないわよ。手巾は山吹色でなければならないだとか、計画は誰にも知られてはならないだとか、計画を知られてしまうと来世で結ばれることどころか今生の縁も断ち切れてしまうだとかだもの」
「確かに、簡単ですね」
いささか物騒ではあるが、どれも心中が前提であることを思えば取り立てて難しいとも過激とも言い難い。
「簡単でしょう。そして、わたくしがただの噂だと思ったのも頷けるでしょう?」
「まあ、この程度ならばそう思い込んでも仕方はないか……いや待て。お前、自分が何を持っていたか忘れたのか」
「ああ、あれね。あの手巾は条件に当てはまるものをつい先日、この話を知る前に渡されたのよ。今日持っていたのはたまたま。すっかり自分と関係ないものだと思っていたから、意味合いに気づいたのは家に帰ってきてからよ」
理恵子が口元を押さえていた手巾は、万一にも毒物が付着していてはいけないと虎堂が回収していった。その後隆惺と何やら話していたようだが、湯を沸かしにその場を離れた倖斗は詳しいことを知らない。
「いいだろう。……それにしても、【花係】にも増してまじないらしいな。作為を多大にこめられているという意味でも、第三の怪談に近いな」
「作為ですか?」
物騒さを除けば一般的な、よく市中で噂になる噂でまじないだと倖斗は思ったが、隆惺は何を疑問に思ったのだろう。
尋ねれば、隆惺が長い足をゆったりとした仕草で組んだ。
「いろいろあるが、まずはまあ雑に誤解を招こうとしているところだな。妙だろう。【心中】であるのに手巾は相手に『贈る』だけなあたりとかな。心中は相互に同意していなければならないのに、奇妙じゃないか?」
隆惺はさらに「その上」と指を立てて続けた。
「この手の思春期につけ込むまじないにしては珍しいことに、死に方が指定されていない。それこそ『手首を赤い糸で繋ぐ』だの『同時に』だのと、女心をくすぐる条件付けには事欠かないだろうに、だ」
「無理がないですか?」
倖斗は首を傾げた。
これまでの推理と比べると、どうにもこじつけ感がある。だいたい、心中のまじないとはそんなにも心惹かれるものだろうか。【嘆きのかまど】のほうがまだわかる。復讐を為せるにしろ、他の願いが叶うにしろ、自分自身の命が保たれることは確定したのだから。
どうにも納得しかねた様子の倖斗に、隆惺は軽く肩をすくめた。
「無理しかないさ。だが、ここ最近の『恋愛』ブームとやらを見ても浄瑠璃を見ても、思い合っての心中というやつは大抵二人で誓い合って死ぬことが前提だ。だというのに、この話はそもそも『贈って死ぬ』ことで『縁が結ばれる』んだ。妙だろう」
順序が逆なんだよ、と歌うように隆惺が告げた言葉に、倖斗は息を呑んだ。
言われてみれば、おかしい。
ぞわりと背筋を這い上がった怖気を肯定するように、隆惺がさらに続ける。
「しかも計画を知られてはならないときた。手巾を贈るのが一方通行である以上、この誰にも、という条件には心中相手だって入るだろう。これは徹頭徹尾、たった一人が企て実行することが前提となっている噂なんだよ」
言葉尻といえばそれまでだ。だが、実際に理恵子は誰かと贈り合ったわけではないことが隆惺の説に現実味を足す。
意味も告げず、理恵子は山吹色の手巾が贈られたのだから。
「なんともまあ、勝手なお話ですね」
倖斗のため息交じりの言葉に「まったくだわ」と同意しながら、ふいに理恵子が首を傾げた。
「詰まるところ、この怪談で語られているのは心中じゃなく無理心中ってことになるのかしら」
隆惺が首肯を返す。
「そういうことだな。そしてお前は無理心中を挑まれたらしい。相手の名前を教えろ」
「いい度胸だわ。殿下が嫉妬しちゃいそう。ただでさえこの件が終わったらしばらく離してもらえないでしょうに。あと、お前たちには教えないわ。殺しに行きそうだもの」
送り主への制裁は図星だったのだろう。隆惺がすっと視線をずらした。無論、倖斗も理恵子から目を逸らす。沈黙が談話室に落ちる。
話しの接ぎ穂を先に探し終えたのは、理恵子だった。
「それで? わたくしはどうやってあんなに苦しめられたのかしら」
「そうですね。僕もそちらの方が気になります」
「ああ、そうだったな」
こほん、と咳をして隆惺が懐からひとつのブリキ缶を取り出した。厳重に封がされているので中が見えないな、と思っていれば一言「この中に在るものが今回の凶器だ」と告げられた。
「こんなに小さな缶の中に凶器……ですか? 毒虫などでしょうか」
「いいや。入っているのは理恵子が持っていた手巾だ。山吹色のな」
コンコンッと軽く指の背でふたを叩き、隆惺は燃える紫眼を倖斗に向けた。
「さて倖斗、お前サンルームで顔をしかめていたな。あれはどうしてだ?」
「それはもちろん、あの甘いにおいがきつかったからですが」
答えてから、おやと思う。あんなにも強いにおいだったのに、どうしてそんなことを聞くのだろうか。女生徒の一部や飛鳥師範まで、様々な者が身に纏っていたのだから、女子部で流行っているものではないのだろうか。
「俺は愚か、他の面々もそんなにおいは感じていなかった。サンルーム自体に置いてある花も紅茶の香りを邪魔しないように香気の弱いものだけが厳選されていた」
「そういえばそれがあるから今日はコロンとかつけてこないように言われていたわね。他の子が残念がっていたわ。わたくしはもともとつけないから関係ないのだけれど」
「え? 他の方々もつけていらっしゃらなかったのですか?」
では、あの甘いにおいはいったいなんだというのだろうか。
怖気と疑問が同時に去来する。そして、ゆるりと卓の上のブリキ缶へと視線が落ちた。
「……まさか」
山吹色の手巾。怪談になぞらえ贈られたそれが凶器だと呼ばれ、ここまで厳重に覆われている意味。今、この瞬間に香気のことが問われている理由。
そういえば、におい強まるときにはいつも、この色の手巾を誰かが使っていなかったか。
意識すらしていなかった山吹色が、記憶の中で突然鮮明になる。
震える声で、問う。
「この手巾に、毒が?」
倖斗が覚えていない毒のにおいこそが、この香気の正体であるならば納得がいく。
世の染料の中には毒を含むものもある。あの鮮やかな山吹色がそうしたものによって染め上げられたものである可能性は充分にあった。
そう推測を告げるも、隆惺は否定を示した。
「毒ではない。少なくとも多くの人間にとってはな。そうでなければあの場で倒れたのが理恵子だけである説明がつかないだろう。今広まっている手巾はみな市中の同じ店で入手されたものらしいからな」
「でも、手巾が媒介なんですよね? それ以外にお嬢様が弱る理由などありますか?」
隆惺の言葉の意図が読めない。他に一体何があると言うのだろうか。
倖斗の疑問に、隆惺が淡々と返す。。
「ある。というより、お前の推測は一点を除けばおおよそ当たっている」
「一点……?」
答える声は、静かに談話室に響いた。
「香りだ。お前が感じたという甘い香り自体が、理恵子の肺腑を侵したものだ」
次回は明日朝か本日ド深夜に投稿予定です




