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第四の怪談、その残り香

 日常に帰還して早々、朝の庭掃除中に円がこんなことを言った。


「夜の間に理科室の人体模型が歩き回るらしいんだけど、それと行き合うと生皮を剥がれてしまうんだって」


「ふうん」


 何かと思えば、聞いた話だった。正体さえ知っている。


 主人たちがいないところではこのくらいにはゆるりとした時間を送っている。


 怯えることすらしない倖斗に、じっとりと円の丸っこい目が瞬いた。


「ユキくんはなんとも思わない? この話、なんかすっごい作り物っぽいじゃない」


「作り物?」


「どこが、とは言えないんだけどねぇ」


 ふわふわとした物言いをする円に苦笑しかけて、はたとやめる。

 話せば話すほど、物事は通った人間の口と耳の分、思考の篩を受ける。そんな話が頭をよぎったのだ。


 あの誰でもなかった男は、一体どんな噺として伝わっていたのだろう。


 自分以外のものには、どんなふうに見えていたのだろう。そんな芽生えたばかりの好奇心が顔をのぞかせる。


「……一応、円が聞いた話を聞かせてくれる?」


「いいよ」


 円がにこりと笑った。

 ふわりと、朝風が二人の髪を揺らす。


「夜、学舎を歩き回る影があるんだって。確か……その正体が、理科室に置かれている人体模型が魂を得て歩き出したものだって話だったはず」


「魂を?」


 付喪神のようなものだろうか。


「うん、そう。それで、人体模型に出会った時にすべきことが決められてるんだよね。決してこれに話しかけてはいけない。気づかれてはいけない。見なかったことにして逃げ出すべきだ。みたいなの」


「へえ。理由は?」


「人体模型は自分の皮を探しているからだって話だよ」


 何やら血生臭くなってきた。そういえば、あの男も皮をくれだのなんだのと言っていたが、あれはこの話を踏まえていたのか。


「皮?」


「そうそう。ほら、人体模型って半分表皮がないじゃない?だから、探してるんだって」


「ふうん。でも、なんで手伝っちゃいけないんだろ。探しているの、自分の皮なんだよね」


 なんとなしにそう告げれば、円が怪談を語っているとは思えないほど楽しげに笑う。


「ふっふっふ、それが一番やっちゃだめなんだよ。ユキくん」


「だめって?」


「人体模型はさ、最初から皮が半分ないじゃない。そう作られたから当たり前だけれど……それなのに自分の皮を探しているんだから、最初から叶わない願い事なんだ。だけれど人体模型はそんなことは知らないから、ずっとずーっと探してる。でも、永遠に続く探し物なんて、おかしくなっても仕方がない」


 風がぴたりと止んだ。


「だから、昔ならいざ知らず、今の人体模型だけは手伝っちゃだめなんだって。もう何が自分の皮かなんて忘れてしまって、手当たり次第に自分と同じようなカタチをしている人間から皮を剥ぎ取るようになってしまったから」


 ゆっくりと円が瞬く。丸っこい目が、剣呑さを帯びた。


「だからダメなの。人にそっくりだけれど同じじゃない彼に手心を加えることだけは、絶対にしちゃいけないんだよ……自分の方が、皮が半分しかない人体模型みたいになりたくなければね」


 おしまい。と円が話を結ぶと同時に、丑前田と虎堂から集合がかかる。みれば、もうそろそろ掃除の時間が終わる頃だ。


「話してくれてありがとう、円。掃除中にごめんね」


「こっちが言い出したんだからいいっこなしだよん」


 語りながら聴きながらでもきっちり作業をこなしていた二人の足元には、こんもりとした枯葉の山ができていた。



 それから半刻ほどした隆惺の部屋で、倖斗は先ほど聞いた怪談を隆惺に話聞かせていた。


「と、いうわけなのですが」


「……倖斗、俺に聞かせたいならわざわざお前が語らず、それこそ円を連れてくれば良かっただろう。あの子はまだうちの女中なんだから」


「そうしようかと思ったのですが、今日はどうやら婚約者殿と出かける日だったらしくて」


 円は予定が早まり、今月で藤宮での女中勤めを終えることになった。


 理恵子周りの騒々しさを察した円の生家の判断で、嫁入りを控えている娘を置いておくわけにはいかなくなったらしい。

 御庭番が前身の家柄であることを考えると、危険度というよりは理恵子の遊び相手という名目である手前、けじめをつけたというところだろう。


「坊ちゃんが言ったのでしょう? 情報は鮮度が命だと。ならば一応、終わった話とはいえお耳に入れておくべきかと思いまして」


「坊ちゃんはやめろ。だがまあ、そうだな。お前が怪人を捕まえ、その怪人が第四の怪談だったと判明した以上、もう思考を割く気はあまりなかったんだが……ふむ。倖斗、お前はどう思う?」


 質問の意図が読めず、倖斗は首を傾げた。


「どう、とは?」


「友人だったのだろう。そんなお前から見て、この話はどう感じた?」


 難しい問いだった。


 倖斗にとって宗次郎は宗次郎でしかなかった。【怪人】としての彼はむしろ遠く、理解も及ばない。だが、そこで止まってはいけないのだと、優しい紫眼が告げている。


 少しの沈黙ののち、倖斗はポツリと呟いた。


「本当に、皮が欲しいのでしょうかね。この人体模型(かいじん)は」


 よぎったのは、相対した時の彼の言葉だった。


 ーーお前の人皮で俺をあたためて、お前が四番目の怪談になってくれ。


 その意味を、倖斗は正確に測ることはできない。だが、怪談に語られているような、ただ『普通の人間の形になりたい』というだけの話では、ないような気がした。


「ほう?」


 倖斗の言葉に、隆惺が片眉を上げた。紫眼が興味深そうに炎熱を宿しかけたのをみて、慌てて付け足す。


「大した考えじゃないですよ」


「それを決めるのは俺だ。言いなさい」


「……だって、皮が半分ない状態で生まれたんでしょう。それは多分、この人体模型だってわかっていたはずです。誰かのものを奪ったところで、それは一生自分のものに馴染むはずもない。なら、欲していたのは……皮、じゃない気がするのです」


 何かを強く欲する。そんなあり方の時点で倖斗の知る友とは似ても似つかない。それでもあの瞬間、どう考えても依頼主に言わされていただろうあの台本めいたセリフには、彼の魂が宿っていたように思えてならなかった。


「さて、俺は倖斗のいうところの彼を詳しくは知らんから、確かなことは言えんな。だが、それらしい総括はしてやれる……どうする?」


 一瞬の逡巡ののち、倖斗はゆるく首を左右に振った。


「一生、考え続けるしかないことができたと、そう思うことにします」


 それだけが、自分を友だと呼んだ彼に対してできることだと、倖斗の心がそう言っている。


 自分の申し出を断った倖斗を見て、隆惺が満足げに笑う。


「答えが出ない問いというのも時にはいいものだぞ。実生活に影響がない限りはな」


 名探偵らしからぬ言葉だが、やる気のない猫のようなその表情にはやけに似合っていた。

 


 その日の夕方。

 常のように息抜きにきた倖斗は、来ない待ち人でも待つようにぼんやりと川を眺めていた。


 赤々とした斜陽が水面を焦がしている。鳥も寝床に帰ってしまったのか、景色を賑わす鴨も鷺も今は留守だ。

 先程まで木の上でカアカア言っていた烏もいつの間にか飛び立ってしまった。

 静かな川沿いにあるのは冷たい風にそよぎ囁く、名も知らぬ背の高い草木ばかりだ。


(寂しい、と思う資格は僕にはないよな)


 眩い水面の底を見るように目を細めながら、倖斗はそっと息をついた。

 いつも、宗次郎となんとなしに顔を合わせては語らい、そして最後には刃を交えた橋の上。いつも通り、人通りの少ない子の場所の主役は水と緑のにおいのままだ。


 宗次郎は……怪人だったあの男は、一度は警官に引き渡されたものの、最終的に藤宮預かりとなったらしい。


 依頼とはいえ多くの罪を重ねてきただろう彼への対応としては甘いもののように思えたが、物的証拠を得られない罪ばかりで判断のしようがないというのが表向きの理由だった。


 何より、被害者が不死身姫であり実質的な死亡者がいないこと、厳重な藤宮の警護を突破したこと、そして、藤宮の不死身の仕組みを理解している節があることが決定打となったらしい。


 今は座敷牢に入れられ、生かさず殺さずの状態で日々を送っているという。


 倖斗には当然、面会許可は降りていない。


 帰ろう、と歩き出せば、前方から葡萄茶袴を履いた女学生二人が歩いてくる。きゃっきゃとはしゃぐ彼女たちを避けるように端に寄る。


「ねえ、【歩く人体模型】って知ってる?」


 すれ違う瞬間に聞こえたその言葉に、倖斗は目を丸くし、それから苦笑した。


「何が『誰にも知られないで死んでいく』だよ」


 もはやこの怪談は豊葦院を飛び出して、数多の人々の間で語られている。これが続く限り、あの怪人は終わらないのだろう。


 本人が予期せぬ形で広がった噺でも、名指しでそう呼ばれずとも、恐ろしげでも。決して褒められることのない所業の名残だとしても。


 彼の名残がそこにあることを、倖斗は喜ばずにはられなかった。

次回更新は昼頃です

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