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怪人退治(三)

「宗、二郎… …?」


 思わず、もはや呼ぶまいと思っていた親友の名で呼びかける。


 あの軽妙洒脱な友は怪人の用意した夢幻。

 そう割り切ったはずの自分が揺さぶられる。


 罠だ。確実に。


 そう思いながら、黄昏の空に飲み込まれるように欄干に向かう彼はどう足掻いても得体の知れない怪人などではなく、くだらないことばかり言い合った自分の友としか思えなかった。


「いやあ、もうこんな稼業飽き飽きしててさ」


 かんっと軽業師のように宗次郎が欄干に飛び上がり、黄昏を背負う。ゆらりと両手を広げた友の体が、ゆっくりと傾く。


「じゃあな、ユキ」


「宗次郎!」


 体を固定していた糸を全て切り落としたのと、宗次郎が落ちたのは同時だった。


 ぼちゃん、と鈍い音と同時に、欄干に手がかかる。


 川を覗き込む。増水した川は表面上のわずかに残った金色の夕焼け以外はただ黒く、それでも普段の川底の巌の数を思えばああも無防備に落ちて助かるはずがない。


 だから、倖斗は懐に隠していた鏢を上空へと撃ち放った。


 自分の頭を掠めて頭上へと飛び上がったモノに目を向けることすらなく、ただまっすぐに。

 間違いなく、その()を断ち切るために。


 どすんと鈍い音がして、男が空から橋の中央に落ちる。強かに背中を打ちつけたのだろう。激しく咳き込む音と共に、苦痛のにおいが濃くにおう。


「なんだ、早いおかえりじゃないか、嘘つき怪人野郎」


 簀巻きにされていた時とは真逆に、今度は倖斗が怪人の顔を覗き込む。瓦斯灯の灯りに浮かび上がる顔は臓器を丸ごと揺らされた衝撃で涙目になっている。もはや偽りの感情を被る余裕はないのだろう。見開かれたその目には痛みと羞恥と困惑が浮かんで隠れる様子すらない。


「反応、できるわけが」


 むせながら問われ、肩をすくめる。

 回収した鏢と断ち切ったことで落ちてきた細くも強度のある糸を手のひらで弄びながら、倖斗は答えてやることにした。


「僕のことを意識しすぎなんだよ」


「は……?」


 怪人が浮かべた当惑のにおいに、倖斗はますます呆れた顔になる。


「僕ならどうするか考えて、逃亡方法を作ったんだろ。わざわざ派手で無意味なやつをさ」


 この男が取った逃亡方法は至ってシンプルだ。要は井戸のつるべと同じことをしたのだろう。


 瓦斯灯の影をうまく使い、上空に糸を張る。行き先は川の幾ばくか先にある木の梢あたりだろう。そしてぐるりと糸を回し、橋の下に設置した大岩を重石にする。このままでは瓦斯灯沿いに隠して垂らした糸が重石の重量に引っ張られてしまうことを思えば、それこそか橋脚にでもくくりつけていたと見るのが妥当だ。


 そして、重石をちょうど良い時に落下させ、瓦斯灯から下ろした糸に捕まればあとはあっという間に射出されるだけとなる。


 では重石をかくも容易く、しかも倖斗が川を覗き込むのと同じタイミングで落とすにはどうしたのか。


 何も難しいことはない。

 この糸使いの怪人であれば至極容易く拘束でき、倖斗の友をしていた宗次郎ならば予想できないはずもない動きをするものを使えばいい。


 生来身軽である倖斗が、簀巻きにされた程度でああも動けなくなることはない。

 それでいて、武器を封じられた倖斗でさえ足掻きに足掻けば千切れるような強度の糸が使われていた。


 怪人は、倖斗を重石を落ちて行かないようにするための楔にしていたのだ。


 全くもって、腹立たしいことに。


「僕なら落ちていくお前を見捨てない。必ず糸を切ってそばに駆け寄る。ただお前を助けたい一心で、罠を見逃すお人よしだと思ってた。まさか僕がお前の行動を逆に利用するだなんて、ありえない。そう思っていた。違うか?」


 事実、ああも執拗に橋に押さえつけなければ気づくことはできなかっただろう。


「僕の鼻の精度を甘く見るなよ。思考の隙をつくならともかく、こんな近距離でかぎ分けられないはずがないだろうが」


 橋の下から苔のにおいが異様に近いことくらい、倖斗は容易く嗅ぎ分けられる。どれだけ雨が降った後の唸りを上げる川が下にあろうと、水と土と苔のにおいは倖斗にとっては全く違うものなのだから。


 まあ、吊るされた岩のにおいなどというものは、嗅覚が鋭くなければ思考に候補として上げることすら馬鹿らしいものだろうが。


 だからこそ盲点として倖斗が逆に利用できたので、馬鹿にされたと怒るつもりはない。


 明かされた種を前に、怪人はくしゃりと笑った。


「……なんだ、バレてたのかよ」


「ナメるなよ。お前のことをこっちだって見ていたんだ。お前自身がみくびっているお前の自我

のことだって、僕は知ってる」


「自我なんかあるかよ」


 吐き捨てられた男の言葉に、倖斗は目を瞬かせた。


 驚きと同時に、こうも事態を悟ってからの倖斗の猿芝居がうまくいった理由はそれだったのだと理解する。


「なんだ、本当に気付いてないのか。僕を驚かせるの、好きだろお前」


「は」


 ポカンとした間抜けヅラを見ながら、呼吸が整う兆候を見せ始めた怪人の体を跨いで座る。

 指を抜けられない捕縛術で縛り上げ足も関節を外しても抜けられない様にはしてあるが、触れる面積が大きい方が逃げ出そうとするのを感知しやすい。


 あからさまに拘束を強められたというのに魂がどこかに抜けたような顔をしたままの男の頬を突く。反応はない。


 ただ茫然とした曖昧でまとまりのつかない感情のにおいに、ため息をつく。

 これまでの不気味な無臭さは訓練の賜物だったのか、今はわかりやすいほどにおいがした。

バトル回その3

次でバトル回ラストです。

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