怪人への糸と、少女エスの望み
「先走るな。落ち着け!」
気色ばんだ倖斗を宥めるためか、常よりも焦った声で隆惺が言う。
「結論を言ってしまうが、あの娘は白だ。今日理恵子と同行するとあって先んじて調べさせたが、経歴は至極真っ当な中堅の華族の姫君で、馴染みの従者が最低一人は日常生活に寄り添っているから成り代わることもできない。あの娘は、怪人ではないよ」
「でも、正体不明ゆえに怪人なのですよね。その家に生まれた時からそうであったのならば、家ぐるみの犯行であるならば、幾らでも偽証はできます」
首輪を引かれても止まれない意気込みを口にすれば、ぺしんと額に軽く隆惺の手が触れた。
「ではお前が納得できる材料をあげよう。お前が望んだ怪人の特徴だが、色々資料を漁った結果『無臭であること』だと結論づけた」
「無臭……ですか?」
あの少女は、少女らしいコロンのにおいがした。感情のにおいもありありとした。自分の感覚の中で最も鋭い部分と同じ基準を持ち出され、思考に冷水がかかる。
「ああ。依頼をしたものや被害にあったものらと少し『お話』をしたんだが、嗅覚が鋭いものを中心にそういった証言をしてくれた。単ににおいがついていない、というよりは『本来誰もが多かれ少なかれ持っているはずの生物としてのにおいがない』というのが正確だな」
「生物としての、におい……」
それは、感情のにおいと倖斗が呼んでいるもののことだろう。
どれだけ体臭を消そうと、そのにおいだけは消せない。
(においが、ないもの?)
だが、チリチリとした違和感が記憶を掠めた。逃してはならないと叫ぶ本能のまま記憶を追いかけ、そして。
(……ああ、僕は。もうすでに会っていたのか。だから、あんなにも)
たどり着いた違和感の正体に、倖斗は口元を押さえて座り込んだ。
動揺と納得、悔しさと悲しみ。そして、小さな決意が沸々と湧いてくる。
――倖斗は、怪人を知っていた。事件が起こる前から。
腹の底が鉛を飲み干したように重くなる。信じたくないことだ。だが、他に条件に当てはまる存在がそういるはずもない。
(なら、奴を捕えるのは僕でなければならない)
従者としてはもちろん、ただ倖斗個人としても。
怪人の腕前を思えば、虎堂などのより強い達人に任せるべきなのだろう。だが、それはしたくない。
(わがままと叱られるかも知れない。でも、これだけは譲れない)
倖斗はどう双子主人に告げたものかと冷たい指先を手のひらに握り込んだ。
ありがたいことにそんな倖斗に触れることなく、隆惺が口を開く。
「悍ましい話だよ。罪のない少女たちにそれと知らせず殺人の片棒を担がせているんだから」
「罪のない、ねえ」
目を伏せた理恵子の視線が、窓の外へ向く。そこには何もない。ただ夜を透かす硝子窓があるばかりだ。
ぴくりと隆惺が眉を顰めた。
「理恵、お前、まだ何か隠しているな」
「いいえ? ただ、本当に【花係】というのは何も知らない哀れな子達だったのかしら、と思って」
「……どういう意味だ?」
怪訝な隆惺に、くすくすと理恵子が笑う。少女めいた愛らしくも怪しい笑みだ。
「だってそうでしょう? あの子たちだって馬鹿じゃないわ。花をくべ、願いが叶うと信じたから、あの子達は何度も花を運んでいた。たくさんの少女が【花係】だなんて幻想を女子部だけの秘密にしたの。そんな熱心に行っていたことが全くもって無意味であるというならばもっと早くに気づいて、廃れているわ。乙女の時間はそんなに安くなくてよ」
「なら、気づいていて彼女たちは花を運んでいたと?」
理恵子の静かな語り口に気押されるように、隆惺が息を呑む。
「ふふ、隆惺ったら。わたくしによく人の心がどうとか言う割に、こういうことには疎いわよね。何も全てに気づいていたとは言わないわよ。あの子たちが気づくのはたった一点でいい。この噂の果て、叶う願いが何かを悟るだけでいいの」
「待て。それではお前……」
嫌悪と困惑を滲ませ口篭った隆惺に、理恵子が微笑んだ。
「自分の青春を彩ってくれるはずの恋を、ささやかな秘密を、拾い上げることもせず袖にした不死身の女がちょっと痛い目を見るかもしれない。そう思えばいくらだってあの子たちは花を焚べたのでしょうね」
乙女たちは見事己の恋の仇を取ったのだ。
そうどこか楽しげにそう語る理恵子を前にして、隆惺は頭を抱えた。仮にも自分への無数の悪意を把握しておいて、全くなんという呑気さなのだろうかと言わんばかりに。
「理恵、お前な……わざと焼かれてやったとでも言うつもりじゃないだろうな」
「まさか。そのくらいの線引きはできているわよ」
その話を聞くこともなく聞いていた倖斗は薄氷色の目をただ一回瞬いて、そしてふらりと立ち上がった。
自身の口を塞いでいた轡のような手を外し、血の気の失せた唇で告げる。
「お二人とも。申し上げたきことが、ございます」
それは静かで、けれども確かな決意に満ちた声だった。
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