思惑と推理(三)
祈るように二人を見つめる。少しの間をおいて、隆惺が身のうちの痛みを細く長い息と共に吐き出した。
いつもの調子を取り戻した怜悧な紫色が倖斗を映す。
「利用されたのは間違いないが……、いや、これは一旦置いておくか。まず改めて認めねばならんな。俺の過ちを」
「坊ちゃんの罪という話なら」
「違う。あと坊ちゃんと呼ぶな」
アームレストに肘を置き、形のいい顎を手の甲に置いた隆惺が眉間の皺を揉みほぐしながら語り出す。その紫眼は冷徹な思考の炎を宿していた。
「過ちというのは、理恵の語った怪談を語り直した上で片方だけを正しいものと断定したことだ。【花係】と【かまど】のどちらかを主体として見た時点で俺と理恵子はお互い視野が狭かった。この怪談はどちらもが主体でだったのだからな」
「どちらもが、ですか?」
問いながら思い返す。
理恵子は【かまど】の曰くを主体として見て、一方をただのまじないと見た。
隆惺は【花係】のまじないを主体として見て、一方をただの仮説として見た。
その偏りが過ちであるというならば、正しいこの怪談の形はどういうものだったのだろうか。
隆惺がゆらゆらと燃える暖炉の炎を見つめながら口を開いた。
「この怪談は二つの要素で構成されてはいたが、分離した話ではない。かまどが嘆きたる炎を吐き出す準備をする【花係】と、その異質さから畏敬を呼び次の係を招き寄せその腹に花を溜め込む【かまど】。どちらともが主体で欠けてはならない一つの話だった。ここを分離させて考えていなければ、火の噴出を予期することも可能だったやもしれん」
それは傲慢な仮定だった。
だが、確信を持った口ぶりで語る隆惺の頭脳であれば可能な話なのだろう。
だからこそ、彼の悔しさは計り知れない。
そんな片割れの無念を汲んだのか、理恵子が挑発するように微笑んだ。
「そこまでいうのなら、【花係】と炎の関係も勿論、解いているのでしょうね?」
花係が日々花をくべていた。これは達磨ストーブの中にたっぷりと詰まっていただろう多数の花弁の燃え滓から確かなことだ。
炎が不完全燃焼をきっかけに吹き出したものである。これもまた煙突の詰まり様から見て確かなことだ。
この二つの要素は、どうやって繋がるというのだろうか。
理恵子の挑発に、隆惺が勿論と言わんばかりの涼やかな表情で頷く。
語り出しの一泊前に紅茶を一口飲んで、ソーサーにカップが降りる音と共に名探偵は語り出した。
「炎が吹き出す現象自体は、煙突の詰まりが直接の原因だ。それは先ほど言った通り変わらない。だが、煙突を詰まらせるにも、同じ不完全燃焼の状態が長らく維持されることが必要となる。煙突が詰まるのはタール……植物のヤニが原因だ。そしてタールは比較的低温の熾火が植物を燃やすことで発生する。消えきれず炎にもならない程度にあの達磨ストーブの内部で燃え、そして煙突が冷たい空気に触れることで、煙突内部に溜まっていく。一冬あれば充分、そして今は冬の終わりが見え始めている。今冬初旬、ストーブが設置されてから仕込んでいれば十分だっただろう」
ゆるりと長い足が組み替えられ、玲瓏なる声が告げる。
「そして、この不完全燃焼の状況を作るのにうってつけのものを、もう俺たちは知っている」
脳裏に赤い花がチラつく。
肉厚な花弁はたっぷりと水分を含み、決して燃えやすくはない。達磨ストーブの内部にあった灰と煤の量は、今思えば燃える前であれば骸炭よりも花の方が多かったことを示していたのではないか。
炎を吐く前の達磨の腹が開かれ、赤い花がこぼれ落ちるところを想像し、吐き気がする。
「定期的に捧げられる生花……【花係】が運んでいたあれこそが、お嬢様を燃やす下地となったのですね」
隆惺が無言で頷いた。
水気を帯びた植物というのは一般に想像されるも燃えにくい。薪をよく乾かしてから使うのもそれが理由だ。中途半端に生木に近い薪は燃えにくく、ひどく煙突を汚す。
毎日毎日届けられる生花をたっぷりとその身に溜め込んだあのストーブの内部は、確かに不完全燃焼が起こりにくい環境になっていただろう。
そこで、理恵子がゆったりと目を瞬かせた。
「ああ、そういえば、そうね。開けた途端に火が吹き出したから見間違いかと思ったけれど、ちらっと見えた焚き口の中に目一杯に溜まっていたわね。赤いの」
どんな花かあまり興味がなかったのだろうとよくわかるその口ぶりに、隆惺が苦笑する。
「火達磨のお前に踏まれてもほとんど燃えていなかったからな。燃えにくさは証明済みだ。……それに、空き教室というのも都合が良かったんだろうよ。花係が補充した花を毎日燻らせても煙突を詰まらせるのには数ヶ月かかる。常用されない教室であれば燃え方が鈍くて気付かれる確率は低いし、定期的に入る業者の清掃も空き教室だからとあえて外すこともできるだろう」
「気長なことをするものね」
理恵子の言葉通り、気長と見れば気長だ。
だが、倖斗は隆惺の語る此度の仕掛けに怖気が走って仕方がない。
だってそうだろう。これまでの怪談も確かに恐ろしかった。超絶技巧を伴わなければできない工夫が施されたそれは、それだけ確かな脅威を覚えるものだった。
しかしこれは、性質の異なる脅威だ。狂気と言い換えてもいい。
少女たちを言葉で動かし、数ヶ月間仕込まなければならず、厳密な状態管理が求められる殺しの手法。そこにあるのは生半可な殺意ではあり得ない。
突発と衝動とは程遠い、絡みつくような計画性で組み立てられた害意だ。
指先が冷たくなっていく。悪意や害意は何度も味わったことがあるが、その類型に入れられない不気味さが気色悪い。
そんな倖斗を一瞬気遣わしげに見てから、隆惺が理恵子に応じた。
「気長なのは当たり前だろう。この怪談はお前のために作られた、いわばオートクチュールの凶器なんだからな」
「あら」
理恵子が、目をわざとらしく瞬いた。ちっとも驚いているように見えないが、これでも心底驚いているのだろう。動揺に身を任せないというのは未来の皇妃としては満点だ。
「今回の殺し方で確信ができた。これまでの怪談もおそらく、理恵を殺すために作られたものだ」
「作られた、のですか?」
すでにある怪談に準えた訳ではない、ということだろうか。
疑問に思いながらも、この悍ましさに形を与えてもらえるかも知れないと主人を仰ぐ。
そんな倖斗を肯定するように隆惺は頷いた。
「ああ、防火扉の件と垂氷の時には『話に合わせている』とも言える形で理恵が殺されたからあくまで準えているだけとも思ったが、今回は違う。怪談で人を動かし、殺しとしては例外的なほどに時間をかけて舞台を整え、そして目当てである理恵を殺してみせた。これはすでにある怪談に合わせるだけでは実現しない。まじないとしての噂をもって怪談を作り上げて初めて成立する形だ」
舞台を整える。その言葉に、倖斗は目をぐわりと見開いた。
わざわざ理恵子を誘って係に挑み、充分に距離をとっていただろう理恵子が救いに入るまで動いていなかった、あの後輩少女の顔が脳裏に蘇る。
「あの【花係】の者が、怪人なのですか」
今にもあの後輩少女を噛み殺しに行きかねないほどの声が溢れた。
そうだとすれば、許しはしないと言うように。
次の更新は18時頃です




