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〈幕間・二〉

 大路から外れた、倖斗の休息所である橋の上。


 今日も今日とて倖斗は一人川を眺めていた。川にかかる木々のところどころに雪がまだある。普段ならば風情のあるものだと思うところだが、今は自分の無力感を思い出して唇を噛む要因にしかならない。


(……はやく、犯人を見つけなければ)


 理恵子を殺したもの――【怪人】と呼称されたその存在は未だ影も形も見えていない。本当にあと二度で済むのか。本当にこれまでの殺人は連続しているのか。警戒すべきは一つでいいのか。本当に、理恵子を二度も三度も殺させる必要があるのか。


 無力な自分にはわからない。愚かない自分ではわからない。なにもかもが疑わしい。


 冷静であれば本来抱くはずもない疑心をうずかせてしまうほどに、焦燥に心が焼かれる。


「よっ」


 そんな倖斗の背を軽やかに叩く、朝風のような声があった。

 ゆるゆると視線を上げれば、見慣れた甘やかなタレ目とホクロの優男がそこにいる。


「宗次郎」


 なんだか気が抜けてほっと息をつく。正反対に、宗次郎の眉は気づかわしげにハの字にひしゃげた。


「おいおいなんか顔色悪いぜ? ……て、まあ当然か。新聞読んだよ。災難だったな。いくら不死身姫っても主人が串刺しになるなんざ、背筋が凍って当然だわ」


 宗次郎も新聞を読むのか、そういえば今回の件はあえて釣り餌にするため新聞に事故として出したのだったな、などと思いながら欄干に背を預ける。


「いや、大丈夫だよ」


「大丈夫なやつの顔色じゃないんだよな。鏡見たか? 幽霊みてえな色してんだよおまえ。ほれ、あっちで汁粉売ってたから買ってきてやるよ」


「大丈夫だって……世話焼きめ」


 人の話も聞かずさっさと大路を歩く汁粉売りを捕まえに走っていった宗次郎の背を見送って、倖斗はすこし拗ねたように唇を尖らせた。


 宗次郎はあまり時間をかけず戻ってきた。手には宣言通り、湯気のたった汁粉の椀が二つある。

 前回の二の舞にはなるまいと椀を貰うと同時に銭を押し付け、無言で汁粉に口をつける。小豆の香りにすっと肩の力が抜けていく気がした。


「落ち着いたか?」


「ああ」


 二つの椀を重ねて欄干に置いた宗次郎が倖斗の顔を覗き込まれ、頷く。


 うっすら腹が空いていたのも悪かったのだろうか、胃袋が重たくなった分、少しだけ視界が鮮明に見える気がする。少なくとも、疑心暗鬼はどこかへいってしまったようだった。

 宗次郎が満足げに笑う。


「ま、気晴らしになんか話そうぜ。そう、贈り物、どうなった?」


「まだ決まってない。というか、それどころじゃ……、」


 思わず奥歯にものが挟まったように言えば、呆れたように宗次郎が天を仰ぎ、それからぱしんと欄干を叩いた。まるで講談師のようだ。


「おいおいおい。愛しのご主人様の誕生日なんだろ? 気合い入れてこうぜ兄弟。そう! 考えたんだけどよ。なにかお前が作ってみるのはどうだ」


「作る?」


 どういうことだろうか。

 職人でもなければ手先が際立って器用なわけでもない倖斗が何か付け焼刃で作ったところで、せいぜい子供の遊びのようなものしか出来上がらないだろう。


 そんなものを貰う方は、困るのではないだろうか。

 そう問えば、「わかってねえな」と優男はゆるりと首を横に振った。


「おまえの御主人様、おまえのことかわいがってるんだろ? ならお前が頑張れば頑張る分よろこんでくれんじゃねえの? 俺も親戚のやつが、えっちらおっちら花摘んでくれただけでほんっと嬉しくてさぁ」


「僕のこと幼児だと思ってる?」


 ムッとして返せば、カラカラとした笑いで跳ね返される。


「ガキではあるだろ。情緒わやわやのガーキ」


「否定できないのが辛いところだな」


 事実、倖斗の精神は未熟だ。

 過去人間扱いされていなかったことが尾を引いているのだろう。拾われてから虎堂たちができるかぎりの教育は施してくれたが、欠け落ちた時間は大きい。様々な成長が遅れている自覚はある。

 それを今から取り戻そうとすれば、どれだけの代償が必要なのだろうか。


「おっと。昔話?」


 思わず過去に意識が飛びかけたのを察したのだろう宗次郎が好奇心に満ちた目をする。

 そういえば、宗次郎と昔話をしたことはなかった。

 話して気持ちのいい事は藤宮に来てからのことばかりで、そちらはそちらで話せることは少ない。それに、何をどう語ろうと同情を引こうとしているようにしか聞こえないだろう。


「……やめておく」


「えー、聞かせろよ。友達だろ?」


「友達だから聞かせたくないんだよ」


 宗次郎には、日向でのんきに生きていてほしい。朝風のように軽やかな男に、余計な重荷は背負わせたくなかった。


「ほーん……ま、聞かせたくなったらいつでも聞かせてくれや」


「うん」


 きっと、そんな日は来ないだろう。それでいいのだ。倖斗と宗次郎の友情は、この橋の上で一瞬交差するくらいがちょうどいい。


「で、作るのどうよ。贈り物」


 すこしのセンチメンタルを台無しにするようなからりとしたその笑顔に、倖斗は一拍置いて、おずおずと口を開いた。


「……本当に喜んでくださると思うか?」


「可愛がってくれてんなら大丈夫大丈夫」


 では、信じてみるとしよう。双子主人からの愛情だけは、倖斗にとって太陽が東から昇り西に沈むのと同じ純度で、信じられることなのだから。


 それからしばらくああだこうだと話し合い、もはや駄弁っているとしか言えない内容に話が移ってきた頃、宗次郎が汁粉売りの声が離れていくのに気づいて椀を返そうと慌てて追いかけ走っていった。

 その背を見送り、さてどうしたものかと街をぶらつく。

 何か屋敷の人間にお菓子でも買って帰ることができればと思っていれば、先日の現場である路地に差し掛かった。


 そこでふと、何かが引っかかった。


 思わず、路地を凝視する。

 薄暗く、けれど整頓された物の少ない路地。あの時と異なるのは、雪が溶けて本来の壁と地面とが丸見えになっていることくらいだ。


(……? なんだ)


 目を凝らす。

 あの時、雪が寄せられていた突き当たりの壁に、何かが書かれている。


 ざり、と路地の土を踏む。

 落書きなんて珍しくもない。低い位置なのだから子供が何か書き付けていてもおかしくない。だが、開いた瞳孔が仕入れた情報は、それを否定する。


「……これ、は」


 そこにあったのは、かつて防火扉の前に落ちていた紙に書きつけられていた印だった。

 小さな五枚花弁と葉の図式化されたそれは、鎌柄だ。

 この印が意味するところを、もう倖斗は知っている。


 まるで署名のように理恵子の命を奪った場所に残されたそれは、もはや繋がりを隠すつもりもないと言わんばかりだった。


「【くだん】」


 小さく溢れた声は、低く唸る犬のようだった。

次回更新は17時頃です。

幕間も本編ですよ。

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