予言獣・神社姫
日本人形を思わせる重たくも艶やかな烏の濡れ羽色の髪をマガレイトに結った大人しそうな風貌とは裏腹にその眼差しは底知れない。纏っているのは糸巻文の美しい友禅と真っ白なショール。
見るからに裕福な家のご令嬢といった出立ちのその少女を、倖斗は見たことがあった。
「貴女はお嬢様のご学友の……加賀見の姫様?」
加賀見美琴。理恵子と同じく豊葦院女子部に通う華族令嬢だ。
かつて理恵子を迎えに女子部へ行った時に紹介された程度で、倖斗個人とは知り合いとも呼べない。しかし、理恵子にとっては数少ない懐に入れている友人だ。
何か、理恵子に言伝だろうか。そう問いかけようとした瞬間、美琴が再び口を開いた。まるでこちらの声が聞こえていないように、倖斗に呼びかけた続きが淡々と告げられる。
「きみに託宣が出ている」
温度のないその言葉に、緊張が髄を貫いた。ヒヤリとした風が首筋を撫でる。
「……貴女、【予言獣】ですか?」
予言獣。それは名門関係者の間で超常の存在として語られる者。
良くも悪くも畏れを抱かれる『託宣』というこれから先の未来を予兆なく告げに現れ、その言葉は脅威の的中率を誇る。
(未来を告げる獣の末裔ーー彼女が、そうなのだろうか)
唾を飲み込む。倖斗は詳しく予言獣の正体を知らない。理恵子と同じような先祖返りであろうという予想はつくが、目の前の彼女が本当にそうなのかはわからないのだ。
信じていいのかと揺らぐ天秤のままに問うも、美琴はまるでこちらの声が聞こえていないように、あるいは舞台の上にいるように眼前の倖斗の言葉に反応しない。
少女の底知れない黒漆のような目がゆるりと瞬いた。
「手短にすませよう」
その言葉には、畏敬を抱く他ない重みがあった。彼女が真に予言獣でないとしても、信じざるを得ないほどに。
「きみはじきに大切なものを失う。これは星の巡りだ。決して避けることができない」
心臓が嫌な音を立てた。
大切なもの。倖斗はそう多くのものを持っていない。大切と言い切ることができるのは主をはじめとした人間ばかりだ。その中から失うというのは、あまりにも不吉な響きを孕んでいる。
言葉を挟むことすらできない倖斗を冷徹に見つめながら予言獣の言葉は続く。
「けれど、きみは失うものを選ぶことが許されている。どちらを選ぶかはきみに委ねられる」
慰めのような言葉だが、それは残酷な選別をしろという意味だろう。
抗えない波がやってくる方が余程気が楽な未来が自分の先に待っていると告げられて、平静でいられるほど倖斗の精神は成熟していない。
空気が一層冷たく感じる。浮かんだ冷や汗が体温を奪っていく。
それでも、予言獣はただ託宣を告げ続ける。
「必ずや、きみは選ばねばならない。どちらかを。二つを取ることはできない。欲張ろうとすれば、どちらも永遠に失うことになる」
それ以外の行動を許されていないとでもいうように、絡繰じみた調子が空恐ろしい。彼女が一言一言を発するたびに周囲の空気が棘を生やしていくようだ。
「準備を怠らないことを推奨する。相談自体は誰にしても構わないけれど、慎重に。これは【予言獣・神社姫】としての忠告だ」
終わり、と少女が言葉を結んだ。
そしてやはり現れた時と同じく唐突に、百合の香りを漂わせて美琴は速やかに踵を返そうとする。その背中に、思わず声をかけた。
「待ってください。準備ってーー」
「そこまでは知らない。私たちは運命の巻物に書かれた予言を託され衆生に宣うだけの生き物だから」
答えながらちらと振り返った美琴は、これまでどこか生き物かも怪しかった気配がゆるりと軟化していた。黒漆のような目は相変わらず底知れないけれど、わずかに情のような温かみが宿っている。
ほんの少しの沈黙の中で唇を幾度か金魚のように開閉させて、美琴はそこで初めて、おそらく予言獣としてではない言葉を口にした。
「理恵子によろしく、ね」
ただそれだけだが、それすら言ってはいけないことだったと言わんばかりに口をきゅっと引き結んだ少女はさっと歩き出し、もう二度と振り返ることなく斜陽に吸い込まれるようにして去っていった。
「……予言」
思わず呟いたそれは、自分の声だというのにどこか不穏な響きになって耳の奥へと染みつく。
早く帰って、このことを主たちに知らせなければ。
そう思って歩き出した足はもはや先ほどまでの泥のような重さを忘れていた。
次の更新は12時頃です




