帰り道に出会うのは
迎えの車に双子とガウを任せ、倖斗は一人で屋敷に戻ることにした。
花畑の横、轍がいくつもぬかるみに線を作っている道をとぼとぼ歩く。
本当であれば車に同乗するべきだった。きっと屋敷に戻ると同時に今日のことを話し合うことになるだろう。
そうわかっていても、双子と顔を合わせて平静を保っていられる自信が今はなかった。
きっと彼らは倖斗の後悔を見抜いてしまう。そんなことは思わなくていいと慰めてくれる。強く凛々しい主人としての顔で、倖斗を無力な子犬に戻してしまう。
それではいけない。倖斗は強くならなくてはならない。
愛を注がれる資格など、今の倖斗にはないのだから。
自分を追い詰めるような思考が、足元を深く飲み込んでいくようだった。
空気そのものに赤い紗がかかったような夕暮れを歩く。
冷え始めた風が首を掠めるたびに体温が奪われていく。暖を取ろうと足早に帰路を急ぐ人々を横目に認識しながら、倖斗の足は次第に重さを増していく。
早く戻らなければと思うほどに歩みは鈍くなり、ついにはとん、と誰かにぶつかってしまった。ふわりと、甘い香りがする。視界の端でモダンなスカートが揺れた。
「ちょっと、あなた大丈夫? って、あら? 理恵子さんの従者の子じゃない?」
心配そうに倖斗の顔を覗き込んできたのは、見覚えのある顔だった。先日裏庭で出会った女子部の外国語師範である飛鳥だ。
「飛鳥、師範……? っ、申し訳ございません! お怪我は?」
散漫になっていた意識がきゅっと引き締まる。大した勢いではなかったとはいえ、飛鳥は上背こそあるものの細身だ。小柄とはいえ鍛えている倖斗が思っている以上に衝撃があってもおかしくはない。
わたわたと慌てる倖斗に、飛鳥が柔らかな笑みを浮かべる。
「平気よ。ただぶつかっただけだから。それよりも守辺くんの方がひどい顔色。もしかして具合でも悪い?」
「いえ、いえ……大丈夫です。申し訳ございません」
親切な人だ。だが、今の倖斗には身だしなみ程度のコロンすら、毒のように気持ち悪さを誘うものにしかならない。目の前でこれ以上の粗相をしないためにぺこりと頭を下げれば、「本当?」と言いながら飛鳥は道を開けてくれた。一礼をして、横を通り抜ける。それ以上、長身痩躯の師範は深く問い詰めてくることはなかった。
そのまま、ずり、と岩のように重い足を無理やり進めて歩いみたが、しばらくするとまた耐えきれなくなって止まってしまった。
(情けない)
そんなことを思いながらゆるりと視線を動かしてからようやく、ここが理恵子がいなくなった路地の前だと気づいた。
先ほど飛鳥と出会った場所からさほど離れていない。普段ならばこれほどまでに時間をかけたならばもっと屋敷のそばに戻っていてもおかしくはないはずだが、未だこの程度しか進めていないことに自己嫌悪が積もる。
漠然と見つめる斜陽に沈んだ路地は先ほどよりも濃い影を落とし、奥に寄せられた雪は怪物めいた恐ろしさを帯びている。
(こんなところで立ち止まっている暇があったら、早く戻らなくては。ああでも、せめて若様のお役に立てるような情報の一つでも見つけて、早く)
もう一度路地を探ろうかとも思ったが、ここは隆惺がもういいと判じたことを思い出す。
あの名探偵が見落とすようなものを、今の倖斗が見つけられるとは思えない。
(……ダメだなあ、僕)
倖斗は嘆息した。
手足として隆惺の望む情報を集め、直感を求められるままに拾い上げることはあっても、自分の頭で考え集めた経験など倖斗にはない。何が必要になるのかも一人ではわからない。これまで疑問に思ったこともなかったが、彼らの足手纏いにならないよう目指すならこんなことではダメだろう。
そんなことをつらつら考えていると、視界が潤み歪んだ。
(泣く資格なんかないだろ、馬鹿じゃないのか)
溢れそうな涙を堪えるように上を向けば、端に紺を滲ませた赤い空で、薄っぺらな雲が金色に光っている。
(……綺麗だな)
遮蔽物のほとんどない通りだというのに、こんなにも美しい空があることに気づいていなかった。どれだけ俯いていたのだろうと自嘲しかけたところで、ふと倖斗は首を傾げた。何かが変だ。
人の行き交う通りはぽつぽつと瓦斯灯が灯り始めている。足元の雪と屋根の雪とが光に照らされ眩いところと暗いところの陰影を濃くしている。足早に帰る人は時折ひょいと道の端から真ん中へと体を避ける。土を踏み固めた通りはわずかに溶け出した雪解け水でぬかるんで、それがでこぼこと気持ちの悪い影を作る。
ぴちょん、とどこかからぬかるみに溜まった水に新たな一滴が落ちる音がする。
薄暗くなっていく世界の中で、雪だけが変に明るい。それは地面の端に、そして屋根の上にある。
(そうか。屋根だ)
理恵子が消えた路地の軒の片側には雪が一つも乗っていなかった。雪があるところとないところがまばらなのだと思っていたのだが、実際は積もった屋根の雪も垂氷もそのままにしているところばかりだ。
ぐるりとあたりを見回せば、南向きの屋根でさえ雪が落ちている様子はない。
「あの路地の屋根は雪をおろしてた……のかな?」
呟いてみるもいまいちしっくりこない。うーんと首を傾げ、それから諦める。
やっぱり坊ちゃんのようにはいかないものだ。
ため息を吐こうとした倖斗の鼻先を、季節外れの百合の香りがくすぐった。
その香りに導かれるまま振り向く。
「守辺倖斗」
水が一滴落ちるような静かな声をした少女が、そこにいた。
これで本日の投稿は終わりです。次回更新は明日朝です!
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