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朝の風景、あるいは嵐の前の静けさ

 華族を教育するこの豊葦院(とよあしいん)には、従者棟がある。


 年若い華族の従者や見習いたちに平等な教育機会を与えることを目的とした施設であると同時に、閉鎖的な一族も多い華族たちに学内での子女の有事を滞りなく知らせるための連絡拠点も担っている。

 言葉にすれば物々しくもあるが、要はただの従者用の学舎だ。主人に何かあったときに動き回るのは至極当然のことなのだから。


「朝から振り回されたの? ユキくん」


 風呂敷を机に置いてかけられた声の方を向くと、黒目がちな目がいささか低い位置からこちらを見ていた。


 倖斗と同い年の十五歳であるはずだが家系的に小柄なこの少女の名を、猫足円(ねこあしまどか)という。


 彼女もまた藤宮に仕える身ではあるが、倖斗のように生涯仕える契約をしているわけではなく、嫁入り前の修行としての女中業だ。理恵子とは長い付き合いなのと双方が気安い性格なのもあって許婚トークをする仲らしい。耳から砂糖が出そうになったので同席したことはないが、屋敷で親しげに話しているところを見かける。


 倖斗にとっては藤宮でも従者棟でも自分より前から在籍していることもあってよく気にかけてくれる、優しい先輩と言ったところだ。虎堂の師事を受けるもの同士でもあるので、姉弟子と言ってもいいだろう。


「まあ、お二人はいつもああだから」


「遊ばれてるよねえ。でもそういうのが幸せって感じなのかな、ユキくんにとっては」


 ふにふにと頬を突かれる。理恵子や隆惺もよく突いてくるあたり、幼児扱いされている気がしてならない。


「突然何」


 やんわりと手をどければ、微笑ましげな顔をされた。反抗期の弟を見るような目だ。


「だって、ゆるゆるなんだもの、ユキくんのお顔。この数年見てきたけれど、理恵子さまたち以外にそんな顔させる人いないでしょ」


「そんなに緩んでる?」


「朧豆腐って感じ」


「そうなんだ」


 独特な形容に曖昧に頷いて席につく。春が遠いからだろうか。それとも夜が明けてからそう時間が経っていないせいだろうか。窓際でたっぷり陽光を吸っているはずの机はまだまだ冷たい。


「ねえ、ユキくんはお二人の誕生日に何か差し上げるの?」


 前の席に少し行儀悪く座った円が問う。

 そろそろ聞かれるだろうとは思っていた。


「何か贈れたらとは思っているんだけど、まだ決めてないよ」


「意外」


「僕をなんだと思っているの」


 目を丸くした円に呆れた顔を返せば、悪びれない笑みがにっこり咲いた。


「理恵子さまと隆惺さまの中毒者?」


「それ、お二人にも失礼じゃない?」


 あまり良い響きではない。眉を顰めた倖斗に、「そう?」と軽い響きが打ち返される。


「そんな具合に自称している女子部の姫さまは多いって聞くよ? 男子部のことはわからないけれど」


「ふうん……坊ちゃんの性格からしてそこまで取り巻きはいないんじゃない」


 失礼な物言いになってしまうが、どちらかといえばニヒリストである隆惺は人を寄せ付けない雰囲気がある。理恵子と似ているわりに少女めいた印象がないのはそのせいだろう。


「まあ、どちらかといえば女子ウケするお顔よね、お二人とも」


「同じお顔だしね」


 脳裏に主人ふたりの顔を思い浮かべ、苦笑する。

 人付き合いで言えばすでに社交の場に出ている理恵子に軍配が上がる。その上、普段から美しい顔をやる気のない猫のようにしている隆惺はそれは近寄りがたい存在として名高いのだ。深度を問うならば逆転するのだろうが。


「で? 何を迷っているの?」


 一瞬の油断を突くように、円が言った。

 話をズラせたものと思っていたが、姉弟子を誤魔化すにはまだまだ足りないらしい。


「……なんでバレるかな」


「ユキくんなら一年前から決めておくくらいのことはしそうだもの」


「本当はそうしたかったんだけどね。でも、僕が用意できるものなんてあの方たちなら皆持っているだろうと思うと、なかなか決められなくて」


 倖斗は六年ほど前に双子に拾われた身だ。


 捨て子というわけではないが、生家の後ろ盾がないため生活の全てを藤宮によって賄われている。充分な給金はいただいているし貯金もしているものの、藤宮侯爵家の直系である理恵子と隆惺からしてみれば雀の涙のようなものだろう。


 何より、倖斗の世界はほとんどあの二人によって作られたものだ。自分が知っていて彼らが知らないことを探す方が難しい。


「こういう時の贈り物は気持ちだと思うな。それにあなたに負けず劣らず、お二人はあなたのことを愛していらっしゃるでしょう」


 倖斗の気持ちを見透かしたように言う円になんだかバツが悪くなる。


「愛玩動物としてね」


「否定はしないけれど、それは家族ってことよ。あの方たちはすぐ家族を増やしてしまわれるから」


 思い当たる節がありすぎる話だ。


「今朝もガウの散歩中に新しい子を迎えようとされていたよ」


 ガウとは双子が共有して飼っているドーベルマンだ。


 数年前の大地震で逃げ出したのを保護した子だが、飼い主の死亡が確認されたためそのまま引き取ることになった。今ではすっかり藤宮の番犬として馴染んでいる。

 他にも宝石亀のタマキや大鷹の椿丸、泡クラゲの水まんじゅうに梟の大福など、双子がそれぞれに増やした『家族』が藤宮の屋敷では飼われている。


「えっ、これ以上増やしたら虎堂さんの胃が破けちゃわない?」


「大丈夫。他所の文鳥が迷い込んでいただけだったから」


 そんな、他愛無い日常の会話の最中だった。


 ……りん

 ……りりんっ


 不意に聞こえた鈴の音に、はたと動きを止める。円も同様にぴたりと静止する。

 他の生徒たちはそんな二人に特に反応することもなく、和やかに会話を続けている。


 交わす視線は瞬きほどの時間も要らなかった。


「僕が行く」


「わかった。こっちは任せて」


 弾かれたように、倖斗は駆け出した。

次回は18時頃投稿

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