安楽椅子には理由がある
「俺を呼んで正解だな」
路地に連れてこられた隆惺は現場を見るや否やそう告げた。
足元にてってってと駆け寄ってきたガウを撫でてから、緊張した面持ちで壁際に立つ従者二人を紫色の瞳が捉えた。その目に怒りや失望はなく、起きたことを冷徹に捉えている。
「円、理恵と離れたあとどれくらいでここに戻ってきた?」
「十分くらいです。運良くこちらの家が電話を持っていたので」
円が指し示したのは雪も垂氷もしっかり落としてある北向きの軒だ。まさに商家といった造りで、路地であるというのに手入れがしっかりとされている。
「戻ってきた時、この軒の雪はどうなっていた? この雪山はあったか?」
記憶を手繰る少しの沈黙ののち、円が口を開いた。
「まだ雪も垂氷もありました。隠れていただく際に【音】で落下物の危険がないかチェックしはしましたが絶対はないのでもちろん避けて隠れていただきました。雪山も……ありませんでしたね。積雪はあっても見通しは良いと判断しましたから。人が隠れられそうだとか、埋まってしまっていそうだとかの要因はできる限り避けた記憶があります」
その口振りに迷いはない。確かにこの路地の危険性を確認した上で避難場所に選んだことが明瞭にわかる答えだ。
「どの程度この路地を探した?」
「もちろん、植木鉢までひっくり返すくらい全て探しましたよ」
事実、この路地には円のにおいがあちこちについている。倖斗を呼ぶ前にあちこち触ったのだろう。
頷いた隆惺がさらなる問いを重ねる。
「この路地を選んだ理由は?」
「他は理恵子さまを隠すのに向かないか、そもそも物が多いか人がいるかで入れなかったんです。消去法ではありましたが、こちらは立地も優れていましたから。……ああ、そうだ。理恵子さまを隠した時にも探した時にも、この荷車はありませんでした。ユキくんを呼びに行っている間に戻ってきたのかと。あったらここも断念してましたね」
「なるほど。よし、いくぞ」
それ以上路地に踏み込むこともなく少年主人がくるりと踵を返した。
「わかったんですか?」
「いいや?」
倖斗の呼びかけを一蹴して、亜麻色の髪を帽子にしまい直した隆惺がサッと歩き出す。
路地をもっと確かめなくてもいいのだろうか。一見しただけ、質問をしただけでろくな観察も終わっていないように見えるのだが。不安を覚えてチラと振り向けば、円もガウも困惑したように顔を見合わせていた。隆惺の行動が理解できていないのは倖斗だけではなかったらしい。
「どうした、行くぞ」
だが、隆惺からは揺れることのない自信のにおいがする。まるで、最低限の材料は拾い終わったと分かり切っている場所で粘ることこそ理解できないとでも言うようだ。
まだ拾える情報があるのではないだろうか。
そう問いそうになって、はたと気づく。
(あ、そうか。坊ちゃんは僕らとは条件が違うのか)
倖斗や円などの感覚が鋭い性質を持つものは一度に手に入る情報が多い。ある意味では多すぎるほどに。そしてそれを処理する体力もある。
例えば倖斗は感情の変化からくる細かな相手の分泌物の変化まで嗅覚で捉えている。だが、それは感情の名札が最初からついているものではない。これまでの経験や直感を頼りに判別しているものだ。それゆえに相手の言動と感情の食い違い、複雑すぎるにおいによる酩酊、強烈すぎる感情による過負荷などに倖斗は脳の大半を割かれていると医者に言われたこともあるほどにその負担は大きい。詳しく聞いたことはないが、円の聴覚も似たようなものだろう。
だが、そんなことをしながらでも倖斗たちは日常生活を送ることができる。多くに気を取られ、あちらこちらに目移りすることが許される体力がある。
だが、隆惺は違う。
祖とする獣の差だけではない。藤宮どころか一般男子としても虚弱の類に入る隆惺にはそんな体力も余裕もないのだ。不死鳥の因子を持っていなければ走ることすら危ういほどに。
必要最低限の情報を最小限の労力で集め、判断し、求めるべき解のための充分な情報を手に入れたあとは、安楽椅子に座っているだけで精一杯。それが藤宮隆惺の最大値だ。
「本当に、ここはもういいのですね……わかっていなくとも」
「ああ」
隆惺は再び迷いなく頷いた。そして先ほどはなかった一言が付け足される。
「だが、お前がいれば、もはやわかったも同然だ。そういう材料は手に入っている」
じっと倖斗を見ていた紫の目がズレて路地の入り口に置かれた荷車、その車輪を見下ろした。つられて視線を落とせば、車輪には乾き切っていない泥汚れと小さな花びらが付いている。
隆惺が気だるげな口調はそのままに、小さく笑った。
「働いてくれるな? 俺の可愛い子犬」
次は20時ごろ更新!
どんどんいきましょうね




