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〈幕間・一〉

 放課後、双子のおつかいを終えた倖斗はひとり、橋の上で休息を取っていた。


 大路から少し離れたこの橋は瓦斯灯がひとつあるばかりで、近所に住むものと近くの寺へ用があるもの以外は選んで渡りに来ることもない。


 優れた嗅覚故に時折人々の生活のにおいさえ雑多に感じてしまう倖斗にとって、木々と水のにおいが主役となるこの場所は、疲れた神経を休めるのにちょうどいい場所だった。


 普段ならここを訪れて一息つけば、どんな悩みもすっきりと切り替えられるというのに今日はそうは行かないようだった。

 事の重大さを思えば当然のことだろう。


(ひと月、お嬢様を囮にする)


 これからのひと月における【理恵子を守りぬく】とは、彼女の不死性を利用した拷問行為や誘拐をはじめとした、隆惺が推理する事件解決とは無関係な苦しみのみを防ぐことを意味する。裏を返せば、関係がある死は見過ごさざるを得ない場面が出てくるということだ。


 隆惺の言葉を受け入れて見せたものの、不死身である理恵子を囮にするのはただの囮とは訳が違う。確実に彼女には一度ならずその息を止める瞬間が訪れるだろう。


(お嬢様は豪胆な方だから、きっと気にしない。でも、僕は耐えきれるだろうか)


 倖斗にとって双子主人は世界の両輪そのものだ。片方が幾度も傷つけられる姿を見た自分の反応は自分でも量り切れない。


 川を見つめる。今日の水量はそう多くない。今が風が刺さるほどに冷たい冬でなければ川床に降りて水垢離でもしたかったが、さすがに今日そんなことをしたら理恵子たちに驚かれてしまうだろう。

 どっぷりと考え込む倖斗の頬に、ぴとりと温かい何かがあてられた。


「ぅわ!」


 振り返れば、そこには見慣れた優男がいた。


「よ、倖斗」


宗次郎(そうじろう)か。驚かさないでよ」


 甘ったるいタレ目とまなじりのホクロが特徴的な彼は、名を午頭宗次郎(ごとうそうじろう)という。ひょんなことからこの橋で出会い、なんだか気が合って長らく付き合いが続いている、おそらく、友人だ。


 宗次郎は華族でもなければどこぞの従者というわけでもないが、それでも本人の気性が朝の風のようで話すだけで心地いい好青年だ。

 話せる事こそ限られているものの、難しいことを考えずに付き合えるとあって、彼と過ごす時間はとても息がしやすいように思える。


 悪い悪い、と言いながら、宗次郎が手に持っていた椀を渡してきた。受け取れば、湯気をたっぷりと立ち上らせる甘酒のにおいがふわりと鼻を掠めた。このにおいは二本ほど通りを跨いだ先にある大路の甘酒屋のものだろうか。てっきり近くに甘酒売りでも来ているのかと思ったが、わざわざ買って来たらしい。


「お代は?」


「いいよ。驚かせたお詫びお詫び」


 少し悪いな、と思いながらも言葉に甘えて口をつける。冷えた体にほっとする甘さと熱がしみた。


「で? 例のおまえのお悩みは解消したわけ?」


 ぐっと冷や水でも飲むように一気に甘酒を飲み干した宗次郎が問うてきた。何のことだろうと思い、首を傾げる。


「悩み?」


「おいおい忘れるなよ。おまえの大事な御主人様たちのお誕生日なんだろ? 何を贈るか悩んでたじゃねえか」


 言われて、思い出した。理恵子の首が落ちるなんていう大事に遭遇したせいですっかり頭から抜けていたが、確かにそれも倖斗にとっては解決すべき悩みだった。

 あまり多くのことを一度に考えるのに慣れていない頭がぎりりと痛む。


「ああ……それもあったんだった」


「それもって……なんかあったのか?」


「そ、いや……」


 倖斗は思わず口を塞いだ。宗次郎は藤宮とは無関係の一般人である。主家の情報を従者たる倖斗が勝手に語ることはできない。この男にはつい内心を吐露してしまいがちだが、その程度の分別はある。


 それに軽やかで掴みどころがない男ではあるが、悪い奴ではないのだ。この得体の知れない事件になど関わらず、彼には日常を生きていてほしい。


 目を白黒させて言葉を探す倖斗を見て、宗次郎は苦笑する。


「だんまりか。ま、いいけどさ。話したくなったら話せよ」


「ごめん」


「謝んなって。……あ、そうだ贈り物ならさ、菓子はどうだ? 消え物ならそんなに気負わず渡せるだろ」


 倖斗の機転の利かなさを慰めるように、ぽんと話題が元に戻る。宗次郎のこうしたところにいつも救われるのだ。


 下手に感謝すればまた困らせてしまうのは知っている。倖斗は何も気づかないふりをして、にこりと笑って話題に乗った。


「主様たちの普段食べてる菓子の値段、教えてやろうか」


「……そんな? 華族こわ」


「皇の藩屏たる方々が安いもので満足してる方が恐ろしくないか?」


 少なくとも倖斗はそう思っている。


 主人たちには高いものの方が似合うというのもあるが、単純に質のいいものを知っている人がそうでないものを素晴らしいと評価するのは理屈があわない気がしてならないのだ。

 宗次郎がううん、と腕を組んだ。


「そう思うような思わないような……。そもそもおまえの御主人様たちって何が好きなの。どうせ贈るなら好きなものにしようぜ」


「好き……物品で、だよね」


「まあ普通は。え? 物品じゃない好きなものって?」


 いったい何が出て来るのかと怪訝な顔をした宗次郎に、今度は倖斗が苦笑いをする番だった。


「お嬢様が一番好きなのは婚約者様だから」


「あー、そういう」


 理恵子は婚約者である皇子のことを心底愛している。

 お茶を自室に淹れに行くときなどに蕩けるような笑みで彼からの文を眺めていることは稀ではない。他にも毎年二人が出会った記念日には小さくも美しい花を贈り合っては栞にして大切に保管しているし、折につけて送られてくるリボンや櫛、着物はそのたびに写真屋を呼んで最高の状態で着付けて手紙に添えていたりもする。


「……それに、婚約者様のご機嫌を損ねるわけにもいかないし」


 そう、皇子の存在も誕生日祝いの難易度をはね上げているのだ。贈り物の格で張り合おうなどとは思わないが、従者とはいえ一番近いところにいる血縁ではない男が下手に同じ系統のものなど贈るのはどうにも外聞が悪い。倖斗は女であると伝えられればいいのだろうが、生家に見つかる危険性を高めて理恵子たちの苦労を増やすのは気が引ける。


 性別周りのことは知らずとも十分に懸念を理解できたのだろう、宗次郎の笑みが引きつった。


「婚約者殿と贈り物が被ったらまずいな。倖斗にはそういう感情ないんだろ? ……ないよな?」


「ないね。主様たちが幸せであればそれでいい」


 心の底から、倖斗にとって願うのはそれだけだ。たぶん、自分の性別が生来男であっても同じことを思っただろう。

 そもそも倖斗には、恋も悋気も難しすぎる。


「献身的だこと。んじゃさ、坊っちゃんの方はなにが好きなわけ。お嬢様のほうが難しいなら、坊っちゃんの好みにあわせて同じモノ贈っておけば角も立たないんじゃねえ?」


「坊っちゃんは……」


 一瞬考えて、首を横に振る。


「何もしない日が最高、とよく」


「おっとそうきたか」


「もともと体の弱い方だから……」


 隆惺は虚弱体質だ。不死鳥の炎で回復できるものの、そもそもの全快状態が一般男子以下といっていい。普段からやる気のない猫のような表情をよくしているのはポーズでも何でもなく素である。


 その上で並外れた頭脳をもとめて駆り出されたり、華族男子としての責務として鍛錬を課されても逃げ出すことはないので、休日至上主義者となるのはむしろ必然と言ったところだろう。


「えー……あ、じゃあさ日課は? それで使えそうな実用品とか」


 確かに名案ではある。倖斗が双子の従者で無ければの話だが。


「もともとその手のものを用意するのは僕の役目だから、代わり映えしないぞ」


「花は?」


「庭師が育てているものより美しいものを調達できる気がしない」


 藤宮は古くから存在する家で広大な庭もある。住み込みの庭師が育て上げた花園には市井の花屋には並ばないような花が取り揃えられている。理恵子が生まれた時に拵えられた区画など、もはや気合が入りすぎて極楽のような状態だ。


「あー……」


 宗次郎の目が遠くなる。倖斗は気まずくなって、思わず目を逸らした。


「……なんか、すまない」


「いや、倖斗が長々と悩んでる意味がわかったわ。またなんか思いついたら言うな」


 ぺそぺそと肩を叩かれる。励まされているらしい。


「……ありがとう」


 つくづく、よい友を持ったものだと思いながら、倖斗は照れくさそうに笑った。

本日はこのあと19時頃から第二事件の発生から理恵子復活回周辺まで5話ほど連続で投稿していきます。

お楽しみくだされば幸いです。


皆様のおかげで日間と週間のランキングに滑り込めてるみたいです。ありがとうございます!

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