真実(一)
「まず、理恵の倒れ方をよく思い出してくれ」
隆惺が懐から出した万年筆で卓上の帳面に図を書きつけながら語り出す。
簡易な線で描かれたそれは現場の状況を俯瞰して見たものだ。
「理恵はうつ伏せに倒れていた。それでいて髪がすべて綺麗に脳天の方向に流れていたのだろう? これが第一の違和感だ。理恵の髪は腰まであると言うのに、一筋だって扉に挟まれることないのは奇妙だ」
「言われてみれば、変ですね」
倖斗は当時の光景を思い出しながら頷いた。髪が放射状に散っていたのは倒れた姿に違和感を持たないように細工されていたのだろう。込み上げる悔しさに唇を噛む。
「ああ……わたくしを持ち上げた時、何も引っかかることがなかったとか言っていたわね。この髪が引っ張られた程度で千切れるとも思えないし」
理恵子が自身の亜麻色の髪をさらりと指でなぞる。貴人らしく丁寧に手入れされた髪は軽やかではあるがしっかりとしたコシもあり、簡単には切れないのは明らかだ。
「では次に、血がどう溜まっていたかについて考えるとしよう」
隆惺が次の言葉を撃ち出す。かつ、かつ、かつ、とペン先が紙に鋭く線を描く。
「血溜まりは防火扉を挟んで胴体側に半円、頭側に半円があり、合わせて正円になっていた。倖斗、少なくとも頭側の血が緩やかな弧を描いていたのは覚えているな?」
促されて記憶を探れば、ありありと目の裏に血溜まりの赤が思い浮かぶ。そこに横たわる理恵子の首を思い出し、胸の奥に鉛のような重さが溜まった。
「……はい。確かに。真っ赤な水溜まりのようでしたから」
「そう、水溜りだ。あの血溜まりの形は扉に首が挟まれ飛んだにしてはおかしいんだよ」
「どうおかしいと?」
人の首が落ちた現場を見るなどこれがはじめてだから詳しくないが、防火扉を中心として血が流れたならば、大体あのような形になるのではないだろうか。
隆惺がページを捲り、新しい図解を書き添える。今度は防火扉と理恵子の状態に注目したもののようだ。
「いいか? 防火扉が落ちて首が切れたなら、まず血は正円にはならないんだよ」
自然にはな。と言いながら、ペンが走る。
「理恵の首なんて大した太さはない。そんなものを潰し切ったとしても血が出てから扉が落ちるまでにそう時間はかからなかったはずだ。早々に頭と胴体が扉に寸断されたのならば当然、心臓がある胴体側に多く血が流れ出ることになる。どう考えても頭側には内部に溜め込んでいたものが少しと、周囲に飛んだ飛沫程度しか溢れる余地はないはずだ。少なくとも体側と同量の血があるのはおかしい」
図解に逹磨に似た形の血溜まりが書き加えられる。その大きさの違いを示すように隆惺がペン先で強く紙面を叩いた。
「また体側に面していた方には噴水のように溢れたものがぶつかった跡なければおかしいというのに、これもまたあの現場にはなかった」
「あったらさすがに僕も気づいていましたね」
思い返すのは磨き上げられた鏡面のような防火扉だ。あれに血がついていたならばいくら動転していても気づけただろう。
倖斗の言葉に「だろう?」と相槌を打った隆惺がさらに穴を潰すように、扉がない場合の血液の出方についての図が描かれる。
「仮に防火扉が勢いよく落ちたのではなくズルズルと落ち、閉じ切る前に体側の血が頭側にも達した場合であっても血の勢いは同じだ。遮られるものがないならば体から噴出した血は真っ直ぐに飛び、少なくとも飛沫の一つもない正円にはならない。故に、あんなにも綺麗な円形になった血溜まりは作られたものだと言える」
「道理だな」
信之助が頷いた。
特殊な肉体を持つ藤宮において人体の構造を学ぶことは家庭教育の範疇とされている。この場において最も藤宮の肉体を知る彼の同意は重い説得力を持っていた。
兄のお墨付きを得て、隆惺がさらに言葉を重ねる。
「もう一つ言うならば、体勢も妙だった」
新たなページにペンががり、と音を立てて新たな線が書き付ける。書かれたのは倒れた人体と地面の関係を示した図。先ほどとは切り口の違う図をカツカツとペン先が叩いた。
「脳天を割られたわけじゃなく延髄を切り落とされている以上、首が飛ぶ『前』に横になっていなければおかしい。だがそうなれば血は地面と並行に吹き出すのだから、理恵の着物の前身頃があんなにも汚れていたのが理に合わないんだよ」
確かに、駄目になってしまったと拗ねた顔をした理恵子の着物は血まみれだった。だが、血溜まりに伏していたのだからそれは当然のことではないだろうか。
倖斗が疑問符を浮かべれば、説明が続いた。
「理恵は横たわった状態で扉に首を飛ばされた。となれば、血が着物に届く頃にはもうすでに地面にべったり倒れていたはずなんだよ。その場合、最も濃く血が染みるのは肩になって前面に入り込む余地はあまりないだろう」
「ああ、言われてみればそうね。わたくしの着付けは美しく見えるよう、前側の凹凸はほとんど補整で無くしているから」
理恵子が頷くのを見ながら、倖斗も心当たりを思い返す。
確かに処分を申しつけられた振袖は首にほど近い肩の部分よりも体の前面にあたる部分の方が滴るほどに血濡れていた。端から染み込んでいったのではああはならないだろう。
仮に髪の毛のことが気のせいだったとしても、これはどう考えても異常だ。第三者の意図なしに起こるとは到底考えられない。
これだけでも充分ではあるが、「そもそもな」と隆惺が続けた言葉が何よりの決定打だった。
「拾い上げた時に見えた理恵の首の傷は、あんな分厚い鉄塊に押しつぶされたにしてはあまりにも綺麗だったんだよ。それこそ、達人が切り飛ばしたみたいにな」
書きつけた簡素なヒトガタの首の上でビッとペン先が滑り、鋭い線が引かれる。
図解はもはや必要ないだろうと言わんばかりに万年筆が置かれた。
「故に、俺が考える真実はこうなる」
講談師のように、隆惺の手が高らかに机を打った。
「犯人は理恵を昏倒させ、首を切れ味の良いもので胴体から切り離した。その上で血溜まりや鏡面の防火扉などを用い、あたかも怪談が現実になったかのような不気味な事故死に見せかけた」
爛々と燃える紫眼がぐるりと室内を見まわす。暴かれた真実に口出しするものはいない。
犯人無き真相開示が続く。
「血溜まりを作る時はおそらく、血が吹き出しすぎないように細工したんだろうな。紐で縛るなり、たらいにもたれさせるなりすればそう難しいことではなかったはずだ。受け皿にするものがあったのであれば余計なところに血がつく不安もないし、加工もしやすい」
異論はない。だが、ここで一つの疑問が倖斗の中に浮かんだ。
「事故じゃないなら、どうして首を切られた直後に復活しなかったんでしょう? 防火扉が邪魔をしていたわけではないのですよね。この理屈なら」
事故の線で語った時は理恵子の復活が遅れたのは防火扉が邪魔をしたからだと言っていたはずだが、この推理では理由がなくなってしまう。
その芽生えた疑問に答えたのは、得心した顔でいる信之助だ。
「理恵子の不死身はまだ完全じゃないからか」
兄の言葉に隆惺は深々と頷いた。
「知っての通り、今はまだ理恵の不死が働くためには条件がある。『意識がなくなると安全圏に入ると自動的に最も良い状態に復活する』か『自分の意思で状態を回復させる』という二つがな。そして条件が満たされなければ、仮死状態のまま待機となる。……この条件未達の仮死状態こそが瞬時に復活しなかった理由だ」
「……あ、そうか。下手人がその場にいたから!」
条件が脳内で結びつき、倖斗がはっと目を見開く。
「ああ、首を落とされてからしばらくの間は細工のために理恵のそばに留まっていたはずだからな。説明不要なほどに危険地帯だ。安全圏などとは程遠い。その場で蘇ったところで再度殺されるのがオチだと理恵の本能は間違いなく悟るだろう。その後下手人がその場から離れたとしても今度は防火扉が降ろされている状態となり、今度は別の理由で安全圏とは言い難く物理的に元に戻ることが困難だ」
ふうん、と思案するように宙を見上げた理恵子の肩を亜麻色の髪が滑り落ちた。
「まるでわたくしの不死身の欠点を知っているようね。公にしていたかしら?」
「不死身についての詳細は出していないな。華族内であれば長い付き合いの家は知っているもの
もいるだろうが……藤宮の体質は今も研究途中だ。利用できるほど正確に知っているのは家中のものと殿下くらいだろう」
ころころと理恵子が笑う。
「あら、じゃあ内通者でもいるのかしら」
無神経と脳天気の狭間で遊ぶような片割れの態度に隆惺がため息をつく。
「笑いながらいうことじゃないだろ」
「可能性はあるんでしょう? ならいいじゃない」
「何もよくない。それに、内通の可能性は低い」
その否定は断言に等しい響きを含んでいた。
「なぜですか?」
倖斗からすれば心臓が嫌な音を立てるほどに理恵子の問いは真に迫った指摘だ。否定できる材料などあるのだろうか。
「内通者が関わっているなら……理恵の不死身の在り方を熟知しているものが関わっているというなら、やっていることが中途半端なんだよ」
「確かに、隆惺のいう通りかもしれないわね」
理恵子が鼻歌混じりに頷いた。
「お嬢様が肯定側に回るんですか?」
ギョッとして尋ねれば、至極美しい笑みが返ってくる。
「だって、事実だもの。考えても見なさいなユキ。わたくしの不死身よ? 本気で知って悪巧みをしようと思えば藤宮の尊厳を壊すような真似だってなんだってできるでしょうに、内々で済ませることのできる規模で珍妙な仕掛けまで施すだけ終わらせたなんて、随分勿体ない使い方をしてくれるじゃない。ねえ?」
「こら、理恵子」
「ごめんなさい。兄上。でも、面白いんだもの。きっと下手人は損得勘定が苦手なのね」
怒りすらないその言葉に強がりではないことを察した倖斗は、背筋をぞわぞわと這い上がる畏怖に焼かれた。
理恵子は尋常ではない胆力の持ち主だ。それが不死身の肉体を持って生まれたことに起因するのかそれとも皇子の妃となるために身につけたものなのかはわからないが、慣れることのない価値観だ。だからと言って、この大恩ある少女から離れようとは思えないあたり、倖斗も大概おかしいのかもしれないが。
おはようございます
次回更新は15時頃です




