隆惺の企みごと(一)
「仕方がなくて悪かったな」
廊下に続く扉が再び開き、隆惺が言葉とは裏腹にどこか決まりの悪い顔をしながら室内に入ってくる。忘れ物をしたというわけでもないようで、なぜか扉の前で半身になって立ち止まった。
そして隆惺の後からもう一人、月明かりのように凛としたにおいの背が高い青年が入室する。
かっちりとした洋装の上からでもわかる均整のとれた肉体、短く切りそろえた黒髪、そして何より双子によく似ていながらも幾分か色濃いその紫眼を見間違えるものは、この場にはいない。
「あら、兄上」
「し、信之助様!?」
あまりにも意外な人物の来訪に理恵子は目を見開き、倖斗は肩を跳ねさせた。
「そう驚くことはないだろう。それとも私が弟妹の顔を見にくることはそんなに意外か?」
二十歳になったばかりだというのにやけに貫禄がある信之助の問いかけに、一瞬の驚きを早々に拭った理恵子が肩をすくめた。
「まさか。隆惺がお部屋に会いに行ったのに兄上を連れて戻ってきたから驚いたのよ。ねえ、ゆーき?」
「は、はい!」
驚きもあり思わず声がひっくり返ってしまったが、理恵子の言うことに嘘はない。隆惺でさえ自然と背筋を正さずにはいられない声や冷淡にも見える容姿によって誤解されがちだが、その実冷静なだけで家族想いの男であるとあまり話す機会のない倖斗でも知っている。
「それで? 報告はしたのかしら」
「まだだ。この部屋を出てすぐ、こちらに向かっていた兄上に捕まった」
隆惺が膨れっ面をして言う。実に不満そうだ。
そんな隆惺の様子に、布張りのアームソファへと腰を下ろした信之助がその切長の目を楽しそうに細めた。
「廊下で聞く話でもないからな。それとも、私だけで聞かないとまずいことでもあったか?」
「そうよ。さっきまで散々聞いたのだから、わたくしたちが聞いても問題ないはずでしょう。それとも、違う話でもするつもりだったのかしら」
「別に、そういうわけでは」
図星を突かれたらしい隆惺が言葉に詰まり、うろうろと目を泳がせる。いつも冷静であろうと心がけている隆惺にしては妙に歯切れが悪い。
(お二人の言う通り、僕らに隠してやりたいことがあったんだろうな)
さしもの倖斗も察する。理恵子の首が落ちたことを少々難のある話で押し通したのと関係があるだろう。
「僕ではお聞かせいただけないこと、なのでしょうか」
意図せず、声が震えた。主人の助けになれないと言外に通知されたせいだろうか。情けない。
ぐっと拳を握り込んで自分の情動を御して、隆惺の答えを待つ。四人分の呼吸音と振り子時計の音がやけに大きく聞こえて、ぴんと空気が張り詰めた。ぱちっと一際大きく薪が暖炉の中で音を立てる。
「……仕方ない。兄上の行動を読みきれなかった俺の負けだな」
深々と息をついて、観念したように隆惺が呟いた。
「ああ、そうだ。俺はお前たちを騙した。過失致死など真っ赤な嘘だよ」
「なぜ、そのようなことを。僕では、そんなに頼りになりませんか?」
本来、従者が最初に問いかけることなど許されることではない。だが、倖斗の問いかけに隆惺は嬉しそうに笑った。まるで、従者らしからぬ言葉こそ待っていたとでも言うように。
「お前が俺たちのお願い一つで命を投げ出すくらいに忠実だからだよ。俺たちの可愛い可愛い子犬」
倖斗の理解は求めていなかったのだろう。伝えるだけ伝えた隆惺の表情が先ほどまでの拗ねた顔から一転して上機嫌に塗り変わる。紫眼が知性の炎に色味を増す。
「俺は最初、理恵にお前にも隠し、さらには世間からも真実を隠すつもりだった。兄上に協力を仰いでな」
不敵に語る隆惺に、理恵子が呆れた顔をする。
「どうせわたくしを囮にするためでしょう。そして守るため」
矛盾した言葉だが、そこに冗談の色はない。そして隆惺自身も否定することなくただ頷いた。
「やはりバレていたか、自分の命には鈍感なくせになんで俺のことには気づくんだお前は」
「わかりやすいのよ、隆惺は」
「まったくだな。廊下を歩いていた時もなかなかに酷い顔をしていたぞ」
囮にするためとい言葉の衝撃から抜けられぬまま絶句する倖斗をよそに藤宮兄妹の話は進んで、隆惺の動機ついて話題が移る。
「簡単に言ってしまえば、不気味だと思ったんだよ。【藤宮の不死身姫】を害したという評判を得ようと目論む人間は珍しくないが、妙な仕掛けをして実際に理恵の首を落としせしめたくせに一切声明を出してこないなんて。だから、罠を仕掛けようとした」
その言葉を聞いて、守るための囮という意味がすとんと胸に落ちた。
これまでも、藤宮に手を出す輩はいた。
死なないとわかりきったものの首に迫ったと言う事実自体を欲する場合もあれば、不死身であるのに守りを固めることを糾弾し華族批判を繰り広げるものまで幅広い。だが、どれも理恵子に死が訪れないことを前提とした犯行だった。
どれも、理恵子が未遂を含めて凶行に及んだものの顔を見て証言できることが前提だった。
故に、自白に等しい犯行声明は必ず殺害から間をおかず藤宮に届く。
だというのに、今回はそれがない。事故を前提として処理しようと思えばできるほどに目的が見えない上に、理恵子が犯人を証言できない状態で死に追いやっている。
だが、隆惺は確信しているのだろう。
理恵子の首は明確な害意を持って落とされたのだと。
「お嬢様を囮にする……というのはもしや、次を想定しておられるのでしょうか」
思い出すのは、理恵子が集めているという怪談だ。
隆惺が唱えた事故説が偽りであったというならば、見つけた痕跡は業者の仕業などではなく、あの怪談との符合もまた偶然ではないことになる。となれば、警戒すべきはこの悍ましい事件の『続き』だ。
怪談は、あと四つあるのだから。
「鋭いじゃないか倖斗。その通りだよ。怪談は今回の件はこれで終わらない……なら、理恵子を使うのが最適解だ」
冷徹な調子の言葉に続けて隆惺の口元に皮肉な笑みが浮かぶ。どれほど苦く思っても最も効率的な方法以外に傾かない自身の天秤を卑下するような表情だ。
否定はできない。倖斗ごときにはわからないほど深く思考した末の結論なのだろう。
肯定もできない。最適であっても最上ではないと隆惺自身がわかっているのだから。
なんと言葉をかけていいのかわからないまま理恵子や信之助の方を伺えば、迷い子のような倖斗とは違い二人の貴人は当然ながら冷静なままだ。
理恵子がたおやかな仕草でティーカップを傾けるのを見た信之助が軽いため息と共に口を開いた。
「接触させて情報を増やそうという算段か? あえて護衛を減らすのは許可できんぞ」
「わたくしは構わなくってよ、護衛を無くしても。その方が殺されやすいでしょう」
ころころと楽しげに笑いながら理恵子が言う。強がりでもなんでもないとわかる妹の態度を前に信之助の眉間に深い皺が寄り、隆惺が頭を抱えた。
「誰が護衛を無くすと言った? 単に『気づいていないフリをする』だけ。当たり前だろう」
頭痛を堪えるようにこめかみに手をやりながら隆惺が言う。
「気づいていない……フリですか?」
倖斗はピンと来ず首を傾げた。気づかないフリをして、なぜそれが囮になるのだろう。
「獲物が警戒している様はそれだけで緊張を生み、狩る側の行動もまた変化していく。狩りをする獣とて、己に気づいているものとそうでないものを同じ方法で襲うことはないようにな」
「あ、なるほど」
猫が鼠を狩るのを見かけた時を思い出す。鼠が気づいていなかった時と気づいた時では明確に猫の動き方が変わっていた。逃げられないようにと言うのはもちろんだが、気づかれたとわかった瞬間言いようのない緊張感は、確かに存在する。
「木っ端の技自慢相手ならば警戒されれば逃げるだろう。だが、此度の下手人はおそらく逃げない。単に潜伏に移り、こちらが守りを固める難易度を跳ね上げるだけになる。それは避けたい」
理恵子を怪談に見立てて殺すような輩への評としては適切だろう。ただでさえ不気味な相手が今見えている行動の基準すら変えてきたら、こちらは打つ手をなくすのだから。
だが、そんな隆惺の言葉に頬を膨らませるものがいた。当然、理恵子である。
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