序
馬車を引く馬が揃って白い息を吐くような朝のことだ。
二頭立ての黒い馬車が背の高い門を抜け、美しい石造りの道へと足を踏み入れた。軽やかな蹄の音と朝のひばりの声が混じり合い、丁寧に刈りそろえられた西欧風の庭園を抜ける。森に囲まれているようにも思える広大な敷地を進むうちに、馬車は古代希臘を思わせる柱に支えられた美しい白亜の校舎の前へとその身を寄せた。
御者台に腰掛けていた癖毛の従者・守辺倖斗は、馬車が停止したのを確認するとさっと無駄のない仕草で御者の隣から降りて馬車の扉に手をかけた。
手袋を忘れてしまったせいで、じん、と金属の冷たさが骨身に染みるのも気にせず、あくまで丁寧な仕草を心がけて扉を開く。書生服の緩んだ襟とずれた丸眼鏡をちょいと直してから、倖斗は中にいるその二人に声をかけた。
「到着いたしました。理恵子お嬢様、隆惺坊ちゃん」
恭しく差し出した手をとったのは、一見してそれとわかる双子の男女だった。宝石を切り出したような中性的で美しい面立ちは、それぞれが異なる装束と髪型をしていなければ見分けがつかないほどよく似ている。
「ありがとう、ユキ。お前も中に入っていればよかったのに。指が冷えてしまっているわ」
そう言ったのは、最初に降りてきた少女だ。
淑やかな濃紫の女袴とブーツを矢絣の銘仙に合わせたハイカラな女学生スタイルに、その背をさらりと流れる亜麻色のロングヘアとそれを彩る白いリボン。ともすればわざとらしくなりそうな取り合わせがどれも嫌味がなく、柊の花の香りを星あかりに溶かしたような華やかさと鮮烈さが共存する雰囲気とよく似合っている。
「倖斗、俺のことは坊ちゃんと呼んでくれるなと何回言ったらわかるんだ」
不満げに言いながら少年が続く。
こちらは墨色の外套を宵闇色の学生服の上から羽織っている。目深に被った学帽もあって威圧感を覚える者も少なくないだろうが、どこかやる気のない猫を思わせる表情と紫水晶に似た静謐さをもつ眼差しは僅差で葡萄酒めいて蠱惑的という印象の方が勝る。
並べば一対の絵画、向き合えばひとときの夢と言わんばかりの美貌を一身に受けながらも倖斗は顔色ひとつ変えず、ぺこりと折目正しく一礼した。
「お気遣いありがとうございます、お嬢様。以後気をつけます、ぼっちゃ……若様」
「もうわざとだろうお前」
「そんなまさか。ただ虎堂さん……家令の呼び方が移ってしまっただけです」
虎堂とは双子の生家である藤宮家に仕える老紳士だ。倖斗にとってはこの数年お世話になっている育ての親といってもよく、言葉のほとんどは彼からの受け売りだ。決して言い訳などではない。
しれっとした顔で口元を押さえた倖斗の頬をぷにぷにと理恵子が季節を問わず常用している扇子が突いた。痛みはなく愛でられているだけだと理解しているが、口元が情けない形に崩れるのは少し恥ずかしい。だが、拒否する選択肢は倖斗にはない。
「もう、隆惺ったら細かいわ。それがユキの面白いところじゃないの」
「それは同意するが、もう十七になるのに年下に坊ちゃん呼びされる俺の気持ちにもなってくれないか」
「いいじゃない。かわいらしくって」
くすくすと理恵子が揶揄うように笑った。
「おい理恵!」
「まあ、大声なんてはしたないわ!」
踊るように身を翻した少女の女袴がふわりと揺れる。悪戯な仕草が魅了に直結するのは彼女のもつ才能の一つだろう。
「放課後にはお迎えに上がりますからね」
戯れ始めた双子にそう言って肩をすくめる。
本来目上である主人たちに言い含めることではないのだが、何せ華族としての責任感はしっかりあるものの、それ以外では非常に気まぐれというのが玉に瑕な方々なのだ。
「わかっているわ。何度も念押ししないでも良いじゃない」
「この間の件で相当虎堂のやつに絞られたんだろ」
この間の件というのは、二人が倖斗の迎えを勝手にかくれんぼ大会にしてしまったことだ。見つけることは確かに得意だが、肝が冷えたのは記憶に新しい。
「反省しておられませんね、お二人とも……ちなみに虎堂さんじゃなく丑前田さんです」
丑前田は藤宮の女中頭だ。虎堂と並ぶ古株で大変気のいいご婦人なのだが、怒ると怖い。
「あら珍し。貴重な体験よ」
「本当に虎堂さんに怒ってもらいますよ。それでも反省がなければ、兄君にもお伝えいたします」
双子には兄が一人いる。各地を飛び回る両親からほぼ全ての実権を与えられているため、実質彼がこの双子の保護者であり藤宮の長と言っていい。
ギュッと眉間に皺を寄せて二人を見上げれば、亜麻色の髪が揃って揺れた。
「ああ怖い。わたくしたちが拾った時はあーんなに可愛かったのに」
「時の流れは早いな」
「御恩を忘れたことはございませんがそれはそれですよ」
倖斗にとって間違いなく双子は太陽に等しい存在だが、甘やかすことは双子のためにならない。拾われてから上司にも彼らの兄君にも散々言い聞かされたことだ。
「真面目な子ねぇ……あら、いけない」
しみじみと頬に手をあてていた理恵子が、弾かれたようにぴょこんと跳ね、するりとその場から足早に立ち去ろうとする。
「お嬢様、まだ話は」
「わたくし、用事があるから先に行くわね」
ぱちん! と器用に片目を閉じた理恵子はあっという間に小さくなって、校舎の奥へと消えていった。余談ではあるが、この中で一番足が速いのは彼女である。
次いで、隆惺も倖斗の脇を抜けた。
「じゃあ、俺も行くとしよう。今日も励めよ、倖斗」
この中で一番足が遅いからだろう、無駄なことはしないとばかりに悠然と歩きながら後ろ手に手を振り、墨色の外套が入り口の中に消えてく。
一足早い春風のような主人たちの背を見送りながら、もはや誰も見ていないというのに倖斗はやはり折目正しく、ひとつひとつの動作をなぞるように丁寧に頭を下げる。
「いってらっしゃいませ、我があるじ」
今日も二人にとって良い日であるように。そんな祈りがこもった一礼だった。
次回15時頃投稿




