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虚栄  作者:


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虚栄 後編

誤字脱字等、ご容赦ください。

 大体のいざこざが片付いた後、剛力もダイニングに出て来た。これで生き残っている者全員がダイニングにそろった。男性諸君はまだ朝食をとっていなかったようで、宮島が支度をしている。夢野は気分を悪くしたのか、姿を消していた。私たちはそのまま、ダイニングに居座っていた。別に他の所に行く用事もない。男三人の食事風景を眺めているだけだ。朝食の支度を終えた宮島は先ほど泉に言われたことを気にしていたのか、部屋にパソコンをしまうために部屋に戻って行った。彼がいない間、泉は夢野について彼らに尋ねる。

「夢野が女優業に手を出し始めたのが何時か、誰か知らないか?」

「結構最近の話だぜ。確か星谷がデビューしてすぐぐらいだから、一か月前か。そうだよな?」

「いや、僕はあまり人のうわさを聞かないタイプだから。剛力はどう?」

「……俺もその時からだったと記憶している。周りではかなりの騒ぎになっていたからな。その話で何日も事務所内が持ちきりだったはず」

 泉は眉を顰める。彼らの言葉に何か気がかりな点でもあるのだろうか。

「何故そんなに騒ぎ立てるんだ。一人の女が女優の仕事に手を出したってだけだろう。そこまで噂することなんて……」

「それがあるんだな。言っただろ、星谷のデビューの時だって。……『女優業にうつつを抜かし始めた夢野に代わって、新しい看板が立てられようとしているんじゃないか』ってな。あんときは夢野も相当調子に乗ってたからな、それが気に食わなくて変な噂が独り歩きしたのさ」

「……面倒な業界だな」

「楽な仕事なんて滅多にねえよ。政治家か、テレビに出てる芸能人か、それすらなれなかったタレント崩れのコメンテーターか。あるいは経営コンサルか。こんなとこだろ?」


「それには同意する。……話は変わるが、星谷と夢野の関係について知っていることを教えてくれ。宮島からはすでに聞きだしているが、それを補強したい」

 泉は宮島から聞き出していた夢野と星谷の関係について話していく。当初はうんうんとうなずいていた彼らだったが、彼女らが揉めていたという話になった途端首を傾げ始めた。

「どうした、何か気になるところでも?」

「さっき言っていた『二人が揉めてた』ってところなんだけど……。そんな優しいものじゃなかったんだ」

 空野が嫌な記憶を思い出すように顔をしかめて言う。泉はブラムと剛力の顔色を窺ってみるが、まるで嫌いな料理を目の前に出されたような、そんな表情をしている。あまり思い出したくもないことなのだろうか。

「大声で罵り合うのはいつものことなんだ。ある日は取っ組み合いなんてすることもあった。しかもたまにじゃない。割と頻繁に。週に二回か三回はあったかな。正直見ていられなくて困ったんだけど、夢野はすぐに後輩を呼び寄せて自分の味方を作るんだ。僕も何回も呼ばれたよ。たまに所用で事務所に来てみれば廊下を転がって髪の毛を引っ張り合っているなんてこともあったね」

「ああ、そんなこともあったなあ。配信業で成功する女っていうのは我が強いもんとはいえ、いくら何でもあれじゃあなあ。……俺は、星谷がこの企画を考えたなんて言葉すら嘘だと思ってるぜ。普段からそんな取っ組み合いするような奴と仲直りできるかよ」

「しかし、宮島は星谷が発起人だと言っていたが」

「そうらしいな。何考えてたのかは知らねえが、まさか自分が殺される羽目になるとは夢にも思ってなかったんだろ。まあ、誰も予想できるわけがないと思うが」

 ブラムがどこか達観したような物言いで話を終わらせたとき、ちょうど宮島が戻ってきた。泉は彼に聞きたいことがあったようですぐさまエントランスに彼を連れ出している。あまり口外できない話題であることは泉自身も察してはいるのか、すぐ近くにいる者にしか聞こえないような声で話し始める。

「夢野は一か月前からドラマの撮影に参加していると聞いたが。演技はどれほどうまい?」

「ドラマの監督さんは『予想通りのうまさ』と。もともと配信者としてリスナーに対しての演技はしていましたから、それも三年も。まあ、一流の女優と比べたりするのはおこがましいですが、素人とは思われないほどに演技はできるのではないかなと」

「……なるほどな。なら……」

「ちょっと、それやめてくれない?」

 頭の上から声が響いてくる。声の方向を見ると二階から夢野が顔を出していた。どうやら話を聞かれていたらしい。

「なんでそんなに私のことを聞いて回るの?まるで私が犯人みたいじゃない。気分悪いからやめてよ」

「俺は平等に全員を疑っている。お前を犯人だと思っているし、空野やブラムだってそうだ」

「……なんで?私が犯人じゃないのは普通に考えればわかるでしょ?私には二人を殺す理由がないの」

 私たちが聞いた話を思い出す限りでは、彼女は十分にエイトたちに対しての殺害動機を持ち合わせている。しかし、彼女はそれを動機だとすら思っていないようだ。泉も面倒事は避けたいのか、「……わかった。もうお前については聞きまわったりしない」と口約束を結んでいる。彼女は満足したように軋む音を立てながら階段を降り、ダイニングの方へと向かっていった。宮島も「それでは私も仕事がありますので」と言って彼女の後を追ってエントランスからいなくなった。泉はダイニングへと続く廊下を睨みつけると、エントランス正面の小さな客間に足を踏み入れた。

 客間の中は窓すらなく、あるのはローテーブルとそれに合わせた高さのソファ。それに部屋の隅に置かれた場違いなしおれた観葉植物だけだ。彼は適当に腰を下ろすと、天井を仰ぎだす。私は彼の正面に腰を下ろし、様子を窺っていた。彼は小さな声で唸っている。何かを考えているのだろうか。そう思っていると、彼がいきなり口を開く。

「羽田君。犯人の目星はついたか?」

「いきなり何を言うんです。怪しいと言えば全員が怪しく見えます。まあ、宮島さんは犯人ではないとは思いますが。目星なんてとても……。そう言う先生はどうなんですか。まさか犯人が誰かわかったのですか?」

「いや……。ただの予想だ、証拠もなければ論理的な思考もない。感情論未満のただの持論だ。……一度、この屋敷を歩き回ってみるか。何か見落としているかもしれない」

「……本気ですか?屋敷の中は一回、カメラを探すために歩き回ったじゃないですか。今さら……」

「『何の発見もない』と?そんな証拠はないだろう。それに、あの時はエイトが死んだときに歩き回った。今は星谷が死んだときに歩き回る。何かが変わっているかもな。……どうせ暇なんだ、座ってばかりよりは断然マシじゃあないか?」

「わかりました。……お付き合いします」

「それでこそ私の助手だ。では行くぞ」

 彼も碌に寝られていないというのに、あまり疲れを感じさせない立ち上がりを見せる。そして彼は手始めにこの客間から調べ始めた。とはいってもうろうろ歩き回りながら不意に気になったところをのぞき込む程度である。あまり真剣に調べる気がないのではないかと思い始めた頃、彼は口を開いた。

「羽田君。君は事件についてどれほど事態を把握しているんだ?聞かせてくれないか」

 黙って調べまわるのも嫌なのか、彼は私に話すよう求める。断る理由が思いつかなかった私は事件の始まりを思い出すように話し始めた。

「……この事件の前に六人に向けて殺害予告の手紙が届いていたこと。この事件は彼ら五人のうち誰かが犯人であること。すでに殺害されたエイトと星谷は犯人ではないこと。犯人の動機は未だ不明であること。……この程度でしょうか」

「ふむ。……犯人はなぜ殺害予告の手紙を送ったのだろうか」

「え?それは……」

 彼らをこの島に閉じ込めるためだと前に彼自身の口で言っていたはずだ。もしやそれ以外に何か理由があるのだろうか。……少し考えてみたが、理由は思いつかない。最初に思いついたままの言葉を話した。

「彼らをこの島に閉じ込めるため、ではないですか?」

「……彼らが脅しを本気で受け取れば、誰一人として企画に参加しない選択をする者はいなくなる。だからこそ殺害予告をした。……俺も最初はそう考えていた。しかし、そうではないような気がするんだ」

 彼はソファの背面に回り込み、背もたれに腰を下ろす。そしてその姿勢のまま続けた。

「宮島が何度か言っていた。……『この企画には社運がかかっている』とな。事実、エイトが殺害された後もこうして企画を続行し、星谷までもが殺害されてもなお、企画の撮影は続いている」

「つまり、『殺害予告などなくとも、彼らは企画に参加せざるを得なかった』ということでしょうか」

「そうとも考えられるのではないか、ということだ。……だがそうだとした場合、わざわざ殺害予告の手紙を送った理由に見当がつかない。結果として、俺たちという余計な存在を呼び込む羽目にもなっている」

「……ではやはり、企画を強行させるためだったのでは……」

 泉は納得していない。壁を鋭くにらみつける彼の眼力が、私の歯切れも悪くさせていく。彼はひざを叩き立ち上がった。

「ここは狭くて空気が悪い。外に出るとしよう」

 彼は客間のドアを開ける。遮音性に優れていたのか、エントランスに響く雨音が久しぶりに聞こえて来た気がした。雨が止むまではあと二日ほどだろう。


 泉は玄関の扉を開け、外に視線を向ける。雷は収まり風も弱まっているが、雨の勢いだけは依然強いままだ。

「……足跡はないか」

「先生?もし犯人がいたとしても、わざわざ外に出る理由などないのでは?」

「何が手掛かりになるかはわからないからな。こういう所は良く見ておいた方がいい。……一昨日にここに着いた時、まずは掃除をしたんだったな」

「ええ。皆で手分けして屋敷中を。まあ夢野はさぼっていたようですが」

「……その間、彼女の姿を一度も見ていないな。一体どこで何を……」

「おそらくですが、自分が使う部屋の掃除かと。私も一階の掃除の後に自室を見ましたが、思っていたよりも埃がたまっていました。あの中で寝るのは勘弁ですね」

「なるほど、夢野は相当な綺麗好きということか」

 彼は玄関から離れ、エントランス左側の廊下へと向かう。その先には手洗い場と物置がある。

「一昨日の夜、エイトが殺された。あの時は雷もひどく、落雷が原因と思われる停電まで起きた。……もともと精神衛生があまりよくなかった夢野がそれをきっかけに暴れだし、犯人はその隙を縫ってエイトのコーヒーに毒を混入。それと同時に宮島のカメラが盗まれていた」

「泉先生は宮島さんを犯人ではないとお考えでしたよね」

「ああ。もし俺が犯人ならば決して部外者を呼び寄せたりはしない」

「では、エイトとその後に殺される星谷を除いたあの四人の中に犯人がいると。……そしてその人物はあの時に撮影されていることを知っていた」

「宮島は『秘密でカメラをまわしている』と言っていたが、犯人はそれに気づいていたのだろう。……犯人にとっては面倒だっただろうな。エイトのコーヒーに毒を入れることに加え、宮島のカメラを盗まなければならなくなったのだから。それに、電気はすぐに復旧した。あまり余裕はなかったはずだ。あの時、ダイニングをよく探していれば、もしかするとカメラは見つかっていたかもしれないな」

「先生、後悔は先に立ちません。たらればを言っていたとしても犯人が止まるわけではないのですから……」

 そこまで言って、口を噤んだ。私は誰を相手にして偉そうな口をきいているのだろう。洗面台の下の収納を覗いていた彼は一度こちらに視線をよこしたが、いつものような言葉は飛んでこなかった。

「君の言うとおりだな。滅多にない状況下に放り込まれて少し気が滅入っていたらしい。……切り替えるとしよう」

 彼は洗面台の蛇口をひねって水を出すと、顔を洗い始めた。何度も手のひらでためた水を顔に打ち付け、顔を洗うというよりはそれ以外の何かをどこかへと追いやろうとしているようにも見える。五分ほど経ち、泉は一度大きくため息をついて顔をあげ、鏡をじっと睨みつけている。私は声をかけるつもりにもなれなかった。踏ん切りがついたのか、そばにあったタオルで顔を拭いた泉はこちらに振り返り、「待たせてすまない」と言った。

「物置に移動するか。まだあの仕掛けは片付けていなかったはずだ」

 彼は一階廊下突き当りの物置の扉を開け、そこから地下へと降りていく。あの時は停電しているせいで明かりがつかなかったが、今は違う。頼りない電球一つのみだが、ないよりはマシだ。……地下室奥のブレーカーには、まだあの仕掛けが残っていた。蝋はすでに冷えて固まっている。

「仕掛けとしては単純な部類だな。レバーに重りを括り付けて、蝋と縄を使って時限式に仕立て上げる。……一度でも何か推理物の小説なり漫画かアニメでも見ていれば覚えがあるだろうな。……あまり知能レベルも関係ない。ヴァーチャル配信者程度の脳みそでも思い付き、実行するまではできるはずだ」

「しかし、一体いつ仕掛けたのでしょうか?あの日はここに来てすぐ掃除が始まり、それが終わると同時に風呂。その後は夕食と、一人になるタイミングというのはあまりありません。トイレなどを言い訳にこちらに来ることはできても、この仕掛けはなかなか大掛かりなものです。少しの時間でできるでしょうか?」

「……一度仕掛けを作ってみるか。羽田君、縄と縄を固定できそうなものを探してくれ。ろうそくが望ましいが、なければ適当に何かで代用しても構わん」

 彼はそう言ってブレーカーに仕掛けられていたものを取り外し始めた。私はその隙に一階の物置に戻り、頼まれたものを探し出す。頼まれたものはどちらもすぐに見つかり、すぐに泉の元に戻ることができた。

「もう見つけて来たのか、早いな。こちらもちょうど仕掛けはすべて取り除いた。……では、羽田君はこれを」

 彼はそう言って私にスマホを手渡す。画面はストップウォッチだった。

「俺が『スタート』と言った瞬間に計測を開始してくれ。……では、スタート」

 私は画面をタップする。彼はすぐに近くに捨てられていたマッチで火を点け、蝋を少しあぶって棚の上に垂らし、その上にろうそくを押し付けながら息を吹きかける。冷めた蝋でろうそくを固定するということか。それに縄を結び付け、天井に張り巡らされている配管の内の一つを滑車代わりにし、縄を上から通す。彼の身長でもぎりぎり足りず、何度か投げ直すことで思い通りになった。そして配管の上を通った縄に重りを取り付け、レバーに括り付ける。配管の上を通っている固定されたろうそくによってピンと張られている。あとはろうそくに火を点け、蝋が溶けてなくなるのを待つだけだ。彼は私に目線を送る。私はそれに応えるようにタイマーのストップボタンをタップした。

「……何分だ?」

「三分です。配管の上に縄を通すところで何度かやり直していたので、犯人はもっと早い時間でやってのけたのかもしれません」

「俺の身長は178センチだ。これより高い者は?」

「……確か、剛力の公式プロフィールは身長180センチだったはずですが」

「2センチ差か。あまり意味はなさそうだ。……あの中に、例えば野球や槍投げなど、何かを投げることをしていた者は……。いる訳もないか、奴らが投げられるのは匙だけだ」

「いえ、ブラムは中高と野球部に所属していたみたいですよ。ピッチャーではないにしろ、スタメンとして。縄を投げて配管の上を通すということも、他の人よりは秀でていそうですが……」

「そもそも、周りに古くなった椅子なんかが大量にある。これを使えば誰でも簡単に縄を通せる。……うかつだったな」

 彼はそう言って部屋のわきに積まれていた椅子のもとへと歩み寄る。古くなってはいるが、まだまだ壊れそうには見えない。仕舞われているというのに、埃もかぶっておらず……。

「先生、その椅子、おかしくありませんか?こんな地下室に仕舞われているというのに、埃をかぶっていませんよ」

「何?……本当だ。しかし他の椅子もそうだ。どれもきれいに掃除されている。……こっちのミニテーブルもだ。いや、この棚には埃が残っているな。どういうことだ?」

「先生、確か物置は『使う用事もないから掃除もしなくていい』とエイトが言っていたはずです。この痕跡は、本来存在し得ないものでは?」

 なぜか地下室の一部の物だけ、埃が払われている。椅子やテーブル、何が入っているかはわからない木箱などは掃除されているようだ。一体どのような基準で、なぜこれらを?泉もそれを探るため、掃除されたものを一つずつ運びだし、電球の下に持ち出した。少し古い木造りの四脚椅子。少し体重をかけた程度ではびくともしない。新しい物を買ったために物置に放り込まれてしまったといったところか。続いて木のローテーブル。一階客間にあったものとほとんど同じだが、表面には無数の傷やインクらしき汚れが染みついていた。少しこすったどころか、洗剤などを用いても落とすことのできない汚れだ。だから買い替え、物置にしまい込んだのだろう。そして最後は何が入っているかわからない木箱だ。近くにあったさび付いたバールで無理やりこじ開けると、緩衝材に包まれた高価そうな壺が出て来た。金が主体となり、松や鶴などが描かれている高級感あふれるものだが、事件への関連性はあまりないだろう。……一体これらがなぜこの地下室の中で掃除されていたのか。……泉は棚に残っていた埃をなぞり、声をあげた。

「これが原因か」

「どういうことです?」

 彼は説明せず、「これを見ろ」としか言わない。彼の言葉に従って棚を見ると、積もった埃の中に彼が指でなぞった跡が残っていた。だが、私はこれが何を意味するかを理解できていない。そんな様子で泉を見ると、彼はついに説明を始めた。

「この部屋に仕舞われたものは大抵、なぞれば一目でわかるほど跡がつく。すなわち、何に手が触れられたかがすぐにわかる」

「しかし、だからどうだというのです。何が使われたかわかったところで……」

「人の体重や体格というのはまちまちだ。自分の体重を支えてくれるものは慎重に選ばねば、たちまち落ちてけがをしたり、大きな音を立てて他の者に気づかれてしまうだろう」

「……犯人がこの中のいずれかを足場に使い、配管の上に縄を通したということですか」

「ああ、そう言うことだ。……だからと言って、犯人が絞れるわけではないがな。しかし、材料は残っていたはずだ」

 彼はそう言ってもう一度自らが棚につけた埃の跡を見る。私は彼が言いたいことにようやく気が付いた。

「……指の太さ。それが犯人を見分ける材料だったということですか」

「気づいたか。……例えば、この椅子を犯人が足場に使っていた場合、運ぶために手を使い、足場にするのだから靴の跡もつく。指の太さ、手の大きさ、履いている靴はそれぞれ違う。そのいずれかが残っていれば、犯人が誰かを判別することができた。……犯人はそれに気づき、掃除をしたんだ」

「しかし、なぜ他の物まで掃除を?自分が使った物だけでよいのでは?」

「それでは犯人が足場に何を使ったかがすぐにわかってしまう。……そうなったとき、犯人をあぶりだすため俺なら一人ひとり上に載ってもらうだろうな。そして、その者の体重に耐えきれず壊れたのならその者が犯人からは外れることになる。……仮にそれで一人しか外れなくとも、自分が今までより強く疑われることになる。……犯人はそれを恐れたのだろうな。随分と抜け目なく小賢しい犯人だ」

 彼は犯人が使ったかもしれない椅子に腰かけながらそう話す。その言葉の端々には犯人への軽蔑がにじみ出ていた。彼はすぐに立ち上がり、上へと続く階段に向かい、僕に指示を出した。

「羽田君、それらの物は写真に撮っておいてくれ。何かの証拠になりうるかもしれないからな」


 撮影を済ませて階段を上がる。彼はまだ一階の物置で何かを調べているようだ。

「先生、一体何を調べているんですか?」

「先ほど、俺は羽田君には縄と固定できそうな何かを頼んだな。すると君はあの瞬間において最も適したものを素早く持って戻ってきた。……この部屋にすべてそろっていたのかと気になってな」

「そのことでしたか。それなら……。ろうそくは奥の棚の上に、縄もこの部屋の壁に掛けられていました」

 彼は私の言葉の通りに地下室を歩き回る。そして棚の上にあったろうそくの入った箱を見つけた。何個も積まれており、災害時に備える姿勢が見て取れた。あまり他所では見られない少し長いものだ。

「二本なくなっているな。犯人が使ったものと、先ほど俺が実験に使ったものと考えるべきか。この部屋には都合よく縄もある。重りは何でもいい。……まさか突発的な犯行なのか?」

「いえ、それはあり得ませんよ。それなら殺害予告の手紙の存在が意味不明になります。この殺人は計画的だったと考えるべきです」

 泉は眉間に深くしわを刻んでいる。彼自身もこれが計画的な犯行だということは分かっている。しかし殺害のトリックに使われたものはまるで急ごしらえで、計画性が欠けているように見えることが彼を悩ませているのだろう。

「……では、トリックを用いることが突発的だったとすればどうだ。犯人は何らかの理由であのような小細工を弄さねばならない理由があった、あるいはできてしまった」

「……その理由とは?」

 彼はまた考え込んでしまう。自分でも厳しい推理だということは分かりきっていたのだろう。……ろうそく、縄、重り。大抵どこにでもありそうなもので、代用もそれなりに効きそうだが、あるかどうかは場所による。わざわざ殺害予告を出し、被害者になり得る人物を無理やりにでもこの島に閉じ込めようとする手段を取る人間が、人を殺すとなったときにそのような行き当たりばったりな行動をとるものだろうか。

「……羽田君、現在の時刻は?」

「十一時半です」

 考え込んでいた泉が口を開いたかと思えば、時間を聞いてきた。私はすぐにスマホを確認し時間を伝える。彼はその場でしゃがみ込んで何かを見つめていたが、膝に手をついて勢いよく立ち上がった。

「戻るぞ。昼食にしよう。……腹が減った」

 彼の言葉で思い出す。結局午前中は歩き回るか考え続けるか。常に何かをし続けていた。脳は糖分を欲しがり、腹は空腹を訴え始めている。私は彼の言葉に頷き、そろって地下室から出た。するとちょうど夢野がトイレから出て来て、目が合ってしまった。彼女はこちらを睨みつけるような一瞥を送り、何も言うことなく先に行ってしまった。先ほど女優業についていろいろ聞きだしたせいで嫌われてしまっただろうか。泉は特に気にすることもなく、彼女の後に続くように歩き始めた。そのまま皆が集まっているであろうダイニングまで行くと、予想通り生き残った五人が集まっている。二人殺されてもまだ撮影を続けようとする精神にはもはや尊敬の念すら覚え始めていた。


 ダイニングに入ると、空腹をなおのこと強めるようないい香りが漂っている。どうやらすでに空野や剛力は昼食を済ませているらしい。全員そろって食事をするというルールは形骸化していたようだ。近くにいたブラムに理由を尋ねると、「殺人犯が作った飯なんか喰えねえってだけだ。先生方も自分で作るんだな」とソファに寝転がりながら言う。おそらくそれを言い出したのは夢野だろう。その言葉が出た途端、彼女はこちらを睨みつけていた。徹底的に嫌われてしまっている。それほどまでに女優の話は禁句ということなのだろうか。あれほどまでに自分で話しまわっていたというのに。私は泉と協力して簡単にサンドイッチを作ると、部屋の隅のテーブルでさっさと昼食を済ませると、すぐにダイニングを出た。昨日とは違い、全員の気が立っている。次は自分かもしれない、隣に座っているのが人殺しかもしれないという思いが昨日より強まっているからだろう。私は泉の後を追い、彼の部屋へと足を踏み入れた。

「はあ……。ダイニングは息がつまりますね」

「仕方ないと言えば仕方ないことだ。それに、人が死んでいるというのにリラックスしている方が変なのだから、今の状態の方がある意味では正しいな」

 泉と私はそれぞれ丸テーブルをはさむように置かれた一人掛けようのソファに腰を下ろす。先ほど冷蔵庫から取り出していたよく冷えた水が、ぼんやりとした頭を冷やしてくれる。

「……しかし、手掛かりらしいものはほとんどなかったですね。唯一それらしいものだった踏み台も犯人の手によって掃除されていましたし」

「すべてが無駄だったという訳ではない。犯人がいかにしてあの停電の仕掛けを作り上げたのか。それが分かっただけでも十分だろう。……前にも言ったと思うが、毒殺はあまり証拠が残らない殺人方法だ。特にこのような警察の手が届かないところではな。だが、犯人はそろそろ大きな動きを見せるはずだ」

 まるでこの先に起きることが分かっているかのような話し方だ。彼は犯人ではないというのに、どうして犯人の行動を予測できるのだろう。

「……どうしてです?何か犯人にとって不都合なことでも起きたのですか?」

「第一として、俺たちという存在。犯人にとっては俺のような依頼相手の仕事の方針にいちいち強い口調で口出ししてくる奴は邪魔でしかない。これは二つ目の理由にもつながるが、ここにある台風はそろそろ西に抜けていくようだな。海も落ち着きを取り戻し、迎えの船もすぐに呼べるはずだ。そうなったとき、宮島は何を選択するか」

「……企画最終日まで島に残るか、それともすぐに帰るかということですね」

「そうだ。……当然と言えば当然だが、二人も殺され次は自分かもしれない場で残り四日を過ごす精神を常人は持ち合わせていない。それに、先ほども見た通りだがすでに企画倒れしているほど、彼らは互いを警戒している。……仲直りなど到底無理だ」

「つまり、宮島さんは企画を中止して帰る選択をするかもしれない、と」

 泉はうなずき、コップに入れていた水を一口で飲み干す。

「その可能性が犯人の頭にある限り、奴は大胆に動かなければならない。犯人にとってのタイムリミットはこの台風が過ぎ去るまでだ」

 エイトが殺された日の夜から降り続けていた雨は少しだけ弱まり、初日は空が白むほど降りしきっていた雨は収まりを見せている。後、二日経てば完全に雨が止むだろう。


 昼食後、泉は昨日と同じように昼寝をし始めた。いつも通りの振る舞いを見せているが、人の死は彼にとっても大きなダメージを与えていることに変わりはない。弁護士時代、幾度も刑事事件を担当し死体も嫌というほど写真で見たらしいが、実際に見るのとはわけが違うということなのだろう。私はその間ソファから立つことなく、ぼうっとしていた。どうせやることもないし、一階はほとんど調べ終わったはずだ。二階を調べようにも個人の部屋には鍵がかかっているし、エイトが死んだときに彼らの部屋はすでに調べている。あの中にいる犯人はそれほど簡単に犯人が特定されるほどのヘマをするようには思えなかった。そんなことを考えながら私もひと眠りしようかと目を瞑った時、ドアがノックされる。私よりも先に泉がベッドから起き上がり、ドアを開けた。

「お取込み中だったでしょうか?」

「いや、休んでいただけだ。それより何の用だ、宮島。……入れ」

 わざわざ訪ねてくるということは他の誰かにはあまり聞かれたくない話なのだろうか。泉もそう判断したのか部屋へと招き入れる。彼は泉の言葉に従い、そのままソファに座った。

「で、一体何を話に来た?」

 泉は前置きを好まない。本題を急かすのは誰が相手でも変わらなかった。……宮島が話始めようとしたとき、彼は不意にドアの方を見る。どうやら誰かが階段を上がってくる音を聞いたようだ。どうしても気になったのかドアを開けて廊下を確認しているが、誰もいない。自室に何か用事でもあるのだろう。泉が改めて腰を下ろすと、宮島は話を始めた。

「……企画は中止にしようと思います。台風が収まり次第、帰りの船を呼ぼうかと」

「ようやくまともな判断を下したか」

「……今でも、会社の存続のためには企画を続けるべきだとも思っています。けれど、これ以上誰かが死ぬようなことがあったら。……例えば夢野が殺されたりすれば会社はさらに苦境に……」

「一言言いたいことはあるが、今はやめておく。……その話、あいつらには話していないな?」

「ええ。特に夢野はこの企画にかなり執着していますから。……話さない方がいいのですか?」

 泉は先ほど私と話していた理由をそのまま伝える。彼は驚いた顔を見せたが「おっしゃる通りです」と納得したようだ。

「犯人はあの四人の中にいる。できるだけ刺激するような言動は避けろ。いいな?」

「わかりました。それでは、私はこれで失礼します」

 深く頭を下げた宮島は部屋から出て行った。泉は珍しく見送ったかと思えば、ドアを閉めずに廊下をじっと見つめている。

「……先生?何かありましたか?」

「先ほどの宮島の話。もしや誰かに聞かれているのではないかと思ってな」

 彼はそう言うと部屋から出て、左側にある部屋のドアに耳を当てる。その部屋は宮島の部屋だ。泉はすぐに聞き耳を立てるのをやめ、その向かいの部屋にも耳を当て始める。そこは私の部屋だ。

「先生、誰かがいるとしてもそこにいるはずないじゃないですか。鍵がかかっているんですよ、どうやって侵入するんですか」

「カードキーではなく普通の鍵穴ならば、針金によるピッキングなどいくらでもできる。……犯人にとっては、宮島の部屋にはいつかどうにかして入らなければならない場所だ。手掛かりとなるカメラの映像を破壊しなければならないからな。多少力尽くな手段もあり得るだろう」

 泉は私の部屋のドアから耳を離すと、その隣にあるエイトの部屋に耳を当てた。あの部屋にはまだエイトの死体が眠っている。

「……先生、さすがにそこにはいないのではないですか?宮島さんの話を盗み聞きするためだけに死体が安置されている部屋に立ち入るとはどうしても考えられません」

「だが、その逆を突くというのも考えられる」

 彼はそう言ってドアノブに手をかける。あの部屋は鍵をかけていなかった。

「しかし、その部屋にいて泉先生の部屋での話が聞こえるものですかね。向かいの部屋や隣の部屋ならまだしも、かなり離れていますよ?その上、宮島さんも聞かれたくないのか小声で話してましたし。この部屋に直接聞き耳を立てないと聞こえないでしょう」

「……君の言うとおりだな。やはり自分を基準に考えるのはあまり合理的ではないか」

 彼はドアノブから手を離し、部屋に戻ると昼寝を再開した。……彼はストレス性聴覚過敏を患っている。弁護士時代、彼の弁護によって救われた者は大勢いたが、彼の弁護により悲しみを背負った者もまた大勢いた。そんな者達から日常的に届く殺害予告や人格否定の手紙。剃刀やカッターナイフの刃が入っている封筒が届いたこともあった。彼はそのたびに「くだらん」とそれらを一蹴していたが、精神的にかなりダメージを負っていたようだ。その結果、ペンを走らせる音や時計の針が動く音すら苦痛に感じるようになってしまったのだ。……それが弁護士引退の直接的な理由であるかどうかは彼自身の口からは語られていない。現在はそれなりに癒えているようで、屋根を叩く雨の音に眠りを邪魔されることもなくなった。

 泉の部屋にとどまったまま、読書やネットサーフィンなどで時間をつぶしているといつの間にか日が暮れていた。やることのない午後というのはあまりにも退屈なものだ。声を噛み殺しながら伸びをしたが、泉には聞かれたようで上半身がゆっくりと起き上がる。

「……今、何時だ?」

「午後五時半です。……水、飲みますか?」

「ああ、もらおう」

 ベッドの上に座ったままの泉にペットボトルを手渡す。冷たい水が目覚ましにはちょうどいいようだ。半分ほどを一気に流し込むとベッドから立ち上がった。

「……こんなに長い時間昼寝をしていると、生活リズムが狂いそうだな」

「仕方ないですよ、もともとの仕事なんてできそうもないですから。私も退屈で昼寝しようか悩むくらいでしたし」

「君も寝た方がいいかもな、ここに来てから夜は碌に寝られていないだろう」

 彼の言葉にはあくびで答えた。そんな私を彼は少しだけ笑うと、スーツケースを漁りだす。

「……寝起きに風呂というのは、あまり体にはよくないと聞いたことがあるが。一度くらいはいいだろう。……君もどうかな?」

「わかりました、私も準備してきます」

 私が自分の部屋に戻って風呂の準備をしている間、泉は二階の欄干から一階を見下ろしている。誰かと話している様子はない。ただぼうっとしているだけだろうか。

「先生、お待たせしました」

「うむ、では行こうか」

 この屋敷には個室にも風呂があるが、泉はいきなり大浴場に入りたいと言い出した。初日は風呂掃除のついでに湯を沸かしていたが、翌日は皆風呂に入る気にもなれなかったのか、湯が張られることはなかった。エントランス右の廊下を歩き、ダイニングを通り過ぎて浴場へと向かう。ガスを使えばすぐに湯が沸くが、二人しか入らないというのに贅沢なものだ。どうせ他人持ちだからと気にしていないのだろう。少々手間取ったが何とか湯を張り終え、浴場へと足を踏み入れた。あの時は男五人でも広く感じたが、二人しかいない今は倍以上に広く感じられる。私たちは髪と体を洗い終えると、本命である湯船に体を沈めた。個室にもあるにはあるが、浴槽の広さというものは心地よさに直結する事柄に違いない。手足を大きく広げても問題のない入浴というのは普通以上に気が休まるというものだ。

「……あの日、風呂を最初に出て行ったのは空野だったな」

 ぼうっと湯に浸かっていると、泉がいきなりそんなことを言い出す。確かそうだったはずだ。

「確か、そうだったはずですが。それが一体どうしたんですか?」

「彼ならばブレーカーへの仕掛けも怪しまれなかったのだろうか、とな。……縄を固定していたあのろうそく、半分以上が残っていた。時間から考えるに昼の掃除中に仕掛けたとは考えられない。仕掛けるタイミングとしては風呂上りが最も融通が利く時間だろう」

「しかし、空野が風呂から出たすぐあと、ブラムがその後を追うように風呂を出ています。何か怪しい動きをしていればブラムが感づくのでは?」

「物置の方面にはトイレもある。『トイレに行ってくる』とでも言えば誤魔化せるだろう。ブラムがわざわざ後をつけて確かめるような性格にも見えないしな。少し遅くても腹痛だのなんだのと言い訳は山ほどある。……空野には仕掛けを作ることは可能だった。そしてそれは他の者全員に言える」

「どうします?あとで皆さんに初日の風呂上がりの後に何をしていたか聞いて回ってみますか?」

 泉は顎に手を当て悩んでいたようだが、一度大きくうなずくと「やってみる価値はあるな」と言った。


 入浴を始めてから一時間は経っただろうか。事件の話から仕事の愚痴に話題が移り、話す種も尽きてきたころ。泉が湯舟の中から立ち上がった。

「俺はそろそろあがるぞ。のぼせそうだし、腹も減った。羽田君はどうする?もう少し入っていくか?」

「いえ、私もそろそろ。これ以上はのぼせそうです」

 二人して湯舟から上がり、服を着替える。泉は「どうせ誰も入らないから」と追い焚きを止めてしまった。彼はスマホで追い焚きを止めた時間を確認すると、「故障中につき使用禁止」と紙に書き、浴場の入り口にセロハンテープで貼り付けた。何をしているか尋ねても「あとで必要になるはずだ」としか言わない。彼はそのままダイニングへと向かった。私もその後を追う。ダイニングにいた彼らはすでに夕食などを済ませていたのか、それぞれ自分の時間を過ごしていた。企画の中止をあんなに必死に止めていた夢野でさえ、諦めてしまっているのだろうか。泉は真っ先に宮島に話しかけると、エントランスへ連れて行く。

「まだ何か聞きたいことでも?」

「初日の夜、風呂から上がった後は何をしていた?」

 宮島は怪訝な顔を浮かべる。今になって一体何を聞いているのか、全く理解が及んでいない様子だ。彼は私に助けを求める視線を送るが、小さく首を横に振ることしかできなかった。

「えっと……。空野の秘密をばらそうとしたブラムをすぐそこの廊下でとがめて、その後はまっすぐダイニングに戻って撮影の準備を始めていました」

「その間、ダイニングからは出ていないな?」

「ええ、そうですが」

「いつから撮影を開始していた?」

「……風呂から上がってすぐです。確か五時とか五時半とか、そのぐらいでしょうか」

 突拍子もない質問にも真面目に答えてくれる宮島に対し、泉は腕を組んでうろうろとエントランス内を歩き回っている。宮島はそれを気味悪がったのか私に「あれは何をしているんですか」と聞いてきた。私は「あれは何かを考えているときの行動です。癖のようなもので、治らないんです」と返した。彼は「はあ……」とどこか腑抜けたような空返事をする。それが気に障ったと勘違いするタイミングで泉が宮島に向き直った。

「あの時の映像はまだ残っているな?今すぐ見せてくれ」

「え、ええ。わかりました」

 彼はすぐに階段を上がり自分の部屋に戻ると、あの日の映像を取り込んでいたノートパソコンをもって戻ってきた。ソファに腰を下ろした彼は映像を用意すると向かいに腰を下ろしていた泉にパソコンの画面を向けた。泉は短く礼を言うと映像を再生する。

 映像はダイニングの右奥からの画角で撮られている。死角はカメラの後ろに座っている宮島だけだろう。映像が開始すると同時にブラムと空野が映る。ブラムはソファに、空野はブラムから一番距離を取れる隅のテーブルに。それぞれ互いに不干渉を決め込んでいるようだ。少しの会話もなく、特に映像に進展がないまま十五分程度が経過した。ダイニングの入り口に影が映る。顔を見せたのは泉だ。彼はダイニングの入り口でどの席に座るか悩んでいるようだったが、映像に小さく宮島の「こちらに」という声が入っている。おそらく手招きでもして呼び寄せているのだろう。映像内の泉はいつも通り迷いがない足取りでカメラの死角に姿を隠した。それから十分間あまり動きはなく、小さく泉と宮島の他愛ない会話がかすかに聞こえる程度だったが、剛力が姿を現した。彼は少し逡巡したあげく空野の向かいの席に腰を下ろし、会話することを選んだようだ。そして剛力に続くように私の姿が映る。私は泉に呼ばれて死角に姿を隠した。

「……今の所、誰もダイニングから出て行きませんね」

「まだ全員出揃ったわけではない。……必ず誰かが動きを見せる」

 彼の熱意をあざ笑うように、それから二十分間、いかなる動きもなかった。誰かが少し席を立ったとしてもキッチンに行く程度でダイニングから出て行くわけではない。次に何か動きがあったときは星谷とエイトがダイニングに戻ってきたときだ。彼女らは戻ってくるとすぐに夕食の調理に取り掛かる。彼女らが調理を始めてから五分後、空野が席を立ちダイニングから出て行った。映像内では剛力に対し「ごめん、ちょっとトイレ」と言っている。泉はすぐに映像を止めた。

「……羽田君。時間を覚えておいてくれ」

「わかりました。……52分ですね」

「再生するぞ」

 彼は止めていた映像を続きから再生する。夢野の長風呂は言葉通りのようで、宮島が撮影した映像が始まってから50分が経ってもなお姿を見せない。彼女よりも先に空野が戻ってきた。泉はまた映像を止める。

「……58分」

「約6分。あの仕掛けを施すならば十分な時間かと」

「覚えておかなければな。……続けるぞ」

 また映像が再開した。空野は剛力の向かいの席に腰を下ろし、先ほどまでの続きを話している。声色にはあまり動揺や緊張などは見られないが、彼は元恋愛詐欺師。人を騙すことにかけては人一倍と言ったところだ、油断はできない。……夢野が姿を見せたのは映像が開始してからおよそ1時間と15分が経った頃だった。悪びれもせずに姿を見せ、星谷からの「当番をさぼらないで」という叱責にも「ごめんごめん」と謝意のかけらも見えない謝罪を繰り返す。その上なぜかいきなり「ちょっと用事を思い出した」と言ってダイニングから姿を消してしまった。星谷の大きなため息が映像内に残っている。夢野が「用事」から戻ってきたのはそれから七分後のことだった。

「……約7分。踏み台を探して、その上掃除していた時間と考えれば空野と同じく妥当な時間ですね」

「その上、夢野が言う『用事』は一体何をしていたのかという情報が全くない。当然だが、怪しく見えるな」

 そこからの映像には特に気になる点はなかった。六人そろっての食事風景が映り、仕事の愚痴や次の配信タイトルの相談など、配信者のオフと言えばこんなことをしているんだろうなという想像通りのつまらない瞬間が映り続けている。ファンにとっては垂涎ものだったとしても、私にとってはちっとも価値がない。それは泉にとっても同じだったようで、あくびをしたり眉間を湯で押さえてマッサージをしたりと、もはやまともに映像を見るつもりはあまりないようだ。二人してすっかり気が抜けていたところに聞き覚えのある言葉が飛んでくる。

『少し香りをかいでもいいか?俺もコーヒーは好きで、よく飲むんだ』

「……俺の声か。もうここまで進んでいたのか」

「この後は……。確かみんなで寝巻に着替えて写真を撮ったところで、停電が起きて……。という感じでしたよね」

「ああ。映像はもう十分だ。感謝する、宮島」

 私たちの前でずっと黙って待っていた宮島は「いえ、お力になれたのなら幸いです」と謙遜する。泉はソファから立ち上がると、私に対し「先にダイニングに戻って、これから俺が取り調べを始めることを伝えておいてくれ。特に夢野にはな」と頼んだ。私は彼の頼み通り先にダイニングに戻ろうとしていた時、彼と宮島の話し声を聞いた。

「……あいつ。もしかすると……」

「ええ、病院からもそう診断されています」

「……なるほどな」

 秘密の話なのかかなりの小声で、泉の声は良く聞こえなかった。しかし、彼はあの内緒話に何かの意義を見出しているようだった。


 一足先にダイニングに戻った私は、そこにいた四人にこれから初日、風呂上り後の行動を漏れなく話してもらうことを伝えた。夢野はすでに怒りを露わにしており、「協力はできない」の一点張りだった。しかし、ブラムの「じゃあお前が犯人じゃねえか」という一理あるようでないような言葉に乗せられ、聴取に従ってくれることになった。難関だった夢野の協力を取り付けたところで、ちょうど泉と宮島が戻ってくる。泉は窓際のソファに腰を下ろし、宮島はまるで自分は部外者であるとでも言いたいように、右奥の小さいテーブルに落ち着いた。

「先ほど、宮島から初日の、風呂上がりの後の映像を見せてもらってな。いくつか気になるところがあるから、ここで明らかにしようと思う」

「……くだらない茶番ね。私お風呂に入りたいから、手短にしてくれない?」

「お望みとあらば。……あの日、夢野は最後に風呂を出た。その後ダイニングに戻ってきて、遅れながらも料理当番に参加するかと思えば、それをすっぽかし何らかの『用事』を片付けて戻ってきた。……間違いはないな?」

「……ええ、特にはないわね」

「では、単刀直入に聞こう。その『用事』とはなんだ?」

「……化粧直しよ。ダイニングに一歩足を入れた途端わかったの、『カメラが回っている』って。それで、撮られているなら化粧はすべきだと思って、トイレに向かったの」

 それなりに筋が通っているような言い分を述べる夢野。しかし泉は納得しない。

「化粧?どうせ後で宮島が編集で顔を隠すのに?」

「まあ、私は女優だし?どう編集されようが、『撮られている』のが事実なら、意識を高くしておかなきゃいけないでしょう?」

「下らんな。おままごとの延長線で人生設計を描いているような奴がいっぱしに矜持を語るなよ」

 調子に乗った夢野の言葉に、泉は冷たい言葉を返す。夢野は少し眉をピクリと動かしたが、努めて平静を保っているようだ。泉は夢野から空野に矛先を変える。

「夢野はもう十分、次は空野だ。お前もあの時間に『トイレに行く』といって席を立っているな」

「ああ。でも、それが何だって言うんだい?生理現象が犯罪の証拠だとでも?」

 泉は首を横に振る。疑われている空野が感情を高ぶらせるのをあざ笑うかのように、彼は冷静に言う。

「生理現象自体はどうでもいい。だが、『あの時間に席を立ち、一定の時間一目のつかないところにいた可能性がある』。これが重要なことだ」

 彼はいつの間に手に入れていたのか、仕掛けに使われたであろうろうそくと同じものを懐から出した。

「これがブレーカーを落とす仕掛けのために使われたろうそく。非常時用のためか、少し長く作られており、火を長持ちさせる工夫が見て取れる」

 彼は右手に持ったそれをくるくると軽く振り回している。いったいこれが何を表すのか、皆が泉の言動を見張る。

「これが燃え尽きるにはおよそ一時間必要。……羽田君、仕掛けを施されたブレーカーの写真を」

「はい」

 私はスマホを操作し、皆に見えるようにスマホを傾ける。

「しっかり映っているだろう。ろうそくが半分ほど残っているのが」

「ああ、そうみたいだな。……で、それが?」

 ブラムはまだ泉が何を言いたいかを理解できていないようだ。その代わりのように剛力が口を開く。

「逆算しろ。燃え尽きるのに一時間かかるろうそくが半分ほど残っている。つまり……」

「30分燃えてたってことか。……その時に火をつけた!」

 ようやく泉の言いたいことを理解したのか、ブラムが大きな声をあげる。泉はうなずいて話を続けた。

「厳密に30分という訳にはいかないだろうが、その時間。我々は風呂から上がり各々がここで過ごしていた。……あの瞬間に席を立ったのは、空野と夢野の二人だけだ」

 名前を呼ばれた二人はうつむいている。彼の言葉に反論できないからだ。ろうそくの溶け具合というあからさまな証拠の前では、不要な言葉を話すべきではない。そう直感していたのだろう。

「だが、これ以上先はない。二人のどちらかが犯人であるのには違いがなさそうだが、それを決定づける証拠がない」

 追及を取りやめる泉の声で二人が顔をあげる。夢野は怒りに顔を歪ませ、空野は今すぐにでも崩れだして泣いてしまいそうなほどの悲壮感を漂わせて。

「……今日はもう休もう。皆碌に寝られていない日が続いているのだし、今日は早めに寝た方がいいだろう」

 するといきなり、泉が皆に寝るよう促す。確かにここ二日は事件続きでまともに寝られていないが、彼がそんなことを言い出すのは少し不自然に思えた。しかし、夢野達は特に怪しく思わなかったようで、ぞろぞろとダイニングを出て行く。泉はそんな彼らの背中を見て、あることを思い出したかのように声をあげた。

「そう言えば、初日の大浴場。皆が入った後の湯を抜いたのは誰だ?」

「……私ですが」

 宮島が答える。風呂掃除もマネージャー業務の一環という訳ではないだろう。泉は「聞きたいことがある」と言って宮島を部屋に残した。

「それで、聞きたいこととは何でしょう?風呂に何か忘れ物でも?」

「……その前に。羽田君、ダイニングの前で見張りを。特に夢野と空野には聞かれないように」

「あ、はい」

 私はエントランスを一度見回った後、ダイニングの入り口に立った。

「宮島に聞きたいのは、風呂の湯を抜いた時の、水の温度だ。覚えているか?具体的な数字でなくてもいい」

「……普通にまだ温かかったですけど。夢野が長風呂していましたし」

「そうか。……もういい、感謝する」

 それだけ聞くと泉は宮島を解放した。一体何だったのか理解できず、何度も首をかしげる宮島を見送って、私は泉に話しかけた。彼はため息をついている。

「わかりきっていたことだった、うかつだったな」

「さっきの質問は一体何だったんですか、泉先生」

「……風呂から出たあと、一つの考えが首をもたげた。『夢野は長風呂などしておらず、浴場で一人になったタイミングで抜け出し、ブレーカーに仕掛けを施していた』という考えがな。……よく考えずとも、気づくべきだった。これは不可能だとな。そもそも風呂と地下室の廊下はつながっていない。風呂から地下室へ向かうには必ずダイニングの前を通らねばならない。……そうなれば、誰も気づかないわけがない」

「宮島さんも映像で残していましたしね。もし誰も気づかなくても、映像にはその姿が残るはずです」

「……俺も相当疲れているようだ。昼寝程度では足りんということか。……風呂の水を抜いてくる、あれは無駄だった」

 どこか気の抜けた背中で浴場へ向かう泉。二分もしないうちに戻ってくると、「俺たちも今日は寝るとしよう」と言った。


 二階に上がり、部屋の前で泉と別れる。時刻はまだ九時半。普段ならまだ起きているが、たまには早く寝るのもいいだろう。部屋の電気を消し、ベッドに体を預けて目を瞑る。……そしてすぐに目を開けた。うるさい。雨はかなり弱くなっていたが、まるでその代わりとでも言いたいのか風が強い。風が窓をガタガタと揺らし、風に舞う雨粒が窓を叩く。ちょうどベッドの近くに窓があるせいで気になって仕方がない。それでも、次第に気にならなくなっていく。そんな時。

「ドン」と何か固く重いものが落ちた音が響く。私は驚いて飛び起き、すぐに部屋を出た。泉も同様に部屋からでて、音の出所を確かめようとしている。

「羽田君、今の音は聞いたな!」

「ええ、あちらからのようです!」

 私は壁の向こうを指さす。あちらには夢野達の部屋がある。廊下を急いで進むと、何やら揉める声が聞こえてくる。

「おい、何の音だよ!」

「スーツケースをベッドから落としちゃっただけ。そんないちいち騒がないで」

 ブラムと夢野が言い争っている。空野は部屋のドアから顔を出し、剛力は私たちと一緒に駆けつけて二人の様子を窺っていた。

「……何事だ」

 泉が事態の収拾を図るために話しかける。夢野はすっかり泉が気に食わないのか、語気を強めて言った。

「スーツケースを落としただけ。そんなんでいちいち騒ぐなっての。じゃあ、私もう寝るから!」

 けたたましい音を立ててドアを閉める夢野。他の者は呆れたようにドアを閉め、すぐに静寂が廊下に漂った。泉もまた呆れた様子でため息をつくと、「寝るか」とつぶやいた。私もそれに続いて部屋に戻る。改めて寝ようとしたが、やはり窓が立てる音のせいでうまく寝付けない。完全に眠りに落ちたのはそれから30分後のことだった。眠りに落ちる間際、夢野のスーツケース騒ぎで宮島が出てこなかったことが気になったが、すでに寝たのだろうと思うことにした。……だが翌日、彼は死体で発見された。


「……宮島も殺されるとはな」

 泉は宮島の死体を調べるために床に膝をついている。他の者は皆ダイニングに待機させている。床に敷かれたカーペットには彼が吐いたであろう血が染みついていた。机の上には撮影機材と共に一つ、マグカップが置かれている。中に入っているコーヒーはまだ半分ほど残っていた。

「やはり毒殺だろうな。昨日、風呂の話を聞いた後、誰かに殺されたということか」

「……先生、パソコンがなくなっています。それに、彼のスマホも、カメラもどこにもありません」

 私は彼を手伝うために机の上を調べていたが、そこには乱雑に引き抜かれた充電ケーブルだけが残っていた。

「犯人の目的はやはりそれか。……うかつだったな」

「先生……」

 彼は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。それらは犯人特定の手がかりになると言ったのは彼だ。だからこそ、宮島が犯人に狙われることになってしまった。それに責任を感じているのだろう。しかし、すぐに気を取り直したように立ち上がった。

「……何としても、犯人を暴く。……宮島の死の責任はそうすることでしか贖えない」

「とりあえず、この部屋を調べましょう。カーペットに血がついているのなら、現場はここのはずです」

 泉は部屋を歩き回る。不審な点がどこかにないか、必死に探しているのだ。彼はそれを探しながら、雑談のように事件についての疑問を口にする。

「……この状況下で、誰が怪しまれず宮島の部屋に入れた?」

「誰であっても怪しまれていたのではないでしょうか。しかし、部屋を訪ねて来た犯人の言葉に騙されたか、あるいは他の人には聞かれたくない話をしたいと部屋に押し入ったか。今思いつくのはこの程度ですね」

「いいだろう。そしてその後、部屋に立ち入った犯人はどうにかして毒入りのコーヒーを宮島に飲ませ殺害し、机の上にあった映像が残っていそうなものを奪い逃走。そんなところか」

「では、今最もすべきことは宮島さんのパソコンなどを探すことでしょうか?」

「……いや、まずはこれからだ」

 彼は床の血痕を指さす。別に変なところはない。毒に侵された宮島が苦痛のあまり吐き出した血で……。

「……この血痕、途切れていませんか?」

 彼が指さす血痕。血しぶきがそのままカーペットに染み付いたようなのだが、しぶきが不自然に途切れている。ここに何かが置かれていたのだろうか。それとも、犯人の身体にかかってしまったのか。

「触ってみると分かるが、血が渇いたようなごわつきも感じられない。ここにはもともと血がついておらず、拭かれてもいない」

「つまり、別の何かに血痕が付着しているということですね」

「それを探すとしよう。……幸いというべきか、ここは孤島だ。昨夜、誰かが階段を降りた音もしなかったことから、あの事件以降誰も階段を降りていない。……誰かの部屋に、血痕がついたものがあるはずだ」

 泉は宮島の部屋を出てダイニングへと向かう。おそらくこれが最後の捜査協力となるだろう。


「……という訳だ。部屋の中を調べさせてほしい」

「どうせ断ったら犯人扱いするんでしょ。いいわよ、協力してあげる」

 ダイニングにて。夢野は呆れたように協力を約束してくれた。悲しい事実ではあるが、彼らは死者に慣れてしまった。いつ自分が殺されるかもしれないという極限状況の中、マネージャーの死を悲しむよりも自らが死ななかったことに安堵している。……他の者はもとより異論はなかったようで、彼女だけが協力を拒否していたようなものだ。協力も取り付けられたところで、早速皆で二階に上がり、それぞれの部屋を調べ始める。まずは夢野の部屋だ。机の引き出しや、マットレスの下、ゴミ箱の中まで徹底的に調べていく。あまりに細かい調べっぷりに他の者は少し気が引けていたようだが、泉はそれを全く気にしないどころか、さらなる要求もしていく。

「スーツケースを開けるぞ」

「は!?ちょっと!」

 制止も聞かずに開けたうえ、中に仕舞われていた衣類を一つ残らず出していく。夢野はいろいろ文句を言っていたが、それらはすべて泉に届いていない。彼は丁寧に畳んでしまいなおすと、「次だ」と移動を促した。……しかし、血のついた何かは1つも見つからなかった。遺体を安置しているエイトと星谷の部屋も調べたが、それらしいものは見つけられなかった。夢野達をダイニングに戻した後、泉はエントランスのソファに腰を下ろす。まだ朝の八時半だというのに、彼の顔には疲労が色濃く表れていた。

「……事件は昨日の夜に発生した。それから一度も一階に下りずに血痕のついたものを処分するには……」

 しかし、彼はまだ事件の解決を諦めたわけではない。おそらく痛んでいるであろう頭を必死に働かせ、悪辣な犯人を暴こうとしている。……彼のために何か小さなことでもいい、手掛かりはないかとエントランスを見渡した時、玄関近くの壁に掛けられた鍵に目を奪われた。近づいて鍵につけられたタグを見る。それには焼却炉と書かれていた。……この屋敷には焼却炉があるのか。何か手がかりになるかもしれない。私はすぐに泉のもとに駆け寄った。

「先生、これを。焼却炉の鍵のようです」

「……何?そんなものがあったのか」

「今まで一度も調べなかったところです。新たな発見があるかもしれません」

「手がかりがない今、調べられるものは何でも調べるべきだな。……その焼却炉とやらも、探してみる価値はありそうだ」

 とは言ったものの、屋敷の中はすでに十分なほど調べ切っている。焼却炉らしきものは一度も見ていない。どこかに隠されているのだろうか。しかし、そんなものを隠すだろうか。そうして考えていると、泉が玄関に向かい、扉を開けた。あれだけ強く降りつけていた雨は小雨へと変わり、風もすっかり弱くなっている。

「当たり前のことだが、物を燃やせば大抵煙が出る。そんなもの、家の中に置いておくわけがないだろう。……行くぞ」

「あ、はい」

 彼は傘もささず外に出て行く。私は傘立ての傘を二本とり、彼の後を追った。


 屋敷の玄関を出て、時計回りに歩いていく。そして屋敷の裏手に回ったとき、ついに目的の物である焼却炉を見つけた。少し古ぼけているが、まだまだ現役で使えそうだ。上部の蓋を開けて燃やしたいものを入れ、炉の下部に火を入れて燃やすという使い方のようだ。鍵は炉の部分を開けるために使うらしい。以前使用したままなのか、少量のゴミが積まれたまま残っている。一応鍵を使って炉の部分を開けてみるが、怪しいものは何もない。……無駄骨だったか。そう思った途端、泉は一番上に積まれた衣類のゴミに手を伸ばした。

「先生?一体何を……」

 やたら綺麗に畳まれた青いカーディガンに手を伸ばした泉はそれを手に取った瞬間、表情を変えた。彼はそれを乱暴な手つきでカーディガンをはぎ取る。中から出てきたのはパソコンとスマホ、そしてカメラだった。スマホにはヒビが入っているが、電源は問題なく入る。……泉は上を見上げると、すぐに私にこう言った。

「皆をエントランスに集めてくれ。……犯人が分かった」

「ほ、本当ですか!?」

「ああ、だから頼んだぞ」

「わ、わかりました!」

 私は急いでダイニングへと向かう。気になって後ろを振り向くと、彼はスマホで何かを調べているようだった。

 

「集まってもらって感謝する。何を隠そう、三人を殺害した犯人が誰かようやくわかったのでな」

「マジかよ!で、誰が三人を?」

 外から戻ってきた泉は皆がエントランスに集まっていることを確かめるとすぐに話を始めた。ずっと待ちわびていた言葉だったのかブラムが喰いつく。

「1つずつ話そう。まずはエイトが殺害された事件からだ。……犯人は風呂から上がった後、物置の地下に存在するブレーカーに時限式の仕掛けを施し、指定の時間に停電を引き起こそうとした。だが、その日はちょうど台風が近くにあったからか天気が荒れており、結果として停電が直接の原因となっていた。ここまでは問題ないな?」

 皆黙ってうなずく。泉は話を続ける。

「停電が起き、エイトは俺と羽田と共にブレーカーまで赴き、停電を復旧。その時に仕掛けが施されていたことに気づく。……羽田君、例の写真を」

 私は言われた通りにスマホでその写真を表示した。エントランスにいる四人にしっかり見せると、泉が続きを話す。

「この仕掛けにより事件性を感じ取った俺たちはすぐにダイニングに戻った。すると、まず宮島のカメラが盗まれる事件が発生した。これはのちにすぐ解決するのだが……。そしてそれに続くようにエイトがコーヒーを飲み死亡。死因は混入されていた毒物によるもの。自殺する動機が思い当たらないこと、屋敷内を停電させるための仕掛けがあったことから殺人事件と断定した」

「だが、容疑者はもう二人に絞られているだろう。……夢野と空野に」

 剛力は泉が話し終えたタイミングでそう口にした。夢野は剛力を睨みつけ、空野はうつむいている。泉は剛力の言葉に答える。

「そうだ。どちらも風呂上りから停電までの間に席を立ち、その間の行動に不明瞭さが残っている。この写真に映されているろうそくの残り具合からしても、風呂上り後に仕掛けが施されたのは間違いない。……では続いて、星谷が殺害された事件について話そう。場所を変えるか」

 彼はそう言ってダイニングへと歩き出す。どうやらついていくしかないようだ。

「星谷はここで夕食のシチューに毒を混ぜられ、それを口にして死んだ。……だが、エイトの事件とは違い、ブレーカーへの仕掛けと言った犯人の工作がこの事件には見受けられない。人目を盗んで気づかれないうちに毒を混入させたというしかないだろう」

 星谷の事件の概要について話す泉。するとずっと黙っていた夢野がいきなり口を開いた。

「なんか、二つの事件が同一犯の仕業ってことになってるけど、何か証拠でもあるの?死因が同じなのは別にあり得る話でしょ?愉快犯かも知れないじゃない」

「もっともな疑問だが、この事件は同一犯の犯行だろう。証拠はないが根拠はある。……ブラムと剛力。この二人はすでに犯人ではないと分かりきっている。風呂上がりの後、一度もダイニングから出ていないからな。……互いにアリバイを補い合っていない」

 泉が何を言わんとしているか理解できないのか、夢野は苛立ちながらソファに腰を下ろす。そして「もう少しわかりやすく言ってくれない?」と頼んだ。泉は「いいだろう」というと、さらに詳しく話し始めた。

「二人以上の共犯において、最も有利と言える点は『アリバイ工作のたやすさ』にある。お互いがお互いをかばい合い、疑いの目をそらし続ける。……だが、今回の事件においては誰かが他の者のアリバイを証明した瞬間がない。……宮島のカメラはこれにあたるが、この撮影自体は皆に知らせていなかった行為だ。……それが事実かどうかは別としてだが」

 夢野は理解したのかしていないのか「ふーん」と興味なさげに返事をする。泉は小さくため息をつくと、「ここで話せることはもうない」とまたもや場所を変更する。彼はエントランスに戻ると階段を上り始めた。皆怪訝な顔をして着いて行く。彼に案内されてたどり着いた場所は宮島の部屋だった。遺体はベッドに寝かされている。

「最後、宮島が殺害された事件だ。動機はおそらく、犯人の証拠が残っているかもしれない映像を始末しようとした際、彼が障害になったからだろう。……部屋からはパソコンとカメラ、それにスマホまで消えている。徹底的に情報を削除するという犯人の執念が見て取れるな。……宮島の死因も同じく毒殺。机の上に残っているマグカップに入ったコーヒーが原因だろう」

 死体が寝ている部屋だというのに、彼は構わず歩き回る。皆は部屋の入り口に立ち、顔を引きつらせていた。泉はそれにすら構わずに話を続ける。

「これを見てくれ。おそらく毒を飲んだ後、宮島が吐いた血だ。乾ききっていることから殺害されたのは昨日の夜だと推測できる。……しかし、この血痕には不審な点がある。……ここだ、不自然に途切れているように見えるだろう」

 皆は部屋の入り口から泉が指さす先を見る。そこからでもカーペットに残った血は良く見えるだろう。……そして剛力が気づいた。

「血が、途切れている」

「……そうだ。ここだけ、何かが置かれていたように血が途切れている。……話は変わるが、昨夜何か変わったことがあったな」

 夢野以外の三人はすぐに夢野の顔を見る。彼女はそれに苛立ちため息をつきながら言った。

「……そうね。私がスーツケースを落としたことでしょう?でもそれは……」

「ああ、今は関係ない」

 彼は夢野の言葉を食い気味に否定する。彼女はこの言葉を予想していなかったのか驚いた顔を見せた。

「ここでもっとも重要なのは、『それ以外の騒音がしなかったこと』だ。俺たちが宮島を発見したとき、彼は床に倒れていた。周りに体を支えるようなものはない。座った状態だろうが、そこから床に崩れ落ちるならば多少の物音はするはず。……だがしなかった、それはなぜか?」

「……犯人が宮島の身体を支えたから、か」

 剛力の言葉に泉はうなずく。

「俺もそう考えている。……犯人が宮島を殺害した瞬間、奴は彼の目の前にいた。何故なら犯人には証拠品を消去するという仕事が残っていたからだ。……しかし犯人はそこで気づく。『このままこいつが倒れたら大きな音が鳴ってしまう』と。だから自分の身体で宮島を支えた。……そして血痕は犯人の身体に遮られ、不自然な形をカーペットに残した」

 誰も何も言葉にしないが、驚きが口から漏れ出ている。床に膝をついていた泉は立ち上がると、まっすぐに夢野を見た。

「最後の移動だ。夢野、部屋の鍵を開けてくれ。犯人はお前の部屋を利用していた」

「……わかったわ」

 彼女が先頭に立ち、廊下を進んでいく。彼女は震える手で部屋のドアに鍵を差し込む。自らの部屋が勝手に犯人に利用されていると知れば、動揺するのも無理からぬことだ。ドアが開き、皆が部屋に立ち入る。泉がドアをふさぐように立つと、ゆっくりと口を開いた。

「まずは、質問からだ。星谷が殺された翌日、最後にダイニングへと入って来た者は?」

 ブラムが手を挙げる。彼の記憶通りの回答のようで、二度頷くと次の質問が投げかけられた。

「その頃、俺と羽田君は確か宮島を伴ってダイニングを出ていたはずだ。その間、誰かが『カメラに証拠が残っているらしい』と話さなかったか?」

 これは一体何の質問なのか。この場にいる誰もがあまり理解していないようだが、彼は正直に答える。

「……夢野から聞いたぞ」

 泉は夢野へと向き直り、質問を続ける。

「夢野、なぜ話した?」

「……ただの雑談よ。事件の情報なら誰でも欲しいでしょうし」

 一理ありそうな回答だ。しかし、泉はとんでもない言葉を口にする。

「夢野。……お前が犯人だ」

 部屋の中は一瞬静寂に包まれる。そしてすぐに彼女に火が付いた。

「はあ!?な、なんで私が犯人なのよ!」

「順を追って説明してやろう。まずはこの質問の意図だ。……『カメラに証拠が残っている』という情報。これを最も欲しがるのは一体誰だ?」

 あまりにも初歩的な質問だ。犯人に決まっている。……今までずっと黙っていた空野がようやく口を開いた。

「それは、犯人でしょう?」

「そうだ。犯人にとってもっとも避けるべき行為は『証拠を残す』ことだからな。もしどこかに証拠が残っていれば、それを抹消しなければ気が済まない。……ところで、証拠が残っているという情報は、犯人以外にとってはどうだ?」

 犯人以外にとっては……。自分は犯人ではないのだからどうでもいい情報なのではないか。そう口にするよりも前に、剛力が口を開く。

「……秘匿しなければならない情報だ」

「何故?」

「犯人が証拠抹消のために動いてしまうから。……事実、宮島はそのせいで殺された」

 確かに宮島の部屋からはパソコンやスマホなど、映像が保存されていそうなものはすべて盗まれていた。……ということは。

「そうだ。犯人以外にとっては秘匿としなければならない情報を、軽々しく口にするのは、犯人だけだ。全員がその情報を知っていることにしなければ、すぐに自分が疑われてしまうからな。……だからこそ、その情報を話した、夢野が犯人だ」

 夢野以外の三人は彼女を見つめる。彼女はというと、なぜか自信ありげな表情を浮かべていた。

「……証拠、証拠はあるの?」

「もちろんあるとも」

 彼はそう言うと彼女のベッドを乗り越え、窓を開け放った。

「ここから下を覗いてみろ。焼却炉がある」

 彼の言葉通りに下を覗き込む。確かに、さっきまで私たちが調べていた焼却炉だ。真上は夢野の部屋だったのか。

「羽田君、脇に抱えている物を見せてやれ」

「はい」

 私は泉の指示に従い、床に焼却炉から拾ったものを並べていく。青いカーディガンに、スマホ。カメラにパソコン。1つずつ並べていくたびに、彼女の顔が青く染まっていく。泉は床に並べられたものを焼却炉で見つけた時のようにまとめ始めた。

「昨日の夜、夢野は衝撃音を発した。スーツケースを落としたなどと言っていたが、あれは嘘だ。実際はこの音だ」

 そして彼は作り上げた青い塊を窓から落とす。焼却炉にぶつかり、「ドン」という聞き覚えのある音が響き、皆は顔を見合わせる。

「すまない羽田君、あれを回収してきてくれ」

「わかりました」

 私は走って部屋を飛び出し、すぐに青い塊を回収して戻った。

「ありがとう。……これで、夢野の嘘が暴かれた」

「……私はほんとにスーツケースを落としたの。下に焼却炉があることなんか知らないし、窓なんか開けてすらいない!昨日はあんなに風が強かったじゃない、窓を開ける必要なんか……」

「では、どこにスーツケースを落とした?具体的な位置は結構。大まかで十分だ。……さあ」

「……このあたりよ」

 彼女はベッド下すぐのあたりを指さす。彼は指さされた部分を見つめると、いきなりカーペットの端を掴んだ。

「全員カーペットの上からどけ」

 夢野以外は素直に従う。彼女は「そこまでする必要ない」と喚いていたが、泉の眼力に負けて移動した。彼はカーペットを乱暴にめくりあげ、彼女が指さしたあたりを探す。手や足で床を何度もなでていたが、何かを確かめ終えたのかカーペットを元に戻し、夢野の方へと振り向いた。

「もし本当にスーツケースを落とした場合。あれだけの大きな音を出したのだから、相当な重量があると考えられる。……しかし、お前が指さしたところには傷が全くない。これはどういうことだ?」

「カーペットが分厚いから傷がつかなかったんでしょ?変な言いがかりはやめて。やっぱり証拠なんて……」

「証拠はまだある。羽田君、それを」

 泉は机の上に置いていた青い塊を指さす。私はそれをほどいて手渡した。

「このカーディガン。ここをよく見てくれ。青の中に少しだけ、赤黒い何かが見えるだろう。これはおそらく血だ」

 夢野以外の皆はまじまじとカーディガンを見つめる。

「そしてこのカーディガン。これは、夢野の物だ。……これこそが、紛れもない証拠だ」

 泉はカーディガンを夢野に突きつける。しかし彼女は少し震えた声でそれを嗤った。

「……それが犯人の証拠だっていうのは分かったわ。けど、それが私の物だって言う証拠はあるの?」

「はあ!?何言ってんだよ、初日の夜に同じ奴着てただろ!?往生際が悪いぞ!」

 ブラムが夢野を責め立てる。しかし彼女はそれを意に介さず、自らのスマホを画面を突きつけた。

「初日の夜に宮島マネージャーが撮った写真は『なぜか』消えているの!だからこのカーディガンが私の物だって言う証拠は……」

「それは、ここにある」

 泉はそう言って自分のスマホの画面を見せる。そこには確かに初日の夜に撮影された全員の寝巻姿の写真が表示されていた。

「……どこでそれを?」

「人気過ぎるのも考えものだな。……これを見ろ」

 彼はそう言ってジョイエリアのやり取りの画面を表示した。そこには。

『夢野あかりたちの企画の写真消えてるみたいなんですが。誰か保存している人はいらっしゃいませんか?』

『私、保存しています。良かったらどうぞ』

『ありがとうございます。助かりました』

 泉が夢野達のファンとやり取りした一部始終が映っている。彼はここからこの写真を手に入れたのか。

「最初にこのカーディガンを見つけた時、真っ先に夢野が着ていたことを思い出した。だが、それを裏付けようと宮島が投稿した写真を探したが、削除されていてな。彼のスマホはロックの解除をしなければならない。……万策尽きたと思ったが、ジョイエリアを思い出した」

 夢野は何も言わず、おぼつかない足取りで自らのベッドに向かう。ベッドに腰掛け深くため息をつくと、空気が抜けた風船のようにしぼんでしまった。

 

「……お見事ね、先生。そう、私が犯人。エイト、星谷、そして宮島マネージャーの三人を殺した人殺しよ。……何か聞きたいことでもある?お互いに質問し合いましょう。私に勝ったご褒美に、先に質問する権利をあげる」

 夢野は特に取り乱すこともなく、他人事のように言う。私は泉が「くだらない」と彼女の言動を一蹴すると思っていたのだが、彼はなぜか興味を示したようだ。

「では、遠慮なく。……なぜこのタイミングで宮島を殺した?」

「……本州に帰るって決まったから。今しかないと思って」

「何故帰ることを……」

「次は私が質問する番よ。……私がなぜ、三人を殺したか。わかるかしら?」

「……根拠のないただの妄想だ。笑ってくれてもいい。……お前は、自分が一番では無くなってしまうことが腹立たしくて仕方なかった。エイトも星谷も、宮島から話を聞いていると必ずと言っていいほど、『夢野を越え得る』という評価を聞いた。お前は、それが許せなかった。そして、二人のそうした評価を降す宮島のことも許せなかった。……だからお前は、自分よりもグッズ展開が多かった空野も殺すつもりだったんだろう?」

 いきなり名前を呼ばれた空野は肩をびくつかせ、夢野の方を向く。彼女はその視線が鬱陶しいとでも言うように睨み返すと、少し笑って泉に顔を向ける。

「さすがね、泉先生。元弁護士なだけはあるわ。……大正解。まさか空野を殺そうとしてたことまでバレてたなんて。……さあ、次の質問をどうぞ?」

「昨日の昼、俺と宮島が話していたことを聞いていたな。だからこそ宮島の殺害を昨日の夜にした。違うか?」

「正解。……惜しかったわね、あの時。部屋のドアを開けていれば、宮島マネージャーは殺されずに済んだのかも知れなかったのに。……じゃあ、次は私の質問。なんで話を聞いているってわかったの?」

「階段を上ってくる音がした。犯人なら、企画の進行を左右する宮島の言動は何が何でも気になるものだ。それに、お前は耳がとある状態になっていたんだろう。……ストレス性聴覚過敏。ストレスが自律神経の乱れを引き起こし、音を過敏に感じるようになる病気のようなもの。……かかりつけの病院の情報は宮島にもらっている、嘘は無駄だ」

「私はすでに自分を人殺しだって認めているのに、今さら嘘なんかつかないわ。……あなたは馬鹿にしてたけど、配信者っていうのも存外大変な仕事でね。常に求められている物を提供し続けないといけない。……定食屋の方がマシよ。定食屋の客は腹を満たせば帰るんだもの。でも配信者は違う。……視聴者は刺激に鈍くなる。さらなる刺激を与え続けないといけない。彼らは常に飢えている。少しだって満足しない。……自分が求めていないものが出てくれば、罵詈雑言の嵐。人格否定なんて三年の活動で何度受けたかしら。……そんな生活を続けていれば、どう繕ったって体に影響は出るものなの。……さあ、次はあなたの番」

「……初日の長風呂。お前はただ風呂が好きなわけではなく、何か目的があって長風呂をしていたんじゃないか?」

「へえ?どういう意味かしら。もう少し詳しく話してくれる?」

「全員が風呂を出て、ダイニングに集まる瞬間まで待っていたのではないか。……俺はそう考えている」

「……考えすぎ。そんな目的なんか考えたこともない。じゃあ、私の番ね。……なんで私がストレス性聴覚過敏だってわかったの?公表した覚えはないし、そこまで有名な症状でもないと思うのだけど」

「……俺もそうだからだ」

「え?」

「俺もお前と同じ、ストレス性聴覚過敏を患っている。……だからわかった」

 夢野は驚いた顔を泉に向けるが、彼の眉間に刻まれた皺を見てすぐに納得したようだ。彼女は手のひらを泉に差し出し、「質問をどうぞ」と急かす。

「ブレーカーへの仕掛け。あれはその場で考え出したものか?あまりにも行き当たりばったり過ぎる」

「もともとああいう仕掛けを考えていたわけではないわ。……あなたみたいな厄介者が来ちゃったから、何かしなきゃいけないかなと思って。みんなが掃除してるときにいろいろ探して考えて……。で、あの仕掛けにいたったってわけ。まあ要するにほとんど行き当たりばったりみたいなものね。……どう、満足?」

 泉は少し頷く。夢野は「そう」とつぶやくとベッドに腰掛けなおし、「次は私の番ね」と前置きし質問を投げかけた。

「もしかしてだけど、星谷が死んだときの私、演技してたって気づいてたりした?」

「予想はしていた。宮島からお前が女優業に手を出しているという話も聞いていたしな。……だが、確証はなかった」

 夢野はなぜかうれしそうに笑い、「なかなかの演技だったでしょ」と今自らが置かれている状況をちっとも理解していないような物言いをする。泉は誇らしげな彼女の言葉に返事をせず、代わりに質問を投げかける。

「……なぜ殺害予告の手紙を出した。部外者の人間はお前にとって不穏分子だろう。……現にこうして、俺がお前を犯人だと突き止めた」

「ほんとはね、もっと普通の探偵か弁護士が来ると思ったの。で、その人に取り入って絶対に疑われない安全圏から殺そうかなと思ってたんだけど……。なんであなたみたいな人が来ちゃうかな」

「……『天網恢恢疎にして漏らさず』。わからないだろうから簡単に言ってやる。……『お天道様は見ているぞ』ということだ」

 夢野は「お説教?勘弁してよね」とへらへら笑いながら肩をすくめる。まるで他人事のように振舞っているように見えるが、すぐに真顔に戻った。次は彼女が質問する番だ。

「これが一番聞きたい質問かも。……いつから、私が犯人だと疑ってた?」

「星谷が殺されたときだ。彼女が死んだ瞬間、この事件の犯人はお前ひとりだと確信した」

「……なんで?あの時は、まだ空野も疑われていたころでしょう?それに、カーディガンのような確実な証拠もない。そのタイミングで犯人を私だと決めつけるのは無理があるんじゃない?」

「これはただの持論だ、差別主義者とでも言って俺を嗤うと良い。……毒殺は、極めて陰湿な殺害方法だ。被害者にいくら腕っぷしがあろうとも関係なく、自らの手を直接汚すこともなく、明確な証拠も残さない。卑怯で、小賢しく、矮小な人間にしか扱えない。……つまり、『毒殺は女の犯罪』だ。星谷が死んだ時点でこの場にいる女はお前ひとり。だからこそ、お前が犯人だと確信した」

「……最低ね」

 夢野はただ一言、泉に向かってそう吐き捨てた。彼は意にも介していない。次は彼が質問する番だが、彼は質問を口にしない。

「どうしたの?もう聞きたいことはないの?」

「ああ。もう十分だ。まだ聞きたいことはあるが、そろそろ……」

 彼がそう言った途端、一階が騒がしくなる。急いで様子を見に行くと帰りの船の船長と、数人の警察が息を切らして屋敷に駆け込んできていたのだ。どうやら泉が帰りの船を手配していたようだ。夢野は警察の前に歩み出て、自らが人殺しだと口にする。彼らは当初信じられないといった様子だったが、泉が頷くのを見てようやく信じたようだ。……私たちは荷物を持ち、三人の死者を出した屋敷を後にした。

 島の波止場にて。三人を殺害した重大な犯罪者として夢野は警察の船で護送されていくようだ。しかし彼女は警察の案内に逆らい、泉に話しかける。

「あなたが質問しないなら、私が質問してもいいかしら。……これが最後」

「構わん」

 彼はそう言いながら夢野を取り押さえる警察にハンドサインを送る。拘束が緩んだ夢野は姿勢を正してから、最後の質問を口にした。

「……私の弁護をしてくれない?」

「断る」

「……まあ、そうよね。もういいわ、連れて行って」

 先ほどまで抵抗の意思を見せていた夢野は急に素直になり、警察官を戸惑わせた。彼女の言葉はこれが最後だった。それから夢野は一度も振り返らずに警察の船に乗り、波止場を離れて行った。


 一週間後。事務所にて。

「……やっぱり、事務所は畳んでしまうみたいですね」

 私はテレビで事件後の一部始終を知った。夢野は容疑を全面的に認めた。……事務所が選び出した弁護士の意思に反して。その結果、夢野よりも事務所の対応に目が注がれる事態となり、事務所は悪手の代償を最悪の形で支払った。

「当然だな。容疑者が認めているのに、事務所は無罪を主張した。心象は最悪だろう」

 彼はソファに寝そべり、惰眠をむさぼっている。フューチャニスからは前払いとしてそれなりの金額を得ていた。そのため、ここ三日近くは事務所を閉めていた。旅行の疲れも残っているだろうと彼は言ったが、おそらくあまり働く気がないだけなのだろう。私の「今日から仕事を再開しましょうか」という言葉に、苦言は言わずとも眉間にしわを寄せていたのがいい証拠だ。……時刻は9時45分。そろそろ営業中の看板を出しに行こうかと席を立った時、あることが気になった。

「先生、なぜ夢野の弁護を断ったんですか?」

「……地獄に落ちたくはないからな」

 またこれだ。彼が弁護士をやめる原因であることは間違いなさそうだが、具体的な出来事など皆目見当もつかない。今まではこれで誤魔化されてきたが、今日こそは問いただす。

「弁護士というのは人を助ける仕事じゃないですか。なぜそれが地獄に落ちることになるんですか?」

「……悪人をかばうのは善行か?」

「え?」

「悪人をかばうのは善行か、と聞いている。どうだ?」

 私は言葉を失った。……弁護士という仕事は端的に言えば、悪人をかばう仕事である。ただ、冤罪だったり民事訴訟だったりで悪人がはっきりしない場合もたまにあり得る。しかし、ほとんどはそうだ。悪人をかばいたて、裁きが正しいものであるかを決める。……人の人生をも左右する大事な仕事だ。だが、これは善行なのだろうか。……なぜなら、彼は。

「答えられないか。まあいい、すぐに答えが出るような問題でもないからな。……ただ、俺がこの身で知ったのは、『悪人を一人救えば、救えない悪人が二人生まれる』ということだ。……お前も知っているだろう、俺が何枚も殺害予告の手紙をもらっていたのを。あれは俺では絶対に救えない悪人だ。弁護士を続ける限り、世の中に悪人は増え続けてしまう。……だから俺は弁護士をやめた。悪人を生み出し続けることは、あの世では最も許されない悪事だろうからな」

 事務所の中は静かになった。今の私の言葉では、すべてが空虚に思えてしまう。黙り続ける私を前に、泉は言葉を続ける。

「その点、探偵はずいぶんといい仕事だ。困っている人を助ける、それだけでいい。……羽田君、看板を出してきてくれ」

「あっ、はい」

 私は玄関近くに置いていた看板を持ち、外に出る。……このまま彼の助手を続けていれば、いつか彼の暗い思いに対して、空虚ではない言葉で答えられるようになるだろうか。

「すいません、ここって泉探偵事務所ですよね。……相談したくて来たんですけど」

 ぼんやりと遠くを眺めていた私は意識を取り戻す。別にやましいことをしていたわけでもないのに、なんだか慌ててしまった。相談に来たという女性はそんな私を怪訝な顔で覗く。

「……大丈夫ですか?もしかして、ご迷惑でしたか?」

「い、いえいえ!少しぼうっとしていただけです、申し訳ない。……ご相談ですね」

 彼女はゆっくりとうなずく。その右手には飼い犬の物だろうか、リードが握られていた。……「困っている人を助ける、それだけでいい」という泉の言葉が思い出される。……私はすぐに事務所の扉を開けた。

「泉先生、お客様です」

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