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第八話 あなたの背中を越えて羽ばたく

 執務机の上に積み重なる書類の山を、カルロータ様はめくっていらっしゃる。

 辺境伯閣下の急病にてなぜか代理を指名され、日々、積み重ねられる書類に目を通し、時には直接、関係者から話を聞く。


 十五歳というどこかあどけなさを残す少女のもとに、兵士や代官、下級貴族といった面々が、厳しい面持ちで視線を注ぐ。

 無論、彼らも初めからカルロータ様に辛く当たるつもりでいるわけではない。家に帰れば、きっと子を慈しむ父であり、頼れる兄であるのだろう。だが、ここは遊び場ではない。

 一度口にした言葉は訂正ができず、判断を誤ればこの地に住む民の暮らしをおびやかしかねない。ここは、政治の場なのだ。


 仕方のないことだと理解してはいても、恐ろしいものは恐ろしい。

 息の詰まるような重い空気。いくつもの視線が槍のように突き刺さる。

 カルロータ様は、張りつめた表情のまま書類に目を走らせ、報告を受ける日々をお過ごしだった。


 私とルシアの同席は、閣下の名代として政務を執るにあたり、カルロータ様が唯一望まれたことだった。

 もちろん、私たちが政務に直接関わることはほとんどない。ただ、カルロータ様を見守るだけ。

 けれど、それだけで十分心強いと仰ってくださる。少しでも、厳しい視線からカルロータ様をお守りできているのだろうか。


 ふと、思いがよぎる。

 ――もしかして、この視線はわざとなのではないか?

 もう嫌だと弱音を上げさせるために、わざといつも以上に強い圧をかけているのではないだろうか。

 ……いやいや、考えすぎだ。

 誰が、何のために。そんなあからさまなことを仕掛けるはずがない。

 もし謀があるとすれば、むしろそう思わせることによって、私たちの間を裂かんとする別の誰かの仕掛けだろう。


 あるいは、わざと厳しくして、この場の空気に早く慣れてもらおうという深い配慮という可能性もある。

 私やルシアが必ず支えると信じているからこそ、あえてカルロータ様に重圧を与えている。

 そうであれば、誰の意図か想像はつくが、果たしてどこまで計算されているのか……。


 いずれにしても、私たちにできることはただひとつ。全力でカルロータ様をお支えすることだ。

「私は……知らないことが多すぎるの。半人前どころか、それ以下だわ」

 そう仰って、日々自分の足りなさに押し潰されそうなるカルロータ様を、私とルシアは抱きしめ、励ますのだった。

 そうして、カルロータ様は歯を食いしばりながらも、決して逃げ出すことなく家臣たちと向き合い続けておられたのだ。


「ご説明、ありがとうございます。……それでは、次の報告書をお願いします」

 そのお姿は、まさしく立派だった。あのカルロータ様が、ここまで成長なさるとは。感激で涙が止まらない。

 隣で控えるルシアの存在も大きい。時折、茶を淹れて差し上げたり、そっと手を握って支えたり。

 私は適宜座ることが許されているが、ルシアはメイドとして立ち続けねばならない。しかも、書類の誤りまで見抜くのだから、その精神力には頭が下がる。


「ん……これ、合わないわね」

 カルロータ様が小さく呻かれた。またか、とため息を吐き、別の書類を手に取る。

「ねぇ、ライムンド。子爵や男爵って、意外と識字率が低いのかしら」

「……ご明察にございます。仰る通り、中には、基礎教育が不十分な方もおられます」

 ライムンド殿は目を細め、頭を下げた。

 思わず誇らしくなる。カルロータ様はまだ年若い少女であられるが、知識においては決して彼らに引けを取らないのだ。

「うーん。この書類、どこが間違ってるのかしら。まとめ方が雑すぎて、全然分からないわ」

 カルロータ様が眉をひそめた瞬間、横からするりとルシアの指が伸び、書類の一節を示した。

「ここです」

「ルシア?」

「ええ、ここが間違いの起点です」

「……あ、本当だわ」

 ルシアの助けを借り、あっという間に訂正が進む。頼もしい限りだ。


「……他の報告書にも、似たような誤りが散見されるわね。これでよく領地経営が回っていたものだわ」

 カルロータ様は書類を睨みつけ、深いため息をつかれた。

「ねぇ、ライムンド。少し僭越だけれど、彼らには教育が必要なんじゃないかしら」

「……失礼ながら、驚きを禁じ得ません。この短い日数で、長らく誰も手をつけなかった問題にお気づきになるとは」

 教育水準の低さは、皆が薄々感じていることだが、どう手を打つのか、誰がやるのか、費用をどう捻出するのか――。

 その問いに誰もが答えを出せず、結局、報告を受け、決裁をする上位の者たちがそれぞれ少し我慢すればいいという結論に落ち着いているのが現状なのだ。

「しかし、もしそこに手を入れるとなれば、厄介ごとも増えるでしょう」

「承知の上よ。でも、やってみたいの」



 

 その夜、私たちはカルロータ様の私室に集い、お昼間に示されたお考えについて話し合っていた。

「ど、どどどどうしよう。ルシア、助けて……!」

「……」

 どうやら計画以前の問題だった。

「お考えがあったのでは?」

 大きくため息をつき、カルロータ様をじとりと見る。腹案があって口に出したのは間違いない。ただ、あの場では少し勇気を出しすぎたと、自分でも驚いてしまったのだろう。

 気の置けない者同士の集まりだからこそ、こんな風に弱音を吐ける。

 その証拠に、カルロータ様は咳払いをひとつして、私たちに向き直った。


「……修道院の協力を得て、まずは二、三人くらいの子どもから始めたいわ」

「ほう、修道院ですか」

 素晴らしい目の付け所だと感心する。

 教育を行うなら天候に左右されない屋内が望ましい。修道院ならば広間もあるし、わざわざ新たに建物を用意しなくて済む。

 あくまでカルロータ様は代理。勝手に予算をつけるわけにはいかないのだ。

 

「条件はつけられると思いますが、出せますか?」

 ルシアが懸念を示す。勝手に出せず、かと言ってアルマール家から持ち出す訳にもいかない。

 そもそも持ち出すものなんてないのだけれど。

「そこはね、教義の授業を組み込めばいけるんじゃないかと思ってる」

 

「なるほど。逆に向こうも噛ませるのですね」

 教師の一人として僧侶に協力してもらい、教育課程に教義の時間を入れると言えば喜んでくれるだろう。

 条件も緩やかになるかもしれない。

「平民の子どもも混ぜられますね」

「そう、それよ!」

 カルロータ様は、ルシアの手を取り、満面の笑みで何度も頷かれた。

 

 修道院なら平民の子どもたちも招き入れやすい。そこでついでに読み書き計算を教えれば、いずれ領地運営もよりスムーズになるはずだ。なんなら好きに布教しても良いと伝えれば、さらに条件が緩むかもしれない。

 貴族子弟にとっても、幼いころから平民と交流するのは悪いことではない。垣根は存在すべきだと思うが、すき間はあって良いと思う。

「さて、問題は教師をどうするか、ですが」

 しん、と場が静まり返った。先ほどまであれほど笑顔を浮かべていたカルロータ様も、真顔に戻り、俯かれた。

 解っている。予算をみだりに使えないカルロータ様にとって、誰を教師にするかなんて、とっくに決まっているのだ。



 翌日、カルロータ様は直参の家臣たちを執務室へ集められた。

「皆さまに、お話があります」

 小さな声で切り出すと、十数名の家臣たちの視線が一斉に注がれる。

「領地経営の報告書に、たくさんの誤りが見つかりました。もしかすると、下級貴族の子弟の学びが足りないのではと思いまして……」

 声が震えていた。けれど、言葉を止めてはいけない。

「……まずは小規模ですが、教育の場を設けたいと考えています」


 ざわめきが走った。

「それは、辺境伯家がやるべきことなのでしょうか」

「教育ならば教会に任せれば良いのでは」

「資金繰りは? 無駄になるのでは?」

 次々に飛び交う反論の嵐に、カルロータ様はぐっと歯を噛みしめられた。

 その手を、そっとルシアが握りしめる。カルロータ様も、しっかりと握り返す。


「私が、責任を負います」

 カルロータ様は胸を張り、毅然と言い切られた。

「まずは三人ほど、子弟を募り、修道院の一室を借りて教育を始めます」

「……教育を施すメリットはございますかな?」

 ライムンド殿が助け舟を出してくれる。ありがたい一言だ。


「領地経営は、正確な数字の積み重ねで成り立っています。知識、教養があってこそ、統治は円滑に進み、領地はより発展するのです」

 いちいち誤字脱字に時間を取られず、村を治める子爵や男爵から些細な相談を持ち込まれることも減る。

「まずは業務の効率化と、末端の底上げを図ります」

 忙しい家臣たちにとっては、自分の時間と財布を犠牲にせずとも将来の負担が軽くなるのだから、むしろ助かる話だろう。

 失敗しても、今と大して変わらないのだから。

「……まぁ、いいのではないでしょうか」

 そう答えるのは当然だった。



 これからはもう、私がカルロータ様のお側でお教えすることも、お手伝いすることもほぼ、なくなるのだろう。

 けれど、お側にはルシアがいる。きっと、ルシアがよくやってくれるはずだ。

 カルロータ様は、私の手を離れ、一人で立つことを選ばれたのだ。

 それは、きっと、いつか迎えるべき成長の証なのだから――。

読んでいただきありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
うーん、教育に乗り気ではなく、否定的な家臣にこそ教育が必要ですね〜。 (*´ω`*)
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