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第六話 ともに笑うかただ守るのか

 カルロータ様とルシアは、日を追うごとにその距離を縮め、今では息の合った主従関係を築いていた。

 時と場所に応じて、カルロータ様が欲しているものを、ルシアは言葉を交わさずとも察して差し出す。

 手のひらを差し出すだけで、そこに欲しいものが届く。そんな関係になっていた。


 本当なら、二人には友達として並んでいてほしかった。

 けれど、あの時、私がルシアをメイドとしてお側に上げてしまったせいで、二人は主とメイドという形に落ち着いてしまった。


 他にいい名目が思いつかなかったのだ。行儀見習い? 養女? そういった扱いにするメリットが辺境伯家にはないのだから、メイドが妥当なところだろう。

 父上も辺境伯閣下との関係を深める気などないらしいし、何かあればすぐに切り離せるメイドという立場が一番、都合が良かったのだろう。

 もちろん、私としては簡単に切り離せないよう、裏からサポートするつもりではあるが。


 問題は、二人の間に築かれたその主従という関係が、どこまで心を許せるものかということだ。

 主とメイド。果たして主はメイドに公私関わらず悩みを相談するだろうか。そしてメイドは、主の悩みに真心から応えるだろうか?

 普通のメイドなら、きっと「申し訳ございません、それは分かりかねます」と首を横に振るのが関の山だ。


 そもそも、メイドにそういった役割を期待するのは違う。

 もし私的な悩みがあるなら、経験者や専門家に相談すればいいし、公的な問題であればその道のプロに頼るのが筋だ。

 それでも私は、カルロータ様にはそんな理屈より先に、プライベートで気軽に話し合える相手がいてほしかったのだ。

 膝枕でもさせながら、弱音を吐く相手が。

 それは、私の役割ではない。


 私は、カルロータ様の家庭教師であって、相談役ではない。

 それに、どちらかというとカルロータ様にとっての私は、まことに僭越ながら、母のような存在に近いだろう。

 母親が膝枕で与えるのは、安らぎや眠りであって、現実的な答えではない。

 自立を促す意味でも、私はここで引かなければならない。


 為政者は孤独だと言うけれど、遙か高みなどを目指さないのなら、友人を持つことは悪くないはずだ。

 二人で愚痴をこぼし合って、笑い合いながら時を過ごしてくれたら、それでいいのだ。


 ただ、今の二人は、どうやらその方向には進んでいないようだった。

 このままでは、主従としての熟年夫婦のような関係に落ち着いてしまいそうな雰囲気がある。

 それだけは、どうにかして軌道修正したい。

 けれど、きっかけを掴めないまま、もどかしい時間が過ぎていった。

 一年が過ぎ、さらに二年。

 焦りだけが募る。


 そんなある日――。


「ねぇ、セレナ。私、乗馬がしたいの」

 授業の前、カルロータ様が突然ぱちりと手を打った。

 確かに、淑女の嗜みとして、乗馬に親しむのは悪くない。

 いずれはやっていただこうと考えていたので、本人が望むならちょうどよかった。


「お父様がね、いつか一緒に遠乗りしたいって言ってたの」

「なるほど……」

 辺境伯閣下も、以前とは違い、カルロータ様を大事にしてくださっているようになった。

 時折授業中に顔を出してくださるし、二人で話す時間も増えた。

 あの頃のように、家族から疎まれていた時代が嘘みたいだ。

 今や、「辺境伯家は三人家族だ」などと口さがなく言う者はいない。


「……ただの思いつきではなかったのですね」

「な、なんですって!?」

「まぁまぁ……」

 閣下が乗馬の話を出したということは、いよいよカルロータ様を政略結婚の駒として考え始めたのだろう。

 上流貴族の令嬢は、ただ家に飾られるだけの花じゃいられない。

 ただ馬車に乗るだけでなく、馬そのものに乗って、夫との時間を共有する。

 それができれば、さらに結婚相手からの信頼も得やすくなるだろう。


 これから、閣下から私へ教育方針についての指示があるかもしれない。

 でも、私はあえて、違う道をも示すつもりだ。

 カルロータ様にとっても、閣下にとっても、選択肢があるとお伝えしたかった。

 選ぶのは、あくまでカルロータ様ご自身だけれど。


「では、厩舎へ行きましょうか」

 そうして私たちは、屋敷内の厩舎へ向かった。

 さすが辺境伯家とあって、邸内には厩舎だけでなく礼拝堂や倉庫、色とりどりの花々が咲き誇る庭園まである。

 使用人も数多くいて、カルロータ様は全員の名前までは覚えていないにせよ、顔を見ればだいたいは認識できた。

 すれ違う人々に笑顔を向け、労いの言葉をかけるその姿は、立派な淑女の片鱗であり、屋敷の誰からも愛されていた。

 昔は顔をしかめ、距離をとっていた使用人たちも、今では自分から声をかけ、果物や花を差し出すほどだ。

 そんな様子を眺めながら、私はカルロータ様の努力の結晶に、心中で涙を流した。


「……着きましたね。少し話をしてきますので、ここでお待ちください」

 そう告げて、二人に背を向けたその時だった。

 呼ぶより早く、向こうから声をかけられる。

「どうもどうもアルマール先生、ようこそお越しくださいました」

 現れたのは、柔らかい笑顔を浮かべた面長の、背がひょろ高い中年男性だった。

 厩舎を預かるこのリオハさんは、私がこの屋敷に招かれた時から中立的で、隔たりなく話をしてくださる希少な方だ。

 ときおり、カルロータ様が馬を見たいと仰るので、月に一度ほどお世話になっている。


「いつもお世話になっております、リオハさん。今日はお嬢様の乗馬について、ご相談をさせていただきたくて」

「おや、乗馬ですか」

 リオハさんは私の肩越しにカルロータ様を一瞥し、何度か頷く。

「もう少し早く始めてもよかったかもしれませんが……大事なお嬢様ですし、適齢でしょうな」

 カルロータ様には、乗馬選手になるほどの技量までは必要ない。

 過程を甘く見ているわけではないが、訓練された馬を、そこそこ操縦できるようになればいいのだ。幼い頃から始める必要もなかった。


「ありがとうございます。スケジュールの調整も含めてお願いできますか?」

「もちろん。もしよろしければ、馬と触れ合っていかれますか? ちょうど調教から戻る頃合いですし」

「わぁっ!」

 後ろの二人が歓声を上げた。

「よろしければ、アルマール先生もどうぞ」

「いえ……私は、見ているだけで」

 両手を上げて首を振る。

 馬車には乗れるけれど、あの大きさの馬に触るのは、どうにも苦手だ。

 一方でルシアは目を輝かせ、今か今かと馬の帰りを待っている。

 あのあたりは、母譲りだろうか。


 少しして、馬丁に引かれて一頭の栗毛の馬が戻ってきた。

 私の髪の色とよく似た栗毛で、真っ白なたてがみと尾を持つ、美しい馬だった。

「お嬢様がいずれ乗られる時のためにと、領主様がご用意された馬ですよ」

「そうなのですか」

 その馬にまたがるカルロータ様の姿を想像して、胸が熱くなる。


 だが、その時だった。

「あっ、いけませ――」

 誰かの叫びが耳に届いた瞬間、馬が鋭い嘶きをあげた。

 大きな馬体が前脚を振り上げ、カルロータ様の真上で暴れたのだ。

 その目は血走り、鼻息は荒い。

 馬丁たちが必死で手綱を引くが、興奮は収まらず、ついには制御を振り切った。

 巨体がカルロータ様を押し潰そうと迫る。

 カルロータ様はその場に立ち尽くして――。

「カルロータ様っ!!」

 私は咄嗟に叫んだ。だが、伸ばした手は虚しく空を切る。

 心臓が凍りつく。

 ――踏み潰されるっ!


「――っ!」

 ルシアが横から飛び込み、カルロータ様を抱きかかえて転がった。

 馬の蹄がルシアの体をかすめるように見えた。

「っ、おい!」

 正気に戻ったリオハさんが馬丁たちを呼び戻す。

 馬は馬丁の手綱でようやく落ち着きを取り戻し、ゆっくりと厩舎の奥へと連れて行かれた。

 私は息を呑み、カルロータ様のもとへ駆け寄る。


「ルシアっ、ルシアっ!!」

 カルロータ様は泣きそうな顔でルシアを揺さぶっていた。

「カルロータ様、ご無事ですかっ!?」

「セレナ、私は大丈夫よ……でも、ルシアが……ルシアが!」

 悲痛な叫びが響く。

 幸い、出血は見当たらない。

「……っ、うぅ」

 うめき声があがる。意識はあるようだった。少し安心する。


「ルシアっ!」

 ルシアは、カルロータ様の呼びかけに応えるように、顔をしかめながらゆっくりと起き上がった。

 そして、弱々しく笑う。

「カルロータ様……ご無事、ですか?」

「ええ、あなたが守ってくれたから」

「そうですか。なら、よかった……です」

 カルロータ様はルシアに抱きつき、すすり泣きを始めた。

 私とルシアは、困ったように目を合わせ、頷きあう。

「どこか痛いところは?」

「今のところは大丈夫。馬がうまく避けてくれたみたい……擦り傷くらいかな」

 足元を見ると、スカートが破れて、ふくらはぎに血が滲んでいた。

「……無事でよかった。ありがとう、ルシア。カルロータ様を守ってくれて」

「当然です。私は、カルロータ様のためにいるのですから」

 そう言って、ルシアは満足そうに、にこりと顔をほころばせた。

読んでいただきありがとうございます。

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