屍術の秘奥
メルへザク邸から二頭立ての馬車が飛んできたのは魔導書を読み終えて数日経った後のことだった。
使者が伝えて曰く、すぐに来い。
メルへザクに呼ばれたことなどかつてない。何事かあったのはあきらかだった。
使者は狼狽していた。
「なにがあったんだ? 説明してくれないか」
「反政府軍の襲撃があったんです。それにユイナお嬢様が巻き込まれて。半死半生です。あなたに会いたいと言っています」
あまりの衝撃に思考が止まった。
結菜が。
さっと血の気が引いていくのを感じる。一瞬遅れて手が震え、身体は動かし方を忘れたように硬直した。
目の痛みで瞬きすらしていなかったことに気付く。口は急速に乾いてねばついた舌がもつれるような感じがした。
「お早く」
促されて慌てて馬車に乗った。
結菜はまだ生きているのだろうか。これは死に目に会いに行くということになってしまうのか。
馬車は激しく揺れながら速度を出して土道を行く。
俺はその中で祈る神を持たないことをこの世界に来てから初めて後悔していた。
屋敷ではメルヘザク本人が待ち受けていた。
「貴様のようなものに敷居を跨がせることになるとはな。こんなときでなければ絶対にありえんことだ」
メルヘザクは蒼くなった顔面を憎しみで歪ませていた。
「御託はいい。さっさと会わせろ」
二階の一室に案内されて入る。
そこには血まみれのベッドに横たわった結菜の姿があった。
一目で深手とわかる傷が右脇腹と左足に広がっている。
「結菜!」
駆け寄って頬に触れるとかすかに反応があった。
「……来てくれたのね」弱々しい声で俺の名前を呼ぶ。「ごめんね。ずっとお父様が会わせてくれなくて」
「いいんだ。俺のほうこそごめん」
俺はメルへザクのほうを振り返った。
メルへザクは言い訳するように口を開いた。
「止血術はかけてある。手術で爆発物の破片は取り除いたが、治癒術はとても追いつかん。手の施しようがないんだ」
俺は頭に血が上るのを感じた。
「散々偉そうにしておいて娘一人救えないのか」
屈辱に震えるメルへザクを無視して結菜に目をやる。
結菜は紫色の唇をわずかに動かして俺に向けて言葉を紡ぐ。
「あの時……、この世界に転移してきた時、あなたと一緒に行けたらと思ってた。でも私にはなんの能力もなくて、あなたの重荷になりたくなくて……」
「わかってる。わかってるよ。俺にもっと力があれば良かったんだ。君は何も悪くない」
「ありがとう……」
それだけ言って結菜の瞳は閉じられた。慌てて首に手を当てると、かすかだがまだ脈はある。
だがこのままでは再び意識を取り戻すことはないだろう。
ある決意が俺の胸に宿っていた。
「俺が結菜を救う」
「救うだと?」メルヘザクは激昂して言った。「貴様に何ができると言うんだ! 死体を弄ぶしか能のない貴様などに!」
「結菜を俺の工房に運べ」
「まさか……貴様、ユイナを動く死体にする気なのか!? 侮辱するのもいい加減にしろ!」
メルへザクが激怒するのも無理はない。動く死体に生前の記憶や感情などは残らない。ただ屍術師の意のままに動く人形が出来上がるだけだ。メルヘザクにすれば単に俺が結菜を弄びたがっているとしか思えないだろう。
ただしそれは、屍術の秘奥を用いなかった場合の話だ。
「生きながらにして動く死体にする方法がある。その方法を使えば記憶も自我も元のままだ。身体は差し替えが必要な部分もあるが、救うと言って過言はあるまい」
「なんだと……」
メルへザクは明らかに狼狽えていた。
目が泳ぎ、手はわななき、頭を抱えた。
「そんなことは神がお許しにならない」
「早くしなければ手遅れになる。神学論争なんぞをしている時間はない」
メルへザクは苦悩に耐えかねてうめいた。
そして、しばしの逡巡ののち消え入りそうな声で「頼む」と言った。
「俺から2つ条件がある。ひとつはあんたが助手として屍術の実施に立ち会うこと。もうひとつは甦った結菜がどんな意思を持ってもそれを尊重することだ。約束するか?」
「約束しよう。だからユイナを……」
すぐに馬車が用意された。荷台に俺とメルヘザクと瀕死の結菜を乗せ、御者が手綱を引く。
「もってくれよ」
俺は呟いた。
メルへザクは両手を合わせて神に祈りを捧げていた。
工房の解剖台に寝かせたとき結菜はまだ息があった。
「服を脱がせるんだ」
俺が命令するとメルへザクはためらって手をさ迷わせた。
「どうした。傷の状態を見なければ手術など始まらんだろうが。早くしろ」
「余計な事をしたら承知せんからな」
そう言ってメルヘザクが結菜が身に着けていた病衣をはぎとると、その双丘も陰毛に覆われた恥部までもあらわになった。
俺はあらためて結菜の身体を確認していく。
「右脇腹と左足は取り替えるしかない。右下肋部の損傷は縫い合わせれば事足りるだろう。あんたがここを縫合してくれ。俺は死体置き場に部位を取りに行ってくる」
相変わらずひんやりとした死体置き場で俺は結菜と同程度の体格の死体を求めて探し回った。子宮や卵巣に損傷がなさそうなのは幸いだった。この際男性でもかまわない。小腸、大腸、肝臓、胆嚢、それに腎臓が移植できれば問題ないだろう。体格が似通っていて新鮮でできるだけ健康そうな若い死体が良い。ややあって俺はひとりの少年の死体を見つけた。
「これで良いだろう。左足もこの死体から移植できそうだ」
工房に戻るとメルヘザクが下肋部の傷を縫い終えて額の汗を拭ったところだった。
「まだまだこれからだぞ。次はこの死体から結菜に移植する部位を切り出す。右脇腹から始める」
「なんでもっと部屋を明るくしない。これでは作業がやりづらくてしょうがない」
「屍術師の魔力は陽の光を嫌う。やりづらくてもランプの明かりでやるしかないのさ」
もうひとつの解剖台に少年の死体を乗せると、皮膚用の鉛筆で術部に印を付けていく。
「メスをとってくれ」
メルへザクは俺などの助手をするのが耐えられないとでも言うように俯いた。
早く、と促すとしぶしぶ俺にメスを手渡してくる。
「そんな調子では術式が終わる前に結菜が死んでしまうぞ。あんたに助手としての心得までは求めないが、自分の作業が結菜を救うことに繋がっているんだという自覚は持ってもらわないと困る」
「わかっているさ……」
力なくうなずくメルへザク。屍術師の仕事に手を貸すことが厭わしくてたまらないらしい。
「コッヘルで切開部を把持してくれ。中の臓器を摘出する」
俺は結菜の臓器の欠損状況にあわせて、肝臓の一部と胆嚢、腎臓を切り取った。小腸と大腸はこの際自前で残っているものを繋ぎ合わせればいいだろう。
今度は結菜の右脇腹を切開する番だ。生きている身体の弾力は、死んでいる身体とは違い、メスを押し返す手応えがあった。
「乱暴にやるなよ。死体を扱うのとは違うんだぞ」
メルへザクが俺の手つきを見て苛立って言った。
「無駄口を聞かずに脈をとっていろ。腎臓の縫合に入るぞ。鑷子と丸針」
トレイに乗せて用意されたそれを、俺は右手で持つ。
そして慎重に腎動脈と腎静脈、それに腎盂を縫合していった。
さらに肝臓と胆嚢も縫い合わせていく。
「実際動く死体にとって臓器がそこまで適切に付いている必要があるのかね」
メルへザクは自分の娘の身体に死体の臓器が接合されていく様を複雑な面持ちで眺めながら言った。
「動く死体の身体には血液の代わりに魔力がめぐっている。魔力のめぐりに淀みや漏れがあると長期的には機能に支障が出てくる。だから基本的には生きている人間と同じように造ってやる必要がある。それでも人間のように些細な傷で動けなくなるような脆さはないがね」
言いながら俺は右脇腹の皮膚、皮下組織、筋肉組織をまとめて結菜に移植していく。結菜の白い皮膚とは多少色が違ってしっまったがこの際やむを得ないだろう。これで右脇腹の手術は終わりだ。最後に固定術式をかけて糸だけでは頼りない接合部を魔力で定着させる。
「さあ左足だ」
俺は結菜の足のほうに回った。
自然と慎ましやかな茂みに隠された彼女の陰部が目に入る。
俺は自分の中で以前からの疑念が急速な勢いで膨らみ、抑えきれない衝動になるのを感じた。
おもむろに結菜の小陰唇に手を当て、押し広げて中にある処女膜を見た。
「なにをしている!」
メルへザクが俺を力の限り殴り飛ばした。
俺は5歩分ほど吹き飛び、尻もちをついて口から流れた血を拭った。
「……あんたの潔白を確かめたかっただけさ」
「貴様……!」
怒りで顔面蒼白になったメルへザクは激情のあまり言葉が出てこない様子で口を開け閉めしていた。
「手術を続けよう。このままでは結菜は長くない」
左足の移植手術は滞りなく進んだ。神経の縫合に細心の注意が必要だったが大きな問題はなかった。
「ここからどうするんだ。このままではただ生者に死者の身体を取り付けただけだぞ。どうにもなっていないじゃないか」
「言っただろう。生者と死者の違いは身体をめぐるのが血液か魔力かの違いだと。これから結菜の血液を抜いて、代わりに俺の魔力を注入する」
「そんなことをすればユイナは」
「ああ、完全に死ぬ。そして生まれ変わる。魔力で生きる動く死体としてな」
「おぞましい」
メルへザクは茫然自失となり膝をついて天を仰いだ。
「ぼさっとしている暇はないぞ。そこの棚から血抜き用のポンプを持ってこい」
よろよろと立ち上がり俺の指示に従うメルへザク。
「直接血から魔力へ入れ替えるわけにはいかない。まずは血と緩衝液を入れ替える。本当はリン酸緩衝生食水があれば良いが、用意している暇がないから普通の生理食塩水を緩衝液にする。樽一杯の生食水を作るんだ。早く」
俺に急かされてメルへザクは塩の目方を計り始めた。
その間に俺は薬研と乳鉢を用意する。
戸棚から材料を取り出し薬研で砕く。ウルフスベーンの根、カクロフカ鉱の欠片、ユニコーンの角の薄片。
「それは何をしているんだ」
メルへザクが疑い深く聞いてくる。
「緩衝液に混ぜる触媒だ。生から死への移行を確実なものにし、魔力の循環を助けてくれる。そして最後に――」
俺は自らの腕をナイフで傷つけ、樽の中に俺の血を注いだ。
「あとはうまくいくよう、神にでも祈っておくんだな」
目を覚まさないままの結菜に俺は語りかけた。
「いくよ。結菜。生まれ変わるんだ」
頸動脈に刺した太い注射針から緩衝液が流れていくと、代わりに右太ももの大動脈に挿入したチューブから結菜の血が抜けていく。
やがて結菜の顔から完全に血の気が引き、死人の色になった。
そして俺は緩衝液に慎重に魔力を込めていく。
「汝今こそ神の軛から解き放たれん。円環の理を外れ、腐敗の宿命に抗う者よ。苦悩と忍従との代償として汝に今一度の生を与えん」
緩衝液が完全に魔力と入れ替わるまで一時間ほどを要した。
その間メルへザクはずっと手を合わせて神に祈っていた。
結菜をここに連れてきた時から数えると6時間は経っている。外は完全に暗闇のようだった。
「これで術式は終わりだが、すぐに目を覚ますわけじゃない」
「屋敷に連れて帰る」メルへザクが言った。「こんな臭いところに娘を置いておけない。それに顔色が悪すぎるから化粧もしてやらないとな」
「あんたの娘はもう動く死体なんだぞ」
「私の娘は、そんなおぞましいものじゃない! 目を覚ませば、またいつものように笑いかけてくれるに決まっている。家族としての日常が戻ってくるんだ」
確かに笑いかけてはくれるかもしれない。術式がうまくいっていれば記憶も自我も元通りのはずだからだ。
しかし動く死体になってしまったなどという決定的な変化が日常になんの影響ももたらさないということがあり得るとは思えない。
俺はメルへザクが疲労と混乱から平常心を失っていると感じ、あえて反論するのをやめた。
「勝手にするがいいさ。ただし約束を忘れるなよ」
メルへザクと結菜を乗せた馬車はゆっくりと去っていく。
疲れがどっと出てきた。
今はただ湯浴みしてぐっすり眠りたかった。
屍術の秘奥を実践した結果はいずれ明らかになるだろう。
なにはともあれ、ようやく長い夜は終わった。
第2話です。
よろしくお願いします。