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医師メルへザク

 死体置き場(モルグ)は無数の視線で満ちている。

 仰向けに、俯せに、側臥位に、または座り込んでいる格好の、乱雑に積み上げられた死体たちの眼窩から発せられるそれを、虚ろと言っては死者への侮辱にあたるかもしれない。少なくとも俺には、それぞれの視線が何かを訴えかけているように思えてしまう。

 しかしさしあたっては、それらの訴えを無視しないことには屍術師ネクロマンサーとしての目的など果たせないこともわかりきっている。

 石造りの冷たい床に転がっている手近な一体を捉えて確かめる。

 これでは首が太すぎる。

 別の一体を確かめると、これはちょうどよさそうな直径をしていた。

 だからといって死体置き場(モルグ)の中で切り分けたりはしない。作業は必ず工房で行うことにしている。

 死体の脇から背中へ手を回して、肩を貸すような形で持ち上げると、油断すればこちらの肩が外れてしまいそうなほどの重量が俺にかかった。生きているときはもっと軽々と動いていただろうに死の重みというやつはまったく厄介だと思いながら、死体を台車に乗せて工房に戻った。


 

 薄暗い工房にはしかし、人の気配があった。


「ここはひどい臭いだ」とその人物は言った。


 つば広の帽子と手袋を脱ぎもせず、厚ぼったいマントを身を守るかのように着込んでいる。ミヒノザ・メルヘザク。剣呑な目をしたその中年男は医師という肩書きを持っている。


「いきなり訪ねてきておいて随分な言い草だ。それに防腐術ならきっちりかけているさ」


 俺は声に不機嫌な調子が混じるのを抑えることができなかった。


「腐っていなくったって死の臭いが染みついているんだ。この場所にも、貴様にもな」


 メルヘザクのほうも侮蔑の感情を隠そうとしなかった。いやらしく攻撃的な笑みを浮かべて俺のほうを見ながら言葉を続ける。


「まったく、この薄暗くて嫌な臭いのする穴ぐらが屍術師ネクロマンサーなんてやっている貴様にはお似合いだよ。気が滅入ったりしないのか? こんなところで始終死体を切り刻んで。非生産的じゃないか。俺みたいに病人や怪我人を治す高貴な仕事でもしてみたらどうなんだ。できるもんならな」


 俺はただ自分に与えられたスキルでもって帝国のためにできることをやっているだけだ。動く死体(アンデッド)の兵隊だって人々を守るのには役に立つ。もっともその手段で人を救ったところで感謝などされないが。それでも異世界に転移してしまった以上、やれることをやって何かに貢献しなければ居場所など与えられはしない。たとえそれが自分で望んだ転移でなくてもだ。

 メルヘザクにそう言って抗弁するか? 自分の窮状を訴えるかのように? あるいは自らの仕事の意義をいちから説明するか?

 そんなことをするには俺はもう疲れすぎている。

 しかもメルヘザクを始めとする一般人――生者の世界に生きるごく普通の人間の俺への敵意は、死そのものと、死後の身体を操ることへの生得的な嫌悪感に起因するものだから、いくら言葉を尽くしたとしてもそれが覆ることはない。その種の徒労に俺は慣れすぎてしまった。


「そんなことを言うためにわざわざ来たのか」


 俺はある種の諦念を飲み込んで言った。


「誰が貴様の顔など見に来るものか。医院で身寄りのない死体が1体出たから持って来てやったんだ。今雑役夫に荷下ろしさせているからありがたく受け取れ」


 引き取り手のない死体は屍術師ネクロマンサーのもとに運び込まれることになっている。それをメルヘザクが不承不承にも俺のところへ持ってくる役目を負っているわけだ。


「そいつはどうも」


 メルヘザクは不服そうに鼻を鳴らすと、まだ言い足りない様子でマントの裾を払った。


「お前をユイナと引き離したのは本当に正解だった。あの子にまで死の臭いがつくのには耐えられない」


 結菜。メルヘザクが口にした名は俺にとって特別な意味を持っていた。俺と一緒に転移してきたが、何のスキルもなく、身寄りもなく、メルヘザクの養子になった。結菜に他の選択肢はなかった。


「結菜はどうしている」


「貴様の知ったことか。ユイナに指一本触れてみろ。帝国中のつてを使って貴様を磔刑に追い込んでやる。もともと禁忌に片足をつっこんでいるんだろうが。だれもお前の味方はいない。容易いことだ」


 メルヘザクは威嚇するように渋面を作って見せた。

 俺はそれを正面から受け止めたが適切な反駁の言葉は見つからなかった。


「用が済んだなら帰ってくれないか。お互い話していて楽しい相手でもあるまい」


「ふん。言われるまでもない」


 メルヘザクはマントを翻すと靴音も高く工房を出て行く。

 後には俺と死体だけが残される。

 いつものことだ。俺はこの工房でひとり死体を切ったり継いだりしている。

 医師を高貴な仕事だと、メルへザクは言った。だが奴だって人の身体を切ったり継いだりしているはずだ。生きている身体を扱うのと死んでいる身体を扱うのとでそんなに価値が違うのか。俺に言わせれば生者に医術を施すことと、死者に屍術を施すことの間には、乱雑さ(エントロピー)の増大をどの時点で食い止めるかという違いしかない。朽ちて土になるまでの過程が多少違うというだけだ。

 こんな風に考える俺はすでに生者の理から離れてしまっているのだろうか。

 いずれにせよ屍術師ネクロマンサーは人に疎まれ、蔑まれ、報いられることもない。

 それが俺の転移後の人生だと、思っていた。


 工房に訪問者があるのは珍しい。2日連続ともなればなおのことだ。

 今日やってきたのは師匠だった。

 転移者としてのスキルがあるからといって道を一人で修めることなど不可能だ。もともとこの世界にはごく少数ながら屍術師ネクロマンサーの一派があって、迫害されながらも命脈を保っていた。

 師匠は俺の魔力が屍術に適性を持つことを見抜き、屍術のいろはを教えてくれた。

 見た目は小柄な老人に過ぎないが、この世界における俺の唯一の恩人である。

 濃緑色のローブを身にまとい禿げ上がった頭に布を巻いた師匠は会うなりこう言った。


「最近女を買ったのはいつだ。この仕事は勃たなくなったら終わりだぞ」


「覚えてませんよ。そんなこと」


 師匠はいかん、いかんなと首を振った。


「おまえはもっと生に執着しなければならん。屍術師ネクロマンサーであるから死に魅入られるのは必然ではあるが、だからこそ己の生を渇望しなければ自ら身を滅ぼすことになるのだ。人間的な欲望を剥き出しにするくらいでちょうど良い。おまえにはその覚悟が足りん」


「覚悟……ですか」


「そうだ、覚悟だ。腹を括れと言っている。たとえば人に差別されたときおまえはどうする?」


 自然メルヘザクのことが頭に浮かんだ。

 あの侮りと敵意を込めた笑みを思い出した。

 なにもメルヘザクだけがあの表情をするわけではない。パン屋の主人も、鍛冶屋も、女衒でさえも、特別に誂えた無表情でなければあの顔をするのが常だ。

 俺はそんなとき何も見なかった振りをする。一切の情緒的なやり取りを拒否してやりすごそうとする。師匠はそれではいけないと言っているのだろうか。


「どうしろと言うんです」


「怒らねばならん。差別されたら怒るのが自然な反応だからだ。それを怠っていると自分の感情が摩耗してやがて何も感じることができなくなるぞ。いっそ怒りで相手を害するくらいの覚悟がなければならんのだ」


 では俺はあのときメルへザクを殴るべきだったのだろうか。

 殴らないにしても、なんらかの言葉によって奴を傷つけるべきだったのだろうか。


「それが生に執着するということですか?」


「そうだ。生に執着しなければ何事も始まらんからな」


 しかし、あるいは、と師匠は続けた。


「逆の道もある。完全に死に魅入られてしまうという道がな。死者にも生者にも一切の同情なく、何の良心の呵責もなく崇高な使命として屍術を遂行するのだ。こちらの選択肢をとれる人間はほとんどいないが屍術師ネクロマンサーとしては究極とも言える。今日おまえに会いに来たのは他でもない。その可能性をおまえに示しに来たのだ」


 師匠はローブの懐から一冊の魔導書を取り出して俺に渡した。

 よくなめされた人皮のさらりとした感触が手に伝わる。


「なんです? これは」


「これには屍術の秘奥が記されている。わしにはできなかったことだが、転移者であるおまえにならできるかもしれん。禁忌の中の禁忌だ、やるかどうかはおまえに任せる。いずれにせよ、中途半端が最もいかん。どちらの道をとるか、よく考えておくことだな」


 それだけ言って師匠は背を向けた。

 俺は唐突に屍術の秘奥を渡されていささか戸惑っていた。

 しかし屍術師ネクロマンサーといえども学究の徒のはしくれ。魔導書を手に入れて読まないという選択肢はない。

 俺は今夜屍術の秘奥を知るだろう。

 それが俺に何をもたらすのかは、まだ知る由もなかった。

初めまして。

なろうに初投稿します。

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