番外編 私たちなら大丈夫
お読みいただきありがとうございます。
久しぶりの更新になりました。
本編で二人が復縁してから数ヶ月後のお話になります。
俊と再び恋人関係になってから半年ほど経ったある日のこと。
いつも通り仕事を終えて彼と暮らすアパートへと帰宅した私は、ドアの近くで佇む女性の姿を捉えた。
オフィスカジュアルな服装に身を包み、足元は真っ黒なハイヒール。
そして髪は明るめのショートヘアだろうか……まだ距離があるためはっきりとはよくわからないが、我が家に用があることは間違いなさそうだ。
これが男性であったなら警戒して引き返そうと思ったのだが、女性であったことでなぜかその警戒心が緩まってしまった私。
恐る恐る女性の方へと歩みを進めると、私が声をかけるよりも先に彼女の方が私の存在に気づいたらしい。
なぜかヒールの音を響かせながらこちらへとやってくる。
思わず後退りをしようとするが、すでに遅かった。
しっかりと私の姿をとらえた女性の目には敵意が見て取れる。
「長谷川さんの彼女さんですか?」
「え……」
長谷川とは、俊の苗字だ。
この十年近く何度も耳にしてきたその名前に敏感に反応してしまう。
「私、長谷川さんの同僚の若宮千里と言います。長谷川さんにはいつもとっても良くしていただいて……」
「……あの、失礼ですがどういった御用件で?」
突然現れたかと思えば、目的も言わずに俊との関係を語りだしたその女性には不快感しかない。
そんな私の気持ちが表情に表れていたのか、若宮と名乗った女性は勝ち誇ったような笑みを浮かべてこう言った。
「これ、長谷川さんがこの前うちに遊びに来た時に忘れていったものなんです。会社で渡そうと思ったらなかなか会えなくて……。でもよかった、ちょうど彼女さんにお会いできたし」
その言葉と共に彼女からは何やら紙袋のようなものを手渡された。
上から中を覗くと、そこには見覚えのある俊の上着が入っていて思わず息が止まりそうになる。
「あの時は楽しかったと長谷川さんにも伝えてください。それから……色々とご迷惑をお掛けしてごめんなさいと」
それだけ告げた女性はヒールの音を鳴らして部屋の前から去っていった。
一人ドアの前に残された私は呆然とその場に立ち尽くす。
──部屋に、泊まった……? 俊が……?
確かにここ最近の彼は少し仕事が忙しくなり、何度か終電に間に合わずに自宅に帰れぬまま朝を迎えたことがあった。
しかしよりを戻してからの俊は付き合った当初の大好きだった彼のままであったため、特にその行動を疑うこともしなかったのだ。
──そうだ、鍵……。
玄関に立ち尽くしていたままの私は、ハッとしたようにカバンの中から鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んで回す。
ゆっくりとドアを開けると、真っ暗な玄関が出迎えた。
俊はまだ帰っていない。
きっと今日も帰りが遅くなるのだろう。
これまで当たり前に受け流していたその事実が、今の私にはとてつもない不安を与える。
多忙であった営業から部署を異動してからというもの、これほど帰りが遅くなることはほとんどなかったというのに。
それがここしばらくは滅多に早く帰ってくる日はない。
俊もきっと忙しい時期なのだろう、その分私が支えてあげなければ……呑気にそんなことを考えていた自分は、愚かだったのだろうか?
誰もいないリビングの明かりをつけ、冷蔵庫の中にある作り置きのおかずを温めた。
これも再び同棲を始めるようになってから二人で始めた習慣である。
いつのまにか料理の腕を上達させた俊が作ってくれた肉じゃがは、私の大好きなメニューだ。
二人一緒の食卓に並んで座り、温かい食事をとる。
ただそれだけでかけがえのない幸せな時間なのだということに、ヨリを戻してから気づいた。
出来上がった夕食を並べて一人で食べ始めるものの、先ほどの出来事のせいか味がしない。
なんとかお茶で流し込むようにして夕飯を終えると、倒れ込むようにソファへと横たわった。
横目にリビングを見渡せば、そこら中に俊の気配が散りばめられている。
二人で出かけた時の写真は、全て写真立てに入れてテレビボードの上へ。
復縁してからというもの、俊は二人で色々なところへ出かけたがった。
『ここ最近、どこにも行けてなかったから』
そう言って寂しそうに、申し訳なさそうに笑っていたあの時の俊の表情に、嘘偽りはなかった。
三十歳を目前にしたいい大人が、動物園や水族館で一日中はしゃいだことは記憶に新しい。
そして彼はどこかへ出かけるたびに、二人の写真を撮りたがるのだ。
そうして次から次へと増えていく思い出の写真たちによって、テレビボートの上はそろそろ埋め尽くされつつある。
そんな写真たちに取り囲まれるようにして中央に飾られているのは、高校時代のあどけない二人が映る写真。
別れていた時に私が彼の部屋で見つけたものだ。
化粧っけのない私と今よりも幼い表情の俊は、写真立ての中で満面の笑みを浮かべている。
『これを見れば初心に戻れるだろ』
そんなことを言って笑っていた彼の笑顔が浮かび、なんだか胸がギュッと苦しくなった。
彼とまた恋人同士になってからというもの、すっかり彼なしの生活など想像もできなくなってしまった私。
かつては自分から別れを告げたというのに、今では彼の方から別れを告げられるのを恐れてしまっている。
燃えるような恋心はもう二度と戻ってきてはくれないと思っていた。
しかし今ではどうだろうか。
朝目覚める時、夜眠る時、考えるのはいつも俊のことばかり。
ダブルベッドで並んで眠る彼の顔を見ると、何より心が落ち着いて癒される。
同じ屋根の下で暮らしているというのに、毎日毎日そんなことを繰り返している自分に呆れてしまう。
俊を失ってしまったら、もう二度と私は誰とも付き合うことなどできないだろう。
むしろ、これまで通りの生活を送ることができるのかもわからない。
だが果たして彼は、今もまだあの時ほどの強い思いを私に対して抱いてくれているのだろうか?
──あの時も、始まりはこうだった……。
帰りが遅くなる日が続き、次第に連絡がそっけなくなっていった。
そして気づいた時には、前回のような状況まで私たちの距離は開いてしまったのだ。
一度開いてしまったその溝を埋めることは、並大抵の努力では不可能である。
ゆっくり時間をかけて、ようやく関係が修復できてきたと感じた矢先に今日の出来事が起きた。
今は早く彼の顔が見たいという気持ちと、先ほどの出来事と向き合わなければならないならばこのまま帰ってこない方がいいのでは、という正反対の気持ちがせめぎ合っている。
「俊……離れていかないで」
私はソファの上に置かれた彼のパーカーを抱きしめ、その香りを思いっきり吸い込んだ。
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