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私と彼の八年間(1)

現代物です。

よくあるテンプレです。

「……今日も連絡なし、か」


 昔は何度もスマホの画面を確認していた。

 画面をつけても表示されるのは時間だけ。

 虚しくなるだけだとわかっているのに。

 確認行為が習慣化して勝手に同じことを繰り返していた私の指も、今ではその行為の虚しさに気づいて動こうとはしない。

 オレンジ色の夕焼けに染まっていた窓の外も、いつのまにか漆黒の闇に包まれている。


 ——ああ、今が潮時なのかもしれない。


 自然と振り切ったようなそんな思いが胸に広がっていく。

 私、中村葵は長年付き合っている恋人の長谷川俊との関係にけじめをつけようとしていた。

 付き合って八年目になる私たちは、高校三年生の時に同じクラスになったことがきっかけで仲良くなった。


 サッカー部に所属して運動神経抜群の俊と、帰宅部の私。

 一見すると共通点のない私たちは、席替えで隣の席になってからというものなぜかその距離が縮まった。

 互いの趣味のゲームの話から始まり、気づけばたわいもないくだらない話で盛り上がった。


 自然と連絡先を交換して、毎日のようにメッセージを交換するうちに、私は俊に抱いた恋心に気づいた。

 だが彼はクラスの中でも人気者で、私以外にも親しくしている女子は多い。

 かたや私は全く特徴の無い地味な見た目で、きっと俊からは面白いクラスメイトの一人としてしか見られていないだろう。


 振られて今の気楽な関係すら壊れてしまうのならば、このまま親しい女友達のままでいよう。

 そんな自虐的な考えに囚われるあまり、私は彼に気持ちを告白することができずにいた。


 私たちの関係が変化したのは、忘れもしない高校の卒業式のこと。

 その頃には二人で映画を観に行ったり、カフェで勉強したりするほど親しい間柄となっていたのだが、やはり恋人には進展せず。


 卒業後に県外の大学へと入学する予定であった私は、なぜかそのことを俊に話し出すことができないままこの日を迎えていた。

 俊はサッカーの推薦で県内の大学に入学するのだと聞いている。

 そして、彼は私も当たり前のように県内の大学へと進学すると思っているだろう。


 私たちの住む地域は県内への進学がほとんどなのだ。

 そんな中私が県外の大学を進学先に定めたのは、自分の希望する学部に強い大学があったからというのが表向きの理由だ。


 だが本音を言えば一から新しい環境でリセットしてみたかったから。

 俊への片思いもこれでようやく吹っ切れる。

 誰一人自分のことを知らない土地で、新しい人間関係を築いてみたくなったのだ。



「おいっ! 中村!」

「長谷川……」


 私は俊に進学のことは伝えないまま、卒業した後はもう二度と会わないつもりでいた。

 だがそんな私を引き止めるかのように、学校の門から出ようとしていたところを俊に呼び止められる。


「お前、県外の大学に行くって……本当なのかよ」

「……誰に聞いたの? そうなの。来週には引っ越す予定」

「お前、なんで今まで黙ってたんだよ!?」

「特に深い意味はないよ。最後は笑ってさよならしたかったから」

「そんな大事なこと、勝手に決めるなよ!」


 その時の俊の顔は、いつになく険しく怒っているかのようだった。


「ごめん。気まずい感じになりたくなくて、言えなかった。……ほんとごめんね」

「……別に怒りたいわけじゃない」

「長谷川は大学でもサッカー続けるんだもんね? 色々大変だろうけど頑張って。私も向こうで頑張る」

「なあ、一回黙って」

「……え?」


 すると俊は私の腕をグイッと引っ張ると後頭部に手をやり、キスしてきたのだ。

 グッと押しつけるような強引なキスは、慌てた顔の俊によってすぐに終わりを迎えた。


「っ……ごめん」

「え、何……何なの急に……」

「このままさよならだと思ったら、つい体が勝手に……本当にごめん」

「いや、そんなに謝らなくても……びっくりはしたけど」

「俺、お前が好きだよ中村」


 キスが気まずくて俯いていた私は、突然の俊の告白にハッと顔を上げる。


「ずっと言いたかったけど、こういうの慣れてなくて……嫌われるのが怖くて言えなかった」

「え、私……? でも私以外にも仲のいい子たくさんいたよね……?」

「あんなに毎日連絡とって休みの日も二人で会ったりしてたのはお前だけだよ」

「でも、私地味だよ……? 長谷川と釣り合わないかも」

「ばーか。そんなの考えたこともねーよ」


 それから俊はポンポンと私の頭を撫でたあと、家まで送ってくれた。


「俺ら、付き合ってるってことでいい?」

「……長谷川が良ければ」

「なんだよそれ。俺はお前が好きだし、お前も俺のこと好きなんだろ? 両思いじゃん」

「そうか、私たち両思いなのか」


 なんだか面白くなってしまって、私はクスリと笑う。

 そんな私を見て俊はむっと唇を突き出した。


「そこ笑うとこじゃねーだろ」

「ごめん、なんだか信じられなくて」

「じゃあ、これからよろしくな……葵」


 唐突に呼ばれた下の名前に、息が止まりそうなほど胸がぎゅっと苦しくなる。


「こ、こちらこそ……」

「俊って呼んで」

「い、いきなりはちょっと恥ずかしくて……」

「いいから、呼んで」

「……俊」



 こうして私たちは晴れて恋人同士になった。

 互いの家の行き来には新幹線を使って3時間の遠距離ではあったが、長期休暇の度に交代でそれぞれの家を訪れた。

 会えない距離を埋めるように、電話やメッセージなどの連絡もこまめに取り合った。

 そんなことをしながらなんとか大学生活四年間の遠距離生活を乗り越えたのである。

 俊は不器用だけど優しくて、言葉が少し足りないところがあってもその態度で彼の気持ちを教えてくれた。

 慣れない環境の中辛いことがあっても、彼の支えで乗り越えることができたと言っても過言ではない。


 無事に彼は県内の大学を卒業し、サッカーを続けながらとある企業の営業職に就職した。

 私はというと、卒業を機に県内に戻って同じく会社員の道へ。

 そしてそれをきっかけに私たちは同棲を始めたのだ。

 婚約もしていないのに同棲なんて、と両親には難色を示されたが必死に説得をして何とか許可をもらうことができた。

 今まで遠距離で会えない時間が続いていた分、俊と同じ屋根の下で暮らすことができて私はそれだけで幸せだったのだ。


 だが時は残酷でそんな幸せも次第に薄れていく。

 営業という仕事柄会食が多く帰りが深夜になることも多い俊と、ほとんど毎日定時上がりの私との間にすれ違いが生まれ始めた。

 料理を作って待っていても、無情にも外で済ませてきたと告げられる日々。

 それでも最初の頃は事前に連絡を寄越してくれていたし、言葉の節々にも申し訳なさがあった。

 だが今では当たり前のように淡々とその事実を告げられる。

 しかも事前の連絡は気が向いた時だけで、むしろ事後報告の方が多くなっていく。

 時間にゆとりのある私が家事を淡々とこなすだけの毎日は虚しい。

 せっかく二人きりになれる休日も、最近は仕事の付き合いや友人たちとの飲み会に出掛けて行ってしまうことがほとんどだ。

 つまり、俊はほぼ家にいないも同然で、同じ家に暮らしているというのに顔を合わせることはほとんどない。


 付き合って八年の月日が経ち、十八歳だった私たちは二十六歳になった。

 社会人も四年目を迎えて色々と慣れ始めた頃である。

 これほど長く付き合っていれば『結婚』の二文字が頭をよぎることもあった。

 しかしここ数年の俊の態度は、まだまだ私たちは結婚からは程遠いのだということを思い知らせてくる。



「ねえ、結婚とか……考えたことある?」


 あれは去年のことだろうか。

 一度だけ、私は俊にこう尋ねたことがあった。


「いや、今の生活に満足してるし忙しい時期だから、まだ別にいいかなと思ってる」


 俊はスマホをいじりながら、その目線を一切上げることなく淡々とこう告げた。


「そっか」

「何? 結婚したいの?」

「……長く付き合ってるし、どうかなと思っただけだよ」

「まだ早くね? 俺ら二十五だぜ? 今どき三十過ぎとかで全然問題無いだろ」

「そう……そうだよね」


 あと五年経って私たちが三十歳になったとき、果たして彼は本当に私と結婚するだろうか。

 恐らくその可能性はないだろうと悟ったのは、そのときである。


 今ですら俊にとって私は、もはや都合のいい家事要員なのだ。

 付き合った最初の頃はあれほどしていた行為も、今では月に一度あるかないかの義務的なものだけ。


 もしかしたら彼には他にも相手がいるのかもしれないし、知らないうちに二番目になっているのは私の方なのかもしれない。

 俊から別の女性の影を直接感じたことはなかったが、そんなことを疑ってしまうほど私たちの仲は冷え切っていた。


 三十歳になって俊と結婚できなかったとき、私は笑ってその事実を受け入れることができるのだろうか。

 結婚が全てではないことはわかっているつもりだが、そうはいっても好きな相手と結婚して永遠の愛を誓うというのは、女性ならば憧れて当然ではなかろうか。

 

 ——私には、このままでいるのは無理だ。


 俊の返事に対して、私は咄嗟にそう思った。

 彼と別れなければ自分が苦しむだけであると、この頃からわかっていたのだと思う。

 だが高校三年生から抱き続けた俊への思いは、そう簡単に彼を諦めさせてはくれなかった。

 せめてあと一年。結婚までは行かずとも、彼との関係が改善するならば……

 そんなことを微かに期待していた去年の私を笑ってやりたい。

 彼は全く変わらなかったし、むしろ二人の距離はより一層開いたかのように感じた。

 その間に私の彼への想いは急速に失われて行き、今ではほんの少しの情と惰性で同棲を続けているようなものだ。


 そして今、私はようやく彼との関係を終わらせるべく動きはじめようとしている。


 同棲しているこの部屋を出て、新しいアパートを借りて一人暮らしをしよう。

 休日に俊と出かけることがなくなった私はお金を使う機会がほとんどなく、引っ越し費用ならばなんなく工面できるほどの貯金もある。


 もう十年近く私の人生には俊がいたのだ。

 きっと別れを告げた直後は恐らくポッカリと穴が空いたような感覚に陥るだろうが、すぐにその穴も塞がるだろう。

 むしろ別れを後回しにすればするほどその穴も大きくなっていくことはわかっている。

 ちょうどいい、今が潮時なのだ。


 そう決めた私はスマホの電源を落とした。

 また指がいつもの癖を思い出してしまう前に。


 俊は恐らくまだ帰ってこないだろう。

 最低限の荷物だけまとめてとりあえず一旦部屋を出てから、メールで別れを告げることにした。

 もうこの部屋にいたくなかったという方が正しいのかもしれない。

 この部屋にいればいるほど、一人で過ごした惨めな時間を思い出してしまうのだから。


 私は慣れた手つきで身支度を整える。

 朝に施したメイクは少し崩れかかっていたが、緩く巻いた髪はまだ朝の状態を維持している。

 地味で目立たない高校生だった私も、大学に入り社会に揉まれてそれなりに大人の女性になったのだと思う。

 なぜか昂った気持ちを落ち着けるために、私は丁寧にメイクを直して濃い口紅を付けた。


 鏡に映るのはもうあの頃の地味な私ではない。

 意志を持った自立した大人の女性なのだ。

 それと同時に、俊に恋していたあの時の私もいつのまにか失われてしまったのだと実感した。


 カバンの中には当面の着替えと財布、そしてスマホだけ。

 後は必要なものは適当に買い揃えればいい。

 そう思ってカバンを肩にかけ、ガチャリと鍵を回してドアを開けると、そこには思いがけない人の姿があった。


「俊……」

「ただいま……って葵……? 何してんだよこんな時間に。しかもなんかいつもと雰囲気違くねーか?」


 ドアの向こうにいたのは怪訝な顔を浮かべた俊だった。

 思ったより帰宅が早かったのか。


「帰ってきたんだ」

「は? 当たり前だろ。客先との飲みがいつもより早く終わったんだよ」

「そう……」

「で、お前はなんなんだよ。そんな格好して……」

「私、ちょっと出てくるから」

「この時間から? どこ行くんだよ」

「別に、どこだっていいじゃない。俊だっていつも私に行き先なんて言わないくせに」


 私の反応が予想外だったのか、俊は一瞬目を見開いたあと真顔になった。

 だがここで別れ話を切り出すつもりはない。

 思い出の詰まったこの家では、俊に絆されて流されてしまうかもしれないから。


「言えよ。どこ行くんだよ」

「……会社の同期と飲んでくるから。これでいいでしょ? そこどいて。遅刻しちゃう」

「無理」

「……はあ?」

「行くなよ」

「離して、間に合わないって言ってるでしょ」


 これ以上ここにいても何も良いことはないのだ。

 私は俊の胸元を強く押して無理矢理体を引き剥がす。

 せっかくメイクも髪も整えたというのに、すっかりぐちゃぐちゃになってしまったかもしれない。

 だがもう辺りは真っ暗だ。

 そこまで周りの目を気にする必要もないだろう。


「何時に帰ってくる?」

「わからない」


 幸いなことに明日は土曜日なのだ。

 帰りが遅くとも怪しまれることはないだろう。


「明日、俺予定ないから」

「そう」

「……どこか行かないか?」


 ——何を今更。


「帰り何時になるかわからないから。気にせず適当にしてていいよ」

「……早めに帰ってこいよ」

「じゃあね」


 縋るような俊の視線を振り払いカバンを手に取ると、真っ直ぐ玄関を出る。

 先日買ったばかりのブランド物の黒いハイヒールに足を入れ、今度こそドアを開けた。


 ——さようなら、俊。


 私はすうっと大きく息を吸い込むと、颯爽とハイヒールを鳴らして二人の家を後にしたのだった。



 家を出た私はそのままどこかのビジネスホテルにでも泊まるつもりだったのだが。

 ふと会社の同期に連絡すると彼女が家に泊めてくれるという。

 俊に別れを告げるときに一人では心細かった私は、お言葉に甘えて彼女の家に泊まることにした。


「急に『今から会える?』なんて、連絡が来たからびっくりしたんだけど」


 会社の同期で友人の立花美花は私が入社した時から何かと一緒になることが多く、何でも話すことのできる親友のような存在だ。


「あはは、ごめんね。同棲してた彼氏と別れちゃってさ」

「え、じゃあ今まで修羅場だったの?」

「あーというか、これから別れを告げるところ」

「嫌だ、それうちでやるわけ?」

「だって一人でいたら、つい電話とか出ちゃいそうだから」

「それ本当に葵は別れたいと思ってるの?」


 美花が一人暮らしをしているアパートは、私たちが同棲していた場所から電車で二駅ほどのところにある。

 駅まで迎えに来てくれた美花と合流した私はコンビニでお酒やおつまみを買い込み、彼女の家で乾杯した。


「思ってるよ。彼といても幸せな未来が見えないんだもん。きっと我慢して我慢して、報われることなく振られて終わり」

「ちゃんと彼と話したら?」

「話したら良いように流されて元通り。結局何も変わらないのは目に見えてる。もう彼から卒業するって決めたから」

「そう……葵がそこまで言うなら、もう私は何も言わないよ」


 私の強い意志に圧倒されたのか、美花はそれ以上何も言わなかった。


 私はそのままの勢いでカバンからスマホを取り出すとボタンを押す。

 だが何も反応しない画面を見て、自分が電源を落としていたことに気がついた。

 電源ボタンを長押しして電源を入れるとすぐに二件の通知が表示される。


 二件とも相手は俊だ。

 一つはこれから帰るという連絡で、もう一つはついさっき送られてきたメールである。


『気をつけろよ』


 ただそれだけ書かれたメールを見て、一瞬心がかき乱されそうになった。

 こんなメールを俊が送ってきたのは何年前になるだろうか。


 私は首を振って邪念を取り払うと、メールを開いて俊への返信を入力する。

 私が打ち込んだ文面はただこれだけだ。


『今までありがとう。荷物はそのうち取りに行く」


 彼に伝えたいことはただこれだけ。

 今までたくさんの幸せを与えてくれたお礼が言いたかった。

 今では人が変わったようになってしまったが、優しく包み込んでくれたあの時の幸せな記憶は一生忘れることはないだろう。

 初めて本気で人を愛すると言う気持ちを教えてくれた人。

 私は今日からそんな彼とは別々の人生を歩み始めるのだ。


「送信っと……。あーあ、送っちゃった」


 呆気ないほどの早さでメールは俊の元へと送信された。


「スマホ、預かっておこうか?」

「そうだね。ありがとう」


 私は美花にスマホを手渡すと、そのまま残っていた缶チューハイを煽るように飲んだ。

 残っていた記憶はそこまで。


 いつになくハイペースでアルコールを摂取した私はそのまま崩れるように眠り込んでしまった。


お読みいただきありがとうございます!

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