これが恋じゃないのなら
数ある物語のなかから、お越しくださりありがとうございます。
少しでも楽しんでもらえたら、嬉しいです。
ゆっくり、自分のペースで歩く。様々な音楽と熱気の中を通り抜け、アスファルトを踏みしめて踊るダンサーたちを横目に、私を待つ彼等の元へ。
きっと私の歩くスピードは同い年のみんなよりも少し遅いだろう。それでも、彼等はそこには触れない。本当に気にならないのか、それとも言わないだけなのか、そんなことは分からないけれど。
「理央ー! こっちこっち、いつも悪いな」
「ううん。大丈夫。今回はどんなのか楽し……み……」
お兄ちゃんにそう答えながらも、私は同い年くらいの子から視線を離せなくなった。
のびやかな手、軽快な足取り、しなやかさ。色素の薄い髪から光る汗までも彼の魅力へと変わる。今まで見た誰よりも美しく、かっこいい。
「いいだろ、あいつ」
「うん。あんなに完璧に近い人は見たことない」
私の声が聞こえたのか、と思うほどタイミング良くその男の子と視線が合った。すると、鋭い眼光でにらみつけられる。
「はぁ!?」
私が一体、何をしたと言うんだ。ただ見ていただけだというのに。そんなに見られるのが嫌なら、ここで踊らなければいいだけだ。ここはストリートダンスを楽しむ人が集まる場所なんだから。
「おい、おまえ。雄大さんからさっさと離れろよ。大して興味もないくせにじろじろ踊ってんの見てくるなんて気持ち悪りーな」
「なっ……。そんなこと言うなら、公共の場で踊るのやめなさいよ! ここは誰が踊ってもいいし、誰が見てもいい場所でしょう!」
こんなやつに視線を奪われたなんて、最悪! 確かにダンスは良かったけど、性格最悪じゃん。
まだギャンギャンと言いがかりをつけてくるので、言い返そうとした時、お兄ちゃんからストップが入った。
「いい加減にしろよ、紫。ほら、理央あいさつ」
「えーっ」
「えー、じゃない。これから仲間になるんだ。お互いにあいさつはきちんとさせるからな」
仕方がない。お兄ちゃんは、こうと決めたら譲らないタイプ。嫌だけど、こっちが折れるしかない。
「どうも、桜田理央です」
「桜田? えっ……桜田って……」
「あなたの大好きな雄大さんの妹ですけど?」
文句でもある? と首を傾げれば、気まずそうな顔をした。
「悪かった。てっきり雄大さんのしつこい追っかけかと。俺、天宮紫。よろしくな」
そう言って差し出された手に気がつかないふりをして、私は近くの段差に座る。十月に差し掛かったこの時間帯のコンクリートは冷たくて、少しだけ私の頭に上った血を冷やしてくれる。
あまり、天宮と関わりたくなかった。正直、同年代の子は苦手だ。それに天宮 紫って、たぶん──。
「なぁ、理央は何が得意なんだ? ヒップホップ? それとも──」
「私、天宮が思ってるようなことできないから」
急になれなれしく隣に座ってきた天宮の質問にかぶせるように答え、お兄ちゃんに視線を向ける。その視線の意味を正しく理解してくれたお兄ちゃんは、メンバーを集めてくれた。
「おっ! 今日は理央が来る日か。気合い入れねーとな」
「ちょっと雄大。理央ちゃん来るなら事前に言いなさいよ。分かってたら、何がなんでもみんな来たのに!」
わいわい、ダンスチーム『Reーberté』のみんなに囲まれる。その様子に天宮は首を傾げた。
「理央っていつも来てるんじゃないよな? それなのに、何でこんなに歓迎されてるんだ?」
「それは、これからのお楽しみだよな、理央」
「お兄ちゃん、ハードル上げるのやめて。それと、天宮。私のこと、なれなれしく名前で呼ばないでくれる?」
距離感は大切だ。特に天宮とは。
「よし、みんな位置についたな。理央、音楽頼む」
「はーい」
お兄ちゃんに返事をして、私は音楽を流す。テンポの良い、洋楽を。
すると、リベルテのみんなはダンスを始めた。彼等はプロを目指している。みんなダンス経験者で、お兄ちゃんはこのダンスグループのリーダーだ。
はじめは通しで踊ってもらい、録画をする。
そして二回目。私はものの二十秒で音楽を止めた。音楽を少し戻して、気になる箇所をもう一度流す。
「このタタターンのところ、もう一回お願いします」
私の言葉にみんなは真剣な顔で、天宮は不思議そうに繰り返す。
「めいさん、腕の角度を少し下げて。そうです。あと、もう少し腰を反らしてゆったりと見せた方がかっこいいです」
「了解! ありがとう」
「圭吾さんは、ここの足のステップの二歩目をもっと大胆にしてみてください。圭吾さんならできます。少し練習は必要かもですが、絶対にかっこよくなりますよ」
「オッケー! サンキューな」
気になったところで止めて、アドバイスを繰り返していく。これが、私のリベルテでの役目。
小さい頃からダンスに憧れて、アニメではなくダンスの動画しか見なかったからだろうか。おかげで人よりちょっと目が良くて、何となくどうしたらもっと良くなるか、その人はどこまでできるのか、そう言ったことが分かるようになった。
「天宮、そこのターンの時にもう少し膝を曲げて重心を下げて。そう、それで右肩をもっとこう内側に入れる感じを意識して」
首を傾げながらも、天宮は言った通りにやってくれる。すると、思った通り。より安定して、しなやかになった。
一通りアドバイスを終え、みんなが個人練習をしている間に私はもう一度今回の音楽の聞き込みをする。
パワフルでアップテンポのこの曲は、男性九人、女性二人と男性が圧倒的に多い、力強いダンスを得意とするリベルテにぴったりだ。
ポイントは途中の曲調が変わる部分をいかに見せられるかだろう。ここでしなやかさや美しさが出せると、パワフルな部分がもっと魅力的になるはずだ。
「もう一度、通すぞ!」
お兄ちゃんの声にみんなが個人練習を止めて、配置につく。私は音楽を流し、ダンスを録画した。
踊り終え、一回目と二回目のダンスを見比べるためにみんなが私の周りに集まってくる。
「ねぇ。なんでまた天宮が隣に座ってんのよ」
「いいじゃん、別に。仲良くしようぜ、理央」
「だから、名前で呼ばないでってば」
「俺のことは紫でいいぞ」
「絶対、呼ばないから」
本当に、何でこんなに距離感近いの? 出会ったら友達で、話したら兄弟タイプでもあるまいし。
……めんどくさい。どうせ、すぐに私のことなんて邪魔になるくせに。もう放っておこう。
私はリベルテのみんなが見れるようにアプリのグループで動画を共有する。だけど、そこに天宮はいない。
「俺、スマホ持ってなくてさ。理央の見せてよ」
「えっ、他の人から見せてもらえばいいじゃん」
あからさまに嫌そうにしても天宮は気にした様子もない。メンタル強すぎじゃない?
「理央、見せてやってくれ。頼むよ」
「……わかった」
抵抗したかったけど、無言の笑みを向けてくるお兄ちゃんに逆らう勇気はない。お兄ちゃんは静かに怒ると怖いのだ。たぶん、私の天宮への態度も本当は注意したいのだろう。
ため息をはくのを我慢して、仕方なしに2つの動画を天宮と見る。
うん、やっぱり二回目の方がいいな。まだ改善点もあるけど、全然違う。今回もしっかり役目が果たせたことに小さく息をはく。
良かった。これでまだここにいられる。役に立ててる間は仲間に入れてもらえる。なんて、ほっとしていれば天宮からスマホを奪われた。
「嘘だろ! すげーー!!」
目をキラキラさせて喜ぶ天宮がまぶしい。そして、そんなに喜んでもらえたことが、私がここにいても良いのだと安心させてくれる。
「なぁ、理央の目には世界がどんな風に見えてるんだろうな! 一度、理央になって見てみたい!!」
「……そんなに私なんていいもんじゃないけどね」
「ん?」
思わず言ってしまった言葉は、興奮しながら動画を繰り返し見ている天宮には届かなかったみたいだ。
何であんなことを言ってしまったんだろう。言ったところでどうにかなる問題でもないのに。
「なぁ、理央も一緒にダンスしようぜ」
「無理」
「何でだよ。これだけ見れるんだから、踊れるんだろ?」
「私は走れないし、ジャンプもできないから」
あぁ、またこれか。説明したら、どうせ謝られるんだろうな。めんどうくさくって、本当に同い年くらいの子ってイヤ。
「私、生まれつき心臓が弱いから、天宮たちと同じにはできない」
「……同じにはってことは、違う形でならダンスできるのか?」
はい? そこ……なの? 普通はもっと気まずそうな顔するし、謝ってくるし、かわいそうな子って同情してくるのに。
「気になるとこ、そこなの?」
「そこ以外に何があんだよ。だって、理央はもう今の自分を受け入れてるんだろ?」
「うん。そうだけど……」
「まだ会ってちょっとだけど、理央は自分にできる最大をやってるように俺には見える。もしかして、心配して欲しかったのか?」
ちがう、と首を振りながらも、私は驚きを隠せなかった。
「だって、普通はそんな風に言ってくれない」
「普通が何かは知らねーけど……。別に理央はかわいそうでもないし、特別でもないと思うけどな。あっ、でも理央の目は特別だ」
そう言って、天宮は笑う。泣きたくなんかない。それなのに、泣きたくなった。
今まで誰もそう言ってくれたことはなかった。
同じだと思って欲しかったわけじゃない。だけど、私をみんなと『違う』と最初から決めつけないで欲しかった。
確かに同じにはできないかもだけど、同じ学校という閉ざされた世界にいるのだから。ひとりだけ別物にされるのは苦しい。
「お兄ちゃん、どこかに椅子ってあるかな?」
「俺、車にあるから取ってくる!」
お兄ちゃんが反応する前に、圭吾さんが目の前を走り去っていく。
「えっ?」
何であんなにはりきってるの? しかも、車に積んであるって……。椅子っていつも車に積んでおくものなの?
「圭吾は、理央ちゃんのファンなんだよ。いつでも理央ちゃんがダンスできるようにパイプ椅子を積んでるんだってさ。しかも、パイプ椅子わざわざ買ったっていうガチっぷり」
優しい雰囲気の伊織さんがクスクスと笑いながら教えてくれる。何だか、とても楽しそう。
「まぁ、そういう俺も理央ちゃんのファンなんだけどね。久々に見れるなんてうれしいよ」
「伊織さんは、口がうまいからなぁ」
いつもだったら素直に受け取れない言葉も、今はうれしく思える。これはきっと天宮のおかげだ。
圭吾さんが走って持ってきてくれたパイプ椅子。人前で踊るのは久々で、何だかちょっと緊張する。それでも──。
「あま……。紫、今の私の最大を見せてあげる」
自信ありそうに見えるよう、私は笑う。本当は自信なんてない。だけど、どんなダンスでもきっと紫は笑わない。
今の私にできる最高のパフォーマンスを紫に見て欲しい。
私はゆっくりとパイプ椅子に足を開いて座り、どんな風に踊ろうか……と考える。ダンスナンバーは、リベルテのみんなと同じ曲だ。
私は生まれつき心臓が弱かった。手術をしなくてはいけないほどではなかったけれど、薬は欠かさず飲まなきゃいけないし、みんなと同じには遊べなかった。
走ることもできなければ、当然ダンスも同じようにはできない。心臓に病気があるから、体もみんなより小さくて、守られる立場から抜け出せない。
だけど、みんなと同じにはできないけど、私には私なりのやり方ができた。同じようにステップは踏めないけど、ジャンプもターンもできないけど、それでも踊れる。
特別な目は、座ってやるダンスへも最大限魅力的にできるやり方を映してくれた。
きっと、みんなと同じやり方では見ていて物足りないものになるだろう。だから、ストーリー性も持たせよう。
さぁ、私のショータイムだ。
ドンっという低い音を合図に私は踊る。
パイプ椅子が私のショーステージ。みんなみたいに広々と踊ることはできない。
だから、より大きく見えるよう、座ったままなんて感じさせないように。頭のてっぺんから指先まで、表情や雰囲気、全てで作り上げるのだ。
ここは私だけが表現する世界。ダンサーが変われば同じにはならない。きっと明日の私も同じようには踊れない。今しかできないダンスだ。
私は、大きく手を振り上げ拳を突き上げた。これから戦が始まるのだ。そして、ゆらりと剣を鞘から抜いて切りつけた。相手の剣を避ける時は、時に小さく、時に体を大きく反らして踊る。
負けるわけにはいかない。家には妻が待っているのだ。負けるわけにはいかない。居場所を守るために。そんな気持ちを込める。
曲調が激しいものから緩やかなものに変われば、夫の帰りを待つ若い妻へと姿を変える。
顔をおおい、だらりと前屈みになる。頭を抱え、振り乱す。嘆きを、祈りを。揺れる感情を指先から足先まで使って表現していく。
悲しい、悲しい、悲しい……。戦をしなくてはならないことが。夫がここにいないことが。どうか無事に帰ってきて。他には何も望まないから。
妻の想いを乗せたままダンスは終盤へと向かう。再び激しくなった音楽に合わせて、喜びで足も踊り出す。座ったままステップを踏み、足を上げ、手を差しのべて抱きしめる。
帰ってきたのだ。愛しいあの人が。帰ってきたのだ。愛しい日常が。
私は『戦う男と見送る若い妻』その二人の戦いを、想いを音楽に合わせて勇ましく、切なく、激しく、悲しげに表現した。
そして、何よりも共にいられる喜びをダンスを通して語ったのだ。
音楽は終わりを告げると同時にわぁっ! と歓声と拍手が鳴り響く。
「えっ、いつの間にこんなに?」
目の前には人、人、人……。たくさんのダンサーとダンスを見に来ていた人たちで溢れている。
「理央っっ!!」
「……紫?」
走ってきた紫に抱きしめられる。
えっと……、何で? えっ? 何で私は紫に頭を抱きしめられてるの?
固まってしまった私に気が付かない紫は、そっと離れると今度は私の手を取ってしゃがんだ。その目には熱がこもっている。
「俺と結婚してくれ」
えっ、俺と結婚して……くれ?
「えっと、何の冗談?」
そう聞きながらも、どくんどくんと心臓が速くなる。きっとそれは、紫の目が真剣だから。
「冗談なんかじゃない。好きなんだ。理央のことが」
待ってよ。出会ったばっかりだよ? そんなことってあり得るの? ……もしかして、私のダンスが好きって気持ちを勘違いしちゃったとか?
そう考えれば、今のプロポーズの理由も分かる気がしなくもない。きっと、すごく紫の心に刺さるダンスができたんだろう。
「もう、紫ったら何言ってんの? そんなにダンスが良かった? ありがとね。でも、恋愛と感動を勘違いしちゃダメだよ」
へらり、と笑いながら紫の手を離せば怖い顔をされた。何なのよ、本当に。
「確かに、理央のダンスはすごかった。俺にはあんなにストーリー性のあるものはできないし、感情豊かに踊れない。そこにホレたのもある。だけど、ダンスにだけじゃない」
えっ……? ダンスだけじゃない? だって、そんなわけない。私はみんなと同じに動けないから足手まといだし、性格だって良くない。
そんな私を好きになってもらえるはずない。
「俺から見た理央は、前を向く強さがあるのに、自分なんかってしてしまう弱さがある。口は悪いのに、繊細なところがあって心配になる。俺は理央を支えたいし、支えてもらいたい。理央のとなりにいるのが、他のヤツじゃ嫌なんだよ。それに、理央と話すだけでこんなにどきどきする。これが恋じゃないなら、何なんだ?」
そう言った紫は、私の手を紫の胸へと持っていく。
ドッドッドッドッドッ──。
紫の心臓はびっくりするくらい速い。
「何なんだ? って言われても分かんないよ。私、まだ紫のこと全然知らないし」
「じゃあ、これから知っていけばいい」
なっ、何でこんなに強気なの? うぅ、どうしたら……。
「あのさ、お取り込み中のところ悪いんだけど、ここ公共の場だからな? それと、妹を目の前で口説かれてる兄の気持ちも察してくれ」
……公共の場? 目の前で口説かれてる?
「────っっ!?」
「えっ、仕方なくないですか? ここで俺が言わなきゃ、別の男に口説かれるでしょ? 俺、そんなの見たくねーっすよ」
「いや、この場でそれは普通やらないだろ」
「えー、俺ならやりますけどね。ってか、やりましたけどね」
目の前で話してる二人の言葉が上手く頭に入ってこない。周りからの視線も気になる。みんな見て見ぬふりしてくれてるけど、絶対に聞かれてた。
これって世に言う公開告白ってやつじゃん。
「だって、こんなにかっこよくて、可愛いんですよ? いつ彼氏ができてもおかしくな……。理央、彼氏いるのか?」
「いない……。いないけど、それ今聞くわけ?」
「仕方ないだろ。気持ちが押さえられなかったんだから。でもそっか。彼氏いないのか。安心した」
本当に、本当に色々と言いたいことあるんだけど、そんな風にうれしそうに笑われたら、何も言えなくなる。
素の私を好きだって告白されたことなんかもちろんなくて。
私なんかを受け入れてくれたうれしさと恥ずかしさでぐちゃぐちゃで……。どうにかなっちゃいそう。
「あの、ゆか──」
「あっ、そう言えばさっき全然俺のこと知らないって言ってたけど、何か知りたいことある?」
まとまらない頭で発した言葉は何を言いたかったのか。誰にも届くことがなかった言葉の続きを私は知らない。
「いきなり言われても……」
うそだ。聞きたいことはある。
何で学校来ないの? って。もしかしたら、同じ名前の別人かもしれないけど。
「うーん。じゃあ、自己紹介するか」
私が何も言えなかったからだろう。紫は話し始めた。
「天宮 紫、十三才。プロダンサー志望。海風中学の一年生で──」
「ちょっと待った!」
やっぱり、私の後ろの席の天宮 紫なわけ? 一年生が始まって半年経つけど、一回も来てないのに何でそんなに堂々と言うの!?
「何? なんでも聞いていいぞ」
もうさぁ、そんなに嬉しそうにしないでよ。しっぽが見える! 紫の背中からぶんぶんとうれしそうに動くしっぽの幻覚が見えるんだけど!
でも、どんなにうれしそうでも簡単には聞けないよ。だって、デリケートな問題でしょ? 違うの? 違わないよね!?
「うーん。ここで止められるってことは、学校のことか……。ん? もしかして理央って海中?」
「うん。えっと……同じ一年生」
「うわっ! ちゃんと通っときゃ良かった」
「ふはっ、あはははは……」
大げさなくらいに肩を落とした紫が、おかしくて笑っちゃう。勝手に悪い方に想像して気をつかってたのがバカみたい。
紫との時間が楽しくて、この時の私はどうかしてたんだ。自分が学校でどう振る舞ってるのかも忘れるなんて。
「しかも、紫は私の後ろの席なんだから」
「理央の後ろ?」
紫はひざからくずれ落ち、ぶつぶつと何かを言っている。私はパイプいすから立ち上がり、そんな紫の近くにゆっくりと歩いて並ぶ。そして、紫がしてくれていたみたいに隣にしゃがむ。
「紫が来てくれたら、楽しいんだろうなぁ」
「行く! 明日から行く!」
「明日は休みだけど?」
くすくすと笑いながら言えば、耳を赤く染めた紫ににらまれる。だけど、全然怖くない。
「今にみてろ、絶対に俺のことを好きにさせてやるからな」
どこか自信満々の笑みに、ドクン……と心臓が大きく跳ねた。
月曜日。
「理央、おはよう。一緒に行こうぜ」
そう言って、当たり前のように家の前で待ち伏せしていた紫にかばんを取られる。
「ちょっと……! 自分で持てるから、返して」
「好きな女の荷物を俺が持ちたいだけだよ。理央が持てないだなんて思ってないし。あー、雄大さんの家知ってて良かった。おかげで理央といっしょにいられる時間が増えた」
「なっ……」
恥ずかしくって、言葉も出ない。それに、何で私の手をにぎってるの?
「紫。手……」
「つなぎたいんだけど、ダメか?」
紫が首を傾げれば、色素の薄い髪がさらりと動いて紫の顔に影をつくる。だまってしまったことを肯定ととったのだろう。紫は鼻歌を歌う。
「それ……」
「うん?」
「紫がひとりで踊ってたやつだよね?」
「そう。今度の大会でこの曲を踊るんだ」
ゆっくりと、当たり前のように私のペースに合わせて紫は歩いてくれる。それが、くすぐったくてうれしい。
けど、いつまでも浮かれてたらダメ。誰かに見られる前にちゃんと言っておかないと。
「紫の知ってる私と、学校の私は別人だけどびっくりしないでね」
「は? どういう意味?」
紫の質問には答えずに私は笑い、手を離す。
「かばん、ありがと。またあとでね」
そう言って、私はいつもの学校での私になる。病弱で、おとなしい、みんなが求める私の姿に。
「理央、どうしたんだよ?」
「どうしたって? ふふっ、天宮くんっておもしろいね」
私を見て紫が目を見開いた。そりゃそうだろう、学校ではねこを何重にもかぶってるのだから。
「理由はわかんないけど、何かわかった。それが理央にとっては必要なんだもんな?」
にこりと微笑み私が頷けば、紫は少しまゆを下げて困ったように笑う。そして、私の手をもう一度にぎる。
「理央、好きだよ」
私の手を引き、紫は学校へと再び歩き始める。
「天宮くん、はなして……」
「やだ。俺は絶対に理央の味方だから、そんなに泣きそうな顔すんなよ」
泣きそうな顔なんてしてない。そんな感情はとっくに捨てた。それでも、じんわりとあたたかい気持ちになるのは何でだろう。
このあと、クラスメイトからは質問攻めに合うし、私と紫のうわさはあっという間に広がった。
こうして、紫に振り回されっぱなしの生活が始まった。
「理央、好きだよ」
って、ささやかれる日々が──。
***紫 side***
両親に期待するのを止めたのはいつだったっけ。望むものを提供してやるから、好きにさせろと言ったのは、進学校の中学受験をわざと失敗した時だったな。
散々言い争いをして、両親が出した要望は全国模試十位以内のキープと、ダンスは学生のうちに結果を出せなかったら辞めること。
それに対して俺が言ったのは、十位以内にいる間は俺のダンスの邪魔をしないでくれ、ダンスに関する費用を出して欲しいだった。
ダンスをやるのだって無料じゃない。最低限の費用にするつもりだが、大会に出るのだって移動費やら参加費がかかる。四月から中学生になる俺に金を稼ぐ手段はなく、あったとしてもバイトをしている余裕はない。
両親はしぶしぶ費用を出してくれると約束してくれた。どうせ叶うわけがない、という余計な言葉のおまけ付きで。
両親から半ば無理矢理ダンスをする許可をもらった俺が次にやったのは、ダンスチームを探すことだった。
なぜ、ダンス教室ではなくチームかと言うと、俺にダンスを教えてくれてた近所の兄ちゃんが「ダンスは一人でもできるけど、仲間としか見れない景色がある」と口ぐせのように言っていたから。
だが、ダンスチームを探す方法が分からない。俺はずっと両親に隠れて師匠にダンスを教わってて、その師匠は俺が小学校を卒業するタイミングでアメリカへと行ってしまった。向こうで腕を磨くのだと笑っていた姿は俺の憧れだ。
パソコンからメールでチームに所属したいことを師匠に相談したら、すっげー喜んで、知ってるストリートダンスチームを紹介しようとしてくれたが断った。自分の力で入れてもらえなければ意味はない。
けれど、あてがないので師匠に何チームかおすすめを教えてもらった。
そして、Reーbertéに出会った。見た瞬間、このチームしかないと思った。何回も通い、頼み、ようやく認めてもらえるのに一月かかった。
リーダーの雄大さんから「本当に俺たちとやりたいのか熱意が見たかったんだよ」と言われた時、過去に何かあったんだなって思った。どこか寂しそうな目をしていたから。
リベルテに入ってからは、本当に毎日ダンスが楽しかった。新しい発見の毎日で、人と踊ることの楽しさを、仲間がいることの喜びを知った。
学校なんか行ってる暇はないからオンラインで学びたいと言えば、母さんが喜んですぐにオンラインの家庭教師を手配してくれた。
そんな俺の生活がガラリと変わる出会いがあるなんて思ってもいなかったんだ。
最初その女の子が俺の視界に入った時、雄大さんの追っかけだと思った。追い払ってやろうとしたら、まさかの雄大さんの妹。
分かるわけがない。雰囲気も顔も全然似ていないのだから。
気まずくて仕方がなかったが、雄大さんの妹なら仲よくしねーと……と思って握手をしようとしたら、無視された。
それでも俺はめげなかった。リベルテは俺のたった一つの居場所だ。失いたくない。
「なぁ、理央は何が得意なんだ? ヒップホップ? それとも──」
「私、天宮が思ってるようなことできないから」
冷たい視線を向けられ、負けてたまるか! ともっと話そうとしたが、集まったリベルテのメンバーが理央に親しげに話しかけたことでチャンスは来ない。
俺がリベルテのメンバーに入れてもらえたのが五ヶ月前。それから一度も姿を見てないのに、何でそんなに仲が良いんだよ……。
「理央っていつも来てるんじゃないよな? それなのに、何でこんなに歓迎されてるんだ?」
思わず言ってしまった言葉は不機嫌さが隠せなかった。そんな俺を雄大さんがフォローしてくれた。
軽い自己嫌悪におちいるが、落ち込んでいる暇はなかった。雄大さんが通しでダンスをすると言ったから。
雄大さんのかけ声で音楽が流れる。
一回目を通して踊り、二回目は理央がちょこちょこ音楽を止めてアドバイスをしていく。
なんで理央が? と思ったが、まぁ俺には関係ない。嫌われてるし。
そう思っていた時──。
「天宮、そこのターンの時にもう少し膝を曲げて重心を下げて。そう、それで右肩をもっとこう内側に入れる感じを意識して」
理央は俺へと話しかけた。リベルテのメンバーとして俺を認めてなかったんじゃないのか? 疑問に思いながらも踊る。
他のメンバーと同じようにもらったアドバイスを体に覚え込ませていく。
もう一度通しで踊ったあとに見せてもらった動画。それは感動以外の何ものでもなかった。こんなにも短時間で変わるなんて信じられなかった。
「なぁ、理央の目には世界がどんな風に見えてるんだろうな! 一度、理央になって見てみたい!!」
そう言うと、理央は瞳を伏せて顔を歪めた。
「……そんなに私なんていいもんじゃないけどね」
小さな声だけど聞こえてしまったそれは、俺にはきっと聞かれたくない言葉だと思って、聞こえない振りをした。
けど、暗い表情が気になって、俺は理央をダンスに誘った。俺にできるのってダンスしかないから。でも、理央から返って来たのは拒絶。
「私は走れないし、ジャンプもできないから」
俺は理央の「私、天宮が思ってるようなことできないから」と言った言葉の意味を知った。めんどうくさそうな振りをして、自分が傷つかないように本心を隠して話す姿が悲しかった。
理央はこんなにすごいのに。自分の状況に泣くんじゃなくて、最大をつくして生きているのに。憎かった。理央に心を閉ざすきっかけを作った、会ったこともない人たちが。
だから伝えた。今の理央にできる最大をやってるんだって。
「だって、普通はそんな風に言ってくれない」
「普通が何かは知らねーけど……。別に理央はかわいそうでもないし、特別でもないと思うけどな。あっ、でも理央の目は特別だ」
そう言えば、泣き笑いみたいな顔をするから、俺が全てから守りたいなんて柄にもないことを思ってしまった。理央は絶対にそんなことを望まないはずなのに。
「お兄ちゃん、どこかに椅子ってあるかな?」
急に理央はそう言うと、圭吾さんが走って取りに行った。そして──。
「あま……。紫、今の私の最大を見せてあげる」
自信ありげに笑った理央の瞳は揺れていた。それでも、理央はやると決めたらしい。
ドンっという低い音を合図に理央は踊った。
かっこよくて、キレイで、勇ましくて、切なくて、激しくて、悲しかった。
理央のダンスは物語だった。ヒップホップとはまた違ったダンス。理央が魂を込めて踊ったダンスは、眩しくて、目が離せなかった。
戦う男の姿に、俺が夢に挑むことと重なって泣きたくなる。
理央のことを知りたいと思った。俺のことを知って欲しいと思った。支えたいと思うと同時に、支えて欲しいと思った。一緒に生きていきたいと思った。ダンスの中の二人のように共に生きたいと──。
理央のことをすげーだろって自慢したくて仕方がないのに、誰にも見せたくない。そんな気持ち、独占欲の他につける名前を俺は知らない。
あぁ、俺は理央のことが──。
「理央っっ!!」
気がつけば、足が動いていた。
「……紫?」
そう呼ぶ理央の声までも愛しくて、抱きしめた。
離したくない。離れたくない。
俺は抱きしめた理央の頭をそっと離し、俺よりも小さな手を握る。
「俺と結婚してくれ」
自然と口から出た言葉。俺は理央に落ちたのだ。きっと、この気持ちは止まらないだろう。
「えっと、何の冗談?」
そう聞いてくる理央の顔が赤い。その姿に愛しさが増していく。
「冗談なんかじゃない。好きなんだ。理央のことが」
好きだと伝えた俺の気持ちを恋愛と感動を勘違いしたのだと理央は言う。
まぁ、いきなりだったからな。仕方ない。だが、あきらめる気はない。
理央に嫌われたとしても、隣にいるのをあきらめられない。
「俺から見た理央は、前を向く強さがあるのに、自分なんかってしてしまう弱さがある。口は悪いのに、繊細なところがあって心配になる。俺は理央を支えたいし、支えてもらいたい。理央のとなりにいるのが、他のヤツじゃ嫌なんだよ。それに、理央と話すだけでこんなにどきどきする。これが恋じゃないなら、何なんだ?」
素直な気持ちを伝えて、理央の手を俺の胸へと持っていく。俺に触れている理央の手は震えていた。
「何なんだ? って言われても分かんないよ。私、まだ紫のこと全然知らないし」
「じゃあ、これから知っていけばいい」
そう言うと、理央は俺から目をそらした。首まで赤く染まっていて、俺を意識しているのだと思うと嬉しかった。好きが積もっていく。
「今にみてろ、絶対に俺のことを好きにさせてやるからな」
俺は理央に宣戦布告をする。そして、俺の生活は大きく変わっていった。
もちろん、良い方向に。
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