俺を罵倒する幼馴染を『催眠アプリ』で操り彼氏クンを破滅させてやる!
思っていたのと違う、と怒らないでくれると嬉しいです。
「吐き気がするほど気持ち悪いから話しかけないで!」
男女問わず多くの生徒達を魅了する整った顔立ちが酷く歪んでいる。
まるで汚物を見るかのような目つきで嫌悪感を隠そうともしない。
侮蔑に満ちた震える声が教室内に響き渡り、クラスメイトが何だ何だと彼らに注目する。
「ちょっと待てよ真奈美!」
罵倒された男子は声を荒げているが、怒りよりも困惑のニュアンスの方が強かった。
どうして自分がこんなことを言われているのか心底分からないといった感じである。
足早に教室から出ようとする真奈美に近づき、どうにかして話を続けようと望むがそれは悪手だった。
「近寄らないで!」
パン、と乾いた音が響いた。
「……え?」
何が起きたのか直ぐに理解出来なかった。
だが頬に痺れるような痛みを感じると、自分が平手でぶたれたのだと否応が無しに理解させられた。
「ふん!」
真奈美は怒り心頭のまま教室を出て、男子はぶたれた頬を抑えながら呆然とその後姿を見送ることしか出来なかった。
「災難だったな、健太郎」
クラスメイトが声をかけてくれたが、健太郎の動揺は酷く何も返せなかった。
――――――――
「くそっ、真奈美のやつどうしちまったんだ!」
高校からの帰宅途中、健太郎は苛立つ心を抑えることが出来ず道端に捨てられていた空き缶を大きく蹴飛ばした。
「少し前までは普通だったのに」
先週までは普通に笑顔で挨拶も世間話もしていたし、時には一緒に帰ることもあった。
家にいても些細なことでメッセージをやりとりし、休日に二人っきりで遊ぶことも多く、半分付き合っているようなものだとすら思っていた。
それが単に幼馴染だからであってすぐに変わる関係なのだと思い知らされたこともまた健太郎の苛立ちの原因の一つであった。
「やっぱり彼氏のせいか……クソ!」
真奈美が変貌した理由に察しがついていた。
先週の金曜日、真奈美は三年の先輩に呼び出されて告白されたらしいのだ。
月曜にクラスの女子とそんな話をしているのを耳にした。
そしてそれ以来、真奈美は健太郎を激しく拒絶するようになった。
周囲から見ると彼氏に気を使って他の男を近づけないようにしているとしか思えなかった。
「イケメンだからって何しても許されると思うなよ!」
真奈美に告白したのは学校で有名なイケメン男子。
一方で健太郎は中の中くらいの極々平凡な容姿だ。
コンプレックスが無いといえば嘘になる。
「はぁ……」
叫ぶことでひとまず怒りを発散させると、今度は自分にはもう何も出来ないのかという無力感で一杯になり肩を落としてトボトボと帰宅する。
「痛っ!」
下を向いて歩いていたからか、正面から歩いて来た人にぶつかってしまった。
「すいませ……あれ?」
慌てて振り返り謝罪しようとするものの、ぶつかったはずの人が消えていた。
「おっかしいなぁ。確かにぶつかったと思うんだけど」
相手はあまりにも急いでいて一気に走り去ったのだろうか。
それにしても影も形も無いのは妙だった。
「まぁいいか……ん? え? なんで? あっぶねぇ!」
気を取り直して再度歩き直そうと思った健太郎だが、足に何か硬い物がぶつかる感触がした。
下を見るとそこには見覚えのあるスマホが落ちていた。
「いつの間に落としたんだ。画面割れてなくて良かった」
それは自分のスマホだった。
ぶつかった時に落としたのかもしれないが、スマホはポケットの奥底にしっかりと入れておいたので落ちるはずが無いと不思議に思う。
「念のためちゃんと動くか確認するか」
落として壊れたかもしれないと思いスマホを操作すると奇妙なことに気が付いた。
「なんだこのアプリ?」
ホーム画面にインストールした覚えのないアプリのアイコンが表示されていたのだ。
「『催眠アプリ』だって? やべぇ、ウィルスにでもかかっちまったのかな」
勝手にアプリがインストールされて個人情報が抜かれているかもしれない。
慌てた健太郎はひとまずそのアプリをアンインストールしようとする。
「…………『催眠アプリ』か」
しかしすんでのところで思い留まり、アプリの説明を確認する。
『本アプリを起動後、画面を見せることで相手は催眠状態になります』
使い方は非常に簡単なものだった。
画面を見せるだけで催眠をかけられる。
「ははっ、まさかな」
そんな馬鹿なことがあるわけがない。
少しでも興味を抱いてしまった自分を恥じ、健太郎はスマホをポケットにしまった。
――――――――
翌日の昼休み。
真奈美に彼氏が出来て幼馴染の健太郎が嫌われるといった展開に興味津々なクラスメイトの視線に耐えられず、健太郎は校舎を出て外をぶらついていた。
なるべく人気の無い方へと歩いていたら、最も聞きたくない声が聞こえて来た。
「(真奈美!?)」
どうやら校舎裏で真奈美がイケメン先輩と会っていたようだ。
何を話しているのかまでは聞こえてこないが、真奈美はイケメン先輩に肩を抱かれて笑顔で会話していた。
「(クソッ!クソッ!クソッ!)」
真奈美の表情を見た健太郎は怒り狂い、激情に任せて飛び掛かりたくなる。
だがそれをやったところで何が変わると言うのだろうか。
「(なんでこうなっちまったんだよ!)」
校舎を右手で殴り、歯を食いしばることでどうにか我慢する。
このまま二人の姿を見続けたら心が耐えられない。
健太郎はその場を後にする。
「絶対に許さねぇ。どうにかして……あ」
ポケットからスマホを取り出して画面を確認する。
そこにはまだ『催眠アプリ』が表示されている。
結局、健太郎はアプリを消さなかったのだ。
これがもし本物なら、この憤りを解消できるかもしれない。
それに偽物だったとしても何も起こらないだけだから今以上に悪い状況にはならないだろう。
一か八か。
「見てろよ……」
健太郎は昏く悪い笑みを浮かべていた。
――――――――
その日の放課後。
健太郎は真奈美を空き教室に呼び出した。
『真奈美が隠そうとしていた秘密を知ってしまった』
今の健太郎は拒絶されているため普通に呼び出そうとしても聞き入れてくれないだろう。
そのため無視出来ないメッセージを送りつけたのだ。
狙い通りに真奈美は空き教室にやってきた。
「あのメッセージは何よ!」
健太郎を見つけるや否や、真奈美は健太郎に食ってかかろうとする。
かなり焦っている様子だ。
『隠そうとしていた秘密』とやらが本当にあるのかもしれない。
「まぁまぁ落ち着いて」
「うるさい! 早く言いなさいよ!」
真奈美とは対照的に冷静に見える健太郎だが、努めてそう装っているだけだ。
『催眠アプリ』が偽物だったら、また真奈美にビンタされるかもしれないのだ。
あれは痛かった。
「こっちは忙しいのよ!」
「彼氏が待ってるから?」
「あんたには関係ないでしょ!」
真奈美は顔を歪めて右手を振りかぶった。
これはまずいと、健太郎は慌てて後ろ手に持っていたスマホを真奈美の顔の前に移動させる。
「これが何だって言う……の…………よ」
「マジか! 本当に効いたのかよ!」
振り上げた手は力なくだらんと降ろされ、今にも倒れそうな程に全身から力が抜けてゆらゆらと揺れている。
更には目の焦点が合っていない様子で何処を見ているのかも分からない。
催眠状態になったと言われれば信じざるを得ない。
「真奈美、右手をあげて」
試しに簡単な命令をしてみた。
すると指示通りに真奈美は右手をあげる。
「真奈美、俺にウィンクして」
「…………」
うつろな目つきのまま、ウィンクをした。
その姿があまりにも奇怪だったため、命令の内容を変更する。
「全力で可愛くウィンクして」
「テヘペロ!」
「マジか。真奈美の全力がテヘペロだったとは……」
今度は顔に生気が宿り、あざといテヘペロウィンクをしてくれた。
真奈美が豹変する前であっても恥ずかしがって絶対にやってくれない仕草だ。
それを平然とやってくれるということは、間違いなく催眠にかかっている。
そしてこの催眠は抵抗のあることでも従ってしまうレベルのもの。
「ごくり」
健太郎は真奈美の全身を見つめて生唾を飲み込む。
胸元、腰、そしてスカート。
今なら真奈美はどんなことですら命令を聞くだろう。
例えばその両手でスカートを……
「くっくっくっ」
あまりにも都合の良い状況に笑いが止まらない。
真奈美が自分の思い通りになるのなら、溜まったストレスを発散させられるだろう。
「お前はもう逃げられないぞ」
健太郎は昏い笑みを更に深くし、ついに真奈美に向けて本格的な命令を放った。
「真奈美が悲しそうにしている理由を教えてくれ」
健太郎は真奈美から少しだけ距離を取り、一つの質問をした。
「けんちゃんにとても悪い事言っちゃった。それに叩いちゃった」
深い催眠状態に陥っているにも関わらず、真奈美の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
それほどまでにそれらは悲しいことだったのだろう。
「ああ、やっぱりそうだったんだな」
他の皆を騙せても、健太郎だけは騙せなかった。
真奈美が健太郎を罵倒した時も、平手打ちをした時も、表面上は軽蔑しているように見えて深い悲しみを秘めていたことを。
「幼馴染だから分かっちゃうんだよな」
だからしっかりと話し合って真奈美の悲しみを取り除いてあげたかった。
だが真奈美は全く聞く耳を持たず、どうして良いか分からなかったのだ。
大切な幼馴染が悲しんでいるのに助けてやれない。
それが悔しくて辛かった。
そんな情けない自分に怒り狂っていた。
「なぁ真奈美。どうしてそんな悲しい思いをしてまで俺を拒絶していたんだ?」
真奈美が悲しみを抱いていたことが確かだと分かれば、次に気になるのはその理由だ。
「けんちゃんをあの人から守るため」
「ああ、やっぱりそうだったんだな」
これもまた健太郎が想像していた通りの答えだった。
だけれど、念のためより細かく確認することにした。
「あの人っていうのは真奈美が付き合っている先輩のことか?」
「違う」
「え?」
「あの人は先輩の事で正しい。でもまだ先輩とは付き合っていない。返事を保留して待ってもらっている」
違うと言われて焦ったが、違ったのは付き合っているかどうかの部分だったので安心した。
むしろまだ付き合っていなかったので嬉しい答えだった。
となると、今日の昼休みの出来事はイケメン先輩が真奈美を口説き落とそうとしている場面だったのだろう。
あの時も、真奈美が笑顔を浮かべつつイケメン先輩のことを嫌悪しているのが遠目からでも分かっていた。
真奈美が嫌がることをしているイケメン先輩をぶん殴りたくて仕方なかったのだ。
だけれど、真奈美が何故我慢しているのかの理由が分からなければ、逆に真奈美に迷惑をかけてしまうかもしれず飛び出せなかった。
「真奈美はあの『噂』を誰かから聞いたのか?」
「彩智ちゃんが教えてくれた」
彩智ちゃんとは、真奈美の親友だ。
真奈美のことを心配して警告してくれたのだろう。
「それで俺を守るために……なんてことだ」
その『噂』とはイケメン先輩が悪い男達とつるんで非合法なことをやっているという漠然としたものだ。
もし二人がこれまで通りに仲が良いままであった場合、イケメン先輩が嫉妬して健太郎に危害を加えるかもしれない。
だから健太郎と距離を置くことで彼を守ろうとしたのだろう。
「俺なんかあいつになんとも思われないだろ。むしろ危険なのは真奈美じゃないか。自分の方を大事にしてくれよ」
あれだけのイケメンであれば、ごく普通の男子である健太郎の事なんか眼中にも無いだろう。
健太郎のことなど気にせずに自衛のための行動をして欲しかった。
だが真奈美は小さく首を振った。
「あの人は口説いた相手に好きな人がいたら潰すらしいから健太郎への想いを気付かれたくなかったの」
「え?」
それは健太郎も知らない噂だった。
どうやら女子の間では別の噂も流れているようだ。
だがそんなことはどうでも良い。
真奈美はポロっと爆弾発言をしてしまったのだから。
「それって俺の事が……!」
途中まで口にして慌てて止めた。
これを質問してしまったら、催眠で強引に告白させるようなものだからだ。
もう手遅れな気がするが。
「うん、健太郎のことが好き」
「ああああああああ!」
だが途中で止めた筈の言葉は質問として認識されてしまい、告白されてしまう。
「俺の馬鹿ああああああ!」
「健太郎は馬鹿じゃない。賢くて優しくて格好良くて素敵な人だよ」
「ぬふっ!」
罪悪感と歓喜が混じって混乱し、変な声が出てしまった。
無表情で佇む真奈美を見ているだけで、顔の火照りが止まらない。
唐突に両想いであったことを知ってしまったのだから当然だろう。
「普段から私の事を大切にしてくれるし、困っていたら必ず助けてくれるし、一緒に居ると楽しくて安心するし、それに」
「ストップストーーーップ!」
真奈美の心を勝手に覗き見しているような気分でいたたまれない。
あまりにも照れ臭くてまともに顔も見れない。
だけれど、今はその話をしている場合ではない。
強引に気持ちを切り替えた。
「そ、それはそれとして、真奈美が危ないのに変わりは無いだろ。結局あの先輩は真奈美から見てどうなんだ? 噂通りの人なのか?」
まずはそこが重要だ。
噂が単なる噂であるならば気にせず振ればよい。
でも噂が正しかったのであれば、真奈美に待ち受けているのは悲しい未来になってしまう。
「多分本当だと思う。あの人からは嫌な感じしかしなかったから」
「そうか……もしかしてすぐに気が付いたから告白の返事を先延ばしにしたのか?」
「うん。断りたかったけど、嫌な予感がしたから待ってもらった」
もし断っていたら、真奈美を手に入れるために強引な手段を使われたかもしれない。
だからといって付き合ったとしても、真っ当に愛してくれるとも思えない。
返事を待つことで辛うじて耐えているが、破滅は時間の問題だ。
だが、その粘りこそが救われるための最善手だった。
「真奈美は俺が守る」
健太郎の手には最強のアプリがあるのだ。
これがあれば相手がどれだけの悪人であろうとも障害にすらならない。
「でもその前にやらなきゃならないことがある」
イケメン先輩が本当に悪人で、『催眠アプリ』を使ってその魔の手から逃れられたとしても、問題が一つだけ残ってしまう。
それを今のうちに解決しておく。
「俺を罵倒して傷つけたことを全て忘れろ」
本来、真奈美は虫も殺せないような優しい女の子だ。
怒って声を荒げるなんてことは、まずあり得ない。
だからきっと真奈美は今回のことを後悔して健太郎に対して一生負い目を感じ続けるだろう。
それは健太郎にとっても認められない事だった。
何も悪い事をしていない真奈美が心に傷を負い悩み続けるなどあってはならないのだから。
真奈美のためならば、本来あるべきでない力だって遠慮なく使って見せる。
――――――――
「真奈美、本当に良かったね」
「う、うん」
「どうしたの?」
「それが良く覚えてなくて」
翌日、とある男子生徒が自らの罪を自白した。
彼は違法薬物に手を出しており、悪い仲間と共に逮捕された。
これで真奈美は解放されたのだったが、記憶がどうにも混乱している。
その男に言い寄られて困っていたのは間違いないが、その時の出来事に所々記憶の抜けがある気がする。
「真奈美おはよう」
「けんちゃんおはよう」
こうして幼馴染と挨拶をするのも何故か久しぶりに感じる。
クラスメイト達もいつも通りのシーンだと自然に受け入れているし、自分だけが奇妙な違和感を覚えているようで何処となく気持ちが悪かった。
だがきっとそれは些細な勘違いとしてすぐに忘れ去られてしまうのだろう。
何故ならばこの日の放課後、そんな違和感など吹き飛ぶくらいに嬉しい出来事が待っているのだから。
そしてその嬉しい事を成し遂げる予定の男子生徒は……
「はぁ……俺ってやつは最低だ」
真奈美の想いを聞いてしまったことを後悔して凹んでいた。
「うううう、なんて言って告白しよう」
そしてスマホで告白のシチュエーションや台詞を必死に調べている。
そのスマホにはもうあのアプリは存在していなかった。
『これはもう必要ないよな』
役目を終えた時に、迷わずアンインストールしたのだから。
思っていたのと違う、と怒らないでくれると嬉しいです(念押し)