私と友人の物憂い日々
一年のうちには暑くなく寒くなく、これが一年中続けばいいのになあとおもわせる陽気が、春の終わり頃と秋の半ばにほんのわずかにある。
日本には四季があっていいと人は言うけれど、私のような物臭な人間には、冬の寒さや夏の暑さ、秋雨や梅雨、カラッと晴れた初夏の陽気でさえ、暑いの寒いのジメジメしてるだのあんまり日差しが下品すぎていけないなぞ外出することを躊躇う様々な動機になる。
その日はわずかに鰯雲のある秋の穏やかな日和で、その一年でもっとも心地いい陽気の1日だった。さすがの私と友人も、珍しくもシャッポにネッカチーフなどお洒落をして、下駄をカラカラ、銀座にでも行こうかと二人連れ立って出かけた。
大抵こう言うときは、入った洋食屋でカレーに干し葡萄が入っているだとか、立ち寄った本屋の店員が、買おうか悩んでいる本の中身をほんのちょっぴりめくっているだけの私の横でこれ見よがしにハタキをかけたりだとか、噴飯やる方ない出来事が起こるものなのだが、奇跡的にもゴロリと大きな羊肉の入った美味なるカレーと、本を買いもしない我々ににっこりと笑いかける、まだ学生と見える可憐な店員に恵まれた。
心浮き立った我々は、三越に冬のフロックでも冷やかしに行こうかと思い立ったのだがこれがいけなかった。
やはり普段何かにつけて外出に不満を述べているものが調子に乗るものではない。まるで神様が見ているかのように、我々の乗ったエレベータが突然停止した。
そのとき我々は、日本人にはなかなかフロックは着こなせない、やはり綿入れかドテラが似合う、など柄にもない服装談義を繰り広げていたのだが、急停止したエレベータは一度真っ暗に電気が落ちたので、喋りかけの言葉を口に詰まらせたように黙り込んだ。
「や、これは」
私は我ながら間抜けなことを言ったな、と思ったが。
「停電か、故障だね」
友人は落ち着いたもので、エレベータ備え付けの非常ボタンを押し、どこかに繋がらないものかと試している。
やがてあかりがつくのと同時に、上部のスピーカから管理人らしい声がして、申し訳ないがもうしばらくまつようにと案内があった。
私は腕組みをして壁によりかかり、友人も壁に寄りかかりながら俯いて黙って待った。
意味もない咳払いをしたり、普段よく見ることもないエレベータの文字表示のデザインを、これはフランス風かしら、アラビア風かしらなど無駄に考えを巡らせていたが、なかなか復旧しなかった。
友人はと見れば、シャッポをハスにかぶり顎の上までネッカチーフを巻いた変わらぬ粋なかっこうで、着流しのたもとに手を入れて実に落ち着いている。
私はこういうとき弱いたちで、恐怖とは違うが妙に苦しいような圧迫感を感じて落ち着かなくなる。さっき食べたカレーが急に胸の中でムカムカしてきたり、あの女学生は我々じゃなく後ろにいた友人に笑っていたのじゃないかしらなど、1日あったことが全て気に障ってくる。
本当はなにか話して気を紛らわせたいのだが、この状態では頭が働かず、無駄口すら思いつかないのだ。
きっとイライラと見えただろう、指先でトントンとよりかかった手すりを叩く私に気を使ったのか、友人が話しかけてきた。
「さっきの子は学生じゃないよ。若く見えるがおそらく30手前だろう」
「なんだって?」
「今、君はあの本屋の店員のことを考えていただろう?後ろ手に組んで指を動かすのは、君が本屋で本を選ぶ時のくせだ。さっきは君が上機嫌に、彼女を褒めていたから言わなかったが、あの赤ら顔は肌が荒れているからで、化粧を好まないから幼く見えるんだろう」
思わぬ指摘に私はマゴつき、なんだって急にそんなことを言い出したのかと訝ったが、思えば皮肉屋の彼なりの気遣いだったのだろう。黙って時間を過ごすには私は気が昂りすぎていたし、他愛もない雑談には、きっと不機嫌にうなり声を返すだけに違いなかった。
「君は自分に笑いかけたと思ったようだが、あれは彼女は近視で、メガネを忘れたから目を細めて惚けた顔をしていただけだ。よく見れば彼女が手元の本を読むときに、背を丸めてかがみ込んでいたのがわかったと思うがね?」
「ふん、わかっていたさ」
私はなんだか悔しくなって、そう答えたが、確かにそんな様子だったかもしれない。目の端に他の客とのやりとりを見ていたが、嫌に丁寧にお札を確かめるんだなと思った記憶がある。
友人は私の態度にくっくと笑うと、
「ね、君にはきっと無理な相談だろうけれど、こうやって閉じ込められて外部と全くやりとりができない状態で、正確に時間を測ることができるかい?」
と尋ねてきた。
「ん?時間かい?」
急な問いに私は、彼が言おうとする意味を掴み損ねた。
「そう、時間だよ。外部から遮断されてなんの情報もない、ちょうどこう言う状況さ」
「ふむ、また急な質問だな。そりゃ色々はかりようはあるだろうけど、例えば脈拍とかさ、期間が短ければ数を数えたってまあ、そんなに大きくずれないとは思うがね。条件がわからないとなんとも言えないな」
そこまで言って私はピンときた。友人も私を見てニヤリと笑う。
「例の謎かけだな?」
「そう。こういうどうにもならない時にはうってつけだろう?ちょいと思い出したことがあるからさ、イライラするのはやめにして、謎解きとでも洒落込もうじゃないか」
と友人は片目を瞑る。
「せっかくの銀座なんだ。優雅に行こう」
と言って、彼は語り出した。
「これは僕が高校3年の夏休みに、友人の親戚が持っているという別荘に行った時のことだ。
軽井沢でも白樺の森の奥にある、周りに民家もない大きな敷地の建物だった。さすがに作りは洒落が込んでいて、レンガの基礎に漆喰の壁、黒い木枠の両開きの大きな窓が並ぶ、このまま横溝正史の映画に使えそうな、そんな大正モダンな豪奢な建築だ。
友人の叔父さんの持ち物らしかったが、だいぶ長い間閉じたままにしてあって、その年の春に大きな修理を済ませまた使い始めようとなったらしい。友人も初めて来たのだったが、叔父さんが今夏は用事で別荘へ行けないので管理を弟である友人の父にまかせ、あとでその友人の両親もやってくるのだが、先に友人と友人の友達、つまり僕たちだね。友人の姉、姉の友人の八人でやって来たと言うわけだ。
僕だけがやや部外者な雰囲気で、他の七人は幼い頃からの付き合いで気がしれているようだった。僕はどう言うわけか一度友人の家に遊びに行った時に、友人の姉にいたく気に入られてね、もちろん友人とも懇意だったから、今回参加の運びになったわけだ。
まあ、長々とくだらない設定を話してしまったが、この際友人やその姉たちはどうでもいい。他の友達に関しては名前すら出していないのは関係がないからだ。
ここからが本題なのだが、いいかい。
この屋敷が、ずいぶん長い間閉じたままだったのは、さっき話たね。その理由を友人は知っていて、屋敷につくが早いが、僕たちに見せたいものがある、と案内しだしたんだ。
広い廊下には毛足の長いペルシャ絨毯、壁にはどうやら本物らしい玉堂や春草のスケッチがかかっていたり、九谷や備前の焼き物、ガレのガラス細工なんかがあって、それだけでも来たかいがあったんだが、友人はそんなものには目もくれず、私たちを建物の奥に案内していった。
そこは両開きの引き戸のドアで仕切られた渡り廊下になっていた。どうも建物に周りをすっかり囲まれた、中庭らしかった。
廊下の上には屋根が付いていたが、この廊下と屋根はどうも後付けらしい雰囲気がある。
そしてその先に、大きな倉が立っていたんだ。
黒い瓦を格子に貼って、その上に白い漆喰を盛り上げた海鼠壁の美しい蔵だったが、中の様子をみて驚いた。
三段になった分厚い防火扉は開け放たれ、奥にある木戸を開くと、蔵の中央に、無骨な格子木で枠を組まれ、その中に白いセメントらしい壁がある、四角いブロックが置かれていたんだ。ブロックと言ったって大きさは蔵をほとんど埋め尽くしていて、もちろん背丈よりも大きい。開け放たれた扉から入ってくる光以外は、蔵の窓が閉められて闇だった。
友人はの格子についているドアを開け、明かりをつけると中へと僕たちを案内した。
そこは牢屋と呼ぶのが一番ふさわしい部屋だった。それとも、懲罰房や、精神病棟の隔離室というのがいいか。とにかく窓一つない部屋で、一応トイレと流し、簡易的なコンロのあるキッチン、ベッド、書き物机があるのみだ。
「ここは、座敷牢だったのかい?」
僕は聞いた。
「さすが。そう、この蔵は昔、叔父さんの娘が閉じ込められていたところなんだよ。今はこうやって、宿泊もできるように改装したらしいけどね、前はここは、ウレタンを敷き詰めた、そら、自傷癖のある精神病患者を閉じ込める部屋があるだろう?そんな感じだったんだ。詳しくはきいてないし、会ったこともないけど、その人をここで治療しようとしていたんだって。医者も専門につけて。結局、別の病を患って亡くなってしまったらしいけど」
とまるで怪談のように語る友人。他の人たちも雰囲気にのまれて怯えたような笑いを浮かべている。
僕が全然驚かないんで、きっと友人も面白くなかったんだろうね、僕に絡んできた。
「なんだ、怖くないのか?だったらここに一晩とまれるかい?」
そういうので、よせばいいのに嘘がつけないたちの僕は(作者:よく言うな、と私は思ったが)、ああ、もちろん、と答えてしまった。
こうなると高校生の恐ろしさで、周りにはやしたてられるように、一種の賭けみたいになってしまった。
彼は一晩過ごせというが、それでは勝ちが確定しすぎていて、僕が面白くもなんともない。そこでちょっといたずら心を起こしたってわけさ。
「それじゃあ、もう一つ条件を足そう。ただ一晩過ごすんじゃ芸がない、僕がここに入って、きっかり24時間で出てこれるか賭けようじゃないか」
みんなちょっと戸惑っていたが、だんだん状況がわかってくるにつれて面白がり出した。
まず、部屋に時計はない。そして、蔵の扉を閉めてしまえば、音は一切聞こえない。日差しもささないし、温度変化もほぼないといっていい。
そしてもちろん、時計だのラジオだの電話だのテレビだの、機械的に測れたり、外部から知れたりするものは一切持ち込まない。
友人は何かしかけがあるに違いない、と色々条件を出してきた。
まず、二十四時間でなく二十八時間にすること。これは、人間の生理で1日はわかる可能性があるからだそうだ。
次に、洋服は全部友人のものに着替えること。服のどこかに、なにか時計だとか振り子だとか、時間がわかるものを持ち込ませないためだ。これは納得だね。
ほかには二十八時間から10分とずれてはいけないこと。幅があったら偶然の可能性が大きくなるからね。
とまあ、そんな条件を出してきた。
僕は了承した。
僕の出した条件はこうだ。
食事は食べないわけにいかないから、これからここに友人と僕が納得するもの、缶詰だとかパンだとかを持ち込ませてくれること
24時間ボーッとしていたら退屈で気が狂ってしまうから、本を2冊と、ノートを一冊、それにペンと消しゴムを持ち込ませてくれること
それにトイレットペーパーや、顔を洗うタオル、歯ブラシなんかも持ち込ませてもらう。
そう話でまとまった。
そう、もちろん僕はきっかり二十八時間、その日の十二時に入って、翌日の午後四時、多分五分とずれていなかったんじゃないかな。その部屋をでた」
そこまでいうと友人は当然だとばかりに肩を竦める。
「もちろん僕は勝算があってやったんだ。負けたら結構嫌な賭けだったからね。さて」
と言って友人は懐から出したキセルの口をふっと吹いた。きっと吸いたくなったのを誤魔化したんだろう。
「では問題だ、僕がどうやって28時間を測ったか、それを考えてくれたまえ」
そして片目を瞑って言う。
「暇つぶしにね」
「一つ二つ確認させてくれ」
私は状況を整理するために聞く。
「もちろんどうぞ、質問は歓迎だ。フェアなものにかぎるがね」
「まず条件として、部屋に外部と連絡を取る手段は一切ないんだね?」
「その通り」
「窓はないと言っていたが、換気はどうなんだ?そこから音が聞こえたりは?」
「換気システムはついているよ。コンロもあるしね。ただ、外部と直接つながっているようなシンプルなものじゃなく、配管でコンディショニングシステムまでつながっているから音は聞こえない。してもうなるような音だけさ」
「ふむ。次だが、君はずっと起きていて数を数えていた、というようなシンプルな手段じゃないってことだね?脈をずっと数えたり」
「ああ、違う。僕はなんらかの計画に基づいてこの賭けを提案したんだ。そんな曖昧な方法はないさ。それに、バッチリ眠ったよ」
「ふむ。服は着替えた、と言っていたが、口の中や、その、肛門に時計を隠していたってことは?戦争映画でたまに見るぜ」
「くっくっく。いいねえ。ほんとに君はこのゲームを楽しんでくれるから好きだよ。もちろん違う。僕にはポンプ男はできないし、けつの穴に入れてまでこんなゲーム提案しないよ」
「そうか。まあ、そうはおもったが確認だからな。あとは、持ち込んだのが本二冊とノート一冊。ペンに消しゴムか。もちろん友人たちは詳しく調べたんだろう?」
「もちろんだ。本当は自分のものを渡したかったみたいだがね、そこは了承してもらった」
「あとは、食材や食器だな。具体的に、どんなものを持ち込んだんだ?」
「ああ、そうだった。たしか、コンビーフに茹で卵と、りんごとみかん、缶入りのトマトジュースにパン、あと急須と湯呑み、だったかな。そうそう、やかんは持ち込ませてもらった、お茶を入れるのにね。ナイフやフォークの類はなしで、紙皿が数枚あったかな」
「なるほど」
私は黙り込むと、じっくりと考えに沈んで行った。
友人の気の計らいは成功し、それから自分が閉じ込められていることなどすっかり忘れて、友人の謎に思いをめぐらし続けた。
さて、ここまでお読みいただいた読者の方は、もうなんとなく想像がついただろうか。もしかしたら、友人の気づかなかった、他にも可能な方法を思いついた方もいらっしゃるかもしれない。しかし、私にはさっぱりわからなかった。終いには悔しくて、答えが思いつくまで動くんじゃない、と思ったほどだ。
実に二時間近く閉じ込められた私たちはようやく解放された。
足が棒のようになってしまったので、喉を潤すのもかねてテラスの喫茶店に行き腰を下ろした。
「さて、あの牢獄から解放された以上タイムリミットにすべきだろうね」
友人がメニューを見ながらいたずらっぽく言う。
「うむ。いくつか考えがないわけじゃない」
「ほうほう、頼もしい。ウェイター君」
注文を済ませた私たちは、改めて回答編に移ることにする。この、「回答」は字を間違えているわけではない。「解答」でなく、私が間違った答えを答えるから回答編というわけだ。情けない話ではあるが。
「よし、まず僕が思ったのは、その部屋には蛇口がある、ということだ」
「ほう」
「蛇口の口から、決まったテンポで水を垂らせば、それこそ砂時計のように時間が測れるだろう?それを数えて」
「君、僕がさっきいったろ?数え続けるなんて曖昧なことはしないって。それに寝たんだぜ、僕は」
「まあ、聞いてくれ。君はやかんを持っていた、と言っただろ?数える必要はないんだよ。やかんに夜間、いや、駄洒落じゃない。寝ている間水を垂らしておけばさ、一定量の水がたまるだろう?それで時間がわかるって寸法さ」
「へえ、よく考えたじゃないか。だが残念だけど、まず水滴の間隔をどうやってはかるんだい?勝手にこれが一秒、とか十秒とか垂らしても、正確にはわからない。それにやかんに貯めるというけれど、それこそどれだけたまったか、なんて何と比較するのだい?砂時計や水時計は、最初にキチンと正確な時刻と合わせて流れる量や総量を調整するから意味があるのにさ。百歩譲って以前実験したことがあったとしても、その家のやかんでは絶対にわからないよ」
「むう。まあ、そうだろうとは思っていた」
「まだあるかい?」
「うむ。次は、君の友人が言っていた生理の問題だ。よく探偵小説であるだろう?髭の長さで、二日目か、とか言うやつがさ。君のことだから自分の髭が1日に伸びる長さを知っていたんじゃないか?」
「くっく、面白い。生憎高校の僕は髭なぞほとんど生えていなかったがね。それに大まかに1日がわかっても、四時間という半端が正確にわかるなんて不可能としかおもえないが」
「まあ、そうか。これはただのおもいつきさ」
「では、続きをどうぞ」
「うーむ。一つ考えたのはだね、その、君がなんらかの薬物を持っているんだ。そう、種類はわからないが、きっと一度飲むと変化が起きて、それが時間ごとに状態がかわっていくような。そういう特殊な薬で、脈拍や体温なんかの状態変化で、時間をはかった、とか…」
友人はここで吹き出した。コーヒーを持ってきたウェイターだけじゃなく、まわりの客もみるような大きなやつだ。
失礼にも程があるとおもったが、意外にも友人はそのあと私を褒めた。
「いいね。今日は冴えてる。そう言う薬が存在する可能性はもちろんあるよ。僕は存じ上げないがね。それに君、物を書くのが好きだというなら、そういう設定のSFでもかいたら面白いんじゃないか?体の生理で時間を測るって発想は、現実じゃなければおおいに説得力があるからね」
「ってことはちがうんだな?」
「当然だろう。さっきから言ってるように、そんな特技が必要なできるかどうかわからないことで賭けを持ち出したりしないさ。もっと確実な方法があったんだよ、僕には」
「うーむ」
私はコーヒーを飲んだ。普段入れない砂糖を砂糖壺から慎重に運び、普段入れないミルクをミルクピッチャーからゆっくりと注ぐ。そしてスプーンを持って、丁寧に丁寧に混ぜてゆく。久しぶりに飲むブラウンコーヒーは甘く柔らかい。
しかし、これだけ時間をかけても、私の頭にはただの一つも他の答えが浮かばなかった。
「降参かい?」
長すぎる私の沈黙に、友人が尋ねた。
「うむ、しかたない。で、答えはなんだ?」
友人はブラックを口に含ませて香りを味わい飲み下すと、懐からタバコ入れを出しキセルに詰める。(皆さん、今では喫茶店でタバコなんてとおっしゃるでしょうが、当時はどこでも吸えたのです、あしからず)そしてふーとうまそうに一服つけて私を見る。
煙越しの、やや細めたその視線は、片手をたもとにいれ、反対の手でキセルを持ったその仕草と合わせて、なかなかどうして男前である。
「まあ、せっかくここまで考えたんだ、ちょっとヒントをあげようじゃないか」
「ほう」
「まずは、だね。今、僕がこうして持っているもの、これが一つ」
「ん?キセルかい?さっきの持ち物には入っていなかったが?」
「ああ。当時はまだタバコも知らぬ純情学生だったからね。まあともかくこれだ」
私は言われて混乱する。
「もう一つ、僕が持ち込んだものさ、それで僕は時間を測ったんだ」
「うーむ」
本二冊、ノート、ペン、消しゴム。お手上げだ。
「わからないかい?」
キセルの灰を灰皿に落としふっと吸い口を吹いてしまった友人は、私がコーヒーを飲み終えたのを見て立ち上がった。
「では、種明かしとまいりましょう」
私たちのついたのは、三越3階の雑貨フロアであった。
入り口近くの文房具コーナーを見て、
「何かペンに仕掛けがあった、なんていうズルじゃないだろうな」
といぶかる私を置いてズンズンと先へすすんでいく。
次第にいい匂いが漂ってくるそこは、キャンドルやお香などのアロマコーナーだった。
私は訳がわからない。
「一体ここに何があるんだ?」
「まあまあ、そら、これを見たまえ」
彼が差し出したのは、一冊のノートだった。
「え?なんでこんなところにノートが?」
友人は中を開いて見せる。紙には横に切り取り線が入っていて、切り離すことができるようになっていた。
「これはアロマペーパーというものさ。フランスでパピエダルメニィ社が1885年創業から作っている、世界最古とも言われる紙のお香だよ。切り取って火をつけると、二分で燃える」
そして彼は隣にある、もう少し大きいものを取り上げた。
渡されてそれを見ると、実際本物のノートにしかみえない。紙こそ茶色だが、開くと無地に切り取り線が横に入っているのだが、罫線のようにしか見えず、もし何か文字が書いてあったらきっとノートと信じて疑わないだろう。
「これは日本の和紙香と言って、和紙で作ったものなんだ。僕はこれに当時凝っていてね、いろいろな香りのを束ねて、もっと分厚いノートにまとめていたんだよ」
と友人は愉快そうに笑って口元を抑え体を揺らす。
「じゃあ、君が持ち込んだノートっていうのは」
「そう、このアロマペーパー、正確には和紙香だ」
手に持った実物を見て、私は納得せざるをえない。
「さっきのヒントは、煙の出る物ってことだな?」
「そのとおり」
友人はノートを広げ、説明を見せてくる。
「これは一枚10分で燃えると決まっている。だから僕は二十八時間、一時間に一つで168枚の小片を燃やすだけでよかったんだ。紙一枚に6片あるから、28ページを使ったことになるね。長い時間でもこうして燃え終わりが次に移るようにくっつけておけば、蚊取り線香と一緒さ、数時間寝ることもできたってわけさ」
「これは、フェアじゃないんじゃないか?」
「なぜだい?僕はノートを持ち込んだ、と言っているんだよ。それにコンロもある、と言っている。もしこの和紙香に辿り着けなくても、紙を燃やした、という想像はできたんじゃないか?あとはそこに、君の知識があるかどうかさ」
「何か燃やした可能性は考えたよ、だが、そんなに長時間燃えるものや、燃焼時間が解っているものがあるとまでは」
「ま、今回も君の負けだね。これは物の測り方の問題だ。もし君が、解っている指の長さで細長くノートを切って繋げて、過去の実験に基づく結果によって長い導火線をつくって測った、とでもいえば、正解でなくても合格点だったろうがね」
思わぬ長時間の外出で疲れた私に、友人が珍しく茶を入れてくれた。
「雨でも降るかな」
庭の松越しに空を眺めて言った冗談を、肩を竦めて友人がかわす。
「そういえば思い出したんだが、その時賭けたものって一体何だったんだい?」
「え?ああ」
定位置の座布団にあぐらにまるまった友人が茶をすすりながら答える。
「ガレのランプさ。別荘の廊下にあったやつで、ちょっとした物だったんだが、友人は快く僕にくれたよ。きっと後でおじさんに大目玉くらったろうがね。落として割ってすてちゃったとでも言い訳したんじゃなかろうかな、きっと。しばらく持ってたんだが、ちょいと用立てが必要になってね」
「そうかい、そりゃ残念だな、見たかったのに」
私は柱に寄りかかって本を開いたが、ふと思いついて友人に聞いた。
「そういや、負けた時の支払いってなんだったんだ?そんな高級品、学生の君が釣り合うようなものを持っていたとはとても思えないだが」
友人は渋い顔をする。
「や、ちょいと濃かった。ん?まあいいじゃないか。そんなことは」
「よかないさ。これも謎解きの一部なんだから、さ、隠さずいっちまいなよ」
「むう。あまり 褒められた話でもないんだがね」
と言って友人は弱り切った顔を作って自分を指差した。
「え?君?」
「そう。友人の姉上にいたく気にいられた話はしただろう?賭けの話になった途端にね、姉上が、じゃあ負けたら私と付き合って、勝ったらなんでも持っていっていいよ、ときたもんでね」
私は大声で笑う。
「はっはっは。なんだか艶っぽい話だったんだな。負けたらどうなっていたか知りたいもんだ」
「勘弁してくれよ」
友人はゴロリと横になり向こうを向いた。
私は愉快でたまらない。
鰯雲があかねに染まり、そろそろ夜の帳が降りようかという、神無月のある1日のことだ。