立野くん、語る
「子どもの頃は、いわゆる、悪ガキでしたねー。勉強大っ嫌いで、遊んでばっかりだった。漫画の本貪るように読んで、親の言うこと全然聞かなかった」
「でも、大学出て研究所に就職して、そこからまた大学院に通ったでしょう?」
博士の奥さんが編み物の手を止めて聞いた。
「高校生のとき、このままでいいのか?って3日くらい真剣に悩んで、将来何になりたいかなんて全くビジョンがないまま、猛勉強を始めたんです。家業は魚屋だったから、親父は跡を継がせる気だったようですが、奨学金もらって有無を言わせず進学しました。理系に進んで、ここの研究所の見学に来て、博士にここに就職するものだと思われてて」
「違う仕事もしたかったの?」
「はい」
「どんな仕事も一長一短あって、簡単じゃないと思うけど」
「そうですね。バイトで食品工場に行った時相当きつかったですよ。これが何年も続くのかと思ったら心折れました」
「今は満足しているの?」
「次々と新しい研究分野が現れて、それに熱中しているときはやりがいがありますよ。常に前を向いてくしかない」
にゃあん。
黒猫のマルが、立野くんのズボンに顔をこすりつけた。
「エサの時間だな」
長身の立野くんには白衣が似合う。
缶詰のエサを猫にあげている立野くんを見て、博士の奥さんは、この日常がとても尊いものだと感じていた。
夫は良い部下に恵まれた。夫が道を誤りそうになったら、立野くんが正してくれるだろう。でも、それは暗黙の了解で、わざわざ口にすることもない。
博士の奥さんは編み物を続けた。