第86話 マリー、故郷の言葉を思い出す。
「おいマリー、昼飯だぜ。起きろよ!」
テオの声に起こされ、馬車の中から辺りを見回してみる。いつかみんなで薬草を採りに行ったときみたいな草っ原が、前にも後ろにも続いている。馬車が止まっているのは、ここらでは珍しい大きな木の下だった。この木陰でお昼らしい。湧き水もあるらしく、御者のジャックさんが水を汲んでいた。馬たちも水をもらっている。
「おう、嬢ちゃんたち。飯だ、たんと食え!」
今日のお昼はお弁当だ。いつかアリスィ司祭がおごってくれた立派なものではなく、ロールパンに野菜やお肉の切れ端を挟んだのと、ジャガイモをふかしたものだ。もちろんバターとか、しゃれたものはない。まぁ、お塩だけでもおいしいんだけどね。
「ふう、これだけではやっぱり足りないなぁ……。ああ、君たちも食べるかい?」
商人のおじちゃん、チャーリーさんが木の実をみんなにくれた。見た目は、ピスタチオが色黒になった感じだ。皮が濃い茶色で、中は薄茶色。皮をむいて、中身だけを食べるそうだ。
「うげ、にが……」
期待していた味は……何というか、ピスタチオの薄皮だけを固めたような感じね。つまり、あんまりおいしくない。そして堅い。クルミの殻くらい堅いんじゃない?
「ああ、ごめんごめん。でも栄養はあるし、イコの実はお腹に溜まるから、冒険者の必需品なんだよ」
チャーリーさんの言葉に、テオが少し涙目になりながらも飲み下していた。
「これってどこで手に入るんだ?」
「森に行けば、けっこうあるよ。珍しい木じゃないし。あと道中生えてる植物、これは実は草じゃなくて低木なんだけど、もう少ししたら花が咲くよ。一面花畑になってきれいだよ。お茶にもできるし」
スターリー帰りのおばちゃん、イブリンさんも話に加わる。
「そうね、今はこんな感じだけど、花が咲くといいわよねぇ。ねえあなた知ってる? ヒースの花はお肌にもいいのよぉ。時季になると、ラースゴウ周辺の花はほぼ摘み取られてしまうものね」
そんな感じで賑やかなお昼が終わった。ラースゴウへ向けて、また出発である。
それからも、おしゃべりは尽きない。午前中はしっかり寝ていたわたしは、暇つぶしがてらこの二人とのおしゃべりに興じていた。エドワード神官たちはたまに話に乗ってくるものの、基本的には索敵をしていたみたいね。シンシアたちは、お話ししたり、お昼寝したり。みんな思い思いの時間を過ごす。
そうそう、わたしの額のフェルナンドさんは、馬車内での会話を漏らさず聞きつつ、馬車の外も知覚して自分の中の地図を更新しているようだった。これから行くラースゴウの政治経済から、流行り物にいたるまで、彼の守備範囲は広いらしい……ほんと情報収集が趣味みたいね。
「おぅい、もうすぐ今晩の宿に着きますぜ。って言っても、屋根はなくて星空が見えるだけなんだけどな!」
辺りが少しずつ暗くなってきたころ、今晩の野営地に着いた。途中で何回かトイレ休憩はあったんだけど、ずっと座りっぱなしだとお尻が痛いわね。
「さあ、みんな。野営の準備をしよう。ヒースの枝を拾っておいで」
エドワード神官の言葉に、子どもたちは周りに散らばっていった。野営地の近くから薪を集めていくので、ちょっとした広場のようになっている。落ちてる枝がないときは、この低木を伐採するのね。その間に、エヴァンスさんは手早く夕食をつくり、ジャックさんは馬のお世話をしている。
「ああ、ほんと。食事がついてくるっていうのはいいねぇ。昔は自前だったものねぇ」
イブリンさんの言葉に、エヴァンスさんが笑う。
「ははは、時代の流れかね、うちもサービスしとかなくちゃならねぇからなぁ。たいした料理は出せねぇがな」
「乗り場の横にはだいたい弁当屋がありますもんねぇ。あれ、系列なんでしょ?」
「ああ。親方は手広くやってるからな」
ご飯付きになったのは、ここ何年かのことらしい。持参だと自由に狩りに行ったり、調理に時間がかかったりで、休憩時間内に食べ終わらないことがあって、まぁ、効率が悪かったみたい。普段遠出をしない人や、調理をしない人は大変だしね。それに同じ釜の飯を食べるのもいいものね、連帯感が出るもの。もちろん持参してもいいらしい。
それからは自由時間だ。交代で夜の見張りをするのは、エヴァンスさんとジャックさん、エドワード神官にアイリーンの四人だ。最初は遠慮していたエヴァンスさんも、最終的には了承していた。夜警の人数が増えると、休める時間も増えるもんね。そしてみんな火のそばでしばらくおしゃべりしていたけれど、見張り当番の人以外、やがて眠りについたようだった。
◆◆◆◆◆
「おや、マリーちゃんどうしたの?」
真夜中に目が覚めたわたしは、ちょうど見張り当番だったエドワード神官に声をかけられた。
「うん、ちょっとトイレ」
もちろんこの旅行、トイレといっても施設はない。お外で、である。
「そっか。明かりはいるかい?」
「ううん、『暗視』があるから大丈夫」
用を済ませて帰ってくると、エドワード神官が話しかけてきた。
「マリーちゃん、君は暗いところでも目が見えるんだね」
「うん、闇の精霊を自分の目に宿すの。闇の精霊にしては魔力の消費も少ないし、便利だよ」
もともとは、夜更かしのために開発した魔法である。光と闇の精霊は大食いだ。で、少しでも効率的な魔法を求めた結果、こういった形に落ち着いた。けっして光の精霊を明かり代わりにしていて、マイア司祭に夜更かしが見つかって怒られたからではない! あと火の精霊は火事が怖いしね。
わたしの説明を聞いて、エドワード神官は苦笑した。何でも光と闇の精霊と契約している人は数が少なくて、わたしの方法は一般的ではないらしい。
「そっか、わたしがもう少しこの精霊たちになれたら、わたしも『紹介者』になれるのね」
精霊というのは、いわば紹介制である。ある程度精霊と仲良くなれたら、自分以外の人へ友だちの精霊を紹介できるのだ。で、光と闇の精霊とつながりがある人が極端に少ないため、この二つの系統はレアな魔法となっている。
「そうだね。そうなったらよろしく頼むよ」
にこりと笑うエドワード神官。ソーレ教の神官でもツテがないのかしらとも思ったけど、実際は料金が高すぎるかららしい。まぁ、魔法使いでも目指さない限り、必要性がないのかもね。
「それにしても、君はすごいなぁ。まだ三歳なのに、光と闇の精霊と契約し、そして使いこなしているんだからね。この前のお食事会でもそうだ。ずいぶんと年上の大神官様にも、物怖じせずハキハキと話していて……あ、ああ、別に責めているわけじゃないんだよ? こう言ってはなんだけど、大神官様は意固地なところがあるから……。大神官様もそちらの高司祭様も、君のことはずいぶんと買っているようだ」
まだ三歳なのにねと、締めくくられた。それを聞いて、わたしは一気に不安になった。今まで頭の端にのぼってきても見まいとしていたことが、目の前に突きつけられたような気がしたのだ。
「え、と、ま、マリーちゃん!? どうしたの?」
いきなりぽろぽろと涙を流し出したわたしに、エドワード神官が慌てる。しかし、すぐに落ち着いて、わたしの背中を優しくなでてくれた。
「何か……わたしは何か気に障ることを言ったかい?」
涙は流したまま、わたしはかぶりを振った。
「ううん、違うの。ただわたしの前世の言葉を思い出しただけ」
「故郷の言葉?」
「うん。二十歳過ぎればただの人ってね……。小さいころは天才だ、神童だってもてはやされても、大人になるにつれて、凡人と変わらなくなってしまう……。わたしが実は三歳ではなくて、エドワード神官よりずっと年上だったらどうする? そうしたらわたし、全然すごくないよね?」
すっかり黙り込んでしまったエドワード神官。ややあって、口を開いたけど……。
「神の子? ……というのは、『恩寵持ち』と同じ意味なのかい? なら君は、どの神さまの恩寵を受けているのだろうか? やっぱりマリエラさまかい?」
え、そっち!? そっちに食いついちゃった? 真面目に考え込むエドワード神官を横目に見つつ、わたしは苦笑する。ま、まぁ、「神童」って英語で何ていうか知らなかったし、思いっきり当てずっぽうだったし……。
そして気づけば涙ももう止まり、わたしから見ればとんちんかんなことに悩む神官の様子を楽しめるまでに余裕が戻っていた。
「……ああ、ごめん。ええっと、話がずれちゃったね。君がわたしよりずっと年上だったとしても、やっぱり君はすごいと思うよ。年を重ねても成長が見られない人もいるし、年齢は関係ないんだ。君の本当にすごいところは、自分の至らなさを自覚していてそれを克服し、さらに上を目指そうとする向上心なんだろうね。そういう子は伸びるよ、間違いない」
にこりと笑うエドワード神官の顔に癒やされて、わたしも笑い返す。
「エドワード神官、褒めてくれてありがとう。そうね、今落ち込んでいてもしょうがないわ。まだ朝まではあるんでしょ? わたし、もう一眠りするね。見張りお疲れ様、おやすみなさい」
「おやすみ、マリーちゃん」
わたしはシンシアたちのところに戻ると、マントにくるまってまた眠りについた。
「神童」と言いたかったマリーですが、英語で何というか分からず。で、ついそのまま訳してしまいますが、相手は神に仕えるエドワードだったり。彼もびっくりですよね。さて神童を辞書で引くと、"child prodigy"だとか。……うん、マリーも、もちろん私も知りませんでしたw