第80話 マリー、もうけ話に心躍る。
あれから、高司祭様とシンシアとわたしとで、座談会をしてみた。それからテオ、エミリアと三人ずつ三セットの座談会だ。
高司祭様って生まれがいいからか、わたしたちのような庶民の暮らしが全然分かってないのよね。理解力は高いし、過ちはちゃんと改めてくれるから、きちんと話し合えば分かると思うのよ。で、やってみたわけだけど……。
「ま、マリー、怖かったわ……」
「おい、マリーだろ? こんなことやらせたのは!?」
シンシアとテオには、ずいぶん不評だったらしい。背も高く、眉もキリリとした濃い顔立ちの高司祭様は、慣れないと怖いかもね……と、シンシアを見てそう思ったわ。そして、疑問がわくと自分が納得いくまで徹底的に質問してくるんだもの。尋問か! と、ツッコみそうになった。わたしのフォローも間に合わないわよ! テオはそもそも、こういった頭を使わせられること苦手だしね。
「高司祭様とお話しできて楽しかったわ。ありがとう、マリー」
反対にエミリアはこの会合を気に入ってくれたようだ。マール教の高司祭であるクリスティアーノ様と、見習いとはいえ敬虔なソーレ教徒であるエミリア。三回目にはわたしも相当疲れてたし、どうなることかと思ったけど、意外にうまくいった、うまくいきすぎた。ここは宗教学か何かの研究室か! ……って、ツッコむ余力も残ってなかったけどね。
「ふはは、あいつらも話してみると面白いな。……そうか、庶民どもは日々の生活で精一杯なのだな」
「そうですね。お付きの人もいないし、何でも自分たちでしなければなりません。明かりをつけるのももったいないので、夜は早く寝ることが多いですしね。それに字が読めなくても生活に特に困りませんから。本も教師も足りていないというのもありますけど」
「ううむ。それはきっと、コートランドだけではなく、ルトーガでも庶民は一緒なのだろうな……」
珍しく気落ちしている高司祭を見ながら、わたしは言葉を続けた。
「外国のことは分かりません。ただ、マイア司祭やソーレ教の神官たちが、子どもたちに文字を教えたり、計算を教えたりもしています。時間はかかるかもしれませんが、徐々に識字率も上がっていくのではないでしょうか」
「ソーレ教……。ああ、カレンディアにはエドワードがいたか」
「エドワード神官をご存じですか?」
「ああ。直接の面識はないが、ソーレ教にも友人は多いからな。前ラースゴウの神官と同じく真面目な青年だと聞いているぞ」
多神教の世界だからか、たとえ聖職者であっても、ほかの宗教にも寛大であることが多い。もちろんほかの三大神の神聖魔法は使えないけれど、マイア司祭もエドワード神官も一緒になって勉強会をしたりしている。なんとも不思議な宗教観である。
「ああ、そうか。若手が頑張っているのか。ならおれも、うかうかしていられないな」
そう言って、にやりと笑う。機嫌が戻ったようだけど、高司祭様って十代半ばよね……? アラサー組に対する年上みたいな発言に、ちょっともやっとしてしまう。
でもまあ、識字率が上がれば、出回る本の数も増えるだろうから、それは願ってもないことだ。別に本の虫とまではいかないけれど、前世で本にたくさん接してきたわたしとしては、こっちの世界でも多くの本を読みたいのだ。
そして、最初の座談会が終わった後の高司祭様は、精力的に動き回っていた。町に出て行けば、一日帰らなかったり。教会にいるかと思うと、何やら手紙を書いていたり。
こちらの世界では、両手に載るくらいの水晶玉のような魔道具で遠方とお話しできるけど、長距離になると普通に手紙を出しているらしい。王宮とか、ルトーガの総本山みたいなところには馬鹿でかい水晶玉があって長距離通話が可能になるけど、お値段も相当するし、使用魔力も恐ろしいことになっている。よって、向こうから連絡が来ることはあっても、こちらからは手紙一択とのこと。
「高司祭様はお忙しそうですね」
「そうですね。いつもあのように動き回るのがお好きなのですよ」
マイア司祭の問いにアリスィ司祭が苦笑交じりに答えた。アリスィ司祭は基本的には教会にいて、わたしたちの勉強を見てくれたり、マイア司祭とお話ししたりしていた。まだ十代前半のアリスィ司祭は、マイア司祭のことをお姉さんのように慕っているみたいだ。マイア司祭も頼られて嬉しそうである。とはいえ、アリスィ司祭もこの年で司祭なのだから、末恐ろしい娘である。
そうやって二、三日が過ぎた。最初は隔たりがあった高司祭様たちとの距離も、ずいぶんと縮まったようだ。アリスィ司祭はもともと穏やかで気さくな方だし、クリスティアーノ高司祭様も前のような高圧的な、わたしたちを見下すような言動が薄れ、ずいぶんとフレンドリーになった。
「最初はただのバカかと思ってたが、意外にお前たち頭が良いな。何度も教えたら理解していくものな」
……あいかわらず、言葉遣いは悪いけれど。
「教えるほうにも技術がいるなんてな。相手に合わせて教えるというのは、なかなか難しいものだな」
そのぶんやり甲斐もあるがと、ニヤリとしながら言う。教え方が下手なんじゃないですかぁ? と、ややあおり気味に言ってみたところ、負けず嫌いの高司祭様は奮起してくれたようだ。もともと負けず嫌いのテオや、頑張り屋のシンシア、それに「恩寵持ち」のエミリアは、それに応えてぐんぐん成長していった。
え、わたし? 高司祭様が教えてくださるなんて滅多に無いことと、もったいない精神が発動したのか、同じく頑張った。自分の子どもぐらいの年齢の子たちが頑張っているんだもの、元アラフォーとしては、やる気が出てくるってもんよね。まぁ、子どもがいたことなんてないんだけど!
「まあ! わたくしも、うかうかしていられませんね!」
マイア司祭も奮起したようだ。神聖魔法にも、ヘンな言い方だけどコツがあって、真面目にやればやっただけできるというだけでもないみたい。ついてしまった変な癖を直し、新しい研究結果を活かし、みんなで話し合う。やったのはこれだけって感じだけど、マイア司祭も目に見えて司祭として成長した。高司祭クラスの神聖魔法を習得できたのだ。
「ふむ、足りてないのは優秀な教師か……。もっとも本国でも多いとは言えなかったが」
「お恥ずかしい限りです。わたくしがもう少しきちんとしていれば……」
習得を喜んだあと、わたしたちを独力でここまで導けなかったことを恥じたのか、マイア司祭はしょげてしまった。まぁ、マイア司祭はもともと馬車で一日はかかるスターリーの所属なんだし、上がカレンディアに人を派遣しなかったのが悪いと思うけどね。
「いや、おれの失態でもあるな。おれは自分の成長ばかり気にし、管理職としての自覚に欠けていた。いや、待てよ? ここの子どもたちは確かに未熟ではあったが、本国やエディーナの見習たちに比べて格段落ちるというわけではないな。理解力があるというか……」
考え込む高司祭様。そんな彼に対し、シンシアはおずおずと声をかけた。
「あの……高司祭様。以前マリーが本をくれたことがあって。あの、易しい言葉で書かれていてわたしにも読めるような……ええっと……」
「ふむ。どんな本だ? 見せてみろ」
そしてシンシアからお母さんの絵本を受け取ると、高司祭様は心底驚いたようだった。
「こ、これは!?」
「これは、わたしの母が書いた本の写しです。マール教のそれぞれの神聖魔法をお話にして、子ども向けに書いたものです。子ども向けだから、絵が多いんですけど」
「これは……今の最高司祭様が子どものころに使っていた本と同じだな……。おれもこれで勉強したよ、ただ、おれは絵を描けなかったから文のみだがな」
この世界には印刷技術が無い。よって、本はすべて手書きである。本は贅沢品であり、社会的地位の象徴なので、わざわざ手で写すという手間をかけたものが尊ばれるらしい。まぁ、識字率の関係で需要がそこまでないという話もあるけど。
魔法でいわゆる「念写」みたいなことが出来る人もいるらしいけど、びっくりするほど魔力がいるとかで、まったくもって一般的ではない。この世界って、個人の魔力の最大量が少ないのよね。
「この本の、こんなに完璧な写本があるとはな。これを量産するぞ、コートランド中に広めるのだ!」
費用は惜しまん、すべて買い取ってやるとの言葉に、わたしたちは喝采をあげた。紙はけっこうお高いので、需要があるだろうと思っていても、なかなか量産できなかったのだ。それに布教のために使おうと思ってたので、高い値段もつけられなかったしね。それがコートランドにおけるマール教のトップである高司祭様に気に入られたんだもの、国内のマール教徒がすべて顧客ってとこかしら。もっとも、実際は国内の教会に何冊ずつか卸して、それを写してもらうってことになるだろうけど。
降って湧いたようなおいしい話にみんなでワクワクしていたところ、それに水を差すようなことが起こった。少し苦い顔をしたようなエドワード神官が訪ねてきたのだ。
子どもたちの成長(?)と、高司祭の軟化により、両者の溝は埋まってきたようです。多神教の世界だからか、崇める神が違ってもみんな仲が良かったりします。もちろん個人差はあるし、相手の宗教を侮辱したりするのは御法度なのですが。
この世界「ワールド9」ですが、基本的に人々の魔力は少なめです。大気中の魔素自体は全ワールドそこまで変わらないのですが、剣と魔法の世界から、我々の住むような産業の発達した世界への過渡期にあたるため、言ってしまえば中途半端なところがあります。剣も魔法も近代文明も目を見張るほどは発達していないというか。もちろん訓練次第では伸びしろ(!)はあります。