第7話 マリー、葛藤する。
「いいかい、嬢ちゃん。あんたの『お母さん』はとっくに寿命だったんだ。気に病むんじゃないよ」
あれから、わたしは変わらずマルタさんの宿屋でお世話になっていた。あの部屋のあのベッドの中で。
「マリーちゃん、早く良くなって。ね、わたしたちと一緒に暮らしましょう」
「マリー、もっと食べないと死んじまうよ……」
入れ替わり立ち替わり、いろいろな人が訪ねてきた。ドワーフの薬師さんだったり、近くの孤児院のお姉さんだったり、マルタさんだったり。
薬師さんの言うように、お母さんは寿命だ。わたしの看病がなくても、遅かれ早かれ『海』に還っていたことだろう。お姉さんの言うように、もはや孤児となってしまったわたしは、早く身の振り方を考えた方がいい。いつまでもマルタさんの厚意に甘えるわけにはいかないのだ。
そうは言っても、体が動かなかった。何でわたしのちっぽけなプライドのために、お母さんにあんな態度をとっていたのだろう。後悔しても、もうお母さんはいないのだ。思えば、前世でも父や母に親孝行できなかった。どんどん悲しみの海の中に沈んでいく気分である。
ある夜遅く、薬師さんがやって来た。アルコール臭がものすごい。
「よう、嬢ちゃん。嬢ちゃんも飲むかい?」
……飲みたい気分と、三歳児の体には悪いだろうという考えの間で葛藤してしまう。薬師さんは、ベッドの前の椅子に腰掛けた。
「あたしはね、嬢ちゃん。自治区の中でもいちばんの薬師だったんだ」
ハイランド自治区は、コートランドの中にあるドワーフの集落だ。
「人間の町に来てからも研鑽を積んでね……コートランドでも指折りの薬師だと自負してたんだ。あんたの母親が来るまではね」
薬師さんはそう言うと、持っていた酒瓶をぐいっとあおった。
「人間はドワーフより寿命が短い。うんと生きているはずのあたしは、あんたの母親にまったくかなわなかった。あと何十年生きたとしても、あの領域に行けるかどうか……」
わたしは少し顔を上げて、薬師さんを見た。人間で言えば、五、六十代ぐらいだろうか。焦げ茶色の髪をおさげにしている。
「……わたしも。わたしもお母さんに対して嫉妬していたわ」
わたしは久しぶりに声が出た。
「わたしは不安だったの。今はまだ小さいけど、大きくなっても何者でも無いただのマリーだったら、お母さんはわたしのこと……きっと嫌いになるわ。わたしがこれから何十年生きるより、お母さんがわたしの分も長生きした方が、世のため人のためになったと思うの」
後から後から、ネガティブな言葉が口をついて出てくる。そんなことないはずなのに。そんなことを言いたいわけじゃないのに。思考が混乱する。止めたくても止まらない。そんなわたしを、薬師さんはじっと見つめていた。
「ふむ、嬢ちゃんは自分の母親のこと、本当は嫌いだったのかい?」
「! 違うわ! お母さんのことは大好き。ずっと一緒にいたいの。でも一緒にいると苦しいときもあるの。何もできないわたしのことを、『わたし』が責めるのよ……お前はお母さんの子にふさわしくないって」
ネガティブな言葉とともに、涙も後から後から流れていた。……たぶん、わたしは自分に期待しすぎなのだろう。理想の自分と実際の自分との間でもがいているのだ。思えば前世でもそうだった。
「嬢ちゃん……あんた、まだ三歳だろう? ……そうさ、あたしだって、まだ七十ちょっとなんだ。まだまだ人生の折り返し地点さ! 目標ができた、酒なんて飲んでる暇はないよ!!」
薬師さんは、椅子からぴょんと立ち上がった。来たときとは打って変わって、きらきらした顔をしている。あいかわらず、お酒くさいけど。
「嬢ちゃん、何でも諦めたらだめさ。そこで話が終わっちまう。目の前に高い壁があっても、もがいてもがいてもがきまくれば、いつかは越えられる。あんたの『壁』は、あんたの味方だったろう?」
そうだ。お母さんはわたしがいくらダメだったとしても、きっと嫌わなかっただろう。それに今のわたしは三歳だ。三歳にいろいろ求めるのは酷というものだ。わたしは、これからの人間なのだ。
「うん、お母さんはわたしのことをすごく鍛えてくれたの。わたしに伸びしろがあったからに違いないわ」
「そうさ、試練の神は越えられる壁しか与えないからね!」
善は急げとばかりに、薬師さんは部屋を飛び出していった。……結構酔っていたし、階段踏み外さなければいいけど。
鏡があったら、わたしの顔も晴れやかになっていたに違いない。わたしに伸びしろがあるかどうかは不明だが、ウジウジしていてもしょうがないのだ。これからわたしが仮に九十まで生きるとして、あと八十七年もある。それだけあれば、お母さんの領域まで近づけるかもしれない。それに、お母さんみたいに海外を旅してみたい。RPG好きとしては、剣と魔法の世界を冒険したいのだ。お、何だかわくわくしてきたぞ。
「マリー、シーナが飛び出していったけど……」
マルタさんが階段を上がってきた。わたしは、大きなその体に飛びついていった。
「マルタさん、今まで迷惑かけてごめんなさい。明日……お母さんのお墓に行くわ」
「ま、マリー、元気になったのかい!!?」
大泣きするマルタさん。そしてお約束のように、大きな音を立てて鳴るわたしのおなか……。かなり恥ずかしい。
「あはは、よかった。お腹が空いたんだね。下へおいで、マリー。お腹いっぱい食べるんだ。早く元気になっておくれ」
一階で具だくさんのシチューを食べながら、わたしは決意した。わたしがいつか『海』に還ったとき、お母さんにたくさんお土産話を持って行くんだ。いろいろなところに行って、いろいろな人に会って、いろいろなものを食べて。前世では、物理的にも精神的にも狭い世界で生きていた、自分が傷つかないように。今世ではもっと広い世界に出て行くのだ。
理想の自分と現実の自分との間で葛藤するマリー。彼女は基本的にはお人好しでのんきだけど、数々の挫折体験(そこまで深刻なものはないはずですが)を経て、ちょっと臆病で自分に自信がありません。そんなマリーの成長を書いていくつもりです。
次回からは、カレンディアの町での生活が始まります。