第62話 マリー、誘拐犯と対峙する。 上
扉が開いて入ってきたのは、背が高い中年の男だった。ずいぶんと薄汚れたローブを着ているけど、もとは白かったっぽい。そして不機嫌さを隠そうともせず、わたしのことを睨みつけてきた。
「ふん、ようやく起きたのか。よく寝る女だな」
そう吐き捨てるように言うと、持っていたトレイをガチャンとわたしの目の前に置いた。パンが一つに、水の入ったコップが載っている……もっと食べたいわぁ。
「……おじちゃん、だれ? ここはどこ?」
「何だその幼稚な物言いは! わたしのことを馬鹿にしているのか!? お前の母親といい、本当に嫌な親子だな!」
男はそう言うと、乱暴に扉を閉めて出て行った。
わたしはというと、空腹に負けてパンにかじりついた。感じ悪かったけど、パンに罪はないもんね。もしゃもしゃとパンを食べながら、さっきの男のことを考える。
「あの人、なんでわたしのことそんなに嫌うんだろう? 会ったことないのになぁ……」
お母さんのことも知ってるみたいだ。じゃあ、この誘拐はお母さんがらみってことかしら?
「犯人の要求は何だろう? ……わたしは無事に帰れるのかなぁ……」
お母さんはすでに故人である。だから、お母さんに対して何かを要求することはできない。……それなら「娘」であるわたしを……うぅ、嫌な想像しか思い浮かばない。
(あの男、ソーレ教の法衣を着ていたな)
いきなりフェルナンドさんが話し出した。
(ソーレ教? ああ、そういえば、エドワードさんが着ているのに似ているような)
エドワード神官が着ているのは、もっと白くてパリッとしていて、ふくらはぎが見えるくらいの丈だったから気がつかなかったけど。言われてみれば、かなり似てるかも。
(あれ、エドワードさんのローブって、アイリーンの着ているのとはちょっと違うのかしら?)
(ああ、あの形はソーレ教の神官が着る法衣だな。正確に言えば、エドワードのは神官戦士用の法衣で、あの男のは神官用の法衣だが)
(じゃあ、あの人あれで聖職者ってこと? 聖職者のくせに、わたしを誘拐したの?)
(……今も聖職に就いているかは分からぬが)
確かに。カレンディアのソーレ教の人たちって、糊付けされたような真っ白のローブを着てるもんね。さっきの人なんて、見た目マッドサイエンティストっぽい感じだったもの。あんな服装だと、絶対同僚の聖職者に怒られるよね?
(フェルナンドさんは、さっきの人と会ったことある? お母さんのことを知ってそうだったんだけど)
(いや、ないな。わたしは生み出されてからずっとグレイツィアと共にあったが、あの男に会ったことはない。グレイツィアがソーレ教徒だったのは、もうずいぶん前のことだ。あの男どころか、その親も生まれていないだろう)
(! そうだ! あの人と話してて違和感あったんだけど……)
わたしはこの世界に生まれて、まだ三年しか経っていない。そんな言わば幼女相手に、「よく寝る女」だの、「幼稚なしゃべり方」だの、そんな言い方するかしら?
前に町長の息子さんが、わたしのことをお母さんの実の娘だって勘違いしてたけど……。今回も同じなのかしらね?
わたしがフェルナンドさんと脳内会議をしていると、また扉がバタンと開いた。
「もう食べたのか? なら片付けるぞ」
……確かに、食べ終わってはいたけどさ……。
「おじちゃん、戻って来るの早くない?」
ああ、心の声がついポロリともれちゃったわ……。
「何だと? 食べ終わったら、さっさと洗わないと片付かないだろうが! そんなことも分からないのか!」
いや、わたし一人暮らし長かったし、それくらい分かるけどさ。そんな薄汚れたローブを着た人に言われたくはないわぁ。
男が近づいてきて、トレイを持ち上げた。ほぉら、すえた臭いが……しないわね。ローブは汚れた見た目にもかかわらず、ちゃんと洗われているようだった。何なの、いったい?
「おじちゃんってさ、ソーレ教の神官だよね? エドワードさんの知り合い?」
「エドワードだと? ああ、あの青二才は、わたしの教え子だ」
ふふんといった感じで、男は答えた。わたしやお母さんのことだけじゃなく、エドワードさんのことも嫌いなのかな? この人、世の中に嫌いじゃない人っているのかしら? わたしがそんなことを考えていると、階段を降りてくる音が聞こえ、新たな人物が顔を出した。
「アーネスト、トレイの回収をするって言ってたけど。まだなのかしら?」
見ると、若い女だった。二十代くらいかしら? ……って、この間の女の人じゃない? ハイランドから帰る馬車で一緒だった。あれだけの美人さんだもん、バッチリ覚えてるわ!
「ああ、エヴィーナ! わたしの女神よ!」
その瞬間、世界が凍り付いた。……や、わたしも、何この人サムイわねって思ったよ? でもそういうんじゃなくて。ああ、いつだったか、美魔女だけど独身の先輩に無邪気に結婚報告した後輩がいたわね……あのときと同じような冷気を感じたわ……って、このおじさんは何も感じてないのかしら? まあ凍り付いたのは、ほんの一瞬だったけどね。次の瞬間には、彼女の様子は戻っていたから。
「エヴィーナ、聞いてくれたまえ。この女は、自分の年も考えず、まるで幼女であるかのように振る舞うのだよ。グレイツィアといい、嫌な親子だよ」
え、自分の年? ヘンリーさんのときは、お母さんが超高齢で出産したと勘違いされたけど、今回はわたしの年齢自体が勘違いされてるのかしら? あんまりすぎる事態に憤慨していたんだけど、フェルナンドさんはそれどころじゃなかったみたい。
(似ている……)
それっきり黙り込んでしまった。何なら、ブルブルと震えているようだった……って、サークレットが震えるって、いったいどういうこと?
そんなフェルナンドさんの様子が気になって、目の前の二人を観察する。ああ、やっぱりエヴィーナさんは、そういうローブ姿の方がいいわね。前は取って付けたような村娘っぽい格好だったけど、今回はつやつやと真っ黒な絹でつくられた細身のローブを着て……って、あれ? 何だろ? ちょっとお母さんに似てない? 髪の色とか、雰囲気はまるで違うんだけど、他人の空似というには似すぎてるのよね……。例えるなら、そう、お母さんが「闇堕ち」したような……。
わたしがそんなことを考えていると、いきなりフェルナンドさんが絶叫し、沈黙した。